レオン
「はじめまして。S区のS小学校から転校してきました、志藤 怜緒夢といいます。このヒヨリヶ淵村は母の故郷ですが、僕は生まれも育ちもS区なので、この村のことをよく知りません。
S小学校では、児童会の会長を務めていました。
得意な科目は、英語と算数と体育です。学校のクラブ活動はやっていませんでしたが、一年生の頃からプロサッカーリーグのジュニアチームにいたので、それがクラブ活動のようなものでした。
中学は、別の学校に行くことが決まっているので、皆さんと過ごすのは一年もありませんが、その間、楽しく過ごせたらいいなと思っています。どうぞ、よろしくお願いします」
立て板に水を流すようなレオンの挨拶に、子どもたちはしばらくポカンと口を開けていた。レオンが頭を下げて、姿勢を戻し、教室中をにこやかに見回している間も、何の声も聞こえない。
いや、俺自身も呆気にとられて、しばらく何の反応もできないでいた。
レオンがそのにこやかな顔でこちらを見たとき、やっと我に返り慌てて拍手した。
「皆さん、新しい友達と仲良く過ごしてくださいね。
さすが児童会長をやっていただけある。素晴らしい挨拶でしたね、志藤さん」
「児童会長って、何だよ。それに『志藤さん』なんて、女みたいで恰好わりぃ」
早速、ショータがツッコミを入れる。まあ、そういう違和感を感じるのは予想していたことだ。
「児童会長というのは、子どもたちで何か決めたりするときの代表の人のことです。この村の村長さんみたいな感じです。
先生が志藤さんと呼ぶのは、向こうの学校では当たり前のことです。名前を呼び捨てにすると、それを嫌がる人がいたり、呼び方の違いで差別されていると感じてしまう人もいるから、皆同じように『〇〇さん』と呼ぶんです」
俺が説明に困っている間に、レオンはあっさりとショータの疑問に答えた。
ショータの方は、本当はそんな疑問などどうでもよく、すました転入生の鼻を折ってやりたいというつもりだったのだろう。レオンが何食わぬ顔で返答したことで、ますます不満げな顔になり、音を立てて頬杖をつくと、横を向いて拗ねた。
「都内の学校には、ほかの地域から転入してくる人も多いし、日本人ばかりじゃなくて外国の子どもがたくさんいる学校もあるんだ。いろんな考え方を持つ人がいるんだよ。だから、呼び方ひとつでも決まりを作っておかないと、トラブルになるんだ」
俺が補足を加えると、好奇心旺盛なミクが目を輝かせた。
「えー? 金髪の女の子とか、一緒にお勉強してるの?」
ミクの頭の中の外国人というのは、どうやら金髪の女の子らしい。別にそれだけが外国人というわけじゃないんだよと説明しようとして、レオンの方が先に口を開いた。
「僕の隣の席は、金髪ではないけど、栗色の髪のアメリっていう女子でした。でも広田っていう苗字だから、広田さんって呼ばれてました」
「えー? すっごーい! 広田さんとは、英語でお話してたの?」
「日本語で話してました。彼女のお父さんは日本人だし、お母さんはフランス人だから。でも、英語も出来るから、ときどきわざと英語で話すこともありました」
「うわー、おもしろーい。すごーい」
ミクは一人で盛り上がり、それにつられてアイもユウカも、興味深く聞いているが、他の男子はうんざりとした表情だ。幼いタツヤとコタロウはもうすっかり飽きて、手遊びをしたり、椅子を前後に揺らして遊び始めている。
これ以上はミクとレオンの話を続けさせるのは良くないと判断した俺は、レオンに声を掛けた。
「では、志藤さんはその席に着いてくださいね。
一時間目は志藤さんを歓迎するお楽しみ会にしましょう。なので、みんな教室を移動しなくていいですよ」
『お楽しみ会』の言葉につられて、子どもたちは一斉に歓声を上げ、レオンに対する敵対心も紛れたようだ。しかし、そんな一時的なごまかしが問題の解決になるはずがないことも、俺は重々承知していた。
レオンは何でも卒なくこなすことが出来た。いや、出来過ぎた。
運動神経が非常に良いことは分かりきっていたが、勉強面でも、どの教科もすでに小学校の課程はとっくに習得しているレベルだ。私立の中学への進学が決まっているということは、特待生のような扱いなのかもしれないが、合格した時点ですでに受験レベルの課題は済ませていると考えれば当然なのだろう。
それでも面倒がることもなく、どの教科の授業にも真面目に参加していたが、ヒヨリヶ淵小のレベルの低さに呆れているのが、思わず言葉や態度に出てしまうことがある。
「先生、そんな面倒な方法考えないで、公式を教えてしまったらどうですか? 公式を覚えれば、こんな問題、簡単に解けるじゃないですか」
「志藤さん、公式を覚えるには、どうしてそうなるか理由を知らなくちゃいけないんですよ。今からそれを覚えるところなのです。それにこの計算の公式は中学に行って習うのですよ」
「そうですか。でも、最初から覚えてしまった方が絶対楽なのに……」
ある時は、シグレ先生が蒼褪めた顔で職員室に飛び込んできたことがあった。
給湯室で水をごくごくと飲んで落ち着いて戻ってきたシグレ先生に、俺は訊いた。
「六年生の英語の授業でしたよね? 子どもたちが何かしましたか?」
