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転生、ということで当たり前だが私は赤ん坊としてこの世界に生まれ落ちた。ただし前世の記憶を持ったままの転生だったので、生まれてからの数年は黒歴史として封印している。絶対に思い出すものか。
それはともかく。
この世界――セリエスというらしいのだが、一言で説明するなら剣と魔法のファンタジー世界、だ。人間以外にもエルフやドワーフ、獣人なども存在し、普通に人間と共存している。辺境にはドラゴンなんかが生息しており、当然のように魔物も存在し、人間が到底到達できないような次元には魔王だか魔神なんかもいるらしい。
こんな世界ながら、当然のごとく人間やその他の種族が作った国が存在する。それらの国は互いに争い、ときに同盟を持ちながら興亡を繰り返し、現在大小合わせて10ほどの国が世界には存在する。
そんな中でも人間が作った、それほど領土は大きくないものの、海も山もある上に肥沃な平野を有し、尚且つ立地的に他国の侵略が難しいためになんだかんだと頭から数えたほうが早いくらいの古さを誇る小国、エリンスト皇国の第一皇女マリエ・エリンストとして私は生を受けたのだ。
まあ特筆すべきこともない幼少時代を過ごし、当然のことながら王家の姫に必要な教育を受けながら成長した私には、当然のことながらこの世界での一般的な成人である15の年を数える頃には結婚相手を決められた。
すべて当然ことなのだ。
前世での歴史を振り返ってみても政略結婚などざらにあったことだし、この世界でもそれは当たり前のようにあったことだというのは読み漁った歴史書からも見て取れる。皇女に生まれたからには、それが義務であることも承知している。
だが、しかし。
「マリエ、後一刻ほどで最後の宿泊地に着く」
間近で告げられた声に、私は馬車の窓から見える空を遠い目で見つめた。
この展開は予想していなかった。
18という若さで前世を終えた私だが、その年の女性にしては冷めていたように思う。こと恋愛方面に関して。周りが、誰がかっこいいだの誰と付き合っているだの別れたの、そんな色恋沙汰にまったく興味を持てなかったのだ。それは勿論、生まれ変わっても当然だが変わることなどなかった。
それなのに、だ。
「疲れたか?」
なぜ私は馬車の中だというのにこの男に抱きしめられているのだろう。
金髪碧眼の絵に描いたような王子様。事実この男は我が国の隣国、世界最大と誉れも高いヴァスティア王国第一王子ラルク・ヴァスティア。目にも眩い美貌の持ち主のこの王子様は正当なるヴァスティア王国の次期国王であり、なんと我が婚約者であるらしい。
うん、ありえない。
そしてもっとありえないのが、今現在私が置かれている状況。
馬車といったら普通思いつくのは、箱型の人が乗るスペースに、前後に向かい合わせにベンチ形の椅子が作りつけられているのを想像すると思う。わかりやすく言えば観覧車のような内部構造をしている。その乗り心地は天と地の差があるということは、体験者である私が証言しよう。
だがこの馬車、どうやら特注品らしく外見こそ普通の、防犯上どこにでもあるような形をしているのだが、内部はまったく外見を裏切っている。
なんだ、このふわふわもこもこは。
内部には足元が沈んでしまいそうな絨毯が敷き詰められ、扉ある一方を除く壁際にはやわらかく上質なクッションが所狭しと並べられている。そして同席している王子はその中でももっとも大きいそれを背に当て、くつろいだ格好をしている。うん、絵になる光景だ。
ただし、ここがどこかの豪邸かお城の中であれば。
その絵に描いたような王子様が、自分を腕の中に囲って逃がさないようにしているのでなければ。
何がどうしてこうなった。
先に私はこの転生してからの15年間、特筆すべきことのない人生を歩んだと言ったが、そこには私の生まれた『エリンスト皇国においての』と注釈をつける必要がある。
確かに城と呼ばれる建物に住んでいたし、使用人も大勢いた。貴族と呼ばれる人種もこちらには敬意を持って接していたし、帝王学をはじめとする教育係を何人もつけられていた。
ただ、我が皇家の人間はどこまでも庶民としての感覚しか持っていなかったのだ。
もちろん然るべき場所に出るときには、その場に合わせて皇家の威厳? というものを前面に出して対処する。しかし普段の生活においてそれを発揮することはまず、ない。
父親など皇帝であるはずなのに政治より畑仕事が好き、母親は王妃の癖に掃除洗濯料理等の家事一般が趣味。兄である皇太子は剣の道に目覚めて現在武者修行の旅に出て、こちらから連絡することもできない。まぁ、時折便りが届くから生きてはいるようだ。双子の弟は上が親より真面目に政治に関わっているが得意なのは権謀策術、下は父の畑で植物研究する傍ら魔物の生態まで研究するような学者肌。まだ11歳の癖に。妹は1歳になったばかりだが、あの家族に囲まれて変な道に走らないことだけを願う。
使用人を雇うのは雇用対策だし、貴族がいるのは建国時の立役者への褒美であると同時にやる気のない国王をカムフラージュするため。教育係はいなければ誰も子供たちに帝王学やマナーを教えようとしないからだ。
「放っておいても子は育つ」
皇家の家訓としてどうなんだそれ!?
と思われるかもしれないが、これは初代皇帝が作った、れっきとした我が皇家唯一の家訓である。余談ではあるがこの家訓、我が国のトップシークレットに指定されている。
つまり極端な話、普通に家族としての愛情さえ与えていれば、後は子供たちが何をしようが自由にさせておけ、ということである。もちろん人道に外れればそれ相応の制裁が待っているが、よほどハメを外さない限り親に叱られることはない。
さてここで、前世の記憶持ちだった私がよほどのことをしでかしたことがないか、と言われれば答えは否だ。
だってここ、ファンタジーな世界ですよ? 魔法が使えるんですよ? 使ってみたくなるじゃないですかっ!!
というわけで、普通なら物心つく年齢になる前にありとあらゆる手を使って魔法を学び始めた私は、時に城の一部を破壊し(財務大臣が節約術を駆使した)、父の畑を抉り(滝涙を初めて見た)、母が掃除したばかりの場所を水と泥で汚し(あの時の恐怖は忘れられない)、兄を完膚なきまでにぶっ飛ばした(武者修行の原因だ)。
というわけで兄弟の中でも結構な問題児として警戒されながら成長した私は、10歳になる前には城を抜け出しては帝都を隅々まで探検するのが趣味になっており、比較的治安の悪い場所にも平気で出入りしていた。
私が住んでいた帝都は世界中でもっとも安全な都として有名で、さらにそこに住む民はほとんど全員が自分たちの戴く皇家の人となりを承知していたので、皆気さくに接してくれたし、少しでも危害を加えようとする邪なモノがいれば全力で排除してくれるような、優しい? 人が多かった。だからといって私が一人で城を抜け出しても、城にいる誰も欠片も心配してくれなかったのはどうかと思うが。
そんな生活を送っていた私がガキ大将の名を冠するようになった頃、帝都の中で最も治安の悪い場所で出会ったのが、今なお私を抱きしめて離さない、この男だったのだ。