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山の学校  作者: yamayuri
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村のしきたり

 日和原ひょりばら家は、田舎によくある家族だった。修一夫妻には三人の子どもがいるが、進学や就職で皆、家を離れている。今は修一さんの両親、九十になる修一さんの祖母の五人家族。子どもたちの居た頃は八人の大家族だったようだ。それゆえ、大きな家には空き部屋がいくつもあり、俺は修一さんの長男が残していった家具や寝具をそのまま使わせてもらうことが出来るのだ。

 とはいえ、彼の子どもたちは未婚だそうなので、帰省してくることもあるだろう。その心配をすると、修一さんは笑って言った。


「長男は奥多摩町の役場に勤めているから、忙しくてな。滅多にここには帰って来られない。向こうに住まいもあるしな。長男の物は自由に使って構わないよ」


 いくら役所勤めといっても、公務員なのだから休日はあるはずだ。帰って来られないほど忙しいとは思えないが、親の修一さんがそう言うのならその通りなのだろう。

 修一さんが出してくれた長男の服や靴は、俺のサイズに合っていたため、素直に借りることにした。まさに『身ひとつで』出てきてしまった俺には有難いことだった。


 日和原家の生計は農業。山間やまあいでそれほど広くは開墾できないがねと修一さんは自嘲していたが、その限られた畑で実に様々な種類の作物を育てている。春先は、キャベツなどの葉物の収穫に大忙しだそうだ。

 ヒヨリヶぶちで出来る野菜は良質で、かなり高値で取引されているらしい。料亭へ直接卸すこともあるそうだ。

 しかし不思議なことに、その作物に『ヒヨリヶ淵』のブランド名が付くことは無いそうだ。近くの地名『日原産』とか、時に『秩父産』などと称されて出荷される。日和原家の納屋には、そういった名の入った袋が地名ごとに分けて置かれていた。

 ヒヨリヶ淵の産業は、農業の他にも林業が盛んだそうだが、それらの材木も、良質で需要が高いにもかかわらず、産地名にヒヨリヶ淵の名が付けられることは無いのだそうだ。


 何故、そんな良質なものを産出する村の名前を世間に広めようとしないのだろうか。



「この村のしきたりなんですよ。ヒヨリヶ淵の名は、村の者以外に広く知られてはならないという」


 その疑問には、赴任先の校長が答えてくれた。



 赴任先の小学校は、日和原の家から目抜き通り(?)へと出て、その通りが突き当たるところにあった。両脇に木の柱が立っているだけの校門を入ると、周囲の林との境も曖昧な広めの校庭があり、その奥の一段高い場所に趣きのある二階建ての木造校舎が建っている。過疎地の学校にしては部屋数も多くなかなか立派なものだ。


 正面玄関を入ってすぐ左脇が校長室兼応接室となっている。挨拶に訪れた俺が玄関で上履きに履き替えて辺りを見回すと、すでに校長が部屋の入り口で待ち構えていた。俺の姿を認めるとにこやかに頷いて、部屋の中に姿を消した。言葉は無くても「こちらですよ」と誘われているのが分かったので、俺はその後に従って部屋に入って行った。

 先に立ってゆっくり歩く校長は、上背はそれほどなく小太りで、その重たい身体を持て余すようにひょこひょこ歩く。温和で人好きのしそうな顔と相まって、彼の印象をコミカルに見せている。

 背もたれに白いカバーが掛けられた皮のソファを俺に勧め、俺がそこに落ち着いたのを見届けると、校長は反対側のソファに腰を下ろして肘を膝の上に載せ、その前で手を組んで、身を乗り出すようにして俺の顔を見つめた。優し気な表情だが、俺は妙な威圧感を感じた。


「私が校長の日照雨そばえです。

 小坂先生、あなたのように若くて優秀な方に来ていただいて、私は嬉しいですよ。前任の山背やませ先生は、この学校に勤務して三十五年の大ベテランでしたが、小坂先生は小坂先生の若い感性で、山背先生とは違ったやり方で子どもたちを指導していただけるのではないかと期待しています」


「前任というと……。他に教員はいないのですか? 私はその先生の唯一の後任ということになるのですか?」


「担任はひとりです。他に専科の教員がふたりおりますが。後で紹介いたします」


 随分とプレッシャーを掛けられて、俺は引きつり笑いで返すしかなかった。

 三十五年間、同じ学校で勤務する教師など聞いたことがない。つまりそれほど長いことこの村では、前任の山背やませ教諭が『唯一の担任』だったわけだ。その教師への、この村の人々の信望は並々ならぬものがあるだろう。

 そして俺も、三十五年という気の遠くなるような長い期間、この村で勤め上げるものと期待されているのだろうか。

 俺の不安をさらに煽るように、校長は付け加えた。


「若いのは非常に結構ですが、この村は、既にお気づきかと思いますが、高齢者が多く、若者や子供が少ない。それに他とは違った独特の慣習があるのです。先ずはそれを理解していただかなければなりませんね。

 いや、そう難しいことではありませんよ。小坂先生のように若い方なら、すぐに理解して、ここでのやり方を覚えてくださるはずです」


 俺に反論する隙も与えず、勝手に俺の度量を決めつけた校長は、このヒヨリヶ淵での人々の暮らしを説明し始めた。俺には否と言う権利さえ与えてもらえないようだ。

 ソバエ校長は、第二の山背教諭を育てるべく必死になっているようにしか、俺には感じられなかったが、黙って耳を傾けるしか他に方法は無さそうだ。


 ソバエ校長の話は、修一さんの話の内容と重なる部分が多かった。

 修一さんが語ってくれたのと同じ、村の農作物や材木を出荷するやり方に疑問を呈したとき、校長はヒヨリヶ淵の『しきたり』について触れた。



「何故、『ヒヨリヶ淵』の名を、村の者以外に広く知られてはいけないのです?」


わざわいを招くと言われているのですよ。

 私たちの先祖は、ある迫害にさらされていた。それを救いこの地に導いてくださったのが、ヒヨリヶ淵の龍神りゅうじん様です。龍神様は、先祖を迫害していた者たちに災害をもたらし、その混乱に乗じてこの地へと先祖を導いてくださったのです。この土地は龍神様のお膝元。ここに居れば我々は護られて暮らすことができる。だから、この土地の名を滅多なことで他所よその者に知られてはならない。

