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山の学校  作者: yamayuri
23/23

カエラズの淵

 それから俺は、実家で療養をしていた。口の悪い母は「急に老け込んだと思ったら、今度は隠居?」とからかってくる。母の毒舌が何故か心地よいということは、俺は相当病んでいるんだろう。


 療休ということは、まだ俺はヒヨリヶ淵小の教員ということだ。医者からOKが出れば、また戻らなくてはいけない。

 それだけは絶対に避けたかった。医者に訴えて、合わない環境が心身に影響した。環境を変えることが望ましいという内容の診断書を書いてもらい、委員会に提出した。


 やがて、新年度から新しい小学校へ異動することが決まった。よく知った街の、普通の小学校だ。ようやくあの村との縁を切ることが出来たのだ。


 辞令を受け取ってその内容を見たとき、俺の額から冷や汗が流れだした。


―― 上記の者、O町立F小学校 第四分教場より、K市立K第三小学校への異動を命ず ――


 そこにはヒヨリヶ淵小の名前はどこにもない。逆にヒヨリヶ淵小では、F小学校などという名前は一度も目にしたことが無かった。

 ヒヨリヶ淵小への赴任が決まったとき、辞令には何と書いてあっただろうか? 今ではその時の辞令がどこに行ったか分からないし、自分でもどこで最初にヒヨリヶ淵の名前を聞いたのか思い出せなかった。




 四月から、俺の新しい教員生活が始まった。

 新しい学校は、よくある普通の小学校だ。規模は大きいので、いろんな児童が居て、いろんな保護者が居て、いろんな教員が居る。昨日も、席順の決め方が不公平だから子どもが学校に行きたくないと言っていると、保護者が怒鳴り込んできたが、それすらも、俺には『普通』のことに思えた。



「フツーって、いいよな……」


 アイスコーヒーを啜っていたエリカが、ぼそっと呟いた俺を上目づかいに見た。


「どしたの、タクミ。また悪夢でも見た?」


 エリカには村での出来事は詳しく話していない。ただ、俺が心身共にボロボロになって帰ってきた姿を見ているので、心配しているのだ。エリカの方も気を遣って、あまり向こうでの話を詮索しようとはしなかった。


「いや、悪夢を見続けてきたから、今のフツーの生活が有難く思えるよ」


「タクミ、山で悟りを開いて仙人にでもなった?」


「そういう心境かもな」


 エリカは冗談にまともに答えた俺を、思い切り目を細めて睨んだ。


「何だよ、その目」


「今、流行ってんのよ。呆れたときに『目をキツネにする』っていうの」


「ほんとにそういう流行好きだよな」


 俺も同じように思い切り目を細めてエリカを睨み、思わず二人で噴き出した。ひとしきり笑い合って、エリカの背後の席でスポーツ新聞を広げている男性が目に入る。俺はその一面の記事にくぎ付けになった。


―― U15 ワールドカップサッカー 期待の新星 志藤怜緒夢 決勝ゴールを決めデビュー戦飾る! ――


「すみません! その新聞ちょっと見せてもらっていいですか?」


 俺は立ち上がってそう言いながら、男性の返事も聞かずに新聞を掴んでいた。エリカが後ろで男性に頭を下げる。男性は面倒そうに新聞を俺に押し付けた。


―― S学園大学付属中学校1年 志藤怜緒夢。ジュニア時代から密かに注目されてきたが、いよいよU15にデビュー。期待どおり、見事な決勝ゴールを決め、その名を世界に知らしめた ――


「レオン、生きてた……良かった……」


 俺は新聞を握りしめ、その場にうずくまった。


「ちょ、ちょっと、タクミ……」


 エリカが声を潜めて背後で何度も呼びかけているが、俺はしばらくその姿勢で動けなかった。





 それから、レオンが通っているという中学に問い合わせたのは言うまでもない。学校側は、今注目を浴びているレオン目当てに電話やメールが殺到しており、普通では決して取り合ってはくれないだろう。そこで俺は卒業生の進路先の視察ということで訪問させてもらうことにした。


