ゴースト・マインド
南は死んだらしかった。死んで、いわゆるところの冥土に来たらしかった。〝らしい〟というのは、酷く曖昧な判断基準であるが、人間死ねば漠然と理解するのだろう。南は己の感じるところで、そうなったのだと信じられてしまった。
しかしながら、確証に至ることがそう容易いものではなく、相変わらず〝らしい〟というある種の接尾語で誤魔化してしまうものである。というのも、単に冥土と呼ぶにはあまりにも人間であった頃の世界と酷似してしまっているが故であった。
はてさて、それほどに似た冥土である。南が育ってきた現代日本の行事的側面は同じく行われるらしく、何でも本日は「身体測定」を行うとのことであった。生きていれば、それこそ成長期に一応は位置しているままの高校三年生である彼であるので、やはり実に馴染み深い。
南は僅かに上ずったような心地になりながらも、手渡された記録用紙を皺にしないように注意を払って握る。そのままの勢いで、すぐそばにいた三人に声をかけた。
「俺、身体的に変化あるかな。流石に成長とかもうしないと思う?」
「南ならまだあり得るかもね」
「やだやだ、もうすでにデカいんだから、アンタは大人しく成長期を止めてよね」
「西さん西さん、普通成長期って自分の意志で止められるもんじゃねえんすわ」
苦笑気味に頷いた北に、西と東が茶化すように口を開く。
「そうだといいんだけどなあ」と半ばボヤくようにした南に、北は相変わらず曖昧に笑うばかりで、あとの二人はあろうことか南をもう気にしていないようだった。「知らないし。あたしよりも高い位置で話さないでよね、巨人」とか、「僕は別に平均ぐらいなんすけどねえ、小人さん」とか、いつも通り勝手に言い合いをしているものである。
「というか、身体測定なんてするんだ。なんか変な感じ」
「そんなに変なことだとは、私は思えないなあ」
「ふーん、まあ北パイセンが言うならそっか」
「パイセンじゃないでーす、やめてよね」
いやいや、と南は口角を上げてから謝罪を口にする。
何も北に限った話ではない。三人は、南が冥土に来るよりも前からいた相手であり、冥土を最初に訪れた時からお世話になっている先輩とも言うべき相手なのだ。とはいえ、全員が生きていれば本来は南と同い年だというもので、彼らは基本的に──いじりとしてならともかくとして──先輩と呼ばれることを是とは認めたくないようだった。
「僕は普通に聴覚が不安かもな」
「なんで?」
「いやさあ、イヤホンあり得ないほど音量大きくしてずっとつけてるし、まあちょっと気になるよね、みたいな?」
「俺思うんだけどさ、聴覚のテストって、基本的にめっちゃ簡単じゃない? よっぽど聞こえないことないだろ」
「一瞬『あれ、これって今鳴ってる? 押すんだっけ。え、どのくらい押すの、これ』って迷うことがあるだけではあるかなあ……」
「分かる~! あたし聴覚検査めっちゃ下手な自信あるもん」
「聴覚検査に下手とかいう概念あるのマジ?」
南としては単純な操作に思えるが、どうやらそうでない者もいるのだろう。
西があまりにも不名誉なことをさも当然のように胸を張って話すのでも十分に可笑しいのに、それに対して東が冷静に口を挟むのだから笑えてしまって仕方がない。
「検査に得手不得手って持ち込める要素なわけ?」と東に同調すれば、結局三人が口々に頷くのだから、やっぱり笑いは耐えられそうもなかった。
「南、いい加減笑ってないで、早く検査しよう」
「北も笑ってたはずなのに復活が早い」
「流石はきーちゃん」
「待って、待ってほしいんですけど! すぐ行くから置いてこうとしないでくれよ!!」
慌てて荷物を持って、すでに少し前を歩き始めてしまった三人に向かって走る。
何だか酷く不恰好ではなかろうか。きっと昔からそうなのだと、大して覚えてもいない生前に思わず不満をこぼしてしまいそうだ。
けれども、くすくすと北がやけに幸せそうに笑うもので、南は不満をどこかへ放って足を動かした。
*****
それぞれ身体測定を一通り終わらせて、四人は教室の椅子に座る。自分の席だなんて関係なく、四人で一つの机を囲むような実にこじんまりとした状態である。
四枚の記録用紙を、パッと机に広げる。
「俺まだ身長伸びてる!!」
「負けたっ」
いの一番に見比べたのは、南と東の身長の欄である。視覚的に身長が比較しやすいものではないので、記録で競おうとした結果だった。
