D-XIX.南の集落②/長
リョウヤは表情のない顔のまま、力任せに腕を振るって刀身に付着した血液を払う。
地面や雑草に赤い点が飛び散り、刀身は簡単に銀色を取り戻した。
「……あァ……失敗したな……」
額から伝ってくる赤い液体に、リョウヤは軽く頭を振る。
血液は飛び散るのだが、剣とは違い完全に払うことができない。仕方なしに、纏っている流星雷光龍衣の袖でガシガシと強引に拭き取ることにする。
流星雷光龍衣はゲームと同じで特殊な装いなのか、汚れの類は時間経過で消えていくことを確認している。
お気に入りの装備を汚すのは気分が悪いが、この際仕方がない。換装魔法は使わないでおくと決めているのだ。
顔周りの水気が消えていくのと引き換えに、純白の装いが深紅に染まっていく。
鉄臭さと生臭さはなくならないが、それはグッと我慢する。
警鐘は未だに鳴り止んでおらず、集落内を覗いても鬼人の姿はない。そしてオーガの姿もない。
単純にこの後どう動くかを考えていたリョウヤは、ここで立ち止まっていても仕方がないと真っ先に思った。思ったのだが、すぐに思い止まる。
リョウヤは鬼人の青年に青オーガの相手を任された。それは、この場を任されたということだ。
リョウヤの存在は既にこちらの集落にも伝わっている。その実力に関してもだ。
鬼人の青年が他の仲間と合流し、リョウヤが到着しているという情報を共有した場合……と考える。
考え、簡単に結論を導き出した。
(動かない方が無難か……)
リョウヤが今いる場所で戦っているのを前提に、鬼人が行動する可能性は高い。ならば、余計な行動は混乱を生むだけだろうという判断だった。
破られた壁の隙間の横、外周側に寄り掛かるリョウヤは、視界に入る青オーガを意識しないようにと木々へと視線を向ける。
他のオーガから襲撃を受ける可能性を考え、警戒はする。
警戒をしながら、乱された心を落ち着けるように務める。
リョウヤが小さく、けれどハッキリと深呼吸を繰り返してから、更に十数分――バタバタと激しい足音が複数聞こえてきた。
音の出所は壁の外ではなく中。
リョウヤは寄り掛かっていた壁から離れ、集落の中を覗き込んだ。
走って来ていたのは五人の鬼人だった。
全員が若い男で、うち一人はリョウヤに「この場は任せた」と頼んだ青年である。
「無事だったか……オーガは?」
青年に問われたリョウヤは、退くようにして鬼人達の前からズレ、その視線を物言わぬ体となった青オーガへと向けた。
おお! と感嘆した鬼人達に対して、リョウヤは「血、流したいんだけど」と渋い顔である。
青年も驚いてこそいたが、すぐに声を上げた。
壁の修理をするようにと指示を飛ばした後、気さくな態度で「着いてきてくれ」と言われたリョウヤは大人しく従う。
案内されたのは屋敷だった。
茨木童子や相談役と初めて会った屋敷ほどではないが、それでも集落の規模を考えれば大きな屋敷である。
(……勝手に使っていいのか、これ)
屋敷に連れ込まれ、笑顔で大浴場に押し込まれたリョウヤは桶のお湯を頭から被って、そんなことを思った。
普通に考えて、今リョウヤのいる屋敷は集落の長が住む屋敷なのだ。
エタフルの話では、この集落の長は「付き合いやすい」とのことだが、まさかこんなにも簡単に連れてこられるとは思っていなかった。
(それとも、長は関係なく温泉宿があったのか……? いや、あれだけ余裕がないと言っておいて――)
そこまで思考して、やめた。
結論の出ないことを長く考えてしまうのは悪い癖だな、と自嘲する。尤も、可能性を予め考えておくことで、咄嗟の判断材料にすることができるのは良いことである。大事なのは没頭しすぎず、そして囚われすぎないことだろう。
好きに使ってくれと言われた大浴場ではあるが、ゆっくりとお湯に浸かっているのは良くない気がする。木製の大きな浴槽は魅力的だが、そう判断していたリョウヤは、頭と体を洗ってすぐに脱衣所へと戻ることにした。
そして、流星雷光龍衣がなくなっていることに気が付く。
代わりにバスタオルが一枚と浴衣が一着。
どうやら血に濡れた服は洗ってくれるらしい。
ありがたい気遣いだ。
とは言え――
(――迂闊だった……!!)
