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或る崖上にて

作者: 黒森牧夫

 北ノーランドの駅前のバス停でステップから降り立ったその瞬間から、静かなる狂気がひたひたと満ち潮の様に、ゆっくりとではあるが確実に、その風景の中に浸透して来ているのが判った。長時間の旅で幾分か火照りむくんで強張った皮膚を、先ずほんのりと湿り気を帯びた冷たい大気が包み込み、そして急に締め付けて冷やし、それから分厚い雲に遮られて可成り弱々しくなっている筈の明け方の日光が、それでも鋭く万遍無く突き刺して来た。その刺激に、バスの座席での息苦しく浅く途切れ途切れの眠りの中で、時間を盗む様にしてではあるが確かに観た筈の、今はもう思い出すことは出来ない極めて不恰好な悪夢の残滓が、ふっと忘れ物でも取りに来たかの様にひょっこりと意識の表面近くまで浮き上がって来て、私の精神にぼんやりと微かな嘔吐感を催させた。私は気を取り直す為にわざとオーバーにブルッと一度身を震わせると、肩から背中へ掛けてゆっくりと煙の様に垂れ落ちて行く悪寒を感じ乍ら、私の身体の外と中の両方にあるこの腐敗と倦怠の臭いに対する抵抗と憤怒とを表すべく、背筋を伸ばして軽く深呼吸した。両の足の裏から伝わって来る何処か他人事めいた痺れが、自分が今引力に逆らってこの惑星の大地に抗っているのだと云う事実を思い起こさせ、それにつれて、たった一枚の皮膚にして無数の細胞によって外界から隔離され幽閉されたこの肉の塊が、是非も無く間違った場所、間違った時間へ、招待されてもいないのにのこのこ進入を試みてしまったのだと云う認識が、切れ切れの断片同士の不規則な閃きのキャッチボールを経て、じわじわと実感として私を満たして行った。この愚かで不様でちっぽけな闖入者は、今や疲れた目をぐったりとしばたかせ、緩慢だが浅い、落ち着きを得る為の手段としては些か非効率的と言わざるを得ない呼吸を繰り返し、その場全体が醸し出す隠し様も無い不調和感から来る掴み所の無い居心地の悪さを全身で感じ乍ら、暫く投げ捨てられた棒切れの様に徒然と立ち尽くしていたが、やがて、骨の随まで滲み込んでいる明確な目的意識と云うよりは、寧ろ天性のものとして何かを探り求めずにはおかない、一瞬たりとも凝っとしていられないと云う半ば本能的で盲目的な衝動に突き動かされて、眼球は動かさない儘ぐるりと視線を周囲に巡らせた。それは何かを把握しようと云う確たる目的意識があって行われた動作ではなく、丁度三文芝居に登場する魔法使いが呪文を唱え杖を振り回すのにも似て、その動き自体以外には全く意味の無いものではあったが、それは一晩経って煮固まってしまったスープを掻き混ぜて再び柔らかなどろどろに戻して行くのを思わせる攪拌効果によって、ともすれば強張った儘冬眠にでも落ち込んで行きそうになる精神を、多少なりとも賦活するのには役に立った。油の浮いた水溜まりの表面を棒で引っ掻き回す様にぐにゃりと歪んだ軌跡を描いて焦点が徐々に定まって行き、視界がはっきりして来たが、しかし私の目に飛び込んで来るもの、ほんのちらりと一瞥しただけのものすら、全てが奇妙にもその有るべき意味を欠いている様に感じられた。それはまるで、その風景からあらゆる名前が剥奪されてしまったか、或いは有ったとしても私にはさっぱり理解出来ない異邦の言葉ででもあるかの様に、それぞれの物に備わっている輪郭そのものは飽く迄もくっきり明確に残ってはい乍らも、そこには何か心騒がせられる不気味な平板さが、あらゆる理解可能なものが一切合財底意地悪く視界の外に隠匿されてしまって、私にだけ手が届かなくさせられているかの様な、悪意めいた仄めかしが漂っていた。その〈名付け得ぬものども〉の風景は、私の心持ちさえ違っていたならば、いっそ寧ろ解放と存在充足の兆候とでも映ったかも知れなかったろうが、その時は唯々ひたすらにそれは恐ろしく、悍ましく、気持ちが悪かった。舞台の上の台詞を持った役者達が全員背後に引っ込んでしまって、代わりに背景が前面にしゃしゃり出て来て、誰ひとり理解出来ることの無い、奇怪な無言劇を繰り広げているかの様なその世界喪失体験は、長時間車の振動に揺られて疲れていた私から、更に長期的な慢性的疲労、このバスの旅だけではない、それを極くちっぽけな一場面として含むに過ぎないより大掛かりな旅によって蓄積し、澱んで澱となって精神の深部へ深部へと積み重なり、腐って膿み爛れてじわじわとその屋台骨を蝕んでいたより悪質で癒し難い疲労を、まるで子供が友達を遊びに誘い出すかの様に無邪気に、それ故反論や疑問を許さぬ仕方で誘い出した。それはとても愉快とは言えない経験で、どろりと濁った脳漿や脊髄液を、ズズズと音を立て乍らストローでじりじりと吸い上げられる様な不快感が生理的な頭痛となって私を襲い、私の輪郭を更に矮小なものへと縮めて行った。私は地熱の様に心と体双方の奥底から湧いて来る疲労とそれに対する抵抗とが幾つもの渦を巻く流れとなって全身を駆け巡るのをうんざりして感じ乍らも、衣服に覆われていない部位の皮膚を嫌らしく撫でて行くつるりとした風に乗って、自分の知覚が脈動と共に瞬発的に拡大して行くのを敢えて止めようとはしなかった。