まず、南が記憶するところの数値から、一センチ、確かに高くなっている。加えて、ほとんど五ミリの差で東より高くもあって、南は即座に拳を握りしめて喜びを讃えた。
「身長がまだ伸びるなんて全く思わなかったわ。伸びるんだなぁ……なんでだろう」
「成長期らしい成長期が終わっても、意外と身長ってちゃんと成長は続いてるんじゃないの? ある一点から老いが勝つのかも」
成長期が単に著しく身体が発育する期間とするならば、西の言うことも妥当である。頷いてから、うーんと小首を傾げる。
「あー、老いはなくていいかも。成長だけしてたい」
「……南、それって三ミリ縮んでた私への遠回しな悪口?」
「もしくは一切成長を遂げてない僕への悪口っていう説もあるか、かわっち〜?」
「いや、誰の悪口でもないから!」
「そもそも、あたしだって身長全く変わってなかったし」
自分がどうという話であって、別に他者に何らか攻撃的な意志があったわけではない。必死に弁明しようと言葉を探る南に、北は「冗談だから」と笑った。
西と東の方は「あと、かわっちって言うな。か、わ、ち! あずまんは人の苗字もまともに呼べないわけ?」「さーせんしたー。あずまんやめてね。『あずま』で頼みます、マジで」などと言っていたもので、お互い何とか冗談は冗句の範疇にあれたらしい。
息を吐いてから、次いで彼らが気になったのは視力検査の欄のようだった。
「あれ、北の視力検査、左目記録ないんだ」
「本当だ。右目は裸眼で一以上あるのに」
西が目を丸くして、東が首を傾げる。北は笑っているだけで、何も知らない顔でもしているのではなかろうかと思えた。
「北?」と南が声をかけてみれば、北はきょとんとした様子で南を見ている。
「どうしたの?」
「どうしたのって……いや、その左目の視力検査の結果はないのかなー、って話だったんだけど」
再度、反復するように質問を口にしてやれば、しかし聞き覚えがないような顔で不思議がっているのが目に入る。まるで真実何も知らないようで、南は思わずぎょっとした。
「あれ、そんなこと言ってた?」
「言ってただろ。言ってたって、俺はそう思ってるけど」
「そっか。じゃあごめんね、少し呆けていたかもしれないな」
北はいつだってしっかりしているもので、そんなぼんやりと人の話を聞き流すような人ではなかっただろうに。
珍しいこともあるものだと、違和感を無理矢理に飲み込んだ。北が即座に考え込み始めてしまったので、追求することができなかったとも言える。
「左目は検査しないの。しても意味なんてないから、しないの」
「意味がない?」
他に付け加える気はないのだろう。北は頷くだけで、深く追求されまいと態度で示しているのである。
現に、北はさっさとこの会話に見切りをつけていて、南の記録用紙に「特記:A」とだけ書かれた欄をまじまじと目にしていた。
「特記……」
「これ何用のものなんだ?」
「みなっちゃん何か知らないわけ?」
「いや、俺も知らないけど!?」
何に関する特記事項であるのか、書かれた本人である南とて知らぬところである。
考えても、中々難しい。答えというものは明白に浮かんでこないもので、思考が思い当たるところも単なる考察に寄ってしまう。
それならば考えついたことをさっさと話してしまおうと思い、南は頭をひねりながら口を開く。
「えー、何だろうなぁ……俺が死んだ時の何らかの状態、とか?」
死体がどんな状況だった、とかなのだろうか。きっと状態が良かったに違いない。南はそう思って、他三人の記録用紙も眺める。
「あれ、でも書いてあるのは俺だけか。今回初めての検査だからっていう説はあるのかな」
「北も今回初めてなはずだから、其れは辻褄合わないんじゃないか?」
「ああ、そっか。それなら、北は左目の検査がないってことが死体の状況として特記事項であって、態々変に記述を残す必要もなかった、とかは?」
「アンタと違って、北は自己申告済みで、もう資料としてそこら辺の把握は終わってるからってこと?」
「そういうこと!」
南の考えに同調しているのか、西と東は補足的に口を挟んでくる。確かにそうなると説得力は上下するものかと、三人での会話は比較的盛り上がる。
徐々に納得していく心地がして、そこでようやっと、南は北が一切口を開いていないことに気が付いた。