――リョウヤは苦々しい顔で拳を握る。
憤りは鬼人達に対してはない。寧ろ自分自身に向けられたものだった。
流星雷光龍衣は貴重で、強力で、リョウヤにとっては宝物と言える装備の一つだ。リョウヤの思い入れは置いておき、その希少さや強力さは唯一無二と言えるだろう。
本来ならば、脱いだ際に換装魔法で回収しておくべきだったのだ。
恐らく盗まれたわけではない。が、自身が軽率にも脱衣所に脱ぎっぱなしにしてしまったのは事実だ。
浴衣を着終えたリョウヤがぼやく。
「あー……クソ」
パン! と乾いた音が一度響いた。
リョウヤが自分の頬を両手で叩いたのだ。
先の青オーガとの戦い……というより惨殺が、思いのほか自身に重くのし掛かっている。だからこそ、判断力も鈍くなっていた。
意識を切り替えるための一撃によって頬がジンジンと痛むが、それも僅かな時間だ。
布連を手で持ち上げ、頭を軽く下げて布連を避けるように大浴場を後にする。すると待期していたのか、鬼人の女性がリョウヤに気が付き、小さく会釈してきた。
お早いですね、と微笑む女性に、リョウヤは「あまりゆっくりするのもな」と肩を竦める。
鬼人の青年が気さくだったように、彼女もまた友好的なようだ。
「星熊童子様の元へご案内します」
この集落の長――星熊童子。
その場所へと案内するということは、やはり今いるのは長の過ごす屋敷ということである。
リョウヤが最初に目覚めた西の集落には、大きな建造物が二つ。
一つは茨木童子……正確には首領である酒呑童子に与えられた屋敷。
もう一つは宿泊施設である宿だ。尤も既に廃宿一歩手前ではあるのだが、それはあくまで外観の話だった。リョウヤの寝泊まりしていた離れの一室はともかく、本館のほうは緊急の入院施設として使われている――のだと、リョウヤはエタフルに聞かされていた。故に「近付くな」とも言われている。
(普通に考えて、ここは星熊童子の屋敷だが……)
どうにも入院施設として使われている雰囲気ではない。
他にも大きな屋敷があるのか、それとも単純に被害が少ないのか。
リョウヤは「後者……かな」と考える。
集落の規模は、首領と副首領のいる西の集落の方が大きい。それにオーガの居座る地にも近い。戦闘確率が上がり、戦闘に参加する人数が増えれば、被害率も上がるという話だ。
「こちらで星熊童子様がお待ちです」
開けますよ、と続けられた言葉は、リョウヤというよりも室内へと向けられたものだった。
女性の鬼人は襖の扉を横へとズラす。
和風の屋敷は、言うまでも無く畳みの部屋が多い。恐らく客間であろう一室は、リョウヤが最初に茨木童子や相談役達と顔を合わせた部屋によく似ていた。
違いがあるのなら、それはテーブルだ。
先日は人数が人数だったからか、長方形テーブルが複数個置かれていた。が、いま開け放たれた扉の向こうに置かれたテーブルは一つである。
そのテーブルの向こうで、角のない少女――リョウヤは星熊童子なのであろうと推察したが――その推定星熊童子が、長い小麦色の髪と……纏った流星雷光龍衣を揺らしていた。
「あっ……」
案内人の女性の鬼人が声を漏らす。
流星雷光龍衣を纏う少女は呆然としたまま硬直して、扉の向こうの二人を凝視している。対する二人は……あっちゃー! と案内人が頭を抱え、リョウヤは困惑に目を開閉させてしまっていた。
「失礼しました……」
頭を抱えた次の瞬間には、素早い動きで案内人が扉を閉じる。さながら封印である。
「……あー……その……」
遅れて現実に返ったリョウヤが気遣いがちに口を開くが、正直なんと言うべきなのか分からない。
俺の服! と言うべきなのかもしれないが、少女があまりにも嬉しそうな表情をしていたので文句を言うのも憚られた。
(――服が揺れてたし……着飾った状態で一回転してみたとか……)