 レオンのクラスを教えてもらい訪ねていくと、レオンの方も驚いた顔で俺を見た。友達の手前、俺に飛びついてくることはできないが、嬉しそうにずっと俺の顔を見つめていた。

 そして休み時間にそっと寄ってきて、俺を誰もいない屋上へと誘った。



「先生! 無事で本当に良かった! オレ、先生を助けることが出来なくて、ずっと辛かったんだ」


「俺の方こそ。レオンは俺を助けるために村の人間に捕まってヒヨリヶ淵へ沈められてしまったかと思った。ショックで具合が悪くなって、逆にそれが家に戻るきっかけになった」


「そうだったんだ。でも先生、いくらあいつらでも、そこまではしないよ」


 レオンが呆れたように笑い、俺もつられて笑った。笑いながら、ようやく心の重荷が下りたと感じた。


「祭りの前にお父さんが麓の町まで迎えに来ているって聞かされて、引っ越す前にお母さんの日記を全部読まなくちゃって焦っていた。そしたらちょうどあの日読んだ部分にオヒョリメ行列の意味が書いてあって、先生に危険が迫っていることが分かったんだ。先生に伝えたくても、もう行列は出発していたし、とにかくヒヨリヶ淵までたどり着かなければいいんだと、必死で止めに行った」


「オヒョリメ行列がヒヨリヶ淵にたどり着いたら、俺がシグレ先生と結婚したことになるっていうこと?」


「そういうことだけど、それはそのまま、あの村の一員として龍神に認められるってことなんだ。一度認められたら、もう無かったことにはできない。先生は二度とあの村から離れることができなくなるんだ」


「そんな重要なことだったのか…………」


「あのあと捕まって、もちろんひどく叱られたけど、行列が中断したと聞いてほっとした。

 ただ、それでも先生があの村から逃げる方法は見つからなかった。オレは先生に本当のことを伝えようとノートを書いたんだけど、それを伝えても先生に逃げる方法が無いんじゃ先生は苦しむだけだ。だから、書いたものを消して、押し入れの中に隠した。

 お母さんの日記は誰かに見つかったら大変だから、燃やしたんだ。


 あんな騒ぎを起こしたから、祭りのあとすぐに支度をするように言われて、お父さんが待っているという麓の町まで連れていかれた。オレがいるとまた邪魔をする危険があるからね。追い出されたんだよ。オレは助かったけど、先生を残していったことがずっと気になってた」


「レオンのノート、読んだよ。偶然見つけてね。塗りつぶされた部分を消して、何が書かれていたのかだいたい分かった。

 それを読んでいなければ、俺は村から逃げ出そうとまで思わなかった。もしかしたら村の者の言葉を信じて、再び村に戻っていたかもしれない。あのノートに助けられたんだ」


「そうだったんだ! やっぱりノートを燃やさなくて良かった!」


「ところで、『村の者は、人間の姿をしていても人間じゃない』って、どういう意味だ?」


「あいつらは、狐の子孫なんだよ」


「きつね…………?」


「大昔に人間から迫害を受け、龍神の力を借りて、あそこに自分たちだけの村を作った。龍神とは天候を操る力があるから、その恩恵で生き延びて繁栄してきた。狐でありながら人間と同等の暮らしをしてきた。

 でも、村民を絶やさないために、ときどき人間を騙して自分たちの仲間に取り込んできたんだ。だから純粋な狐の血ではなくて、人間とのハーフのようなものなんだ。


 一度、村が大変な危機になった。江戸時代の半ばくらいだっていうから、昔の話だけど。

 村に疫病を持ち込んだ猟師がいて、村民が半分近く死んでしまった。その猟師が村にやってくる前に、ヒヨリヶ淵にさばいた獲物の残骸を投げ込んで淵をけがしたんだって。村民はそれで龍神が祟ったと思ったらしい。知らずに猟師に親切にした村民が次々に死んでしまって、それ以来、ヒヨリヶ淵を穢したものに関わってはいけないという掟が出来たらしい」


「なるほど、レオンが無視されたのは、そういう経緯いきさつだったのか」


「そのあと、減ってしまった村民を取り戻すために、村の者は龍神に祈った。雨乞いのように、何度も何度も祭りを開いて祈り続けた。すると、江戸や、その周辺の町が次々災害に襲われた。そのせいで、災害で家を失った人が住む場所を求めて大勢山に入ってきた。いなくなった村民を取り戻すには十分な人数だった。


 けれど中には、村に疑いを持って逃げ出そうとする者もいた。村民が人ではないことに気付いて、退治しようと考えた者もいたらしい。その者を捕まえて、村に危害を及ぼすものは龍神の生贄にするといってヒヨリヶ淵へ投げ込んだ。残された人は、恐怖で村に留まるしかなくなったんだ。

