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山の学校  作者: yamayuri
18/23

奇祭

  レオンが母親の日記を見つけたとノートに書いてきてから、レオンの様子が少しずつ変わっていくのが分かった。村中の人が無視していた期間よりも、レオンの表情に翳が差してきているように思える。クラスメイトは、すっかり夏休みの前と同じようにレオンに接するようになっていたが、当のレオンが彼らを拒むような姿勢を見せるようになった。

 中学での授業も再開しようという話が出たが、レオンがそれを断った。

 授業中に発言を求めても「答えられません」と言うばかり。レオンにとって理解できない質問は無いはずだから、それは「発言したくありません」という意味だとすぐに分かる。


 彼は、村の人どころか、俺にさえも距離を取ろうとしているようなのだ。


 交換ノートが返っていないか、放課後毎日のようにレオンの机の中を確認するが、いつも空だ。何かあったのかと直接問いかければ、「何でもない。先生の思い過ごしです」と一蹴されてしまう。

 レオンの変化から、母親の日記が、彼に何か重大なことを伝えたのは確かなようだった。




 十月に入ると、村中が慌ただしくなった。例の『龍神祭』の準備で、毎日村のあちこちで何か作業が行われている。夕方になると、集会所のほうから『お囃子はやし』の練習が聴こえてくる。太鼓や笛の音色を聴くと、村が祭一色に染まっていると感じる。

 この村に懐疑的な気持ちを抱いている俺でも、祭囃子の音色には何かしら心が湧き立った。


 学校でも、当日は生徒の作品を展示するということで、子どもたちが絵を描いたり、共同作品をつくったりして準備をしていた。レオンも皆に混じって黙々と作業をしている。日常とは違う行事があることで、レオンの気持ちも少し和むのではないかと期待した。



 オヒョリメ行列の花婿役を引き受けることになってしまった俺は、祭りが近づくにつれて緊張が激しくなった。何も準備はいらないと言われても、かえって気になってしまう。

 見知ったシグレ先生が一緒だというのは心強かったが。


「シグレ先生、当日はよろしくお願いいたします。指示に従っていればいいと言われても、どんなお祭りかも知らないので、失敗しやしないかと心配で……」


 シグレ先生は笑って言った。


「本当に、ただ歩いていればいいんですよ。行列ですから他にもたくさんの人が同行しますし。ただ、慣れない和装に草履ぞうりを履いて、足元が暗いですから、転ばないように気を付けて」


「シグレ先生はもちろん、龍神祭はよくご存知なんですよね?」


「ええ、小さいころから見てきましたから。特にオヒョリメ行列は女の子の憧れなんです。白無垢しろむく姿で皆の前を歩くのが小さい頃からの夢だったんですよ。今年ようやく選ばれて、しかもお相手が小坂先生だなんて、うれしいです」


 素直に喜ぶシグレ先生を見て、俺の緊張は少しほぐれていった。



 やがて龍神祭の日がやって来た。いや、龍神祭自体は一週間前に始まっており、龍神の神殿ではオヒョリメ様が中心になって様々な神事が行われているそうなのだが、村民全員が祭りに参加するのは最後の二日間である。オヒョリメ行列は最終日の最後に行われる予定だった。


 オヒョリメ様が忙しいせいなのか、住まいである神殿で神事が行われているため出入りが難しいのか、レオンは一週間前から学校に来ていない。

 家によっては、祭りの準備に忙しいので子どもを休ませる家庭もあるほどで、その週は登校してくる児童の数の方が少ないくらいだ。だからレオンが休むことも特別ではなかった。

 俺だけが、レオンが他の子どもの事情とは違うことを知っている。しかし祭りの期間は、ヒヨリヶ淵の周りや神殿に一般の者が勝手に近づくことは禁止されている。俺はレオンの欠席が、ただの家庭の事情であることを願っていた。


 最終日は日曜だ。

 俺は昼前に村役場に顔を出した。ちょうどシグレ先生もやってきたところだ。祭りには慣れていると言っていたが、彼女にとっても初の大役なので、かなり緊張している様子だった。俺と顔を合わせてもニコリともせず、役員とともに女性用の控室へと消えていった。


 俺は役場の職員らしき男性に案内されて、男性用の控室へ入った。普段は集会場として使っているだろう十畳ほどの畳敷きの部屋に、着物と羽織はおりはかまが用意されていて、ふたりの年配の女性が待っていた。

 指示されて下着姿になった俺に、手際よく着付けをしていく老婆たち。成人式もスーツだったので、和装をするのは初めて……いや七五三以来か。

 着物を合わせ、袴の紐を腰骨の下でしっかりと結わえ付け、立派な紋付羽織を羽織らせると、老婆たちは揃って俺の前に立った。


「良かった、ぴったりだわ! 立派なこと!」


「ほんとほんと、あたしたちが丹精込めて縫ったんだから、合わなければ悲しいわ」


 そう話す声はそっくりで、顔も瓜二つ。老婆たちはどうやら双子らしい。この着物は二人が仕立てた物のようだ。


「あの、これはわざわざ祭りのために仕立てたんですか?」


「そうさ。半年も掛けてねー、梅子」


「あたしが着物と袴、この松子が羽織。あんたの身体に合わせたのだから、着心地はいいだろう?」


「半年前? サイズを測ってもらったことなどないですが……」


「ああ、シモハラさんの息子さんと同じ背丈だってゆうんで、シモハラさんが息子さんの服を貸してくれたんだよ。ほんとに同じだったねー」


 シモハラさん……修一さんか、奥さんか。いずれにしても、半年前は俺がこの村に来たばかりの頃だ。修一さんはその時すでに、俺をこの祭りに参加させるつもりでいたのか。

 家族同様に良くしてくれた修一さんにさえ嵌められたように感じ、俺はますますこの村のことが信じられなくなった。


「さあさ、着付けが済んだら早く外へ」


 案内してきた男性が入り口に顔を出して急かした。双子の老婆は最後に俺の襟や袖や裾を整えて送り出した。



 役所の玄関の前には、赤い毛氈もうせんが掛けられた縁台が用意されていた。俺はそれに腰を下ろして待つように言われた。

 しばらくして、着付けを終えたシグレ先生がやってきた。純白の着物に、純白の打掛うちかけ、白い大きな綿帽子が頭を覆っている。ただでさえ白い肌に、さらに白粉おしろいを塗っているので、全身が白く輝いているようだ。その中で唇に引かれた紅の赤さだけが異様に目立った。