そういう感じだったのだろうか、と自分ではしたことのない行為について考える。リョウヤは着飾ったからターンしてみた経験がないし、したいとも思わない。だが女の子なら、とは思わなくもない。
「少々お待ち頂けますか?」
「あ、はい」
満面の笑みを浮かべた案内人に、リョウヤは反射的に頷く。すると案内人は小さく頭を下げ、襖を体を横にすることでどうにか通れるだけ開けて、中へと消えていく。
廊下に残れたリョウヤの耳に、室内から僅かな声が届く。
襖は閉じられてしまっているのでほとんど聞こえないのだが、案内人に星熊童子が怒られている……というのが近いだろうか。決して激しい様子ではないので、軽い説教をされているのかもしれない。それはそれで、長としてどうなんだというは疑問は沸くが、個人個人の関係は分からないので、リョウヤがどうこう言うこともでない。
数分の後すぐに襖が開かれた。
「中でお待ちください。お茶とお茶菓子を用意します」
案内人にやんわりと促されたリョウヤは、言われるがままに入室してテーブル前の座布団に腰を下ろす。
リョウヤが座ったのを確認して、案内人は一度退室したがすぐに戻って来た。その手に持つおぼんには言った通りのお茶とお菓子が乗っている。
案の定、お茶は湯気が立ち上っていたので放置しておく。その間にエタフルについて尋ねると、既に到着して怪我人を診ているとのことで、リョウヤはホッとした様子を見せた。
大人しく座って待つこと約十分。
リョウヤが入って来たのとは反対側の襖が開かれた。
「――お待たせしました」
落ち着いた様子で入室してきた小麦色の少女は、当たり前だが服が代わっている。羽織りを纏っているのは茨木童子と同じだが、上半身を包むのは黒い着物で、下は清潔感の漂う白のロングスカートだ。
見た目だけならリョウヤとそう年の変わらない少女は、両手に畳まれた流星雷光龍衣を抱えていた。
「まずはその……こちらを」
真面目な態度でありながら、どこか気まずげに少女がリョウヤに流星雷光龍衣を差し出す。
「あァうん……どうも」
受け取った龍衣を反射的に換装しかけて、咄嗟の判断で止まったリョウヤは、曖昧な返答で答えた。
「洗っておくつもりだったのですが、その必要がない特殊な素材を使っていたようで……」
リョウヤが龍衣を横に置くのを見ながら、少女がテーブルの反対側へと移動しつつ呟く。
「改めまして、私は星熊童子。この村を治めている者です」
飴色の羽織を踏まないようにと注視ながら、座布団へと腰を下ろした少女――星熊童子はキリッとした顔付きで告げた。
「雰囲気を作っているのは良いですが、謝罪はしたのですか?」
案内人が襖を開けると同時に言い放つと、星熊童子はビクリと体を震わせた。どうやら彼女は、星熊童子の分のお茶を用意してきたようだった。
おぼんから湯飲みを星熊童子の前へと案内人が置くと、その音に反応して再び星熊童子は体を震わせる。
「……謝罪って、俺の服を着てたことか?」
自分から話を振ってあげた方が良いだろうかと、リョウヤから出た言葉に「はい」と答えたのは案内人だった。
「別に俺は気にしていないが……」
リョウヤが言うと、星熊童子は僅かに体の力を抜く。
「そうですか?」
「強いて言うなら……理由が気になるな」
流星雷光龍衣は“龍衣”と呼ばれるシリーズの装備だ。それはいつか説明したように絆防具と呼ばれる物で、プレイヤーとパートナードラゴンの絆が高まることによって得られる防具だ。
交換や販売も可能だが、他人が装備しても全く効果が得られず、防御力も低くなってしまうというデメリットがある。つまり手放す理由のない、本当に入手者限定の防具なのだ。
星熊童子は流星雷光龍衣を着ていたが、彼女の着た龍衣はなんの変哲も無い布製の着物になっている。特別欲するような物でもないはずだ。
だからこそ、リョウヤは疑問だった。
「だ、そうですよ?」
案内人に促され、星熊童子は怖ず怖ずと口を開いた。
