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山の学校  作者: yamayuri
13/23

帰省

 俺が久し振りに実家に戻ると、出迎えた母は怪訝な顔をして開口一番こう言った。


「しばらく見ない間に、なんだか顔つきが変わったわね」


 どういう風に? と聞くと、母は「うーん、なんとなく、年寄りじみた感じ……」と曖昧で不躾な感想を述べた。さらに失礼なことに「ああ、田舎の香りがするわ」とまで付け加えた。

 普段から歯に衣着せぬ発言が多いので、いつもの母の調子だと相手にしなかったが、全く同じことを久しぶりに会った友人に言われたときは、流石に気にせずにはいられなかった。

 

 帰省してからしばらくは、連日の研修で忙しかったが、お盆に入りようやくのんびりした時間ができた。

 地方に散っていった大学時代の友人たちが出てくるというので、同窓会というほどではないが、大学の近くの店で集まろうという話になった。

 その席で、俺は友人たちから、母と似たようなことを言われたのだ。


「年寄りじみているって、何だよ」


「なんていうかな、人生達観してしまったような」


「妙に落ち着き払ってる感じだよね。学生時代のタクミとまるで違うから、余計そう感じるのかも?」


 皆が口を揃えて言うので、きっと本当にこの数か月の変化は激しいのかもしれない。閉鎖的な集落で、流行の情報も入らないまま暮らしていれば、そうなって当然だろう。あの環境は、山伏や仙人が修業する環境に近いのかもしれない。

 長野から出てきたアツシにまで、「俺も田舎に居るけど、タクミのほうがすっかり田舎に染まっている感じだよな」とからかわれる始末だ。自分では自分の変化に気付けないことが、余計にもどかしい。

 最後はヤケ気味に、友人たちに言い放った。


「ああ、俺の住んでいるところは田舎の中でもド田舎だよ。だけど、空気も景色もきれいだし、人は優しいし。最高だよ。俺、実はああいうところが合っているのかもなー。だから染まるのも早かったのさ。ほら、田舎の匂いを分けてやるぞー」


 久しぶりに友人たちと酒を酌み交わしながら馬鹿馬鹿しい話で盛り上がるのは愉しい。俺はそんな冗談を言いながらも、やっと都会に戻ってきたことを実感していた。



 宴もたけなわになってきたころ、入り口の方に座っていた友人が大声で誰かを呼ぶ声が聞こえてきた。


「おーい。エリカ、こっちこっち!」


 その名を聞いて一気に酔いが醒めた。そう、五か月前まで付き合っていた彼女の名だ。

 入り口に現れた彼女を、友人たちが盛大な歓声で迎えて、そのまま俺の隣まで強引に引っ張ってきた。エリカはバツが悪そうに俺の隣に少し間を空けて座り、俺の視線を避けるように斜め前の友人の方へ身体を向けていた。ここで無視するのも大人気ないので、彼女のグラスにビールを注ぎながら「久しぶり」と小さな声で言った。エリカはちょこんと頭を下げてグラスを持ち上げると、「そうね」と短く答えた。


 再び乾杯の声が上がり、友人たちはエリカの到着を歓迎した。

 反対隣りに座っている幹事に「嵌めたな」と恨みがましく呟くと、「まあ、いい機会だ。もうちょっとよく話し合えよ」と言ってニヤニヤしながら肘で小突いてきた。


 しばらくはお互いに呼びかけることもせずに、それぞれ他の友人との話に夢中になっていたが、場が和んできて、馬鹿騒ぎも収まってきたとき、俺は意を決して彼女に声を掛けてみた。