 黒留袖くろとめそでを着た数人の介添えの女性に引かれて、シグレ先生は俺の横に座った。素早く介添え人たちが彼女の着物を整える。

 席に落ち着いてから、シグレ先生は俺の方を向いて薄く微笑んだ。


 普段から和風の物が似合いそうな女性だとは思っていたが、白無垢は彼女に本当に良く似合っていて、妖しいまでに美しい。時代物の映画の中から抜け出てきたようだ。俺は息を呑んでしばらく彼女の姿をまじまじと見つめてしまった。シグレ先生は口許に微笑みをたたえたまま、はにかむように下を向いた。その横顔にもまた鼓動が高鳴る。

 ふとエリカのことを思い出し、シグレ先生から目を逸らそうとするものの、何故か彼女の美貌から目が離せないでいた。

 

 ひとりの黒留袖の女性が、ハンカチで下瞼を抑えながら近づいてきて、シグレ先生の手を握った。


凛子りんこ、良かったわね。幸せになるのよ」


 シグレ先生は顔を上げると、その女性を見ながら目を潤ませ、小さく頷いた。


 凛子と名前で呼びかけるということは、母親か、親族の女性だろう。

 それにしても、本当にこれから嫁入りをするかのような演出だ。これまでシグレ先生の魅力に取り憑かれていた俺は、祭りごときにここまで真に迫った演技をするその女性とシグレ先生に呆れて、我に返った。


 俺たちの座っている縁台の周囲には、黒紋付の男性や、黒留袖の女性がたくさん集まっていた。皆、このオヒョリメ行列に参加する人々なのだろう。シグレ先生の親族も、彼女に従って多く参加しているのかもしれない。


 やがて、法被はっぴ姿で足に脚絆きゃはんを巻き、頭にねじり鉢巻をした数人の男性が俺たちの前に立ち、そのひとりが声を張り上げた。


「そろそろ出立しゅったつの時間です。これより夜半よわまでの、ヒヨリヶ淵への行程となります」


 それを聞いて、俺は村長にも騙されたと知った。村長は小一時間と言っていたではないか。それなのに、まだ夕暮れ前の今から出発して、夜中まで、ヒヨリヶ淵へのあの険しい山道を行くというのか。頭がクラクラとしてきた。しかしこの状況で今さら止めますと言うことなどできなかった。


 法被姿の男性が、手にしている杖を振り上げ、地面を突いた。持ち手のところにたくさん結び付けられている鈴が、ジャランと賑やかな音を立てた。


「この鈴の音に合わせ、左足を一歩出し、次に右足を揃えます。この間合いで歩いていきます」


 そう言うと、杖を何回か等間隔に突いてみせた。そのリズムがあまりにもゆっくりで、俺はさらに気が遠くなった。まるで亀の歩みだ。ヒヨリヶ淵にたどり着くのが夜中になってしまうのは当然だろう。


「それでは皆様、お並びください。太鼓の合図で出立となります」


 俺は周りの人に引かれて、紋付羽織を来た二人の男性の後ろに並んだ。その後にシグレ先生が、介添えの女性とともに並ぶ。俺の横と、シグレ先生の横にはそれぞれ、番傘を持った男性が並んだ。


 前に居るふたりの男の手には提灯ちょうちんが提げられていた。それに灯がともされ明るくなったとき、そこに書かれた文字に、俺は目を疑った。

 提灯には墨で『鳴神家』と書かれている。二百年以上前に断絶したと記録にあった鳴神ながみ家。その名が何故、今回のオヒョリメ行列で出てくるのだろう。

 周りを見回すと、他の人が持つ提灯には『御祭禮』とだけしか書かれていない。名前が書かれているのはその二人の提灯だけなのだ。その提灯を持つ二人が、俺とシグレ先生を先導する意味はいったい……。


 突然、目の前が暗くなった。何かが被せられ、後頭部で結わえ付けられる。誰かの手が俺の顔に被せたものを上下左右に軽く動かした。すると目の前に開けられた細長い穴から前が覗けるようになった。

 俺の正面に顔を出した女性が訊いた。


「見えますか?」


 視界は非常に狭いが、これ以上広げることは出来そうにない。俺は仕方なく頷いた。


「ヒヨリヶ淵に着くまでの間、この面を付けていてもらいます。道中は決して口を聞いてはなりません。どこか具合が悪いところがありましたら、今のうちにおっしゃってください」


 具合が悪いと聞かれれば、すべてが悪い。しかしそんなことをここで訴えても意味はない。俺は仕方なく首を振った。


「分かりました。ではお気をつけて」


 女性はにこやかにそう言って、俺の視界から退いた。


 振り返ると、シグレ先生の顔にも、その横の介添え人の顔にも、白い面が被されている。視界が狭いので、その面が何の形をしているかは、はっきりと分からなかった。


 やがて、夕暮れの山々に響き渡るように、太鼓がどーんどーんと打ち鳴らされた。

 



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