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転生したら“設計者”だった件 〜滅びた世界を再構築するまで〜  作者: 妙原奇天


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第9話 影の法廷

 黎明の色が泉の底からせり上がってくる。輪の中心に据えた循環の泉は、夜の名残をほどくように青光の輪を幾重にも重ね、布の端を濡らした旗の青を静かに呼び返していた。朝の一口目の水を待つ列に、かすかな笑い声が混じる。子どもの踵が石段を叩き、パン屋の窯は薄く息を吐く。いつもどおりに始まるはずの一日だった。


 悲鳴が走ったのは、そのときだ。

 市場の医療小屋から、乾いた壊れ物の割れる音。続いて誰かの叫びが輪を切り裂く。


「毒だ。瓶に黒い泥が溜まってる。飲ませた」


 レンは反射的に顔をあげ、泉の縁から駆け出した。医療小屋の梁はまだ湿っている。夜の呼気が抜けきらず、薬草と煤の匂いが重なって漂っていた。干からびた小瓶の底に、確かに黒い沈殿がある。寝台の上では青年が痙攣し、隣の板の上には意識の浅い女が置かれている。第三の患者は、胸だけが荒く上下していた。


 群衆は狭い小屋の前に群れ、口々に言う。

 毒。混ぜた。殺そうとしたのだ。

 やり玉にあげられたのは、小屋の管理人であり救命術師のラキアだった。彼女は蒼白な顔で掌を上げる。指先が震えている。


「違う。解毒剤の濃縮に失敗しただけ。抑制材の配分を間違えて……」


 言葉は群衆の熱に溶けていった。結果の恐怖は、動機の説明を簡単に塗りつぶす。夜警が彼女の腕をとろうとし、背中で舌打ちが鳴る。〈プリズマ〉がレンの視界に赤い点滅を投げ込んだ。


 〈価値石流入:医療小屋周辺で急増〉

 〈木札返済:医療小屋系 未返済偏在〉

 〈患者接触タイムライン:不整合〉


 数字はラキアに不利だった。医療の窓口に価値石が偏り、返済の木札は滞り、瓶の流通記録は千鳥足のように乱れている。一方、現場で薬を扱う助手たちは口をつぐみ、目を逸らしていた。報復への恐れが、証言を凍らせている。


 レンは夜警の肩に手を置いた。


「彼女を連れて行くな。今は場所を変えるだけだ。公衆の前で弾劾はしない。——日が落ちたら、審理を開く」


 夜警の男は納得しない顔で眉をひそめた。

 堂々とやるべきだ、と唇が動く。

 レンは首を振る。


「堂々とやるために、弱い舌を守る。声を失わせないのが先だ」


 ヴェリアスが胸の奥で唸り、熱をわずかに持ち上げた。

 ナナミアが泉の縁に立ち、短く頷く。

 メイダは広場へ走り、煮出しの椀を数十用意した。震える腹は、嘘も真実もこぼす。ならば、まず腹を温める。場を温める。——感情のインフラが先だ。


 日が傾くまでに、レンは審理の仕立てを整えた。場所は泉の北側、石壁の影に隠れる裏広場。名を「影の法廷」とした。正面の壇は設けない。輪の延長に、夜の席を置くだけだ。新しい審理の骨は三つ。


 一、匿名布。証言者は薄布の奥に座り、声をわずかに変換する。身元は木札に刻印し、審理後に祭壇で焼く。森の儀礼で足跡を断つ。


 二、鎖の地図。〈プリズマ〉が薬瓶から供給、泉、患者の順に接触履歴を可視化する。手触り、温度、時間の三層で線を描き、矢印には確からしさの幅を付す。


 三、相互反証タイム。各証言に対し、最大二人まで即時反証を許可する。数字は絶対化しない。矢印は常に動くものとする。


 裏広場に灯りが点りはじめる頃、影の法廷は輪の一部になった。椀が回り、香りが落ち着きをもたらす。夜警は外周に立ち、長老は鈴を持ち、ドワーフは鎚の頭で石畳を静かに叩く。ラキアは小屋の椅子に座らされ、手を膝に置いた。手はまだ震えていた。


