白虎の追憶
慶応4年8月23日。
誠実さと堅実さが、これほどまでに凄惨な結果を招いたことが、他にあっただろうか。
その時、会津という一地域は、時の流れへの生贄として、その鮮血を歴史書に滴らせる運命を受諾せざるを得なかった。
まだ頬も赤い、会津育ちの少年たちも、その例にもれず。
あちこちに刀傷や鉄砲傷、血と雨と泥にまみれて、助け合い励ましあいようやっと山を登った20人ばかりの少年たちの最期は、後の世に会津の運命を象徴する語りぐさになる。
『白虎隊』
隊名を、古傷の痛みとともに、生涯忘れることができずにいた人物がいる。
飯沼貞吉、当時16歳。白虎士中二番隊隊員、時の会津藩家老の甥であった。
「お城が、燃えている・・・!」
誰の口から出たのかもわからない。
痛みと疲労と空腹とで重い体をひきずるように、友たちの後についてのぼっていた貞吉は、前を行く簗瀬の足が急に止まったので、ぶつかりそうになりながら、その信じられぬ言葉を聞いた。
友の肩越しに、眼下に霞む町を凝視し、息を呑む。
遠くに見える天守閣が、今や黒々とした煙に包まれてゆくその光景を、
夢にも見もしなかった、その絶望的な光景を、
幻と否定する前に駄目押しのように脳みそに突き刺さる、
かすれ、しわがれた友の声をかりた現実。
「お城が、燃えている」
毎日通った、学びやである。
父の、兄の、叔父の勤める所、上様の信も篤い殿のおわす会津の誇りである。
それが、今。
馬の嘶き、人の絶叫、断末魔の苦悶、そういった、彼等にとって生まれて初めての戦の常が、つい数刻前までその身を置いていた戸の口原の戦場から着物に肌にまとわりついて、今まさに城下で行われているであろう出来事を想像に易くする。
「ここまで、来たのに」
「ここまで、やっと、来たというのに・・・!」
初陣の負け戦に、濡れそぼり、怪我をして、それでもお城へ着くまではと各々支えあってようやくたどり着いた飯盛山なのだ。誰もかれも、もう立っていることもできずにへなへなとその場に崩れ落ちた。
10も半ばの歳しか生きてはおらぬ少年たちは、もはや、なす術も知らず。
「どうすればよいのだ、我々は」
昨日出陣したばかりの滝沢の本陣は、山の麓、目と鼻の先にあるというのに、鉄砲の音軍馬の音が風にのって切れ切れに聞こえてくる。
この山の裏も表も、すでに敵の手に落ちている。どこの隊とも、合流することは不可能だった。
しとしとと、薄く雨が降っている。
山下をゆく敵の数は徐々に増え、城下に新たに煙が上る。
「生きて、薩長の捕虜となるよりは―」
和助が、遥か城を睨みながら、すらりと脇差をはなった。
のろのろと、皆が和助を見、篠田を見た。
学び舎で、血気盛んな彼を笑いながら制すのは、いつも篠田の役目だった。
篠田は、黙っていた。
誰も、動かない。
パラパラと透明な雨だけが降っている。
麓で誰かの、何か怒鳴る声が遠く聞こえた。
まるでカラクリ仕掛けの人形のように、篠田はゆっくりと城の方を眺めた。
なんとも言えない顔だった。
そして、しっかりと頷いたのだった。
別れの杯、なんて瀟洒なものがあればこそ。
泣いているのか、笑っているのかわからぬ笑顔で互いを見回す。
安達。篠田。池上。津川。永瀬。伊東・・・。
幼少の頃より、喧嘩してきた仲だ。悪戯も、勉学も、武道も、競い合ってきた仲だ。
― 皆、一緒に死ぬのだ ―
誰もが、誰もを一片とも疑いはしなかった。
「貞吉」
安達が、貞吉の肩を叩いた。
「あの世とやらでまた腕相撲をしよう。俺が負けのまま終わるのは、シャクでかなわん」
答えて、笑い顔を作ろうと思ったが、先に、目から涙が溢れた。
藩校日新館の昼休憩に、畳に寝そべり腕力を競ったあの平和が、遠い遠い夢の中のように貞吉には思えた。
「工務部長。・・・飯沼工務部長」
揺り動かされて、ふと、我に返る。
若い顔が、貞吉の顔を覗き込んだ。
「うなされておりました。大丈夫ですか」
「ああ・・・岸谷君か」
頭を振って、周りを見る。
ランプがあかあかと白壁の部屋を照らし、出窓から見える外は、もう随分と暗かった。ちらちらと降る雪が、部屋の灯りに照らされてぼんやり白く現れては消えてゆく。
「本日は特別寒いようですので、部長とひとつやりたくてまかりこしたのでありますが」
洋髪洋装の岸谷と呼ばれた若者は、ワインのボトルを軽く持ち上げて貞吉に見せた。
「お疲れのようでしたら、またの機会にいたしますが?」
貞吉は、再びゆっくりと首を振った。心につかえた何かを、追い払えぬと承知しながらも、追い払うような仕草だった。
「なに。わしの体など気遣い無用。いつ死んでもよいのだ」
(あの日、皆と同じように、刀でその身にけりをつけたはずであったのだから)
何故、自分のみが死にきれなかったのか。生き延びねばならなかったのか?
一番、この結末を信じれぬのが当の自分であるのだ。
裏切り者。死にぞくない。意気地なし。家の恥。
親族よりも、死んだ友よりも、世間の目よりも、16歳の幼い自分が、泣き叫ぶように自分を非難し続けている。
(遠くまできた・・・)
窓の外には、しんしんと雪が降っている。
窓に映った自分の姿をじっと見つめた。
(なんと、遠くまできたのだろう・・・)
白髭を蓄えた、白髪で老眼のじじいが、まっすぐこちらを見返していた。
「何をおっしゃいますか、部長殿。工務部長殿には、いつまでも現役でいていただかなければ」
コルクを抜き、グラスになみなみとワインを注いだ岸谷は
「さ、部長どの、明日からはまた忙しいのですから」
屈託なく笑い、貞吉にグラスを差し出す。
つい、受け取って、グラスをかかげた貞吉、
「では、若いキミの将来の栄えを祈って」
岸谷が唱和する。
「では、明日からの部長殿のどなり声が減ることを祈って」
罪のない冗談に、気難しい貞吉の顔も、一瞬緩む。
(そうだ。若い優秀な技術者たちを育てることこそ。日本の未来をになう若者を育てることこそ)
雨の降るあの日、散っていった親友たちの分までも。
その断たれた先にあったはずの未来、試練、誇り、業績。
(すべて、俺の肩に責任としてかかっていると思え)
よわい重ねても、いまだ眼光衰えず。
ぴんと背を伸ばす、会津武士の。
「馬鹿者、明日からはさらに厳しくなることと覚悟せい」
貞吉、貞吉、貞吉・・・・・・
どこまでも、暖かく、懐かしい声。
友の、己を呼びかける笑顔を、笑顔でかえせる日々を、
たとえ、その顔が深い皺としみとに顔かたちを変えようとも、
どうしても、取り返したい貞吉であった。
了.
初音。
幕末好きな一人として会津へ歴史探訪に訪れた際、飯沼翁の写真を初めて見ました。その伏せられた物静かな視線に、たまらなくなって一気に書き上げた短編でした…。
私の感じたものが、皆様にも少しでも伝わることができれば幸いです。