2章 フィロソフィアの異端者
部屋内は殺伐としており、血が飛散している。
幾多ものウィンドウを展開していた少女は自分が何をやったのか、訳も分かんないように呆然としていた。
クラウンピースは知っていた。彼女が如何なる化学兵器や魔法学とは関連付けられない、時間象限たる力を帰依した存在…『クロノスドライヴ』を持っていることを。
まさか幻とは思おうが、路頭で倒れる少女を放っておくことができない良心が生み出した黄金律たる物なのか、確かに情は情で帰ってくると言うが、所詮は諺に過ぎないと思考していた彼女は目が丸い思いだ。
「……フラン、今なにしたの?」
彼女は自分でやったことを意識していなかった。
目の前に淡々と広がる、血なまぐさい光景に目を瞑るばかりだ。其れは今先程までの行動とは随時矛盾しているものであり、若干ながら畏怖が生まれた。
少女は爛漫にも、其処に居続けている。全てに信じられない、そんな顔を浮かべて。
しかし、彼女たちがいた場所に迫りくる大きな足音は、新たなる来襲を余儀していた。
「……名前はフランって言うのか。
―――まぁ、今は説明してる暇は無さそうだ。私について来い」
◆◆◆
すぐに部屋から出ては、階段を駆け下りた。
彼女のいた部屋はアパートであり、薄汚いコンクリート製のものだ。4つの足音が交互に響くも、其れは何処かで地震のように聞こえる足音に消される。
少女が展開していたウィンドウは何時の間にか閉じており、彼女の左手を引っ張る形で先を急ぐクラウンピースは焦燥に駆られていた。
やがて地上に着き、駐車場に停めてあるバイクに乗り込んだ。乗せられるがまま、少女はクラウンピースの後ろに座ってはバイクを急発進させた。
唐突に空間に響き渡ったエンジン音は盛大なものであり、地震よろしく追手の兵士たちに気づかれた。
しかし、アパートから駆け下りるに時間がかかり、猛スピードを出して疾走し始める存在を見続ける事は不可能であった。そんな彼女たちに呼びかける声も、遠く聞こゆるエンジン音によってかき消されてしまった。
真ん中に引かれた白線は点々とあり、バイクは白線の右側を全速で駆け抜ける。
後ろに乗っていた少女は今起きている事象に何が何だか分からず、戸惑いの色を見せている状態だ。
「……ねぇ、何が起きてるの?フラン、よく分かんないよ…。…紅魔館へ帰りたいよ」
「紅魔館…聞いたこと無い地名だな。ともかく、私の言う通りにしろ。
そうでもしないと、お前も殺されてしまう。…大丈夫だ、私が何とかする。お前も私に拾われた事を後悔しても遅いぞ」
口に弧を作った彼女は更にバイクの速度を引き上げた。
後ろではやはり少女が不思議そうな顔を浮かべており、バイクの速度はどんどん上がっていくばかりだ。
顔に当たる風が痛く、少女は半分眼を瞑っていた。クラウンピースの背中の陰に隠れるようにして。
バイクは鉄筋コンクリートがむき出しのアパート街を行く。
主に貧困層が多く、猛スピードで疾走するバイクを彼らは物珍しそうに見ていたのも事実である。
「……今からユミールって町に行く。…お前は何処の町に住んでるんだ?」
「フランは幻想郷に住んでるんだよ」
少女の口から語られる、朧々として且つ新鮮な、聞いたことも無いような言葉。
其れはクラウンピースを更に悩ませた。論理も道理も、無知に関して通ずるものは何もない。
バイクのスピードが上がっていくのは、まるでクラウンピースの心の迷いを示しているかのようであった。
よもや常識が繋がらないとは、考える事に非常識なれども普遍的な事を今は要求されているのだ、と考えると尚更頭が痛くなる。
「……聞いたこと無い場所だ。…取り敢えず、ユミールへ行けば何か分かるかも知れない。
この町はフィロソフィアって奴らが巣食う根城さ。さっきの兵士のように、何時襲ってくるか分からない」
そう言うや、彼女は延々と続く道塗を急いだ。
◆◆◆
「皆様、注意してください!この町には、平穏と安寧を脅かすスパイが存在します!