「相変わらずだな。司書さんがそんな派手な恰好で文句言われないの?」


 憎まれ口しか出てこないが、それがいつもの俺たちのやり取りだった。


「あら、司書だからって地味にしなくちゃいけないってこと無いでしょ。タクミこそ、もっとおしゃれに気を配ったらどう?」


 俺はエリカらしい返しに、懐かしさが込み上げた。


 エリカは卒業後、公立図書館の司書をしている。今日は棚卸しがあったので遅れてきたのだとさっき友人が紹介していた。仕事は順調なのだろう。お堅いイメージの仕事に就いているわりには学生時代とあまり大差ない容姿。明るめの色の髪を縦ロールにして、目の上下にくっきりとアイラインを引き、長いつけ睫毛を付け、マットな赤のリップを厚めの唇にたっぷり塗っている。仕事中は外しているのだろうが、幾重にも重ねたバングルが、手を動かすたびにカラカラと鳴った。


「うふふ。タクミったら、すっかり”イナカラー”に染まっちゃって。慣れた?」


「見ての通りだよ」


 散々友達にからかわれたので、今更否定する気にもなれなかった。


「あれだけ嫌がっていたのに。変わるもんだね」


「まあね。思っていたより悪くはなかった。意外に合っていたってことかな」


「そう。タクミは順応性あるしね。実はそんなに心配するほどじゃないかなって思ってたよ。タクミが合うってところなら、あたしも一度行ってみてもいいかな」


 俺は、思わずエリカの顔をまじまじと見つめた。エリカは俺のその顔を見て、噴き出した。


「何、そんな真面目に驚いてんの? あたしは別れたつもりないからね。タクミが向こうで落ち着いたら、付いていってもいいかなって思ってるんだよ」


 おそらく、村に溶け込み始めた頃なら、エリカの申し出を手放しで喜んでいただろう。けれど今は、エリカを連れていくことに危機感を感じる。一時、村に永住するのも悪くないとさえ思ったことは嘘ではないが、今は何か心に引っ掛かるものがある。あの村には、余所者の知り得ない何かがあるような気がするのだ。得体のしれないこの感覚が無くならなければ、到底エリカを連れていくことなどできない。


「そう言ってくれて嬉しいよ、エリカ。でも、もう少しあの村のことを知らなくちゃいけない。今は意外に過ごしやすいところだと思っているけど、まだ知らないことが多いから、不安もいっぱいあるんだよ」


 すると、エリカが俺の背中を思いっきりはたいた。


「もう、タクミは何でも真面目に考え過ぎ! そんなのすぐの話じゃないよ。ただ、そういう気はあるってこと、覚えておいて」


 エリカの気持ちは嬉しい。あとの話は冗談半分に受け流しておけばいいところだが、そうできないところに、俺は改めてあの村に相当な警戒心を抱き始めていることに気付いた。


「ありがとう。あの時は発作的に別れるなんて言って悪かったけど、別に嫌いになったわけじゃなかった」


「分かってるって」


「良かったー。やっと仲直りしてくれたのねぇー」


 横から割り込んできたのは、幹事をしていた友人だ。気付くと皆が一斉にこちらを見ていた。俺たちがそれに気づくと、会場中に拍手喝采が起こって、それからはエリカとまともに話すことなどできなかった。

 エリカは次の日も早いからと、途中で帰ってしまった。


 図書館は夏休みが掻き入れ時で、忙しいエリカと会う機会はなかなか持てそうにない。俺の休暇ももうすぐ終わる。俺はエリカに確かな約束をするためにも、ヒヨリヶ淵のことをよく知らなければと思った。

 ヒヨリヶ淵でほとんど使うことのなかった携帯を取り出し、久しぶりにエリカにメールした。エリカだからこそ、頼みたいことがあったのだ。


―― …………奥多摩地方の歴史が書かれた古文書を調べることはできないかな。出来れば、明和めいわ九年に、何かその地域の周辺に異変がなかったか、調べてほしいんだけど ――


 その夜、エリカから返事が来た。


―― うちの図書館は、東京都内各地の古文書が収められているから、調べてみるね。三日後に図書館に来て ――



 三日後、エリカの図書館を訪ねると、彼女はカウンターで忙しそうにしていた。飲み会できめていた縦カールの髪はしっかりと後ろに纏め、薄化粧で、小さなピアス以外はアクセサリーは身に着けていない。あの時彼女をからかったのが申し訳なく思えた。