「えっと……その……屋敷の子が洗っておくって貴方の着物を抱えていたのだけれど……ちょっと気になって見せてもらったら、もう汚れはなくて……匂いとかも良くて……」
はァ、とリョウヤはよく分からない相づちを打っておく。
「それで、その……素敵な着物だったから……着てみたくなって……」
着てみたくなった……着てみたくなっちゃったのかァ――リョウヤはしみじみと零した。思い返せば、ラナンにも似たようなことを言われたことがあった。あれはちょうど、リョウヤ、紅、一寸と着物トリオが揃っていた頃の話である。
懐かしさを感じたリョウヤの声音は、どことなく優しくなってしまっている。
優しい声音も、星熊童子からしたら恥ずかしいだけのものだ。何せ彼女はリョウヤの心情を理解できない。
微笑ましいな! 星熊童子はそう言われている気がするのだ。言われている気がすると言うより、そう思われているのだと確信してしまっている。
折角凜とした態度で対応していたのに……と星熊童子は俯いて不満を抱えるが、リョウヤが最初に見た星熊童子は、綺麗な服を着て喜ぶ童女のようだった。ぶっちゃけた話、彼女が今更取り繕ったところで意味はなかったりする。
「……だって島から出られないのよ? そりゃあ鬼人にも仕立屋はいるけど……外の服、それも着物なんて着る機会が……」
うぅ……と呻くように言い訳を続ける星熊童子に、リョウヤは流石に気の毒になり「そうか」と口を挟ませてもらう。
「さっきも言ったけど、返してさえもらえれば別にいいよ」
「はい……ありがとうございます……」
リョウヤが苦笑のような、微笑みのような、けれども気遣うような笑みで言うと、星熊童子は複雑そうにお礼の言葉を絞り出した。
きちんと謝罪をしたことに満足したのか、案内人が部屋を去って行く。リョウヤとしては本当に二人の感駅が気になるところだ。
――それはさておき。
「――さっきは名乗れなかったが、俺はリョウヤ。色々あってこの島に漂着して、世話になってる」
「……はい、話は伺っています。人間の大陸に戻るために、力を貸してくれている……と」
リョウヤの柔和な自己紹介に、星熊童子は真面目な表情と口調で返したが……すぐに崩れ去った。
「――なーんて雰囲気作ったって、今更だよねぇ」
朗らかに言い切った星熊童子にリョウヤは一瞬目を見開いたが、釣られてすぐに笑みを浮かべる。
この集落の者達がフレンドリーなのは星熊童子の影響があったから、そう思わせるには充分の親しみやすさである。
「まァ印象的だったしな」
「何が、とは聞かないとして……まずはお礼を言わせてください」
リョウヤの意地悪な一言に、星熊童子は、コホンと小さく咳払いを一つ。
「貴方のおかげで被害を最小に抑えられました」
ありがとうございます、と星熊童子は頭を下げた。
雰囲気云々とは言っていたもの、それとこれとでは話が別のようだ。それらのことから、星熊童子は人当たりが良くて明るい、且つ真面目な性格をしているのがよく分かる。
「打算ありき……だけどな」
「ええ、分かっています。貴方の活躍はきちんと報告しますから安心してください」
加えて理解力もあるらしい。
ちゃんと分かっていますよ、とでも言うように微笑む星熊童子に、リョウヤは「なら充分だ」と頷いてみせた。
「俺を呼んだのは、礼のためだけじゃないよな?」
返り血を流すためだけに星熊童子の屋敷に案内された、というのは考え難い。集落を守るという役目を果たさなければ、リョウヤにお礼を言う理由はない。今日は偶々オーガから襲撃を受け、その撃退をリョウヤが手伝ったからお礼を言った。だがオーガからの襲撃が予測できていなければ、リョウヤにお礼を言うタイミングはなくなってしまう。つまり今の星熊童子の言葉は、予定として組まれていたものではない。
リョウヤの疑問に「元々、会おうとは思っていたのだけれど」と前置きされて言葉は続く。