 私が息を吐き乍ら半歩前へ乗り出し、姿勢を整えると、それまで壊れた弥次郎兵衛の様に久しく安定しなかった視界の重心が次第と定まり、疲れと慎重さとから極めてゆっくりとした呼吸を何度か繰り返す内に、耳をくすぐる大気の音が、この風景から発せられ声、ひとつの明確な圧力となって、感知可能なものとなって来た。未だ動きの全てを完全には掌握出来ておらず、まだ大地そのものに悪酔いしてしまったかの様な揺らめきがぽうっと私の両側に蠢いてはいたが、それでも私は何とか有るか無いかの心細い機を見計らうと、倒れ込む様にして最初の一歩を、この風景の中へ単身乗り込んで行く為の第一歩を踏み出した。踵の、特に疲労の溜まった部分を通じて、厚い靴底越しの固いアスファルトの抵抗が鈍い痛みとなって身中を駆け上がり、それと同時に上半身に(まだら)の様な火照りが幾つか浮かんで消えた。私は鼻から息を出して歯を緩く食い縛り、それから薄らと唇を開いてそれから改めて息を吐いた。横隔膜の辺りに快いとも言えなくもない、緩いゴムを少し引っ張った時の様な微かな緊張が生まれ、私はそれを恰好の重しにして肩の力を抜き、背筋を伸ばした。それからまたじっくりと確かめる様に次の一歩を踏み出し、私の身体の重みの掛かるポイントが目紛しく変化するのを感じ乍ら、更に次の一歩、そしてまた次の一歩を繰り出して行った。極く短い間とは云え慣れて来ると、まるで一動作一動作毎に世界に向かって宣戦布告を発している様な高揚感が、しかし極めて地味な色彩を帯び乍ら迫り上がって来て、歩行の一歩一歩、手足の一動作どころか、一寸した筋肉の微妙な摩擦さえ、今は何か意味を持っている様に感じられた。

 数瞬、バスや建物の影が途切れると、上空から打ち棄てられた様に漂う千切れ雲に反射した朝の光が冴えざえとした真っ白い牙と成って、皮膚に貼り付いて来る氷片の様にちくちくと私を苛み、頭痛を倍加させた。脳味噌をぐわっと鷲掴みにされた様な鈍い痛みが途端に意識の表面にまでしゃしゃり出て来て、私は沈鬱な顔を更に醜く喘がせたが、外界との軋轢から生じるそうした苦痛や不快感は、私の疲労を増大させる一方で、半ば自暴自棄めいた茹だる様な戦意をぐつぐつと掻き回してもいた。私は虐げられ迫害された者の目でやや上目遣いに目の前に広がる風景を睨め付けた。薄い紙のスクリーンを通して見ている様に白く濁った光の風景だ。一見何の変哲も無いよくある朝の無人駅前で、それでもきちんと清掃がされているのかそこそこに清潔だが可成り古びた木製の建物に最小限の備品、ビニールカバーを掛けられた割と新しい空白の多い時刻表に、車が一台も停まっていない駐車場、屋根の上では小さな風車が時々カラカラと微かな音を立て乍ら非常にゆっくりと首を振り、囀る小鳥の一羽も居なかったが、なまめかしいカーヴを描くペンキの剥げ掛けたベンチに、初老の婦人が早朝にも関わらず膝の上に何かの本を置いてその上に身を屈めて倒れ込む様に覗き込んでいた。

 日差しと影とが交互に訪れて、私は絶え間無い眩しい光に細い目を更に細め、顔を顰めた。貧相なポプラ並木と平行して寂れ切った駅前通りの貧相な建物がそのくたびれ果てた姿、或いは残骸を曝しており、自分が疾っくの昔に死んでいることにも気付かずにまだ自分が生きていると思い込んでいる死者の放っている様な、気の滅入らされる死臭めいた瘴気がその上を厚く厚く覆っていた。それは写真にでも撮ってみれば極くありふれた過疎化が進行中の只の小さな街に過ぎなかったろうが、こうして自分の足でその地を踏み、自分の鼻でその大気の臭いを嗅ぎ、自分の皮膚でその幽霊めいたひんやりとした感触を全身に感じてしまうと、それはもう、歪んだ生が何か酷く重大なことを勘違いして、瀕死の状態で息も絶え絶えになり乍らも、呪詛と悪罵をとを辺り一面に撒き散らしているのがはっきりと判るのだった。その異常が街自体に起因するものにせよ、或いは現時点で町に巣食っているものの所為にせよ、或いは私の尋常ならざる精神状態の然らしむるところにせよ、それは確かにそこに現出しており、町全体を、太古に海底深く沈んだ古代文明都市の如くに無言の巨大な圧力の中にどっぷりと沈み込ませ、腐汁から立ち昇って出来たぴりぴりと怖気立つ分厚い霧の向こうへと押し隠してしまっているのだった。

 駅の敷地を出ようと云う時になって初めて、手にしていた鞄をどうするかと云うことに思い至った。先程ちらりと構内にコインロッカーらしきものが見えたのを思い出したが、よくよく思い返してみるにそれは縦長の、外見は洒落てはいるが大きな荷物を入れるのには不向きなタイプで、荷物でパンパンに膨れ上がった私の鞄がすんなり収まってくれるかどうかは疑わしく、恐らくきっちり中に収めるには一度中のものを空けて、分散して入れる必要がありそうな様に思われた。鞄には小さな車輪も付いているし、それに実のところその中身を自分の手許から一時でも離したくない、と云う気持ちもあって、私は鞄をその儘持って行くことにした。私が鞄を接地させると、カチャリと云う乾いた音を立てて車輪が鞄の重みを受け止め、支えた。舗装された敷地の縁からは大小何本かの道路が走っており、有っても無くてもいい様な駅前通りの建物が疎らに数軒続いた後は道は曲がりくねり始め、恐らく個人の住宅か別荘と思われる小奇麗な建物が、間に長い植樹の束を挟んで数十メートル間隔で続いていた。駅前なのだから付近の様子を記した地図か案内板位あっても良さそうなものだったが、ざっと見渡してみたもそれらしきものは見当たらず、私は昨日ここよりも少し大きな街の(うず)高く本の積み重ねられた小さめの書店で購入しておいたポケット地図を懐から引っ張り出した。私は、酷く細かい字で書かれたその一頁と、懐から更に取り出した目的地への極く極く大雑把な道筋を記した紙切れとを見比べ乍ら、改めて道順を確認し、凡その見当を付けた。この小さな、町とさえ言えない別荘地の一番外側を回っている海沿いの小道を行けば良い筈だった。方角を定め、ぐるりと見回してみると、駅の背後一帯を取り囲んでいる薄い林の木々に挟まれる様にして細い石畳が続いており、私はその小さな地図から目的地までは精々二、三分だろうと見積ってから、地図と紙切れとを元に戻すと、鞄の把手に指を掛けた。