ぱっと、目の前に座った北の顔を見る。いつも穏やかな表情だったはずの彼女は、怯えるように瞳を泳がせている。血色の良い肌は、すべてが抜け落ちたように青白い。
「き、北?」
音を伝う空気が、思いのほかか細く震えている。無意識に強張った喉が、上手に音を鳴らすことをやめているらしかった。
「南は……やっぱり、まだダメなんだ」
北は伸ばしかけていた手を、だらりと垂らしていた。まるで南には触れれないとでも言うようで、彼女の中で渦巻く勝手な拒絶が垣間見える。
だからだろうか。南は焦ってしまわれて、自分でも何と言ったか分からなくなるほどの勢いで言葉を羅列する他なかった。
「何がダメなんだよ、北。何が! なんでそんなに、苦しそうな顔をするって言うんだよ。なあ、なんで北は、ずっと東と西の言葉が聞こえてないみたいな、そんな……そんな、辛そうな顔をするんだよ!!」
ここに来てから少し。冥土には関係ないと思って数えてはいないが、恐らく大した日数でもない。その期間、南たち四人は共にあった。
ずっと気が付かなかったが、今となっては違和感だ。北は南からの言葉にしか反応していないなどと、そんなことは。気のせいだということにしたかったというのに、北が目を見開いて俯くものだから、間違ってはいないのだと否が応でも理解してしまう。
ひとしきり言い切ってしまえば、走るのは沈黙だった。何せ静寂と呼ぶにはいささか恐怖が耳の奥で鳴っている。加えて、合わない目が末恐ろしいと感じていても、南は責めるような気持ち故に北から目を逸らすことができなかった。
沈黙を破ったのは北の方だった。
「なんでも何も……だって私には、西の声も、東の声も! 私は君と違って、何一つだって聞こえてないんだよ!」
悲鳴にも似た彼女の言葉が、やけに刺さって抜けなかった。
息を呑む。南の様子をもう気にかけている余裕もないようで、北は嗚咽交じりに言葉を紡ぐ。
「なに、死んだって。どうして南は、ずっと本当のことを見てくれないの」
「な、何が」
まるで死んでいないようだった。
「はじめましてなんて、もう二度と言いたくなかったのに」
「待ってくれ、北」
出会ったのは、確かに数日前であるはずだったのに。
「私が会えなくなったのは!!」
「なあ、待てってば」
それならば──理解してしまう。きっと背けていたことを、南は理解できてしまう。続きを止めてしまいたくて、それでも塞ぐことのできない耳が、小さな振動を拾ってしまった。
「西と東だけだったんだよ」
かちりと、どこかで歯車の噛み合う音がした。
*****
あれは高校三年生になった、本当直後のことだった。それこそ春休みももうじき明けるという頃のことで、世間は新生活だとかにおめでたさを感じている。活気付いた場所ばかりであって、南もまた、新年度に心が躍っていた。
南には仲の良い三人がいて、その日は彼らと春休み最後に遊ぶ約束をしていたことを覚えている。それこそ最初は良いもので、真に充実したものであった。
事件は日も落ちる頃。そろそろ解散しようかと動き出した時、それは起こる。
──ドン。
鈍い音の後、瓦礫が音を立てて崩れる。あまりにも大きな崩壊の奥に、南の耳はあろうことかぐしゃりと何かが潰れたのを感じ取ってしまった。
何が起きたのかを理解するよりも先に、南の視界は赤と黒で染め上がって、そのまま意識を失った。
「──!」
遠くで、誰かの切羽詰まった声が名前を呼んだような気がしたことだけが、最後に残った記憶だった。
そう、そうだったのだ。そうであってしまった。
「…………あの時、西と東は死んで、俺は助かった」
あれは交通事故だった。居眠り運転だったのか、飲酒運転だったのかは知らないが、何らかの誤作動によりトラックが歩道へと突っ込んのである。
その先にいたのが、南と、それから西と東だった。北は少し後ろを歩いていたために、直接的に轢かれることはなかったのだろう。
「南が目覚めるまで、もうじき山だってずっと言われ続けてきた。それがちゃんと目覚めたかと思えば、私たちのことなんてまるっきり忘れた顔をして、ずっと現実じゃない世界を眺めているみたいに過ごしてた。
南の見ていた場所が、まさか本当に死に近しかっただなんて、私は全然気付けなかった。もうずうっと、ひとりで待ってたのに」
北の独白が心に沁みて、ぐっと胸が苦しくなる。
