13
真実しか口にしなくても、全てを話さないことで誰かを騙すことは出来る。
その理由が愛であっても憎悪であっても。
自分以外にむける強い感情、執着。欺瞞、謀。
それは様々な形の愛だ。
さあ解ったか、お人形。
愛とは何か。
愛とは何か。
「話はそろそろおしまいだ。理解できたか?愛ってやつが」
歌うように話を終えて、バグは己の胸を包む毛に埋まるように頬を当てたまま動かない少女の顎を捕らえ、上向かせた。
「器用な奴だ。片目だけで泣いているのか」
顔を上げた少女の頬は、片方だけ涙が伝っていた。
バグは楽しくてたまらないといったようにクツクツと笑いながら、雫となり今にも少女の白い頬を離れて消えようとする涙を黒い指で掬い取った。
「目は口ほどにものを言うというが、俺にとっては、涙は目以上にものを言う」
「涙」
「そう、涙」
少女が自分の流したものではない様に見つめる指先の涙を、バグは口を開き、その中にころりと落とした。
少女はバグの口元を赤い舌がまたチロリとのぞくのを無表情に見つめながら、
「なみだ【涙】興奮したり刺激を受けたりしたために、目から出る液体。又は、同情」
辞書を読み上げるように言う。
その言葉に、バグがにたりと笑みを深くする。
途端にその目は肉食獣の光を放った。
少女はじっとその目を見返した。
「同情か、それはそれで面白い。しかしお前の内で何かが起こっているのは間違いないが、今まで喰ったどの感情の動きとも違う。今まで出合ったことの無い味だ。お前が何を考えているか、バグの俺でもこれだけではわからない」
「食べるの?」
平坦で、焦がれているのか恐れているのか伝わらない言葉。
「喰うことは間違いない。しかし味見では今が最高の状態かわからないとは厄介な奴だ」
バグは言いながら少女の腰を掬うように引き寄せ、先程とは逆にバグが少女の胸に顔を埋めるようにする。
自然、膝立ちになった少女はバグの頭に顔を寄せて囁く。
「食べないの?」
バグの耳元でなる少女の鼓動は変わらないリズムを打っている。全身に血を巡らし、生命を司るその鼓動のもとに触れようとするようにバグは少女の胸に手を這わせた。
「お前は人が好む酒や薬のようだな。お前を喰うことを考えるだけで血が騒ぐ」
開いたデザインの襟元から除く少女の白い肌に顔を寄せ、すぅと一度深く息を吸い込んで顔を上げる。
「俺には理解できない、消化してしまった感情の話を長々とするのは実は疲れる。だがお前には必要だろう」
「続きを話してくれるの」
「そうだ、続きで終わりだ。もう終わりしかない話だ」
少女はふと周りを見回した。
眼下に広がる様々な形の黒い影。その稜線が淡く輝きだしている。
夜明けが近づいていた。
さあエピローグだ、幕引きだ。
結末に感情など関係ない。
そこにあるのはただの事実。
目を閉じろ、そして開け。
人形の夢と目覚めに、さあ事足りたか?