 無人の朝に、鞄のプラスチックの車輪が立てるゴロゴロと云う無粋な音が、周囲に私の居場所を告げ知らせるかの様に孤独に響いた。音はまるで地面から直接湧き上がって来て車輪に伝わり、鞄から把手を通して私の手を捉え、ブツブツと何かを呟く様な震動で以て、もう決して離すまいとと云うひとつの意志を表しているかの様だった。時折不規則に上がる乾いた軽い音は、恰も何かの刻限を刻む秒針か、或いは髑髏の笑いを思わせた。舗装が石畳に変わる所で車輪は一度鈍い大きな音を立て、半瞬の、しかしやけに長く感ぜられる間の後に、ドッと石畳の上に落ち込んで、更に荒々しい音を投げ散らかした。それと時を同じくして、私の眼前では、左右から然乍ら監視に就いた看守の様に立ち並ぶ背の低い針葉樹が迫って来て私の視界を限定し、前方へと伸びる唯一本の道を無言の裡に指し示していた。威圧と保護とを同時に受けている様な奇妙な感覚を覚えさせるその小道は、所々に突き出した灌木帯を交え乍ら、二十メートル程先で左に折れて見えなくなっており、右手約八メートル程先ではその右側の地面がそこで途切れているのが見えたが、これは予め地図で確認しておいた通り、その先が崖になっているのであろうと推測された。崖と小道との間は先へ行くに従って次第に狭くなっており、恐らく崖の縁に沿って小道が続いているのであろう、崖の向こうからは既に木々の間を通して、海から吹いて来る穏やかな微風———潮の香りはしない———がほんのりと漂って来ていた。私は、肉体的な気懈さと精神的な疲労とから来る物憂さからともすると途切れがちになるその微風の感触を出来る限り味わい乍ら、一歩一歩踏み締める様に固い石畳の上を足を運んで行った。私が動くにつれて、当然木々の並びも目紛しく変化したが、左側の並木の方がどうやら密度が高いらしく、変化の速度も速かった。

 曲り角を曲がってみると、その先数メートルの所で石畳が途切れており、そこから先は赤茶けたやや目の詰まった土が、割と角の鋭い岩の欠片を所々に交え乍ら狭い道を成していた。崖と道との間は急激に狭くなり、道の右側は木々が全く無くなって、幅一メートルから二メートル程の疎らに草の生えた岩の多い起伏の多い土手が、所々丁度柵の様な役割を果たしていた。左側の木立ちの向こうは数メートル離れて幾つもの別荘が建ち並んでおり、ここが恐らくは裏道として使われているであろうことは、そちこちに薄らと認められる足跡によって歴然としていた。私は手にした鞄をそれ以上引っ張って行くことが出来そうにないのを確認すると、一旦引き返して鞄をコインロッカーに預け直そうかどうか迷ったが、足は止めなかった。数瞬の躊躇いの後、私は結局先へ進むことにしたのだが、それは一度来た道を引き返すのが嫌いだと云う私の性分と、どうせこの先はそう遠くはないだろうと云う甘い見通し、そして鞄も然程重いものではないと云う、これまた甘い楽観に基付くものだった。私は把手を握り直して鞄を持ち上げると、些か不安定になった土や砂利の上へと足を進めた。人の手になる柵が全く見られないのは、ここが普段は全く使われないか、或いは、そんなものが無くても或る程度の安全は保障されていると云うことなのだろうかと思ったが、左側の先に所々見え隠れする住宅の数を考えると、前者の可能性はどうやら消してしまわなければならない様だった。足の下の土は軟らかく、少し湿り気を帯びて固まってはいたが一寸した力で直ぐに崩れて私の足を引き摺り込み、恐らくそれなりの雨が降れば容易にどろどろのぬかるみと化すであろうその手応えの無さは、その下に硬質の岩盤がある感触を浮かび上がらせ乍らも、私の徒労感を誘った。明らかに穿いて来るべき靴を間違えたことを口中で罵り乍らも、私は何とかバランスを取り、鞄を成可く上へ持ち上げて、底に土が付いたりしないよう気を配った。不規則で、ともすると倒れ掛けようとする足取りは、曲がりくねって先の見えない道や、右下に広がっている広大な景色への想像と相俟って、肉体的な不安を掻き立て、次第に汗ばみ始めた皮膚の細かい震えと化して私を焦らせた。いかにものんびりのほほんと照り始めた朝の太陽が大気を暖め、辺り一面に脳天気な平和さを垂れ流していたが、私はそれに無性に苛立たしさを覚える幾つかの瞬間を持つと共に、その底に何か悠然たる力がたゆたっていると云う感触を、私のこの現在の努力など嘲笑うどころかまるで意にも介さぬ様子で傲然と眺めている大いなる勢力が沈澱し、折り重なり、寝そべって蓄積していると云うぞっとする印象を受け、その想像に断続的にではあるが暫し戦慄した。

 曲り角が多く、また左側に生い茂る高さ二、三メートル程の木々の連なりによって屡々視界を遮られてしまう所為で、先の見通しが立たなかったこともあってか、正確な距離感が奇妙にも掴み難かったが、それは私の中にある平衡感覚が、やはり何処かズレを起こしてしまっているのかも知れなかった。腕時計を見てみると、私が駅を出発した大凡の時刻より既に四分程が経過していたが、目的地が現れてくれそうな様子はいっかな見えなかった。縮尺の粗い小さな地図で大雑把に見積もっていただけなので、直線でもなければ平坦でもないこの道程では、計算に狂いが生じて来ても仕方の無いことだろうとは思ったが、その計算に正確にどれだけの狂いがあったものなのか、自分が今何処に居て後どの位の距離が残されているのか、大して見当が付かないと云う事態は、元から乏しかった私の気力を殺ぎ、萎えさせるのに十分だった。地図にはこれと云って目印に出来る様な建造物や地形等も記されておらず、実際にこれまで歩いて来た部分を見ても、取り立てて特徴的な箇所があった訳でもなく、幾つもの曲り角と、崖と海、そして飼い馴らされた木々と、その向こうに疎らに建ち並ぶ生活臭の薄い小綺麗な似たり寄ったりの別荘ばかりだった。予想が狂って来ていることと、この行程の手応えの無さが疲れと物憂い苛立ちを誘い、私は酷く投げ遺りな気分が生じて来て、この旅の目的そのものへの安直な疑念が湧いて来るのを、ぼんやりと意識の底の方で感じていたが、その疑念が案外当たっているかも知れないと云う想像が、ここまで維持して来た強い意志と強引な確信とがまだ揺らいでいないにも関わらず、水面上からは粗方追い払った筈の不安をまたぞろ掻き混ぜて表立たせようと、余計な差出口を挟んで来るのだった。

