新学期
ヒヨリヶ淵に戻るとすぐ、校内での会議や新学期の準備で忙しくなった。
いつもの日常が戻ってくると、帰省したときは、向こうの生活との違いの大きさを感じて、エリカの調べてくれた事柄に過剰に反応してしまったのではないかと思えてくる。この村の人々は独特の慣習の中で暮らしているが、人間的に問題があるわけではない。
―― 順応性があるしね…… ――
エリカにそう指摘されたが、俺は別にこの村で暮らすことに不便や不安を感じているわけではなかったのではないか。俺の気持ちは行ったり来たりして、まったく定まらなかった。
俺が村に戻ったことを知った子どもたちは、さっそくまた、夜になると日和原家に集まるようになった。宿題として出したはずの課題を見てやったり、休み中の話を聞いたりと、学校があるときと変わらずに接していると、長い休みを設ける意味があるのだろうかと思うくらいだ。
その輪の中に相変わらずレオンの姿は無いが、彼ならこの中に加わるのを嫌がるだろう。新学期に入ってから、彼をこの仲間に馴染ませるために配慮してやらなくてはと思った。
俺はこの期間に改めて、オヒョリメ様から借りた冊子を最初から読み解くことにした。最初は解読に時間が掛かったが、薄い冊子で、例の付箋が挟まれた場所以外は取り立てて大きな内容も無いので、段々とスムーズに読み解くことができるようになった。
ほとんどが、その年の収穫の量や、誰それが生まれた、結婚した、亡くなったという記録の羅列だけである。
ただ、付箋のある箇所の少し前からその記述形式が少し違っていた。
付箋のある箇所つまり明和九年の前年に、村に疫病が流行り多数の住民が亡くなっているのだ。その流行の発端を冊子の中では、近くの山林に入り込んできた猟師とその番犬だとしている。
ともかく多くの村民が亡くなったことで、村にあった伝統的な家系がいくつか絶えてしまったのだ。
そして、明和九年の鳴神家の断絶へと話が繋がっていく。
エリカの話では、この年、江戸では災害が相次いだ。苦肉の策で奥多摩の山中に住処を求めて入り込んだ人々がいた。
彼らは下界には戻らなかった。
ヒヨリヶ淵では村に鬼が入り込み、住民が一丸となって鬼を退治した。
その後すぐに新たな家系が興され、村に平和が戻る。前年に急激に人口が減り、村の存続が危ぶまれる状況であったというのに……。
俺は何かを掴みかけ、しかし、考えれば考えるほどに思考は鈍くなり、結局は疲れて一連の出来事を関連付けることはできなかった。
その後のページは最初のように、ただの記録が繰り返されているだけだった。
異変に気付いたのは、新学期が始まってすぐのことだった。この時俺は、他人を容易に信用してしまうがために、すぐそばにある危機や隠された一大事に気付けないのだと実感した。
新学期、七人の子どもたちはもちろん、レオンも特に変わりなく、元気に登校してきた。
いつもの学校生活が始まり、それはまた平穏に続いていくものだと安心していた。
しかし小さな違和感が、時間を過ごすうちに俺の中に生まれていた。
九月一日は、始業式と学級会、都内の学校と同じく避難訓練があって終わる。教室を移動するときやプリントを配るとき、さりげないところで七人の子どもたちはレオンを無視しているように感じるのだ。
もともとレオンがそこまでクラスに馴染めていたわけではないが、それでも一学期の終わりには、必要なときに声を掛けたり気遣ったりということはできていた。
それが今回はまったく居ないものとして扱っているようなのだ。
「おい、レオンにプリントが行ってないぞ」
声を掛けると、レオンの分のプリントを持ったショータは彼の横を通り過ぎながら、ひらりとそれを投げた。宙を舞って床に落ちたプリントをレオンは黙って拾い上げた。
「ショータ、その渡し方はないじゃないか。きちんと机に置きなさい」
注意すると、ショータはそれを無視して自分の席にどかっと腰を下ろした。
「その態度は何だ? 人に物を渡すのに投げるなんて失礼だぞ。レオンに謝るんだ」
しかしショータは頬杖を突き、ふてくされた顔を窓の方に向けている。
「ショータ!!」
俺は、彼をそんな風に怒鳴ったのは初めてだ。最初にレオンを無視していたときも、きちんと話せばショータはちゃんと理解した。
しかし今の彼は、俺の話さえまるで聞く耳を持とうとしない。
「先生、ショータは誰に謝るんですか? クラスの一員じゃないのにプリントを渡す必要はないでしょう。だからどこに配ればいいのか分からなかったんですよ」
ハルヤが言った。
「クラスの一員じゃないだって? レオンはちゃんとクラスの一員じゃないか」
「えー? どこどこ? どこに居るの?」
ふざけるように言ったのはお調子者のミクだ。俺は堪らなくなって、ミクにも怒鳴ってしまった。
「ふざけるんじゃない!」
それを聞いてミクは大声で泣き出した。子どもたちは一斉に俺を非難するような目を向けた。ひとりだけ、アイが冷静に話し出した。
「先生は居なかったから、何も分からなくて当然でしょ、みんな。先生が怒るのも無理ないよ」
アイの言葉に、ミクがぴたりと泣き止む。初めから嘘泣きだったようだ。
「どういうことだ? 先生の居ない間に、何があったんだ?」
「あたしたちには説明できないよ。大人に聞いて。あたしたちは大人の言いつけを守っているだけなんだよ。だからあたしたちを怒っても、どうにもならないよ」
俺は呆然と子どもたちを見つめた。レオンの方へ目を遣ると、彼からは何の感情も読み取れなかった。能面のような顔で前を見据えているだけだった。
帰り際、最後に教室を出ようとしていたレオンの腕を掴んで、俺は訊いた。
「何があったんだ? どうして怒らない? 嫌だって言わないんだ」
「先生、僕に話し掛けちゃダメだよ。アイが言ってたでしょ。大人に聞いてくれって。僕は別に大丈夫だからさ」
レオンは俺の目を見ないまま、それだけ答えると、俺の手を振りほどいて走り去った。ここでレオンを追いかけても、解決できそうにない。大人に聞いてということは、村中の問題であるということだ。俺ははやる気持ちを何とか抑えて、校長室へと向かった。