父である現王が謎の急病に倒れ、都が揺れている間に密やかにローズフェリアの降嫁は決まり、行われた。
最後に一度だけ許され、寝室の父に挨拶のため近づいた時のことを決して忘れられないとローズフェリアは思った。
病のため口が聞けなくなっていた父王の目は、そこだけ力強くギラギラと輝いていた。その光は娘を見るものではなく、裏切られた男が女に向ける怨嗟の感情が溢れていた。
塔で聞いた話が真実であると改めて肌で感じ、青ざめ後ずさったローズフェリアの肩を臨時の名目で王座についている兄が抱きとめた。
「父上、娘の晴れがましい日になんという顔をされているのです。そんなに恐ろしい顔をされては、腹の中の子も怯えます」
クスクスと笑う兄がローズフェリアの腰を抱き並んだ瞬間、父の目にさらに燃え上がったのは怒りと嫉みだった。
「そう興奮なさらず、ゆっくり静養なさって早く良くなって頂かねば。それでは失礼いたします」
笑う兄に背中を押されて退室する瞬間、ローズフェリアは父王の枕元に寄る姉の横顔を垣間見た。 こちらをチラとも見ようとしないその顔は、幸福感に満ちた笑顔だった。
そのまま王城を出、シノールに引き渡されて王都を出る。
今はシノールの家が治める王都に隣接する領へ向かう馬車の中だった。
父の目と兄の声、姉の笑顔が脳裏からはなれず、ローズフェリアは震え、自分で自分の肩を抱いた。
と、膝に手が置かれる。
ローズフェリアが顔を上げると、様子に気づいたリンが気遣うように、どこかオドオドした様子でこちらを伺っている。
「…なんでもないの」
なだめるように手を優しく握り、リンの膝に戻す。
それでも疑るようにリンはローズフェリアを気にしていたが、途中で糸が切れたように俯いて動きを止めた。
リンは目と口が利かなくなっていた。
あの日の夜、他の侍女に部屋で倒れているのを発見され治療を受けたが、これもまた原因が不明だった。
ローズフェリアは十分な保証をつけてリンを故郷に返そうとしたが、本人の激しい拒否と懇願にあって降嫁の供にした。
今思えば、任を解かれようとしたときのリンは何かに怯えていたようだったとローズフェリアは思う。
――原因不明の、口が利けなくなる、突然の病
これは偶然だろうか?
ローズフェリアは振り切るように窓の外を眺めた。
王城はもう遠く、見えることは無い。
馬車が止まり扉が開かれると、馬で併走していたシノールが立ち、手を引いてくれた。
そしてそこにあるものを見て目眩を覚える。
「シノール、様…」
それは、毎日登った王宮のはずれの塔と寸分たがわぬ塔だった。
自分の今いる場所がわからなくなり、喉が渇く。声も出せずシノールを振り返った。
「王子が、ご出産が済まれるまではと」
目を伏せ、憚る様に言われた言葉に息を呑む。
まだ外見的には気づかれないが、ローズフェリアの身体には異母兄弟であり、皇太子である男の子が息づいているのだ。
それは何重もの禁忌。降嫁前から孕んでいたということから、決して知られてはならない。
ローズフェリアはシノールに手を引かれるままに、塔を登った。
塔の内側は、あの塔とは少し違いほっとする。
壁に棚があり、その中を登るように螺旋階段が配されている。
最上部と思われる場所の階段つきあたりにドアがあり、ドキリと嫌な感じにローズフェリアの鼓動がはねる。
気づいたシノールが力づけるように手に力をこめてくれて、ローズフェリアは目眩を払って部屋に足を踏み入れた。
――そこは、壁中に大きな窓が並んだ、開けた部屋だった。
ローズフェリアは気づかぬ間に涙を流していた。
部屋中に光が差し込んでいる。
光の当たる、この場所でなら何かを育んでいけると思った。
シノールに優しく抱きしめられた肩越しに小さく王宮が、あの塔が見えた。
忘れるなと兄の声が聞こえた気がした。
それでも。
忘れないからこそ、今度こそ間違えはしないと、ローズフェリアはシノールの肩に顔をうずめた。
それからそこでローズフェリアは穏やかに暮らした。
シノールは足繁く塔を訪れ、塔の棚をローズフェリアの気を紛らわす贈り物で埋めていったし、ローズフェリアは多くの人と合わない生活に慣れていた。
なにより、負の感情を持って自分を見る者がいないことが大きかった。
