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山の学校  作者: yamayuri
21/23

最後の忠告

「校長!」


「小坂先生……。最近、こちらに怒鳴り込んでくることが多いですねぇ……。何でしょうか」


「レオンのことです!」


「また、ですか……。小坂先生は随分と彼だけを気に掛けていらっしゃるようですが、児童は彼ひとりではないのですよ。贔屓ひいきをしてはいけません」


「贔屓などという問題じゃありません。子どもの無事を確認して守るのも、教師の仕事じゃないですか!」


「まあ、そう熱くならずに……。で、用件は何でしょうか?」


「レオンが転校したというのは本当ですか?」


「あ、ああ、そうでした。祭りのことでいっぱいいっぱいで、すっかりお知らせするを忘れてしまいました」


 何と見え透いた嘘だろう。子どもが転校するという一大事を、担任に知らせるのを忘れたなんてことはあり得ない。


「いい加減にしてください! そんな大事なこと、忘れるはずないでしょう!」


「いやはや、申し訳ない。でも、志藤くんは最初から一時的にここに来ていただけでしたし、ここでの授業はほとんど意味が無かったようですしね。元の生活に戻っただけですよ」


「一時的であっても、俺は担任だったんです! 彼の生活を見守る責任があるんですよ!」


 俺の剣幕に、校長は呆れた顔で答えた。


「……小坂先生、学校はそこまでする必要はないんですよ。

 今回も、保護者のオヒョリメ様の申し出でこういう急な事態になったんです。祭りの準備に忙しい時期に突然、志藤君の父親が帰国したと連絡があって。父親が何時迎えに来るのかはっきりしなかったんですよ。オヒョリメ様も、祭りを終えたら転校と考えていたようなんですが、昨日の夜突然迎えに来て、今朝早く連れ帰ってしまったそうなんです。

 オヒョリメ様の方からは、いつ転校してもいいように準備だけはしておいてほしいと言われていましてね。こちらとしても、こんな突然でなければちゃんと小坂先生にもお話するつもりだったんですよ」


 校長の話は一応筋が通っているが、それならば、レオンはあんな騒ぎを起こしたあと普通に家に戻り、引っ越しの準備をしていたというのか。それに外部の人間である父親が、案内もなしにヒヨリヶ淵の裏のあの屋敷まで行くことは不可能じゃないか。


 俺は校長に背を向けて部屋を出た。校長は俺の後を追い、教室とは反対側に歩き出した俺に呼びかけた。


「小坂先生! どこに行くんですか! 子どもたちはどうするんですか!」


「すみません。もう一日、休みをください。教室をお願いします!」


 そう言って俺は、校長が呼び止めるのも聞かずに昇降口から出て行った。



 ヒヨリヶ淵へと向かう道は、もうすっかりいつもの静寂を取り戻していた。レオンが追い掛けられて下っていった辺りにも、事件の痕跡は何も見られない。しかし俺の体中に残る傷は確かにそこから転げ落ちたものだ。あれは決して夢ではないし、確かにおとといの夜までレオンはここに居たのだ。


 オヒョリメ様の屋敷で拍子木を鳴らすと、意外にも早く勝手口が開いた。顔を覗かせたユウカの母は、祭りの前の不愛想な態度とは一転、俺の姿を見て驚き、心配そうに言った。


「まあ先生! 大丈夫なんですか? 大変な目に遭いましたね。オヒョリメ様も心配されていたんです。どうぞお顔を見せてあげてください」


 前回との態度の違いに戸惑って、言葉も返せない。ユウカの母の気遣いに黙って頭を下げ、彼女に従って中へ入っていった。


 オヒョリメ様は、前に訪ねたときとほとんど変わらない様子で部屋で寛いでいた。かえってそれが俺には不快に思えた。レオンが初めから存在していなかったように、村も自然もそれに関わる人々も、すべてがいつも通り。

  唯一違うことといえば、今回は入口で立ち尽くしている俺に、オヒョリメ様の方から歩み寄ってきたことだ。

 