 私は、右側の土手が少し低くなり海が見晴らせる所に差し掛かると、成可く岩の多い平坦な場所を探して一度鞄を地面に下ろし、微かにじんじんと痛み始めた手の平を休ませた。鞄の重さ自体は大したことはなかったのだが、やはり長いこと持ち続けて、しかも足場がこうも不安定な場所では、肉体への負担は決して無視は出来ないものになって来ているらしかった。手を放すとその儘鞄が傾きそうになるので何度か位置と角度を調整した後、片手で角の所を押さえ乍ら、私は身体を動かしている間は意識せられて来なかった鈍い疲労に足を委ねた。旅の疲れはどうやら自覚の及ばない所で徐々に蓄積して来ているらしく、バスから降り立った時には感じられなかった微かな痺れと強張りが、いざエネルギー消費量の少し多い運動をしてみると、これを恰好の機会として浮上して来るのだった。湿度も気温もそう高くはなく、太陽もまだ高度を上げてはおらず、海から吹いて来る微風にも不快な臭いは全く混じっていなかったので、極く極く穏やかな休憩が出来そうだった。私は一度足元を掬わされそうになり乍らも、低い土手から身を乗り出し、眼下に広がる光景を視界に収めてみようと試みた。

 実に静かで平穏な水平線が、同じ位平和な空と一線を画して広がっていて、雲ひとつ無い空の下、海面は無数の小さなさざめきに満ちた有るか無いか判然としない微妙な潮流によって漠然と色彩と陰影とに揺らぎを見せ、吸い込まれる様な深い色をした空とはまた少し違った柔らかい温度を見せていた。大して強くない日差しはその上に対照を成す白い、だが鋭くはない無数の輪郭を投げ掛け、波の動きと朝の風とに流されて濛々とささやかな煌めきを辺り一面にバラ撒いていた。もう少し身を乗り出してみると、四、五十メートルも下の海と陸地とが出会う場所が小さな砂地になっていてるのが見えた。何処かに階段か梯子か、或いは回り道でもあるのだろうか、水着を着た男性と男の子が、その砂浜に敷いたタオルケットの周りを歩き回っていたが、そこでの物音は流石にここまでは聞こえては来なかった。浜へと続く急な崖はずっと下の方まで豊かな草で覆われており、まるで草原がその儘横倒しになってそこに寝そべっているかの様な錯覚を与えた。草は風にそよぎ、殆ど音を立てずにゆらゆらと靡いていた。

 美しかった。だが私は急に何か大事な用事があって先を急いでいるかの様にくるりと背を向け、慌ただしく今までとは違う方の手で鞄の把手を固く握り締め乍ら、地面に()り込む足を強引に前へ出して、歩行を再開した。その光景は確かに美しかった。だが、ここ数日、いや、もう何年も何年も私を責め苛み、内側を悉く食い荒らして、一方的に緊張の度を高めていた盲目的とも言える狂気染みた戦慄への強い(かつ)えを、その美は満たしてくれる程には強大ではなかった。私が求めている恐怖はここには無い、それが解ってい乍らも、私はその事実に目を背け耳を塞ぎ、自らの破滅に怯え乍らも、しかし同時に私を破滅させてくれる何物も無いことに新心底怯えていた。まだ回答は得られていない———と、半ば願望に近い呟きを心の中で洩らし続け乍らも、ひょっとしたら何時まで経っても回答は得られない、それが結局は最終的な結論と成るのやも知れない、と云う抗い難い予想が、そうした鼓舞の試みの悉くを嘲笑い、否定し、無視している様な気がしていた。私は淡い期待を抱かせる一切のものを、やがては何れ裏切り、失望を運んで来るものとして本能的に回避し、逃げ回っていた。そのことについての自覚はあったが、明確な処方も解法も得られていない宙ぶらりんな状態では、座して事態の成り行きを傍観している他に取り立てて出来ることなぞ無く、一瞬一瞬が、私から主導権を、自らの存在の核を自分が握っていると云う実感を、私の声の、行為の、思索の一切が、やがては宇宙の深淵の中へ誰一人見い出してくれる者も無く飲み込まれ、忘却の荒波の直中へと消え去ってしまうのではないかと云う不安に対する確たる否定的言質を、無情にも奪い去って行った。私は美の陰に潜む凡庸さに、柔弱さに、具体性に、個としての限定性に、その存在度の従属性に恐れを感じ、毛嫌いし、徹底して拒絶していたのだが、そのことが齎すかも知れない恐るべき帰結、口に出して明言することすらとても耐え得るものではない或る悍ましい仮説の姿が、絶えず私の脳裏にちらつき、自信の無い未成熟な確信を脅やかし、しっかりと堅固な基盤であるべきところの万物についての私の知見に、有ってはならない不確定の揺らぎを与えていた。根拠の無い身勝手な期待に対する保証が、何時の日にかは与えられるであろうと云う漠とした予感はあったのだが、同時にそれが酷いぺてんによってであろうと云う可能性もまた否定し去ることが出来ずに、いや寧ろこの儘行けば恐らくそれこそが極めて実現可能性の高い選択肢と成るであろうことが、不快乍らも退ければ退ける程いよいよ明瞭に認識せられて来るのだった。今起きていること、今私が行っていることの全てが茶番染みていたが、私としてはその茶番を続けるより他に無かった。私は自ら己の運命と定めてしまったところの焦点への遡求行の直中に在って、全力を傾注して疑いの念の押さえ込み、何れ何等かの契機と呼べそうな機会が結節点として結実してくれるその瞬間まで、前進を続けるしか無いのだった。