「おねがい、南。全部覚えていてほしいなんて言わないから、だから。だから、もう二度とひとりにしないでほしい」
私から友達をもう一人奪おうとしないでと、懇願する姿が痛々しくてたまらなかった。
南はこんなにも、北のことをとっくに傷付けすぎてしまったのだ。大切な友達であった彼女に、守るどころか己自身が刃先を向けていた。
ああ、なんたる愚かか。奥歯がきしりと痛むまで噛んで、南は手を伸ばす。頭に触れた手を北が拒絶することは決してなかった。
「ちゃんと思い出したし、二度とひとりにしないって約束したいんだけど、虫のいい話だって言って怒る?」
「……さあ、どうでしょう」
「逆にさ、怒ってほしいって言ったらどうする?」
「……怒らない、怒んないよ」
「言うと思った。大丈夫、許されたいとは思わないからさ。北に負わせた傷を、俺にだって与えてほしい」
「寝坊助さんに背負わせられる傷なんて残ってるかな」
困ったような、それでいて確かに喜ばしいと思っているような。寂寥が徐々に満たされて、やがて悲哀を慈しむようになっていく。
北の感情の一つだって逃してやるものかと、真っ向から言葉を求めた。小さく笑うようになっていく姿が、それでいて反対に彼女の傷付いた心を曝け出すもので、南は立ち上がって手を握る。
「一緒に弔いに行きたいんだけど、北さん」
「寝坊助さんがあんまりにも起きないから、とっくにお葬式は終わっちゃったのに?」
「うん、だから謝罪でもしに行こうと思って」
そう言えば、「仕方ないな」だなんて、心底そう思っていなさそうな顔で北が返事をする。
早速行こうと窓の外をさせば、晴れやかな青空から顔を覗かせる太陽はまだ真上にあった。先ほどまでは、もっと赤いような気がしていたのに。ふとそう思って周囲を見渡せば、いると信じて疑わなかった二つの影はどこにもいやしなかった。
首を横に振って、思考を隅に置く。
「あの二人ってどこにいるの?」
「西は一族のお墓で、東は海洋散骨だったから……地面と海?」
「うわー、っぽい!」
「はい偏見。どこ行っても見守ってくれてる感はあるけど、今回は大人しく二人の家にお邪魔させてもらおうね?」
「了解!」
二人で歩き出す。
今踏みしめた土、少し先に見える海。きっと空に昇った魂。もう見えなくなってしまった二人も、不思議と隣にいるような気がする。
随分と気持ちも晴れやかである。南の心の軽やかさは留まることを知らず、口角が自然と上がるのだって止められそうもない。
「ちなみに私の右側に立ってもらうことってできる?」
「えー、俺が車道側歩くよ? ひとりにはしないって約束はしたけど、別に守られたいとかでは断じてないし」
「あー、えっと、それは主目的ではなくって……左目、見えないから、できれば右にいてほしいなぁ、なんて」
あの身体測定で左目の記録がなかったのは、もう左目の検査に意味などないからだったのだ、と。気分の軽やかな中落とされた情報に、ばっと北の方を向けば、困った顔で頬をかいているのが目に入る。
南が何も言えずにいれば、北は一枚の布を取り出して、左目に着け始める。眼帯だ。
「あの事故でガラスの破片が刺さってしまって、左目は助からなかったみたい。できるだけ昔と同じ姿でいようと思って、さっきまでは取ってたの」
特に不便もしていないから気にしないでほしいだなんて、南にしてみれば難しいことこの上ないことを言う。
きっと、ここに二人がいれば「北ってば、あたしたちも北のこと心配したいってわかってない!」だとか「ばっか、僕たちがそこで気にしないタイプだと思ってるなんて、解像度が低すぎる!!」だとか言って騒いでいたに違いない。
不満に思って、南は渋々右側に立ちつつも溜息を吐いた。
「あとでマジで解決策考える!」
それこそ、今から聞けばいいのだから。
ただ気分は軽いばかりではいられなくなってしまったけれど、決して重くはない。
「とりあえず行こう、北」
「はいはい、わかったよ、南」
どこかで呆れるように笑っている二つの声が聞こえた気がして、南は一歩、地を踏む。後ろからついてくる北もまた、さっきよりもずっと気を楽にしているようだった。
南は幽霊ではなかった。だから、彼らと直接話せるのは、きっともっと先のことになるだろう。冥土に行くときまでに、彼らが楽しめるような土産を両手なんかじゃ足りないだけ手に入れようと、南は空を見て笑った。




