終わらない初恋
今日も良いお天気に恵まれておりますね。読書と書き物にはもってこいの日よりです。
あら、社交界に出たり友人とお茶会ですか……。私と食事やお茶を楽しもうと言う方はいませんので。私は毒など盛りませんのに。
一応、社交界デビューはしているのですが、皆様の好奇の視線に耐えられず逃げ帰りました。家の御者にされた嫌な顔は未だに忘れられません。
妹はジュスタンのお屋敷に昼食に呼ばれています。ですから、今日は彼は家へは来ません。
非常に残念です。
私は彼が好きなのですから。もちろん彼が私を嫌っていることは分かっていますとも。それこそ蛇蝎のごとく、いえ、あれは蔑んでいるという表現がぴったりですね。ですが、くどいようですが、彼は私と結婚しなければならないのです。
さて、そんな私ですが、現在父侯爵に呼ばれて書斎にいます。ソファはありますが、座って良いものかどうか分からず、所在なく袖口や襟ぐりなどを頻りに整えているところです。
侯爵はそんな私に構わず、書簡に目を通しています。呼んでおきながら用件をいう訳でもなく、私という存在が目に入っていないのかもしれません。
書類上、私は娘になっておりますが、どこの馬の骨とも知れぬ男の娘ですから、本当は視界に入れたくないのでしょう。それでも、産まれた娘に罪はないと、娘として育ててくださった侯爵にはどうやってでも恩を返さなければ、と思います。
そうして小一時間ほど経ったころに、書斎の扉がノックされて妹とジュスタンが入ってきました。
二人を見ると、侯爵はどことなくホッとしたような顔をしています。いえ、実際に詰めていた息をホッと吐き出したのですけれど。
「突然呼び立ててすまない、デュヴァル子爵。それとマリー……ノエルも」
侯爵は二人に座るよう促しました。いえ、別に私は座りたかった訳ではありません。決してそうではないのですが、席に座った二人に用件があるのなら私が呼ばれた理由が……。
「早速だが、子爵にベルトラム家に婿に来てもらえれば、という私の考えは知っているね」
ええ、そうですね。
私は十七才、ジュスタンは十八才になるので、もう話が形になってもおかしくない年頃ですね。因みに妹は十六才です。
妹はがっくりと項垂れ、ジュスタンはどうでしょう。私は、二人の後ろに立っているのでどのような表情かは分かりません。おそらく無表情でしょうね。貴族ですから、そう簡単に表情に出しているはずがありません。
「実は、そのことで面倒な話が持ち上がってね……」
侯爵は難しい顔で二人に語りかけます。
「二人とも、イスマエルという国は知っているか?」
「え、ええ。西の海洋に面したロメリアから一つ国を跨いだ大国ですね」
妹がなんとなく頷くと、ジュスタンがすかさず答えると、頷いた侯爵がさらに先を続けました。
「今まで、多少の行き来はあったが、このたびロメリアと正式に国交を開きたいと使者を遣わしてな……何分イスマエルは経済力も軍事力もロメリアなど比較にならない。あちらの条件を呑むしかないのだが……」
最後は呟くように言ってから、侯爵は疲れたように溜息を吐いてお茶を飲みました。続きが気になります。二人も黙って侯爵の続きを待っています。
「友好の証に娘をイスマエル王の妻の一人として嫁がせることになったんだ」
本当に疲れたように言い切ると、侯爵は組んだ手に額を載せて再び溜息を吐きました。
それにしても、「妻の一人」ですか……。ロメリア国でも陛下や殿下は愛人を侍らせていますが、あくまで愛人です。
そして、しばらく首を傾げていたジュスタンでしたが、何かに気付いたようです。
「それは……ですが、陛下に王女はいらっしゃらないではないですか? それに王家に連なる家系の女性は年齢が不適合かと……」
「名指しで来たんだ……ベルトラム家の娘を、と」
私とジュスタンはほぼ同時に妹見つめました。妹はあからさまに震え始めてジュスタンの袖を掴んでいます。
「ですが! イスマエルの王はその、年齢の割にかなり好色である、と聞き及んでいます……そんなところにマリーを行かせられません」
「いや、違う」
ジュスタンは声を荒げたいのを押さえて、ですがきっぱりと抗議しましたが侯爵はすかさずそれを否定しました。
「ですが、ベルトラム家の息女……」