 上り坂が多くなって来ると、それにつれて微風の勢いがほんの僅かだが増した様に感ぜられた。この先はどうやら緩やかに小丘を成しているらしく、左手に建ち並ぶ住宅は、白いシーツの洗濯物を裏庭に干してあった家を最後に、次第に内陸部寄りに移動して行った。道の幅は変わらなかったが、再び土手が盛り上がって来ると、道と言うよりは溝と言った方ががしっくり来る箇所が多発する様になって行った。湿り気によって一時的に固まった柔らかな細かい土だった地面を、何時の間にか大きめの石がゴロゴロと埋め尽くす様になり、下の硬い岩盤が次第に剥き出しになって行ったが、お陰で岩の凹凸に苦労させられはしたものの、以前の様に減り込んで足を取られると云うことは無くなって行った。私は何度か適当な所で鞄を置いて逆の手に持ち替え、手の痺れと腰への負担を分散させようとしたが、幾ら涼しい朝方とは云え鞄の重さは今や私に汗を浮かべさせる程になっていた。私は幾度も、やはり鞄はコインロッカーに預けておくべきだったと後悔したが、先の道程が後どの位なのか見当が付かなかったので、今から引き返してまた延々と同じ道を戻って来ることは躊躇われた。若し目的地が直ぐそこだったら二度手間になるのだし、またどうせ苦労するのであれば一度背負った苦労は最後まで背負い続けてやろう、と云う半ば自棄めいた意地の所為もあった、私は掌に食い込む鞄の把手の固さが徐々に肩まで這い上って来るのを感じ乍ら、この人気の無い朝の風景の中を、汗を浮かばせ乍ら硬くごつごつした不安定な足場を踏み締め、望みの薄い蜃気楼の様な目的地へと向かって、ひたすら無言で、必死になって何も考えないように努力しつつ、歩き続けた。左手遠方から微かにピアノの音が流れて来て、流暢ではあるが平板で情感に乏しい調子で、耳慣れぬソルフェージュを私の耳に届けたが、まるでそれに対抗するかの様に、聞こえてはいない筈の風の音が急に意識せられて来て、同時に感ぜられる熱っぽさが、無言の熱狂をざわざわと高めて行くかに思われた。重い体で重い荷物を抱えての難儀な道行きは、今や苦行の相を呈し始めていたが、それは寧ろこの悲壮な茶番の滑稽さを弥増すだけの効果しか齎さない様でもあった。鞄を持つ手を取り替える間隔は次第に短くなって行ったが、自分の指の爪の様に掌に食い込む把手の痛みはやがて痛みを通り越してずきずきとした押し殺された疼きへと変化して行き、時に私の足元をふらつかせる様になって行った。

 その小さな建物が目の前に現れた時、それが余りにも唐突で呆気無かったので、私の認識が肉体と連動するまでに暫しの時間を要し、危うくその儘通り過ぎるところだった。それが目当ての場所なのだと云うはっきりとした認識があるのに、意地になってこの行為を邁進させようとする肉体は強力な惰性の所為でブレーキが効かず、飽く迄躍起になって運動を続行させようとした為に、歩行それ自体が自己目的化してしまった様になってしまい、止まることが出来なかったのだ。私はその自棄的で無軌道な動きに轟然と停止命令を下し、正面玄関へ差し掛かる少し手前にある五十センチ程の岩の上に鞄を着地させ、その建物にやや斜め前から向かい合った。今日の道行きの、いや、この旅の最終目的であった〈焦点〉が、今や私の前にすっかりその全容を曝け出して立っていた。それは私が想像していたものよりもずっと小さく、外見には威厳も神秘性も無く、感慨も感興も無かった。二階建てだが極く小さな木造の建物で、端から端まで歩くのに十歩で足りただろう。塗装は殆ど剥げ落ちてしまって、隅の方に辛うじて残っている断片から、元は全面真っ白であったのであろうと推測されたが、今はあらゆる板が歳月と海風に浸蝕されて黒く萎びて腐りつつあった、尖ったスレート葺きの屋根は一見教会堂を思わせたが微妙に異なり、私はその違いを数瞬解り難ねた後、これとよく似た建築物を見掛けたことがあり、それは数日前に訪れた墓園の墓守の家だったことに思い至った。二階正面や一階側面、それに正面入口の扉にあるガラス窓は割れてこそいなかったが、風雨の為にすっかり濁り切ってしまっており、中を窺うことは出来なかった。建物全体は正面から少し高くなり始めた日の光を一様に受けて暖かく照り輝いていたが、人の住んでいる家から感ぜられる様なべたべたとした生気は発散しておらず、その輝きはもう生きて成長し変化し続けるのをすっかり止めてしまって、後は朽ちるのを待っているだけの草臥れ果てた枯れ木から発せられる物憂気な霊気の様だった。何時かはその輝きに何か知らの慰めと助言を求めに遣って来る異国の旅人もあるかも知れないが、それはその枯れ木がその訪れを待っていたからではない。周囲には青々とひょろ高い雑草が生い茂り、まるで堰か柵の様にその建物をすっかり取り囲んでしまっていた。建物は道を塞ぐ形でやや盛り上がった崖縁にひっそりと聳えており、道はその左手へ迂回する形でぐにゃりと歪んでいた。よく見ると、雑草にすっかり隠れてしまって一目見ただけでは判らなくなっていしまってはいるが、正面玄関と垂直に交わる角度で、小さな足場の悪い、曲がりくねった道の名残りが何処へとも知れぬ雑草の密林の中へと伸びているのが判った。左側に見えていた家並みはもうすっかり姿が見えなくなっており、森か林か、三、四十メートルばかり離れた所から五、六メートル程もある広葉樹の木立ちが始まっており、この建物の外壁か堀でも成すかの様に、一面のそれ以上の視界をぐるりと塞いでいた。誰かが何等かのきちんとした目的があって建てたと云うよりは、無造作にそこに打ち捨てられてしまっているかの様なその古惚けた建物は、それでも私があの古々しい書物から読み取ったところによると、ここで起こった或る奇跡———或いは異常事の記憶を記念するものである筈であり、私に私自身への何等かの手掛かりか、或いはその異変の反復の可能性を齎してくれるものの筈であった。それが明白な事実に基付く推測ではなく、私から確信することにしたからそうなのであると云うことは理解していたが、ここまで来てしまった以上はそのこと自体の是非を問うても仕方が無く、今はその結果だけを導き出し確認すべき時だと、私は腹を括った。