「茨木童子のことなんだけれど……どう?」
口調が崩れた。
「あの子、ちゃんとやれてる?」
非常に……本当に、心底から心配げな顔で星熊童子は問いかけた。
この問いを全く予想できていなかったリョウヤはポカンとしてしまったが、すぐに口を開く。
「俺はこの島に来てまだ日が浅いからなんとも……」
ちゃんとやる、というのが何を示しているのか非常に分かりにくい。戦闘なら見たことがないし、副首領として鬼人を治める能力……ならば、正直なんとも言い難い。
リョウヤの言葉は真実ではあるのだが、無難な回答である。
「じゃあ……そうだ、実際に話たんだよね? 感想は?」
それなら簡単だ、と間髪入れずにリョウヤは「強い」と答えた。
「あ、うん。強いとか可愛いとかじゃなくてね?」
可愛いは言っていない、と口から出かけたが飲み込むリョウヤ。星熊童子はなんと言ったらいいのかと少し悩んだ様子を見せている。
「正直、分かりにくいってのが第一印象だな。まァ俺が無表情の彼女しか見たことないってのもあるんだろうけど」
リョウヤの言葉を聞いて「あーやっぱりかー」と星熊童子は項垂れた。
「……仲良いのか?」
「子供の頃は、ね。お互い……というか私の方が先に長になって、この集落を治めるようになってからは全然」
この十年でオーガが出没し始めたとリョウヤは聞いている。
(幹部クラスは守護のために集落を極力離れられない……か)
つまり、二人が疎遠になったのは十年以内のことなのだろうか? とリョウヤは内心で首を傾げた。
見た目と年齢がイコールじゃない亜人族。
星熊童子も茨木童子も十代前半から中盤なのだが、実年齢を尋ねることは控えておく。リョウヤとて、女性に対して遠慮すべきだということは理解しているからだ。
「茨木童子って人見知りっぽいけど――」
「――分かるの!?」
首領だの長ってはどうやって決めてるんだ? そんなリョウヤの疑問をかき消して、星熊童子は勢いよくリョウヤへと顔を向けた。
「え? あ、いや……自己紹介された時の感じが――」
幼い印象を受けたから――という言葉も、星熊童子の言葉にかき消された。
「それだけで分かってくれるなんて!」
星熊童子は感動した様子で声を荒げた。
「そう! そうなの! あの子は昔から人見知りでね!? 本当なら上に立つような性格じゃないし、副首領にもなりたくなかったの!! なのに! 大人達が皆して強いからって強制して!!」
感動の様子から一転して怒鳴り始めた星熊童子に、困惑させられたリョウヤは「おう? お、おお、そうなのか……」と曖昧な対応である。
要約すると、茨木童子は副首領になりたくなかった。だが一部の大人達に強制されてなってしまった。
星熊童子が“その名”を継いだのは、茨木童子が鬼人の幹部にならなくて済むようにするためだった。結局は茨木童子も名を継がされるが、その背景には酒呑童子がいなくなったことも関係がある。
茨木童子を副首領にすることに関して、肯定派だった者達の代表は金熊童子。
茨木童子は人見知り。上記のことから大人が苦手。けれど性格故か、同年代の子とも仲良くなれていない。
そんな茨木童子が、星熊童子は心配で仕方がない。
星熊童子が冷静になるまで聞かされるハメになった話の内容は、大凡そんなところだ。何度も同じ内容が繰り返されたので間違いはない。
「ごめん、取り乱したわ」
呼吸を整えた星熊童子は、湯飲みのお茶を飲み干すと言った。
「星熊童子が茨木童子を大事に思ってるってのがよく分かった」
茶化す様子の全くないリョウヤの言い方に、星熊童子は「一応、元お姉ちゃん分だから」と微笑む。リョウヤの言葉が、どこか嬉しかったのだ。
「私も愚痴らせてもらったからか、少しスッキリしたわ」
「そいつは良かった」