そこまで言ってジュスタンはようやくこちらを振り返りました。
はい、私も一応ベルトラムの娘です。
「あちらは、ベルトラムの娘でありイヴォンヌ・デュカスの産んだ娘と指名してきたのだよ」
イヴォンヌ・デュカス――侯爵が忌々しそうに吐き捨てるように言ったのは、毒婦、娼婦、悪女の名を欲しいままにする私の母の名です。
「そういうわけで、君とノエルの婚約はなかったことになるんだが……」
「国交問題であれば仕方ありませんね」
ジュスタンは神妙な顔で、ですが嬉しそうな声で快諾しました。
「話は分かったな、ノエル」
「……はい」
「では、退室して良い。二人はまだ残ってくれ」
「失礼いたします」
さすがの私もこれには堪えたました。仕方ないと思いつつもじくりと痛んだような気がする左の掌を右手で摩りました。娘一人を傷物にしたことと、国交問題。どちらが重要かなんて、外に出ない私でも分かります。それにしても、このような形で侯爵に恩を返すことになろうとは……。
小さな私室に戻ると鍵を掛けて、ベッドに座り手袋を外しました。左の掌から肘に掛けてのぎざぎざの傷跡をそっと撫でます。傷跡は白くなって盛り上がって、掌の傷は手の甲まで貫通しています。
私とジュスタンを繋ぐ唯一の証でしたが、もうなんの意味もないただの傷跡になってしまいました。彼は国交問題と言う大義名分ができて私と結婚しなくても良くなったのです。
非常に悲しいことですが、彼が私を気にしなくて良くなる、ということになぜか嬉しさも覚えます。とても不思議な気持ちです。実ることのない初恋と分かっていましたが、よもやこのような形で終わりを迎えるとは。ドラマも何もありませんでしたがね。誤解のないよう言っておきますが、私だって皆様と同じように恋愛譚は好きですし、恋だってしてみたかったのですよ。
どれくらいそうやっていたのでしょう、ガチャガチャ、とドアノブを回す音が聞こえてからノックが聞こえました。普通は逆だと思うのですが。
「誰ですか?」
「姉さま? いらっしゃるの?」
妹が弾んだ声でドアの向こうから声を掛けてきました。私に感傷に浸る暇はないようです。後ほどゆっくり浸ることにしましょうか。
鍵を開けると、いつになく上機嫌な様子で妹が私を見上げてきました。彼女は私より背が低いため自然とそうなるのです。
「姉さま、今晩は一緒に夕食いただきましょう」
「え、それは……どうかな? 侯爵夫人が良い顔をしないのではない?」
侯爵夫人、ジョゼット・ベルトラムは妹の母。恋愛譚での「めでたしめでたし」の女性です。
この女性がまたできた方でして、産まれた娘に罪はないとおっしゃってくだっさたもので、私もベルトラム家の娘として辛うじて育てられたのです。
ですが大人になってくると、彼女が私をときおり怯えた目で見ているのが分かってきました。
「そんなことなくてよ。お母様も姉さまと一緒にたまにはお食事したいとおっしゃってるもの」
「んん……でも……」
「それにね、ジュスタンも今日は一緒にいただくのよ? そういえば、私とジュスタンの婚約が決まりそうなの!」
……なんでしょう。
ときおり、本当にときおり妹の無邪気さが気に障ることがあります。妹の好意を素直に受け取れないと申しましょうか。やはり、私の母が母なだけにひねくれているのでしょうか。直さないといけませんね。
「良かった。おめでとう、マリー」
私は出来る限り笑顔で祝福をいたしました。ですが、晩餐に同席などできません。
「あのね、マリー。私、色々と準備をしなくてはならないと思うの……だから、今日は一緒にいただけないの」
「そう……そうね。でも、王様のお妃様なんて素敵だわ!」
妹は「お妃様」という言葉にうっとりと、瞳を潤ませて頬を上気させて私を見上げてきます。
私もそう思うのですが、お相手が好色の中高年――年を取ったエロじじい、とあればうっとりというよりゲンナリです。
ともかく妹は納得すると、部屋から出て行きました。
「ふぅ……」
私も気を張り詰めていたのでしょうか、自然と溜息が出てきました。そして心臓のあたりがじくじく、きりきりとしてきました。
初恋は実らない、とロメリアではよく言いますが……あら、皆様のお国でもそう言うのですか。想っているだけでも構わないので終わらせたくないものです。