「ま、あ……。まあ、まあ。本当に痛々しい。こんなことになってしまって、何とお詫びをしていいやら……」


 オヒョリメ様は俺の顔や手足の傷を触れることなしになぞるように手をかざした。


「いえ、私の不注意だったので、オヒョリメ様には責任はありません。私の方こそ、大事な祭りの締めを台無しにしてしまって、申し訳ありませんでした」


 レオンのことを持ち出す前に、礼儀を通しておかなければ。そうでなければ本当のことを聞き出すのも困難になってしまうだろう。頭を下げる俺の背中に、オヒョリメ様は優しく触れて身を屈めた。


「そんなこと、ありませんよ。何もご存知ない先生をこんな事態に導いてしまったのは、私たちのせいです。慣れていない方をお招きしたのですから、私たちがもっともっと気を配らなければいけませんでしたのに……」


 確かに村の住人が一丸となって、何も知らない俺を騙したことは悔しい。けれど今日は、俺のことよりもレオンの無事を確かめることが目的なのだ。校長のように、いきなり噛みついて見え透いた嘘を吐かれては元も子もない。俺は本題に入る前にオヒョリメ様の信頼を得ておくことが先決だと考えた。

 心から申し訳なさそうな表情を作って顔を上げる。


「私の方こそ、慣れないことを引き受けたのですから、もう少し確認をするなり、リハーサルをするなり、責任をもって臨むべきでした。せっかく大切な役目を任せていただいたのですから」


 謝罪のマニュアルをなぞっているようで、自分の吐いた言葉に腹の底でむかついた。


「確かに、先生にお任せしたのは、たいへん重要な役目だったのです。先生だからこそお願いしたのです」


  オヒョリメ様の思わぬ返事に、俺は戸惑った。


「けれど、ご安心ください。事故で中断してしまったところは、来年の祭りでやり直すことができます。来年こそはぜひ、事故のないように最後までお役目を果たしていただきたいですわ」


「来年の話など、考えられません! 申し訳ありませんが、この役目は今年限りにしてください。今回のことで懲りました」


 俺は焦って訴えた。しかしオヒョリメ様はにこやかな顔で俺の訴えを退けた。


「大丈夫ですよ。村の者も今回のことで懲りたので、決して手抜きはいたしません。安全に参加していただけるよう、十分に配慮します」


「いえ、そういうことではなくて……」


「それに! 来年は邪魔する者もおりませんから」


「…………」


 俺はオヒョリメ様にも噛みつきそうになる自分を必死に抑え込んだ。俺の表情が変わったのが分かったのか、オヒョリメ様は少し口の端を上げて俺を見上げた。


「先生、本当は先に申し上げなくてはならないことでした。この度は、孫が大変なことをいたしまして、保護者として心からお詫びいたします」


 オヒョリメ様は深々と頭を下げた。俺は全てを見抜かれているように感じて背中に冷たいものが流れていくのを感じた。オヒョリメ様がゆっくりと身を起こすまで、全く身動きができなかった。今無理に口を開いても、震える声しか出てこないだろう。

 顔を上げたオヒョリメ様の目の奥を、しばらくの間じっと見つめ、何とか成立しそうな言葉を絞り出した。


「レオンは……。どこに……居るのですか?」


「そうですよね。本来なら直接お詫びさせなくてはいけませんのに、怜緒夢れおんは急遽、父親の元に戻ることになってしまいまして。あんなことをしておきながら、こちらが逃がしたようで申し訳ないです」


「謝ってほしいわけではないです。担任として、レオンの無事を確かめたいんです」


「まあ、逆にそんなお気遣いをいただいて……。ありがたいですわ。あの子なら大丈夫です。ケガなどまったくありませんでしたので。こんなケガを負わせても先生に気遣っていただけるなんて、あの子は幸せ者です」


 引っ越した孫が幸せ者という意味か、この世にもういない孫が幸せ者という意味か……。何の言葉も疑わしく、俺はこれ以上この老婦人に何も訊き出すことはできないし、彼女が何を語っても信じることができないだろう。


 今にもその場に崩れ落ちそうだった。けれど何とか耐えて、少しでもレオンの行方を知る手がかりを得られないものかと考えを巡らせた。


「あの、レオンくんが使っていた部屋を見せていただけないでしょうか?」


「怜緒夢の? 最初からほとんど何もない部屋でしたし、身の回りの物はあの子が持っていってしまったので、何も残っていませんよ」


「レオンくんに提出するように言っていた物があるんです。彼の答えは、他の子の勉強の参考になるので、どこかに残っていないか探させてほしいんです。大切な物が残っていないなら、部屋に入っても大丈夫ですよね?」