 貸し出しカウンターの列がようやくはけると、エリカは受け付けを他の人に任せて俺を二階の自習室へと案内した。自習室に置かれたパソコンを立ち上げ、収められていたファイルを開く。

 貸し出し禁止となっている貴重な古文書のコピーが画面に現れた。


「まったく、明和九年なんて指定されたから、資料を探すのが大変だったわ。近い時代の記録を片っ端からあさって、年代を追って読んでいくしかないじゃない。閉館してから遅くまで残って調べたのよ」


 エリカが文句を言いたくなるのは当然だ。古文書のコピーはそのままでは解読も難しい。相当大変な作業だっただろう。けれどエリカはひと通り文句をぶつけたあと、楽しそうに目を細めた。


「でも、とっても面白かったわ! 私も身近にこんな歴史があったなんて知らなかったから、わくわくしたわ。

 まず、明和九年って年なんだけど、この年は災害が相次いで起こって、明和九年は『迷惑年』だと騒がれたの。それで不吉だとして元号が次の安永に改元されたらしいのよ。

 で、この年、相次いだ災害によって住む場所を失い、どうやら新たな土地を拓こうと奥多摩の山に分け入った人たちがいたらしいの。その人たちのその後はこの記録には残っていない」


 エリカは新しい資料のファイルを開いた。


「それでね。ここからは伝説の域なんだけど、奥多摩の山地にはいくつか、わざわいを呼ぶ禁断の地というのがあるらしいの。土地を開墾しようと山に入った人に、相次いで不幸が訪れたとか、そこで炭焼きを行ったものが必ず事故に遭うとか。中でも、カエラズの淵と呼ばれた一角があったそうよ。その周辺に迷い込んだものは、誰も戻って来られないという。

 私が思うに、明和九年に山に行った人たちは、このカエラズの淵に迷い込んだんじゃないかしら」


 画面を見つめながら、俺は背筋がぞわぞわとしてくるのを感じていた。


―― 住人共、鬼ヲ捕ヱ、手足ヲ縛リテ淵ヘ沈メ、ヒヨリ神二捧ゲム ――


 まさか、カエラズの淵とはヒヨリヶ淵のことで、鬼とは他の集落から土地を奪おうとやってきた移民たち……。


「どうしたの? タクミ」


 俺はいつの間にか冷や汗をかいて画面にくぎ付けになっていた。慌ててハンカチを取り出し汗を拭うと、エリカに「何でもないよ」と力なく答えた。もう少し落ち着きを取り戻してから、改めてエリカに礼を言った。


「忙しいところをありがとう。子どもたちに郷土の歴史を教えなくちゃいけなくて。村にも資料があるけど裏付けができなくて。お蔭で助かったよ」


「そうだったの! 最初からそう言ってくれればいいのに。それなら、これはちょっと刺激が強すぎるわね。ほかのことも調べてみるわ」


「いいんだ。この年は大変な年だったってことが分かれば十分だ」


「それなら、いいけど…………」


 折角苦労をして調べたのに、あまり役に立てなかったと感じて、エリカは少し落ち込んでいるようだった。

 本当は、彼女の調べてくれたことは大いに役に立っている。しかし真実を告げることはできない。心の中で謝りながら、彼女に声を掛けた。



「エリカ。俺はまだ、この先どうなるか見当もつかない。前に別れると言ったときも、その不安が大きくて別れたほうがいいと判断した。今の環境に慣れてきたといっても、まだ不安はたくさんある。

 待っていてほしいとは、やっぱり言えない。だから、この間のことは……」


「分かってるよ。別に待ってなんかいない。たまたま気持ちが続いていただけ。いい人が出来たらそっちに行っちゃうかもよ?」


 見た目の派手さとは違って、エリカはいつもそうやってさりげなく俺を気遣ってくれる。俺はそんな彼女の誠実さに応えられないもどかしさを感じた。本当は、ヒヨリヶ淵が安全なところだと証明して、彼女を連れていきたい。けれど、エリカの調べた内容からでは余計に不安が増すばかりだ。


 その時俺は、ただ情けなく「ごめん」と言うことしかできなかった。


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