我々フィロソフィア都市開発機構は全力を挙げて捜査しますが、皆様も怪しい人物を見かけたり、有益な情報がありましたら、電話を入れてくだされば幸いです。宛先はコールセンターまで。
―――皆様の敵は我々の敵!どうぞ、ご協力をお願い申し上げます」
バイクを停めた駐車場では、声高々にマイクを持った人物が注意喚起をしていた。
黒い服を纏ったクラウンピースは、紅い服を纏って終始目立つ少女をなるべく隠すように建物へ入る。
その建物に飾られた看板には「アーゼムSTATION」と書かれている。人の行き交いも多く、人の波に乗っかるように2人は中へ入っていった。
汚れが目に見えるコンクリートで作られた簡素な駅舎には切符を買う客でごった返している。
クラウンピースは自分が指名手配者であることを自覚しながら、敢えて別人を振る舞って切符を購入する。
受付窓口に顔を出しても、相手の駅員は手慣れた手つきで切符を渡す。行先はユミール、2人分だ。
汗臭さが充満する。主にボロボロの服を纏う人物で溢れかえっていたため、駅に集まっていたのは出稼ぎなどだろう。
切符を受け取り、2人はそのまま改札へ向かう。
改札では指名手配犯捜査の為に、指紋認証装置が取り付けられていた。どうやらデータベース上にある指紋と一致すれば、すぐに取り締まるシステムらしい。
だが、彼女は人差し指の腹に指紋シールを貼りつけては、改札に臨んだ。
駅員の横を、1人ずつ通過していく。クラウンピースは指紋認証シールを貼りつけた人指し指を装置の上に翳す。
彼女は笑った。しかし、結果は憶測とは差異があった。
「指紋一致!スパイだ、捕らえろ!!」
駅員が突然に大声を叫ぶや、駅構内は騒然とした。ましてや、クラウンピースは何が何だか分からないでいた。偽装工作の失敗、其れは彼女の予想を遥か斜め上にいくものであった。
駅員が一気に集まっては、多種多様な武器で歯向かいを見せる。クラウンピースはしかめっ面を浮かべては、強行打破を試みることにした。
「フラン、戦え!アイツらを薙ぎ倒せ!」
クラウンピースは拳銃を取り出しては、大混乱の中で起こった戦闘に果敢に応戦した。
フランは最初ぼんやりとしていたが、言われたままに動いてみる事にした。右手に力を加えると、彼女を取り巻くように出て来るウィンドウ。
意識する間もないまま、深紅に濡れた剣は抗いを見せる者共を一気に血へ帰化させる。
銃弾と剣は駆けつけた駅員を薙ぎ倒し、辺りに血溜まりが出来上がる。
「もうすぐ電車が発車だ、急げ!!」
人混みの中、フランの手を引っ張るようにして彼女たちは先を急いだ。
遠くには列車が見える。客車には多くの客が乗り込み、混雑と言った具合だ。しかし、彼女たちは悠長に乗ってる暇は無い。最奥にある運転室に足を運んで、武器を構えた。
後ろからは駅員がやられた事による客の通報で、兵士たちが武装した状態で2人を追いかけてきている。
「フラン、剣を!」
「う、うん!」
流れに身を任せるまま、少女は剣を作り出した。
運転室では列車の運転士が出発の前の最終確認をしていたが、その時を見計らって剣は薙ぎ払われた。
首から上がホームの上に落ち、斬られた身体は打ち倒れる。噴き出した血も気にせず、2人は運転室に乗り込んでは、うろ覚えの操作技術で列車は出発した。
まだ乗降途中であったが為に、突然の発車に多くの乗客は戸惑いを見せる。追いかける兵士はそんな2人を捕らえるべく、列車に無理やり掴まって乗車を試みた。
アーゼム駅から、列車は乗っ取られた状態でスピードを上げていく。
先頭の運転室を目指すに、満員乗車の客車内から攻める事は困難であったため、兵士たちは勇敢にも客車の壁を伝って、外から侵攻を試みた。
そんな時、クラウンピースから拳銃を手渡されたフランはどう扱えばいいのか、分からないでいた。
「……フラン、使い方分かんないよ」
「其れは引き金を引いて使うんだ。この口を敵に向けて、ここを引くんだ。オッケー?」
クラウンピースが簡潔に伝授するや、物分かりが早かった少女は外から攻める兵士たちを拳銃で射落としていく。その様相は扱いに慣れた人のようであり、運転していたクラウンピースはますます少女の謎に悩んだ。諳んじる事に容易いことは、クラウンピースにとって嬉しい事であったが。
何発の銃声は辛うじて列車に乗り込めた兵士を全員射落とした。
暴走列車と化した列車の最前線、クラウンピースは基準速度を遥かに超えた速度で運転を図った。
やがて変遷しゆる景色には街並みは消え、荒れ地が広がっていく。
「……全員、倒したよ」
「ありがとう、助かる」
そう言うや、更に速度を上げるクラウンピースの元に、一筋の声が届いた。
鋭く、そして面倒さが滲み出ていた、とある人物の声であったのだ。
「―――いたわよ、ユミールのスパイ!覚悟しなさい!!」