リョウヤとしても、この島の情勢を知ることができたのは大きい。いま知った情報がどこまで役に立つかは分からない。もしかしたら全く役に立たないかもしれない。だが、もしかしたら――とは思う。
貴重な話なのは確かだし、記憶というのは邪魔にならないアイテムだ。持っていて損はないだろう。
「それで実は……お願いがあるの」
「気にかけてほしいって?」
それが星熊童子が自分に会いたかった理由なのだと、リョウヤにはすぐに分かった。
気にかけるだけならエタフルにも可能なのだろうが、今の話が真実ならば茨木童子は大人が苦手だ。より彼女の近くで、となるとリョウヤの方が適任なのは明白である。
「うん、それとね……良かったら外の話を聞かせてあげてほしいなって」
外、とは島の当然ながら外のことだ。
「あの子も島の外のこと全然知らなくて……でも憧れ? みたいなのはあって」
「……あの子、も?」
リョウヤは耳聡い。というよりも、会話の中で引っかかりを覚えるワードを拾うのが得意な方だったりする。これはゲームKODでNPCとの会話から僅かなヒントを見つけるための、ゲームシステムとは関係が無い自身の技能だ。
KODプレイヤーならば、この技能を会得している者も少なくはないはずだ。とリョウヤは言う。何せ彼の属するギルドメンバーなら全員が会得しているからだ。
とは言え、そんなことは露程も知らない星熊童子は出てしまった言葉に「あっ」と口を隠した。
「……私、仕立て屋さんの家に生まれたから、昔から本でたくさんの着物とか服を見て育ったの」
隠しても仕方がないし、隠すようなことでもない、と星熊童子は続ける。
「だから本当は、実物を見てみたいし……たくさんの服を自分で着てみたかった」
何処か遠い目で語る星熊童子に、リョウヤは何も言えずに口を噤んだ。
リョウヤは学業等で最低限のノルマを課せられてはいたが、それでも自由に過ごせていた。ゲームに熱中して食事を抜くことも出来たし、掃除の日程をズラすことも出来た。予定を日毎に変更していても、誰も文句は言わなかった。モラルやルール、マナーを守ってさえいれば、どこに遊びにいくことも許されていた。
けれど星熊童子や茨木童子は、島の外に出たことがないと言う。
(――いや、出たことがないのではなく……出ることが許されていない)
種の存続と安全のための箱庭、それが鬼ヶ島だということを強く認識させられた。
それはきっと正しい。
多くの人間にとって、亜人族は排斥の対象なのだ。
けれど、鬼人にも外の世界を見てみたい者がいるのも事実。そのことに、リョウヤは少なからず衝撃を受けていた。
リョウヤとて、日本中を旅したわけでもないし、世界を一周したわけでもない。だがそれは“やらない”のであって“やれない”わけではない。
対して鬼ヶ島の者は、島外に出ること自体が許されていない。
自分に置き換えたのなら県、いや、広さから考えると市にも満たない範囲から出ることが叶わない。リョウヤならば、学校に行くことすら出来ないレベルだ。
(それどころか……)
星熊童子の話を聞く限り、彼女は名を継いでからは禄にこの集落から出ていない風だ。確証はないが、茨木童子と会える機会がないということは、そういうことなのだろう。
「それで……俺の服を着てたのか」
自身の思考が暗くなったのを理解したリョウヤは、少しでも明るく振る舞おうと先の話題を上げる。
「うん、おかげでちょっと満足」
ありがとうね、と星熊童子が笑み、「そりゃ良かった」とリョウヤも笑む。
リョウヤが暗くなりかけた話題を修正するために、先の話を上げたのは星熊童子も分かっていた。そして彼女も、二人の空気を重くしたくはなかった。だからこその応対だった。
そして今のリョウヤの様子から、彼が決して悪い人ではなく……寧ろ優しく気も遣ってくれる人だと確信した星熊童子は改めてお願いをすることにした。
茨木童子と、たくさんお話をして欲しい、と。




