転入生
家庭訪問も無事(?)に終え、大変な思いはしたものの、それぞれの家庭の事情や、この村の独特の生活が少し判ってきたのは収穫だった。
子どもたちとの距離もまた近くなった気がする。
家庭訪問で、子どもたちの親きょうだいだけでなく、大勢の親戚や知り合いとも顔を合わせたので、俺はすっかりヒヨリヶ淵の有名人となっていた。何よりも、村の権威であるオヒョリメ様と会ったことで、村人たちからの信頼が一気に高まったのだ。これが、ユウカの言う『いいこと』なのかもしれない。
それから、近くの山を散策する『遠足』や、子どものいない家庭も集い、子どもだけでなくほとんどの村人が参加する『大運動会』などの行事が続き、目まぐるしい日々が続いた。
しかし、行事をひとつこなすたびに、俺はヒヨリヶ淵の一員として受け入れられていくのを感じた。
梅雨の訪れとともに、ようやく落ち着いた日常が戻ってきたころ、俺は校長に呼び出された。
「小坂先生、今度、転入生を受け入れることになりました。それが色々と事情が複雑で……」
俺はオヒョリメ様から、「孫がお世話になります」と聞いていたので、おそらく同じ人物だろうと推測した。
「オヒョリメ様のお孫さんですか?」
校長が目をまん丸くして一瞬言葉を失った。
「何故、それを知っているのですか?」
オヒョリメ様は、特に隠し立てする様子は無かったが、今の校長の様子では、どうもそれを知らせるつもりが無かったようだ。俺は困惑した。
「直接、オヒョリメ様から聞きました。孫がお世話になりますと……」
「そうでしたか……。いや、オヒョリメ様のお孫さんといいましてもね、生まれも育ちも都内でして、母親に当たるオヒョリメ様の娘さんも、この村を出て久しいので、この村のことは何一つ分からないのですよ」
「ええ、それも聞いています。なので、私のような村の外から来た人間には、気持ちが分かるのではないかと。お孫さんのことをだいぶ心配されている様子でした」
「そこまでお話されたのですか。ならば小坂先生にお任せしておけば安心ですね」
「いえ、安心と思われては困りますけど、都内の学校では転出入など日常茶飯事ですし、自分が小学生の時にも転入する子、転出する子はたくさんいましたからね。違う環境に馴染むのが大変だというのは分かるつもりです」
「まあ、そうですね。いや、こちらの方が妙に構えてしまいましてね。何せ、この数十年来、転出する児童はいても、転入してくる児童はひとりもいなかったのですから。いくらオヒョリメ様の血筋とはいえ、都会の暮らしに慣れた子どもが、ここに馴染むにはかなり時間が掛かるのではないかと……」
数十年来、転入する児童がいなかった?
それはつまり、外からこの村に引っ越してくる人がほとんどいないということではないか。
この閉鎖的な環境と、村民の結束力の強さを考えれば、納得できないこともないが。
―― 都会の暮らしに慣れた子どもが、ここに馴染むにはかなり時間が掛かるでのはないかと…… ――
それは、その転入生が村に馴染むという意味か、それとも村の人々がその子に馴染むという意味なのか、俺はその部分が非常に気になった。
校長がその後語った詳細に、どうやら一筋縄ではいかなそうだという思いが強くなる。
「オヒョリメ様の娘さん、つまりその児童の母親が四月末に病気で亡くなりましてね。
父親の方は海外を転々とする仕事なのでお子さんを連れていくことができない。父親の両親はすでに亡く、絶縁状態だったオヒョリメ様しか身内がいないので、こちらに来ることになったそうです。
六年生で、何でも、すでに全寮制の私立中学への進学が決まっているそうで、この村にいるのは小学校卒業までの間なんですけどね」
校長から話があって間もなく、その転入生はやってきた。
朝、校長室に控えていたその少年は、入ってきた俺を見てさっと立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
「はじめまして。志藤 怜緒夢といいます。お世話になります」
顔を上げた少年は、その挨拶の仕方も含めてとても利発そうに見えた。男子にしては少し長めだが、少し茶色味がかった素直な髪を耳の上辺りで綺麗に切り揃えている。小柄ではあるが、日焼けして手足はなかなか逞しい。視線をこちらに合わせて少し笑みを湛えている表情は、しっかりとした意志が感じられる。
無邪気で幼いヒヨリヶ淵小の生徒たちに比べたら、かなり大人っぽい。田舎の子どもと都会の子どもとの違いがはっきり分かるようだ。
「はじめまして。担任の小坂です」
俺は彼の雰囲気から、大人に接するような挨拶を返してみたが、打ち解けようと、すぐに親し気に話し掛けてみた。
「レオンくん、何かスポーツが得意なのかな?」
いかにもスポーツ少年という雰囲気を醸している彼に、俺は率直に訊いた。しかし少年はその質問に答える前に不快感を顕わにして言った。
「初対面で、レオンくんは止めてください。前の学校では男子も女子も、先生は苗字に『さん』付けで呼んでいました」
「…………失礼。志藤さん、でいいかな」
「幼稚園の頃からサッカーをやっていました。小学校に上がってすぐクラブチームに入り、三年生の頃からレギュラーとして活躍していました。ここに越すことになって、サッカーが出来ないのが残念です」
「そこまで活躍していたなら、残念だろうね。
先生はサッカーが得意なわけではないけど、スポーツにはだいたい自信がある。練習に付き合うくらいなら出来るよ。隣の中学校の部活動に混ぜてもらってもいいんじゃないかな?」
レオン(否定はされたが、俺は心の中ではそう呼ぶことにした)は、思い切り醒めた目でこちらを睨んだ。
「冗談で言っているんですか? FC東京のジュニアクラブチームですよ。ここで素人相手にパスの真似事をしたところで、何の練習になるというんですか」
素人の意味を取り違えているぞ……。いや、そういう問題ではない。
俺はこの少年が、とてもヒヨリヶ淵小の生徒の中に馴染んでいけるとは思えなかった。ユウカの懸念が、早くも現実のものとなった気がした。