 だが、そこまで至って尚私の躊躇いは私の袖を引いて、今一歩の際の所で次の行動を押し止めようと懸命に妨害をした。少し苛々と、汗の所為で接触している部分の肌が少しちくちくし始めていた腕時計を見てみると、私が駅を出てから十二分程が経過していた。私はその場で一歩足踏みし乍ら、もう目的地を一目目にしたのだからもう良いではないか、この儘帰ってしまおうか、などと考えていたが、そうした怯みの理由が何なのか、自分でもはっきり解っていた。これから出会うであろう危険に対して恐怖していた訳ではない、解の出ないことが判っている問い掛けなど、これ以上続けて何になろうか、そしてその慢性化して鈍痛と化した絶望の前で、危険が何であろうか。私は場合によっては、自らの命を投げ出す覚悟は出来ていた。そこに幾分かの軽薄さと、白と黒との間の無数の灰色領域に対する敵意の想像力の不足が働いていたことは否定しない。だがその覚悟はその時はそれなりに真剣なものだったのであり、自身の魂の興廃が、それに懸かっていることもまた、しっかりと理解していた。私が恐れていたのは、そこで出会うかも知れない恐怖ではなく、寧ろ何ものにも出会わない、伸ばした手に掴めるものが何も無い、探してみたけれど何も見付からなかった、と云う事態だった。現時点に於ける探究の最終段階にあって空振りをしてしまうこと、答えの得られそうな確率が最も高そうな所を当たってみて失望しか待ち受けていないこと、全てを捨てる覚悟で全財産を貼った賭けに見事に敗れること、栄光と破滅のどちらでもない宙ぶらりんな無言が即ち私に許された最大限の回答であること、ここ何年間も抑圧的に累積して来た緊張が、終に何等の終局をも迎え得ないこと、自分がもうずっと以前に胸に抱き始めた疑念、いや、疑念に過ぎないと思い込もうと必死で努力して来た絶望的な確信が、結局は正しく、それから今に至るまでの私の苦悩の全てが全くの道化芝居でしかなかったこと、そのことを言い訳の仕様も無く悟り、思い知らされることを、私は何よりも恐れていたのだった。その時に私を待ち受けているであろう大いなる空虚の深さを思えば、ここで足が竦んでしまうのも当然と云えば当然で、今一歩を踏み出すと云うことは、その先に大きく口を開いている空無の中へと、自棄的な絶望と共に飛び込むことを意味するかも知れないのだ。だが、ここでこの儘突っ立っていたり、或いは引き返したりしてみたところで、状況は好転しないどころか、全く変化しないこともまた理解していた。この建物の中で出会うのが失意であれ法悦であれ、その出会いの時を延ばすのは、死刑の執行を当日の朝になってだらだらと駄々を捏ねて先延ばしにしている様なものなのだ。私は気力を奮い起こすより寧ろ肉体の惰性の力に任せて、鞄をその場に置いた儘足を前に踏み出し、正面玄関の前に立った。

 成可く何も考えないようにして投げ遺りと粗暴が半々になった動作で錆の浮いた扉のノブを握ってみると、予想通りガチャガチャと多少動きはするものの、鍵が掛かっている様で、すんなり開いてはくれなかった。鍵穴を見てみるとすっかり錆び付いて固くなってしまっており、一寸ガチャガチャと弄繰ってみただけではどうにもならないと見て取った私は、仕方無く他の入口を探すことにした。道から外れて右の方から側面へ回り込んで窓を試してみたが、高さや大きさ自体は申し分無いものの、やはりこれも窓枠が錆び付いてしまっていて、ピクリとも動いてはくれなかった。陽を受けた部分から陰の部分に入ると、古々しい木目の陰気な暗さがやや青み懸かった影の中で一層惨めさを増し、気の所為かも知れないが空気が僅かに重みを帯び、乾いて冷たくなった様だった。建物の裏側は僅か一メートル足らずの足場を挟んで柵も何も無しに崖から海に面していたが、どうにも信じられないことに、そんな所に裏口の扉が見付かった。何しろ、少しバランスを崩して足を取られでもしようものなら、直ぐそこは雑草の生い茂る崖になっており、落ちたら只では済むまい。いや、恐らく略確実に死ぬだろう。上の方から恐怖心を持って見てみると崖は殆ど垂直に見えるが、恐らく実際の所は六、七十度と云った程度の斜面だろう、それでも可成り危険な角度なのには変わりは無いし、一面には厚く草の絨緞が敷き詰められているとは云え、途中で引っ掛かってくれそうな幸運は先ず望めない。元々若干高所恐怖症の気味がある私はどうにも落ち着かない背後を気にし乍らも、恐る恐る建物の背後に回り込み、足元の石や岩に足を取られないよう細心の注意を払い乍ら、その扉の前に立った。こうした型の家は裏口と(いえど)も普通は石段か何かを取り付けておくものだが、どうやらこれは例外らしく、木の板の壁に只扉板が一枚取り付けてあるだけだった。表口のものよりも更に錆の浮いたザラリとしたノブを握って、少し乱暴にガチャガチャと回してみると、今度は手応えがやや大きくなり、奥の方で何かゴリゴリと云う音と感触が伝わって来た。何度か感触を確かめてみると、どうやら錠の枠の周りの木の部分が腐ってボロボロになっているらしいことが判ったので、私はその儘強引に何度もノブを回し、二分程掛けて錠を壊してしまった。ガリッと云う鈍いが大きな音と共に急にノブの手応えが消え、途端に一切が静かになった。ゆっくりと恐る恐る力を込め、慎重に手前に引くと、微かにギッと軋る音を立てて、扉が開いた。拳ひとつが入る位の隙間が開いたところで一度止め、それからもう一度力を込めると、枠に付着した砂粒が擦れるサアッとと云う音と共に扉が全開になり、薄暗い室内が私の前に姿を現した。すると澱んだ埃と黴の臭いと共に、実はこの建物に会った瞬間からずっと小刻みに前後を繰り返していた時間の束が、ここに至るまでの悲喜劇の一切を巻き込んで堰を切った様にどっと一団となって押し寄せて来た。ぶわっと荒れ狂う砂嵐のような混乱の中で、私は自分が不帰の境界を越えてしまったことを知った。