……とまあ、そんな言い伝えなのですが。詳しくはオヒョリメ様にお聞きになってください。龍神塚に仕える巫女さまのことです。此処に暮らしていれば、いずれお会いすることになるとは思いますが」


 まるで当然の常識のように、迷信まがいの伝説を語るソバエ校長に、俺は呆気に取られた。

 すると校長は途端に高らかに笑い出した。


「ははは。未だにそれを頑なに守っているというわけではないんですよ。現にこうして外部から小坂先生をお招きしたわけですから。

 ただおおやけの物には極力名前を載せないように配慮はしています。

 商売が絡むとこういうジンクスを信じる者も少なくない。わざわざ禁忌を破ってうまくいかなくなっては困りますからね。取引きには気を遣うわけです。神社に行って商売繁盛を願うのと同じ感覚です。

 それに自力でこんな場所までやってこようとする都会の人間など滅多にいませんからね。大抵の客人はこの土地にゆかりがある者です。だからわざわざ此処の名前を地図に載せても何の意味もないわけです」


 俺はようやく納得して表情を緩めた。昨日の山道での恐怖といい、どうも先入観で構えてしまっているきらいがあるようだ。これまでの俺の常識を超えることばかりで、頭が付いていかないのも仕方ないことだ。


「都会の人にはなかなか理解し辛い話でしょうね。でもそんな堅苦しいものではないですし、環境はご覧の通り最高の場所です。子どもたちも元気で素直なので、きっとすぐに打ち解けるでしょう。そのうち来て良かったと思っていただけると思いますよ」


 ソバエ校長は前に組んでいた手をほどいて背筋を伸ばすと、パンと軽く手を打って話を変えた。


「そうそう、他の職員を紹介いたしましょう。どうぞ、こちらへ」


 打った手を俺の右後ろにあるドアに向けて立ち上がると、俺を振り返りながら身体を左右に揺らしてドアに向かっていく。俺はそろそろと立ち上がり、校長に従った。


 校長がドアを開けると、その先は職員室だった。

 割と広めの部屋ではあるが、中央にまとめて置かれている机はたった四つ。部屋の四方をロッカーやら本棚やらが囲んでいてたくさんの資料が詰め込まれているため、圧迫感がある。長年の記録簿や卒業生名簿も全てその部屋に置かれているようなのだ。倉庫と言ってもいいくらいだ。


 真ん中の四つの机のうち、三つに人が座っていた。入ってきた校長と俺の姿を認めると、三人はばらばらと席を立った。


「今年度からこの学校に赴任された小坂拓生たくみ先生です。皆さん、よろしくお願いしますよ」


 校長に紹介されて、俺は、目の前の三人がどのような人物か観察も出来ないまま、通り一辺の自己紹介をし、深々と会釈をした。

 俺の自己紹介が済むと、校長が三人の紹介を始めたので、俺は安心してひとりひとりの様子を伺った。

 これからこの仲間と何年一緒にやっていくことになるか分からない。俺がこの村でうまくやっていくためには、この限られた集団の中で悪い印象を持ったり持たれたりしてはいけないのだ。



「手前が、教務きょうむ兼教頭の日霞ひが幸次こうじ先生」


 恰幅の良い校長とは対照的に、ヒョロヒョロと背の高い、手足の骨ばった男性が頭を下げた。校長とは違い笑顔が一切ない。細いつり目が神経質そうな印象を与える。校長は最初から好意的に接してくれたものの、この教頭のお眼鏡に叶うのは、なかなか厳しいかもしれないと、早くも危機感を募らせる。


「そして、その隣が体育専科のながめ健太けんた先生。彼は都の正式な職員ではなくて、村が特別にお願いしている職員なのですよ。教員免許はありますがね。

 高校野球の西東京代表で甲子園にも行ったことがあるんですよ。今でもときどき都立の高校へ行って野球のコーチもしているんです」


 肩幅の広くがっしりとした体つき。綺麗に角刈りにされた頭。黒々と日焼けした肌。いかにもスポーツマンと言った風貌の中年男性だ。野球部で長年厳しく躾けられてきたのが分かる、切れの良い会釈をした。


「その正面が音楽の時雨しぐれ凛子りんこ先生。彼女も同じく、この村で特別にお願いしている職員です。武蔵野音大卒の才媛です。実はピアニストでもあって、時々公演に行かれることもあるんです。

 年は、小坂先生とそれほど変わらないでしょう。同世代ということで我々よりも話が合うかと思いますよ」


 彼女が落ち着いた笑顔を作り、丁寧に頭を下げたとき、腰の辺りまである素直な黒髪がさらさらと前に落ちていくその姿に、俺はつい見とれてしまった。時雨しぐれ先生はゆっくりと身体を起こし、落ちた髪を指先で軽く揃えて耳に掛けた。透けるように色の白い人だ。華やかな感じではなくどちらかというと地味な顔つきだが、清楚な美人と言えるだろう。

 エリカとは対照的な、学生時代の女友だちには決していないタイプだった。


 全く現金なものだ。

 これまで抱いていたこの村に対する疑念など、その一瞬で忘れていたのだから。




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