 村で暮らしていくしかないなら、村に疑いを持っていたら、同じような目に遭う。だから誰ももう疑うことはしなくなった。疑いを持たなければ、村民は親切であったかい。そうやって我慢して生活しているうち、心から馴染むようになった。洗脳ってやつだよね」


「洗脳……」


 俺は、自分の身に起こったことを振り返って鳥肌が立った。


「お母さんは、おばあちゃんの本当の娘じゃないんだ。オヒョリメというのは結婚しない。村の守護の家系に生まれた娘を養女にして、次のオヒョリメに育てていくんだ。

 お母さんの実家は、その事件があった年に、江戸からやってきた夫婦が築いた『霹靂はたた』という家だった。もともと狐の子孫じゃないので、霹靂家には裏家系史というのが存在した。ヒヨリヶ淵の秘密を暴く極秘文書みたいなもの。

 それでも、霹靂家の子孫がすべてこの文書の存在を知っているわけじゃなかった。時代を経るうちに狐の血筋も混じって村に馴染んでいき、霹靂家の本当の由来を知る者もいなくなった。霹靂家は今でも村の有力な家系だよ。


 お母さんは、おばあちゃんにもらわれる前に、偶然、この裏家系史を発見してしまったんだ。それを読んだお母さんは、村のことも、自分の存在も、信じられなくなってしまった。それで日記にその気持ちを書いていたんだ。

 真実を知ってしまったら、村から逃げ出したくなって、十八だったお母さんは勉強して勉強して、大検の資格を取って都内の大学に行こうと考えた。

 おばあちゃんは、オヒョリメにも教養は必要だろうと許したらしい。日記は、ようやく村から出て行くことができて嬉しいというところで終わってた。


 その後は、結局、大学を卒業すると同時にお父さんと結婚して、二度と村には戻らなかったってこと。おばあちゃんがどう思っていたのかは分からないけど、お母さんがそこまでの気持ちを持っていたことは知らなかったと思う。単に都会に出ていった娘が帰ってこなくて残念というくらいだったのかも。わざわざ呼び戻しに行くこともできないからね。

 おばあちゃんは仕方なく、お母さんのことをあきらめたんじゃないかな? 次のオヒョリメは、ユウカにしようと思っていたみたいだから」


「それで、ユウカを自分の娘のように育てていたのか……」


「おばあちゃんはユウカをオヒョリメにしたいから、稲交接いつび家を畳んで、先生に新しい家系を開いてもらいたかったんだよ。それで余計に必死だったんだ」


「でも、俺ひとりが増えたところで、村民の数はそれほど変わらないだろう」


「あの村は不滅だよ。閉鎖的といっても、あの村出身の者は都内にかなり出てきている。その者たちが結婚して戻れば、また村の人口は増える。先生のように、仕事であの村に入る人もいる。けれど、一度入り込んだら逃がそうとしない」


「村の者は俺がレオンからの忠告を受けているとは知らないから、必ず自分で戻ってくるのだろうと信じて、家に帰したんだろうな」


―― 俺たちはいつでも君を待ってる ――


「しかし、何でそんな得体のしれない村が、何の問題にもならずにちゃんとした自治体として存在しているんだろうか」


「オレのお父さんは、統計学の学者で、世界の各地域の人口変動なんかを調査しているんだ。その筋では結構名前が知られているから、オレの話を聞いて、調査ということで村の在る山地周辺の自治体の住民記録を特別に開示してもらった。もちろん、詳しい住所とか苗字とかは伏せてあったけど。

 そしたら、下の名前と年齢が、オレの覚えている村の者と一致しているものがすべてが見つかったんだ。あの村の民は、周辺の自治体に分かれて住んでいることになっている。それも、東京だけでなく、埼玉や山梨や神奈川の……。

