闇の中
オヒョリメ行列が、太鼓の合図で進み始めた。先頭を行く法被姿の男たちが、一斉に杖を地面に突くと、杖に結び付けられた鈴が鳴る。鈴の数が多いので、ジャラランという大きな音になって村中にこだました。
鈴の音に合わせて、一歩ずつ一歩ずつ、ゆっくりと進んでいく行列。
これまでのことが無ければ、厳かで神秘的なこの行進に、俺は魅力を感じていただろう。
しかし今の俺には、この一歩一歩が、得体の知れない世界へと着実に近づいているのではないかという恐れがあった。
村の目抜き通りを一行が進んでいくと、それに合わせるように家々に灯りがともされていく。陽が傾き、提灯の灯りが徐々に眩しくなっていく。
道の両側には村の人々が大勢集まって、行列が進んでいくのを見守っているが、皆ほとんど声も音も立てない。それがこの祭りの慣わしなのかもしれない。
しばらく進んでいくと、被された面の隙間から覗く視界に、七人の子どもたちの姿が見えた。子どもたちは寄り合って、行列が近づいて来るのを興味津々の顔で見つめている。横を通り過ぎるとき、本人たちは声を抑えているつもりでも、子ども独特の高い声がこちらにまで響いてきた。
「あれ、小坂先生でしょー」
「ええ、かっこいいじゃーん」
「その後ろはシグレ先生? きれーい」
「いいなあ、あたしもあんなの着たーい」
無邪気に喜ぶ子どもたちの声に、少しだけ、祭りに参加して良かったと思う気持ちが湧いてきた。相変わらず不安の方が大きいのは変わらなかったが。
行列が目抜き通りの終わりに来た頃、空は淡い紫色に染まっていた。山の端にもうすぐ陽が落ちる。
これから山道へ入ろうというときに突然、空から雫が落ちてきた。今まで晴れていた空からにわかに雨が降ってきたのだ。山へと沈もうとしている夕陽はまだ、斜め横から金色の光を差し込んでいる。その光が雨の雫に当たり、輝いた。それはまるで金の粒が一行を取り巻いているような幻想的な光景だった。
番傘を持って横を歩いていた男性が、それを開いて俺に差し掛ける。傘は、雨を予想して用意されたものなのだろうか? 今日は一日良い天気で、雨など降りそうになかったのだが。
鳴神家の提灯を提げて前を歩いている二人が、何やら話をしてお互いに頷いた。そして一人が俺とシグレ先生を振り返り、嬉しそうに声を掛けてきた。
「なんとめでたい。ヒヨリ様があなたたちを祝福してくださいました」
声を出してはいけないと言われている俺は、その意味を聞き返すこともできない。面の奥から、そう言って微笑む男の顔をじっと眺めていることしかできなかった。
にわか雨はすぐに止んでしまった。同時に太陽が山の向こうに沈んだ。
山道を上り始めると、闇はどんどんと濃くなっていった。草履は滑りやすいので、足の裏にぐっと力を入れなくてはならない。一歩一歩に力が要る。しかし平らな通りを歩いたときと同じく、歩みは鈴の音に合わせてゆっくりゆっくりだ。
相当疲れが溜まってきた頃、ようやく平らな開けた場所へと着いた。ここで小休止を取り、今度はヒヨリヶ淵へと下っていくのだ。
その時、脇の林の闇の中から少年の声が響いてきた。
「行列を止めろ! この先に行ってはいけない!」
皆が一斉に暗闇の林の方を見た。何人かが提灯を持って林の中へ入って行った。声が再び響いた。
「引き返せ! この先へは行かせない!」
林に入った男たちは提灯を掲げて声の主を探し回る。しびれを切らした他の者が非常用の懐中電灯で林の中を照らした。
眩しいライトの先に少年の姿が映し出された。俺はそれを見て思わず声を上げた。
「レオン!」
男たちが一斉にレオンに向かっていく。俺は面を投げ捨て、その後を追った。