 罠を恐れる森の獣の様に慎重に一歩ずつ扉の内側へと足を踏み入れ、体重を預けると、靴底が木の板にぶつかるコトンと云う音に続いて、酷く緩慢で鈍い軋る音が湧き起こり、それがまるで水溜まりに落とした小石が水面に波紋を広げて行く様に、私の重みを床全体に伝えて行くのが感じられた。裏口からは真直ぐ正面の突き当たりまで狭い廊下が続いており、その先は正面玄関になっていて、濁ったガラス窓から白い朝の光がぼうっと差し込んで、室内全体を夢幻めいたあわいに浮かび上がらせており、ものの形はそれだけで充分に判別は出来たが、歳月が自ずと育んで来た暗さに気押されて、私は、尻ポケットに入れていた携行用の小型ライトを取り出してスイッチを入れ、それで周囲の薄暗い闇を追い払う様に、あちこちへと光を巡らせた。廊下は全く見事な位に生活感に欠け、装飾の類いも無く、こちらから見て左側の壁にたったひとつ、何の絵を入れていたのか判らないが、幅三十センチ程の小さな、縄の様な模様が一面に絡み付いた額縁が、空っぽの儘埃を被っていた程度だった。窓からの日の光の中にも、私の電灯の中にも、埃等の微粒子が全く踊っていないのが何やら不気味で、それでいて光の輪郭が何となくぼやけてしまう様は、まるでこの建物全体が目には見えない秘めやかな呼吸を繰り返しているかの様で、私は背筋にちりちりと焦げ付く様な感覚を覚えると共に、口の中がどう仕様も無く乾いて行っていることに気が付いた。

 元々人の行き来の少ない所で、更に人の通り掛かりそうにないこんな奥まった場所のことなので必要は無いだろうと思いつつも、万が一にでもこの近所の住民にでも私がここに居るのを気取られるのを恐れて、背後の扉を閉めると、ギギッと開けた時には立てなかった音を立てて扉が後ろからの光を閉め出し、砂を噛むジャリッと云う音と共に、室内の暗がりが私の四囲を包み込んだ。その時、私は表に置いた儘の鞄のことを忘れてしまっていた訳ではなく、物陰に隠したりなどせず正面に堂々と曝け出した儘なのだから、誰かが通り掛かれば、正面からであれば高く生い茂った草に邪魔をされて見えないと云うことも有り得るが、私が歩いて来たのと同じ道を行き来する者であれば必ず鞄の存在に気付くであろうと云うことも心の片隅で理解してはいたのだが、何故かそれが殊更に重大なことだとは思えなかった。見付からないだろうと楽観視していた訳では全くなく、寧ろ見付かろうがどうなろうがそんなことは大した問題ではないと云うぼんやりとした認識があったか、或いは、ひょっとしたら逆に見付かって何もかもが御破算になってしまえばいいと云う天邪鬼な気持ちがあったのかも知れない。或いは非常に欺瞞的なことではあるが、誰か目撃者が欲しいと云う秘かな願望があったのかも知れないし、万が一何も起こらなかった時の免罪符が欲しかったのかも知れないが、何れにせよ、煮え切れない態度には違い無く、私が今だ混迷と不決断の間延びした境界に立っていることを証するものではあった。

 指先で懐中電灯を持ち、接触と重みによる鈍い二重の足音を立て乍ら前へ進んで行くと、凝っと息を潜める様に沈黙していた澱んだ空気が揺らめき、一瞬、私が通過するその時だけは慌てふためいて乱れ散り騒ぐが、数秒後には形状記憶合金か何かの様に、殆ど元の様に静まり返るのが目に見えて判った。床の微かな撓みと軋みは廊下全体と連動しており、少し眩しい闇が静かに私を取り囲み、真綿で包む様にして静寂を際立たせた。右手に納戸の扉が有り、手を掛けてみると簡単に開いたが、中は略空だった。奥行きは一メートル弱とやや浅めで、一枚の薄い板によって二段に仕切られており、上段の隅のほうに最早実用にはとても供せないであろう古くボロボロに朽ちた靴磨き用のブラシと、中が空のボール紙の小箱が置いてあった。扉を閉めて絵の架かっている所を通り過ぎ、玄関へ向かうと、輪郭は曖昧だったがはっきりと光量が増大した。少し掠れた柔らかい光に包まれた無人の玄関の内側には、古びた小さな靴箱とすっかりニスの剥げた木製の傘立てがあるばかりで、どちらも中は空っぽだった。廊下が終わると、私が進んでいた方向から見て逆向きに、右手は二階へと通じる狭く急な階段、左手は何かの部屋になっており、そこの出入口は玄関からの扉と平行に付いている一枚の扉だけだった。装飾の浮いた古色蒼然たる真鍮のノブを回して部屋の中を覗いてみたが、ここも見事な位にがらんとしていて、四枚の濁り切ったガラス窓から差し込む白い光が、痛々しい位に冴えざえとしていて、椅子ひとつ無い細長い室内を空ろに照らし出していた。味も素っ気も無い単四角いだけの木製の巨大な棕櫚の枯れ木を思わせる部屋の短調さを唯一乱しているのは、窓とは反対側の壁と天井とが交わる所で斜めに張り渡された短い三本の梁位のもので、床に厚く積もった埃が、もう何年も、何十年も、この部屋に足を踏み入れた者が無いことを物語っていた。

 ここまでではこれと云った収穫が無く、私は二階へ上ってみることにした。肉厚の階段はまるで梯子を少し傾けただけの様な細く急な角度で二階の天井に開いた穴へと続いており、手摺りさえ備わっていなかった為、それを上って行くのは生理的に些か不安にさせられる行為だった。踏み板等は一見頑丈そうには見えたが、長い年月によって見えない部分が腐ってしまっている可能性もある訳で、体重を乗せた途端に何処かがボキッといってしまうことだって考えなられないことはないのだ。だがその心配は杞憂だった様で、所々ミリ、ミシリと気になる甲高い音を立てたものの、階段は見掛け通りの頑丈さを今だに失っていない様だった。

 四角く刳り抜かれた穴から二階へ頭を出してみると、まるで自分が地下室から上がって来たかの様な息苦しい錯覚を覚えた。二階は一階よりも更に薄暗く、背面中央にあるガラス窓は白く仄めいていたが、それは光を放っていると云うよりは周囲の光を吸収しているかの様に奇妙にひっそりとしていて、私は必要も無いのに何やら不穏な気配を感じ取り、眉を顰めた。続けてすっかり身を乗り出し、一度縁に手を突いて二階の床に足を掛けて身を持ち上げると、私はぐるりと室内の様子を見回した。二階は一部屋しか無いらしく、何処にも扉や仕切りらしきものは無く、正面と真後ろにひとつずつ、この部屋の大きさから考えれば異様に小さい採光窓があるばかりで、他はがらんとしていた。屋根裏部屋は無く、三角の天井かが剥き出しになっていて、無骨な肋骨を下からの光にぼうっと浮かび上がらせていた。電気が引かれていないどころか水道屋や洗面所さえ無いこの徹底した生活臭の欠如に、私は言うに言われぬ不気味な印象を膨らませて行ったが、やがて募り来った陰微な恐怖感が、この閉塞的で非人間的な光景の中で秘めやかにその魔手をあちこちに行き渡らせて行った。