「いえ、私が力不足だったことが分かってショックなだけです。
転入生の志藤君に、日本と海外の文化の違いについて英語でディベートを持ちかけられたんです。議論の間に私、彼の言っている内容が聞き取れなくなってしまって……。こんなレベルで英語を教えているなんて、恥ずかしいです」
「あの、シグレ先生、彼はとっくに小学生のレベルを超えていますし、ここではそんな高度な技能なんて必要ないと思いますけど。彼のお父さんは海外で仕事をしているので、帰国子女みたいなものなんですよ」
「そんなこと、言い訳になりません。英語を教える自信が無くなりました」
普段、ABCの歌を歌ったり、基本的な挨拶や、物の名前を覚える程度の英語しかやっていなかったのに、いきなり英語で議論を持ちかけられたら、誰だって慌てるだろう。それよりも、これでは他の児童の勉強に悪い影響がある。
「もう志藤さんにここで教えられるものは無いように思います。だからと言って、何もしなくていいというわけではないですが。それよりも心配なのは、他の子の学習が遅れてしまうことですよ。志藤さんには、何を勉強していきたいか聞いて、彼なりの課題を用意しましょう」
それを聞いていたナガメ先生も頷きながら言った。
「確かに。他の児童と差が開きすぎていますからね。体育でも、勝手なことはしませんが、他の子のレベルに合わせて動いているのが苦痛だというのが伝わってきます」
横から、あの気難しいヒガ教頭が口を挟んできた。
「この学校がのんびりやり過ぎているという反省にはなります。良い刺激といえばそうではないですか? もう少し教員もレベルアップを図った方がよろしい」
教頭の一言で、職員室は静まり返った。俺は隣の席でまだ蒼褪めているシグレ先生に小声で言った。
「志藤さんと今後の学習について話し合ってみます。シグレ先生は今まで通り、他の子たちの学習に力を注いでください」
教員の間の話で済んでいれば、特に大きな問題ではなかった。
しかし、こんなことが続けば、必ず子どもたちの中に軋轢が生まれることは予想できた。特に六年生のショータとハルヤは、最初からレオンを快く思っていなかったのだ。授業中にレオンが思ったことを口にして騒動になるたびに、冷ややかな目で見、それがだんだんと嫌悪の表情となり、あからさまに溜息を吐いたり嫌味を言うようになっていった。
リーダー的なふたりに従うように、女子もレオンの悪口を囁き始め、年下のタツヤとコタロウは、わざとレオンから逃げ回ったり、からかいの言葉を投げかけるようになっていった。
見かける度に注意はするものの、俺の見ていないところではおそらく嫌がらせは続いているだろう。子どもたちの目が心から納得していないのが分かるからだ。
相変わらず子どもたちは、夜、日和原家にやってくるが、この頃は、レオンへの態度に関するお説教になってしまうことが多い。
「志藤さんは、この村のやり方とまったく違うやり方で生活してきたんだ。不思議に思うことがたくさんあるのは仕方ないだろう? 先生も志藤さんに、この学校で何をやっていきたいか聞いて、どうやったらうまく過ごせるか一緒に考えていくから、皆はもう少し志藤さんのいいところを見てあげてくれないか?」
一斉に子どもたちは不服そうな顔になる。
「俺らがあいつのいいところを見る前に、あいつが周りのことを見るべきだよ」
「そうだよな。自分はそういうやり方だったからって、ここに来たら違うってことぐらい、分かるだろ」
ショータとハルヤの言うことは、もっともかもしれない。
「それも正しいかもしれないが、志藤さんはつい最近お母さんを亡くして、突然こっちに来ることになってしまったんだ。ショックも大きいだろうし、いろんなことで頭がいっぱいで、どうしていいのか分からないのかもしれない。学校のことだけじゃなくて、村の生活にも慣れなくちゃいけないんだから、大変なことだよ」
「まあ、かわいそうっていえば、かわいそうだよね」
アイが同情的な意見を言ったことで、ほかの子どもたちは黙り込んで、それぞれ考え出した。
「でもね、先生。あたしたちの生活がひとりのためにめちゃくちゃになるのはおかしいよ。あの子がかわいそうな子だとか、関係ないでしょ」
厳しい意見を言ったのは、ユウカだった。彼女はオヒョリメ様のところに行っているのだろうか? いまの口調だと、レオンが来てからオヒョリメ様とも距離を置いているように感じる。彼女にとって、祖母を取られたような意識も働いているのかもしれない。
「分かった。志藤さんのことは先生に任せてほしい。みんなの生活を乱さないようにするにはどうしたらいいか、志藤さんと先生で相談してみるから。だからいくら嫌だと思っても、嫌がらせをしたり、からかったり、そういうことはしないでくれよ。嫌だと思ったら、先生に言ってくれ」
ショータとハルヤは渋々といった様子で。女子三人は割と真剣に。幼いふたりは頼み事をされたのが嬉しかったのか妙に元気よく。一斉に「はい」と返事をした。
この時は、どうにかなると思っていた。誠意を尽くせば解決できると、信じて疑わなかったのだ。後になって、自分の浅はかさに気付くことになろうとは……。