 あくまで記録の上で地図上とは一致しない。けれど村民たちは他の町や村にちゃんとした住民票があるんだよ。そして村自体は、東京の自治体の一部になっているんだよ。

 たぶん、村の若い者があちこちの自治体に職員として入り込んで、データを管理しているんじゃないかって、お父さんは言っていた」


 だから、奥多摩町役場に勤めているという修一さんの息子は、帰ってこられないのか。俺はようやくその理由を知ることが出来た。


「本当に用意周到なんだな」


「狐だからね……。

 自分たちの身を守るにはどんな知恵も手段も使う。『狡猾こうかつ』っていうのかな」


 レオンはどこか自嘲気味に、鼻を鳴らして嗤った。

 それにしても、中学一年生とは思えない才気だ。


「レオンは本当に頭がいいんだな。俺はそのお蔭で助けてもらった。俺が君から先生なんて呼ばれるのが恥ずかしいくらいだよ。心から尊敬するし、感謝している」


「そんなことないよ。オレも先生がいたから無事でいられたんだ。オレのことを信じ続けてくれた。オレの尊敬する先生だよ」


「勉強では、君に教えられることはないけどな……」


 その時、休み時間の終わりを告げるチャイムが響いた。教室へと戻りながらレオンは言った。


「今日、先生に会えて良かった! 明日からオレ、イタリアに遠征に行くんだ。その後しばらく留学することになっている。今日を逃したら、たぶん会えなかった」


「今度は世界を舞台に活躍するんだな。さすがだな。頭も切れて、スポーツも一流。レオンはすごい人だよ」


 レオンは俺の腕を掴んで背伸びをし、俺の耳に顔を近づけて囁いた。


「先生、一つ、忘れていない? 狐の血は、オレにも流れているんだよ……」


 にやりと笑って、レオンは教室の中へ入って行った。




******************




大都会のすぐ近くに、人を呼び寄せて飲み込む山がある。


山は常に仲間を呼んでいる。


声に誘われて山に迷い込めば、帰る道は絶たれ、その奥地にある村の存在を知った時、そこから逃げ出すことは叶わない……。



村のさらに奥の奥には、世にも美しい淵があるという。


幻の淵の伝説から、昔々、その辺りは『カエラズの淵』と呼ばれていたそうだ。



                                    


              (了)




黒澤明監督の映画『夢』が好きです。

日本独特の美しくおどろおどろしい世界が描かれていて、夢というだけに、ストーリーには結末というものがなく、ただ、状況が映し出されるだけ。

それがまた、怖い。怖いけど現実味がある。


オムニバスのストーリーの最初の話が、『日照り雨』という狐の嫁入りを描いたものです。

お天気雨が降るときは、森へ行ってはいけない。こんなときは狐の嫁入りがある。狐はそれを見られるのを嫌がるから、見てしまって怖いことになっても知らないよ。

母に言いつけられて、余計に気になった少年は、森へ行って狐の嫁入りを見てしまう……。


あの不気味な狐の嫁入りのシーンを描きたくて、こんな話を書いてみました。


ヒヨリヶ淵の住民が狐であることは、最後の最後まで伏せてありますが、ところどころにそれを思わせるシーンがあるので、よければ、そう思って読み返してみてください。


最初からバレてしまっていたら残念ですが……(笑)


なるべく現実にありそうな設定を細かく細かくしていって、まったく現実にない世界に突然入り込む。


さて、この演出は読まれた方にどういう印象を与えたでしょうか?


恐怖シーンが少なく、ホラー好きの方には、いまいち物足りなかったかもしれませんが、すぐそばにも思いがけない恐怖が存在しているかもしれない?という恐怖を味わっていただけたら嬉しいです!



~~オマケ~~


さて、もしもレオンが村に来なくて、タクミが何も知らずにヒヨリヶ淵の村民になっていたとしたら、彼の人生はどうだったでしょう?


教師としての仕事も順調。美しい奥さんをもらって、おそらく立派な家も建てられるでしょう。

レオンのようにあらゆる才能に長けた子どもが生まれるかもしれません。

村民は、基本的にタクミに好意的です。


もしかしたら、知らずに安定した人生を送っていたかも?

しかし、その安定は、些細なことがきっかけで崩れてしまう可能性のある危ういものなのだが…………。

タクミがその『些細なこと』を犯さなければ、知らずに幸せな一生を送れたかもしれませんね。


そして、もうひとつ。

逃げ出したタクミは、本当に村との縁を完全に切ることが出来たのでしょうか……。



ホラーとは、『フツー』だと信じている人生の中に、何かのきっかけで、何かに気付いてしまったときに生まれる『恐怖』のことなのかもしれません。


そして、あなたの日常のすぐそばにもフツーに存在するのかもしれませんよ…………ニヤリ





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