 緊張と無為とに耐え難ねてあちこち忙し気に視線を彷徨わせていると、始めは逆光で判らなかったが、目が慣れて来るに従って、正面の窓の下に、黒々とした萎びた小机がひとつ鎮座しているのが見て取れた。その机の上には何か平ベったいものが置いてあり、ふらふらと吸い寄せられる様に近付いて躊躇いも無く手に取ってみると、それはA4版位の大きさの綴じ込み式の年代懸かったノートブックだった。

 ———これが〈手記〉だ———私はそう直観した。

 それは強引な確信ではあったが、あの僅かな記述を頼りに推測を重ね、その存在を割り出したかの〈手記〉がここに置いてある、これでなかったとするならば、他にそんなものを探し当てられる様な当ては無いのだから、少なくとも今のところは、最も高い確率で、これがその当の目標物であるのに違い無かった。ひとつの魂の記録、精神の軌跡、諸銀河を圧して暗黒の輝きを放つ超巨大な穴と回廊や、非常に複雑な数式でしか正確には表せぬ、つむじを舞って荒れ狂う時間流についての証言、或いは目紛しい成長と発展の最中に極小単位時間の間閃く名も無き思考の数々の姿や、それらが永遠へと開いて行く為の諸条件を導き出す計算、それに精妙な共犯関係にある過去と未来の精妙な秘密の襞を探究する為の方法や、諸世紀の深淵で死んだ魚の様に眠り続けるひとつの連続体が、既に計上することも叶わぬ幾つもの生命体として残した種々の断面を探る為の手掛かり、そうしたもの全てについての記述が、今、この頁を捲るだけで私の記憶と混淆し、私の記憶の一部と成り、朧に不完全な想像を巡らせることしか出来なかった驚異の深秘の相貌を明らかにし、大いなるその激流の直中へと私を拉し去ってくれる筈であった。恐怖の余り自分でその可能性について様々に思い描き乍らも常に否定し忘れ去ろうとして来た強大な開示への鍵が、今、私の目の前に差し出されていたのであり、それを受け取るだけで、あの悍ましい歓喜に満ちた抱擁が、予感されたものを現実態とし、一個の見窄らしい、自分から家出をした捨て子を帰還し和解させ、恣意的な時間の境界の有刺鉄線の向こうへと連れ出してくれる筈だったのだ。戦きつつ待ち望んでいた邂逅が今や私の手の届く所に在り、その雪解けを妨げるものは最早何も無いのだと云うことを私は知った。

 厳粛さと浮わついた興奮とが混じり合った奇妙な落ち着きの中で、私は黴が生えて乾いてパサパサになった頁の扉を開こうとしたが、ノートの頁は互いに固く貼り付いてしまっており、また私の手にも指にもどうにも思う様には力が入らず、焦るばかりで仲々開いてはくれなかった。私は息を詰め、指先に力と神経を集中させようとした。微かな黴の臭いが私の鼻孔の中に侵入して来た。

 と、その時、有り得ない筈の異状が、音と云う形と成って、ここで進行中の事態の一切を掻き乱し、惑乱させた。それは大気の中に乱暴に割り込み、蹂躙し、混乱させ、行き詰まる静寂の中での確かな裏付けのある緊張を一瞬で台無しにした。それは木製の扉が開き時のキイッと軋る不快な長い高い音で、階下から響いて来た様だった。誰かが裏口の扉から入って来たのだろうか、それとも、風の所為で偶然に開いただけだろうか? いや、それは有り得なかった。音の出所は建物の裏側からではなく、もっと近い所、建物の内部からだった。裏口ではない、とすると、考えられるのは正面玄関か空の部屋の扉か納戸の扉だが、玄関には鍵が掛かっているし、納戸の扉の感触は先程確かめておいたが、あそこは軋らないし、また軋ったとしても恐らくはもっと軽い音になる筈だ。とすれば、残るはあの空部屋の扉と云うことになるが………まさか、誰も居ないどころか椅子ひとつ置いていなかったあの空っぽの空間から、何物かがふっと忍び出て来て、部屋の外に出たとでも云うのだろうか? それとも………それとも、(、、、、、)私の知らない、(、、、、、、、)私の気が付かなかった(、、、、、、、、、、)扉が何処かにあって、(、、、、、、、、、、)そこから何物かが(、、、、、、、、)這い出て来た(、、、、、、)のだろうか?(、、、、、、)

 戦慄すべき妄想の中で、巧妙に偽装された地下へと通じる揚げ蓋が、あのがらんとした部屋の中でギギ、ギギギとぞっとする悲鳴の様な音を立てて持ち上がった。パタン、と、まるでそれに呼応するかの様に、何かが倒れる大きな音が階下から響いて来た。私は急な大音響に反射的に身を震わせ乍らも、最早身動きひとつ出来ずに凝り固まっていた。冷たい死の様な沈黙が続いた。沈黙———沈黙———沈黙———。それからギシリ、と唯一度だけ、恐らくは階段の軋む音がした。その後また沈黙が続いたが、私が背を向けている階段の出口からはっきりと、じわじわと何かの気配が立ち昇って来るのが感ぜられた。音が一度だけしかしなかったと云うことは、それが何であるにせよ、通常の意味での足を持った生き物では有り得ないことを示している。それに、今の軋み方は、私が階段を上った時の軋み方と同じだったろうか? 何処かが違う………重量が加わって軋んだと云うよとりは、まるで、そう、階段の板全体が、寒さか恐怖の為に思わず身を収縮させた様な………。

 気配は今や私の背後に居た。心無しか、周囲の大気が暗さを増した様に思えた。太陽が雲にでも隠れたのだろうか。それは直ぐ近くまで迫って来ていたが、ノートブックのぺージに指を掛けた儘の姿勢で、私は身動きひとつ出来なかった。だが到頭、息苦しさに耐え難ねて、私は息を吸い込んで呪縛を断ち切った。

 恐る恐る、私は後ろを振り返った。私は声にならない絶叫を上げたが、それも直ぐに闇に呑み込まれた。

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