時が満ち、ローズフェリアは女児を出産した。
その子はまるで死産のように身体が白く、出産に立ち会ったものを驚かせた。
髪は薄い金髪かと思われたが肌を清め布で拭いてみると白髪だった。
そして、開いた瞳は赤かった。
人にないその色。誰にも似ていない、しかし恐れを覚えるほどの美しさ。
――禁忌の証。人形の子。
我が子と対面したローズフェリアは罪を突きつけられたような気がした。
その子の世話は信頼できる姥に任せてローズフェリアは再び塔に引きこもった。
それでもシノールが子と、子を産んだローズフェリアを疎ましがる様子を見せなかったのが救いだった。
育児には決して手を出さなかったが、シノールが正式に領主の位を受け継いだのを期に、ローズフェリアは塔を出て領主館で暮らすことになった。
今までを思えば、ローズフェリアにとってそれは幸せな毎日だった。
穏やかで、変化の無い毎日。
何もかもが癒えて行くように感じていた。
ある日、ローズフェリアはリンと庭でお茶を飲んでいた。
そして気づくと視線の先に2歳ほどの女の子が立っていた。
赤い目の、明らかに異質な存在。
あまりの美しさにぎくりとしながら、ローズフェリアはそれが自分が産んだ子だとすぐにわかった。
じっとこちらを見つめてくる赤い視線に絡め取られた様に動けなくなりながら、波立つように鼓動が乱れていくのを感じる。
娘を憎んではいない。人間離れした色彩と美しさに恐怖は感じるものの、嫌悪を感じてもいない。
しかしその存在は、罪そのもので近づけなかった。
つらい記憶がまざまざと蘇り、今でも拒否感に脂汗が浮かんでくる。
だが小さな幼子が声も出さず無表情で立っているのを見て、ローズフェリアは罪悪感もまた感じるのだった。
幼い頃の自分を思い出す。
どれほど子が親の愛を欲するかをローズフェリアは誰よりも知っていたのだ。
「…おいで」
声をかけると、小首をかしげ周りを見回してから寄ってくる。
ローズフェリアは胸が痛んだ。
奇妙な色彩のため館の皆から敬遠されているとは聞いていたが、自分が呼ばれたかどうかを他の存在が無いことで確かめなくてはいけないとは。
それは普段から誰かに声をかけられることが無いということだ。
ローズフェリアはこわばりが溶けるのを感じた。
じっと見つめてくる少女に罪は無い。
光に溢れる塔の中で、身の内にこの子の存在を感じながら安らかに過ごしていた。
あの頃、自分に全存在を預ける命にローズフェリアは確かに癒されたのだ。
「そう、たくさん歌を作って歌ったのよ」
己には歌われることの無かった子守歌を。
与えられなかった物を全て与えようと思ったのだ。
ローズフェリアはぎこちなく微笑み、少女の髪に手を伸ばした。
その白い髪に手が触れようとした瞬間。
ずっと黙っていた少女が口を開いた。
「うた?」
そして透き通るような声が歌いだす。
美しい天上の音のようなそれは、子守歌。
ローズフェリアが作り、塔で一人のときに、胎の中の少女に、歌った歌だ。
「それは、私しか知らない…」
ローズフェリアは先までとは違う恐怖に青ざめた。
伸ばしたままの手に気づき、慌てて引っ込める。
「…どうして」
呆然と口にして、その言葉に更に血の気が引く。
あの頃何度、この言葉を口にしただろう。
そしていつだって、返ってきた言葉に叩きのめされた。
倒れそうになりながら、ローズフェリアは少女の顔を見つめた。
耳を塞ぐことも出来なかった。
少女が歌を止めて一度閉じた口をもう一度開く。
「歌ってくれたの、たくさん聞いたから、覚えてるの」
無表情で平坦な声。当たり前のように言われた言葉。
ローズフェリアは全身の肌が粟立つのを感じた。
「う…うぅ…」
知らず、うめき声が漏れていた。恐怖に締め上げられて後ずさる。
テーブルにぶつかり食器の倒れる音がしたが、それでも視線をはずせない。
――これを隠さなければ。目に映らない者は存在しない者と同じなのだから。閉じ込めて、決して誰も近づかないように監視しなければ。これはやはり罪そのもの。内から全てを見ていたモノ。そして――
ヒクリと喉が上下して、ローズフェリアは叫んでいた。
「化け物!!」
でしょうね、は禁句。(再)
明日、完結します。