「ええ、それは構いませんよ。どうぞご自由に。今案内させますね」


 オヒョリメ様はユウカの母を呼び寄せて案内を言いつけた。部屋を出るとき、オヒョリメ様は最後にこう言った。


「短い期間でしたが、孫のこと、大事に考えてくださって、本当に有難いです。あなたは素晴らしい先生ですわ。是非、今後もこの村の子どもたちを見守り続けてください。そして、この村の者はすべてあなたの家族と思って頼ってくださいね」


 ゆったりと頭を垂れるオヒョリメ様を残して、部屋のドアは閉じられた。



 ユウカの母が案内した部屋は、オヒョリメ様の離れの部屋へ行く渡り廊下を戻り、母屋の廊下をさらに奥へと進んだ場所にあった。普段は真っ暗な母屋のこんな奥にまで、レオンは行き来していたのか。それでも最後の一週間以外は、何事もないように毎日学校に通っていたレオンの姿を思い出し、心が痛んだ。


 レオンの部屋は、本当に何も残っていなかった。古い机と空の本棚が取り残されているだけだ。机の引き出しにもまったく何も無い。六畳の畳敷きの部屋。入口の引き戸を開けて、正面に古い木の格子のガラス窓があり、その下に机が置かれていた。左手に本棚があり、右手に一間いっけんほどの押入れがある。


―― 先生、とうとう見つけました! お母さんの日記帳!  押入れの床板の下に、何冊もかくしてありました ――


 俺は音を立てないようにそっと押入れを開け、空っぽのその空間に潜り込んだ。薄暗い中、手探りで床板に隙間がないか探ってみる。ささくれが手に刺さりそうになりながら、まんべんなく床を撫でていく。

 入り込んだ押入れの一番奥に、わずかに板が浮いているところを見つけた。そこに苦労して指を差し入れ引き上げると、板はきれいに外れた。その下にはやはり板で囲われた穴が開いていた。床下収納のような感じだ。一見、中には何も無さそうだ。念のため手を入れて隅々まで探ってみる。

 やがて手の先に、薄い紙の束が触れた。引き出してみると、それは俺とレオンの交換ノートだったのだ。


 俺は押入れを元に戻し、レオンの机に座ってそれを開いてみた。


 最後に俺が書いた文の下に、レオンが数行、文を綴っている。しかし、その部分を上から鉛筆で真っ黒に塗りつぶしているのだ。書いてしまってから、慌ててそれを消した。消しゴムで消すと跡が残る。レオンはそれさえも恐れて黒く塗りつぶしたに違いない。


 俺はノートをシャツの中に仕舞った。そして帰りにオヒョリメ様の部屋へ顔を出し、何も見つからなかったのに長居をしてしまったことを詫び、屋敷を後にした。



 家に戻り、途中で体調が悪くなったと言って部屋に籠った。シグレ先生が帰ってくれば、校長とのやり取りを話すかもしれないが、もう関係ない。俺はとにかくレオンのノートに書かれていることが知りたくて仕方なかった。

 黒く塗りつぶされた部分を、消しゴムで慎重に慎重にこすっていく。汚れが少しずつ取リ除かれていくと同時にレオンの文字もかすれていく。しかし、それでも鉛筆の跡が残っていればいい。


 綺麗になった部分にめちゃくちゃに引かれた線の跡と、文字らしき跡が残る。俺はその中から、レオンの文字をひとつひとつ探し出し、見当をつけて他の紙に書き写す。曖昧な部分も多いが、大体こんな文章だったのだろうと予測できるほどには整ってきた。


 書き写した文章を改めて読み返してみる。一文字一文字を追うごとに紙を持つ手が震え、最後には耐えられなくなって、それをくしゃくしゃに丸めて握りつぶした。





 先生へ


 この村の者は、人間の姿をしながら、人間ではありません。人間に深いうらみをもつ者たちです。けれど、人間をおそうわけではありません。味方になりそうな人間を見つけては、仲間に引き入れてきたのです。

 先生は特に、気をつけてください。仲間に取りこまれてしまったら、一生この村から出ることはできません。




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