レオンはするりと彼を映し出した光の中から消えた。
「待て!」「待てー!」
懐中電灯の鋭い光が手あたり次第に林の中を照らす。男たちの叫びに混じって、再びレオンの声が響いた。
「先生を離せー。バケモノどもー」
それを聞いて俺は大声を張り上げた。
「どういうことだ! レオン! どういうことなんだ!」
レオンは叫びながら、沢の方へと下っていっているようだ。男たちもその後を追い、俺がその後を追いかける。慣れない山の中。草履が滑る。少し走れば草木に足を取られ、倒けつ転びつするうちに、レオンと男たちの声は、遥か下へと下っていってしまった。
―― 住民共、鬼ヲ捕ヘ、手足ヲ縛リテ淵ヘ沈メ、ヒヨリ神二捧ゲム…… ――
頭の中にあの一文が何度もこだまする。俺は尻で這うように下りながら、立ち上がってはまた転げながら、叫び続けた。
「止めてくれー。レオンは何も知らない子どもだー! レオンを逃してやってくれー。レオンを捕まえないでくれー」
下方の闇から複数の男たちの怒号が聴こえ、懐中電灯の光がちらちら揺れるのが見える。それに追いつこうと気持ちばかりが焦るが、足はもつれてまるで先へと進まない。声と光がどんどん遠ざかる。鼓動が早まれば早まるほど、身体は思うようには動いてくれなくなった。俺はふらふらとおぼつかない足取りで崖を下りながら、残る全身の力を込めて、闇の山々へと響き渡るように叫んだ。
「レオーン! 先生のことは考えるなー。逃げてくれー! レオーン!」
レオンが母親の日記に書かれた内容を知って、疑惑に何かしらの確信を持ったのだとしても、俺にも教えてくれなどと言わなければ、レオンがこんな行動に出ることはなかったのに。静かにこの村を離れる時を待っていれば良かったのに……。
激しい後悔と罪悪感にさいなまれて、俺は泣き叫んだ。
「レオーーン……うわぁぁぁー」
俺の絶叫と号泣が闇夜にこだました。踏み出した足が空を切り、俺の身体が宙を舞ったのは、それとほぼ同時だった。
リーン……リーン……
先ほどの鈴の音とは違う。涼やかな音色が響いてくる。俺は闇の中で身体を起こし、その音だけを頼りに歩き出した。
リリーン…………
どこかで聞いたことのある音だ。どこか物悲しく、静寂に溶け込んでしまうような音色。続いて幾人もの低く唸るような声が聴こえてきた。
その音は確か……。仏壇にある鈴の音。低い声はお経のようだ。
俺は闇に手をかざして、音のする方へと歩み寄っていった。
やがて彼方に、仄かに灯りが揺れているのを見た。俺は急いでそちらに走っていった。
灯りの後に、幾人もの人影が通り過ぎていくのが見えた。皆顔に面を被っている。しかし、列の真ん中にいる小さな影だけは、何も被っていないようだ。俯いてよろよろと前の人影に付いていく。
俺はさらにそちらへ走り寄って、それが誰なのかを確かめようとした。しかし、そのシルエットがはっきりとしてきたとき、俺の足は恐怖で竦み、動かなくなってしまった。
小さな人影は両手を縄で縛られ、前の人影に引かれていた。昏くて顔は分からないが、俯くその額にはさらさらとした前髪が垂れている。俺はそれがレオンだと確信した。
―― 住民共、鬼ヲ捕ヘ、手足ヲ縛リテ淵ヘ沈メ、ヒヨリ神二捧ゲム、住民共、鬼ヲ捕ヘ、手足ヲ縛リテ淵ヘ沈メ、ヒヨリ神二捧ゲム、住民共…… ――
レオンの名を叫ぼうと口を開いたが、ふああーという空気の音だけしかしない。何度も叫ぼうと、空気を大きく吸い込んで、腹に力を入れてみるが、出てくるのは息を吐き出す音だけだった。
列は、ひとりであがいている俺の前を淡々と通り過ぎ、闇の中へと消えていってしまった。