「影の法廷を始める。ここでの声は、焼いて返す。水と火と同じだ」


 レンの声は高くはない。だが、夜の空気を十分に掴む。


 最初の匿名証言は、布の向こうから来た。市場の行商人だという。

 事件の前夜、見慣れない軍靴の音がしたという。砂が深く抉れていた。

 〈プリズマ〉は裏広場の砂粒画像から履帯痕の粒径差を抽出し、ラキアの小屋周辺に外来パターンの出入りを示す薄い矢印を描く。

 砂丘の履帯と違い、重心が一点に落ちる足運び。森の民の足音でもない。

 人為の息が、夜の水に落ちている。


 二人目の証言は、ラキア自身だった。顔を上げるまでに少し時間がかかった。

 沈殿は抑制材の析出。失敗だ、と彼女は言った。調合の配合書を差し出す。

 〈プリズマ〉が黎明院の調合データを参照する。

 沈殿の色相は毒ではなく塩析に近い。抑制材同士が互いに塩を引き合って沈む。説明は筋が通る。

 だが、ここで矛盾が浮いた。

 患者の血中からは微量の金属化合物が検出された。ラキアの配合には無い。塩析だけでは説明できない。


 沈黙が一拍分、輪を冷やす。

 匿名布の向こうから、短い声が投げ込まれた。


「水桶だ」


 泉の端で水を汲んでいた少年だという。事件の前夜、見慣れない男が桶の縁に粉を指で弾いたのを見た。夜警の灯りに照らされず、月の光だけで手はすばやく、粉は薄く、静かに水面に沈んだ。

 鎖の地図の矢印が動く。医療小屋の動線から分岐し、泉の微細流に沿って薄いルートが伸びる。

 ラキアは結果の舞台にいた。だが、仕込みは水だった。管だ。都市の血管だ。


「裁くべきは、個人か。管か」


 レンは言い、輪の静寂に自分の心臓の音を重ねる。

 個人に問える過失は確かにある。抑制材の配合を誤り、沈殿を見落とした。

 だが、混入という矢印は、都市が持つ流路の穴を蛇のように伝ってくる。

 どちらも在る。どちらも裁かねばならない。罰ではなく、設計で。


 相互反証の時間に、夜警の一人が手を挙げた。

 堂々とやれ。匿名布の裏は卑怯だ、と彼は言う。

 レンは首を振った。


「堂々とやるために、弱い舌を守る。名乗れない弱さを参加の場に乗せるのが、都市の務めだ。匿名は逃げではない。参加の担保だ」


 ナナミアが短く頷き、メイダがもう一度椀を回した。

 温かい匂いが、強い言葉の角を丸くする。

 ヴェリアスが胸の奥で苦笑した。


『火は囲めば強くなる。お前は火の外縁に布を張って、風を和らげている』


「布は焦げない程度に厚く。透けない程度に薄く」


 審理は続いた。

 黎明院の生徒が、塩析の色の簡易判別表を示し、ドワーフの職人が瓶の咥えの削れ方を示す。夜の市場で逆に動く価値石の経路が〈プリズマ〉に薄い輪として現れ、森の長老が根音の乱れの可能性を慎重に付け加える。

 矢印は揺れ続けた。揺れたまま、輪の中心に戻ってくる。

 レンは深く息を吸い、判決の骨を組み替えた。


「判決を二層に分ける」


 彼は言い、一度だけ旗を見上げた。青は水、金は創造、その間に薄い第三の色がある。——覚悟の色だ。


「一次判決。個人。ラキアは過失を認め、再学習として調合監査コースへ。期間中は単独での調合を禁ずる。医療小屋の配管系は分割泉に接続し、毎処方の通水ログを鎖の地図に自動刻印する」


 ラキアは立ち上がり、深く頭を下げた。

 ありがとう、と彼女は言った。私は下手をした。だから、次は皆と配合する。

 夜警の肩がわずかに落ち、輪の呼吸が半拍ほど緩む。


「二次判決。構造。水系に粉を混入した影の存在を前提に、広場、医療小屋、学校、工房の主幹ラインに逆流封止弁を実装する。施工は公開入札ではなく工房試験で選ぶ。黎明院の生徒と職人の共同発案競技だ。夜の陪審を制度化する。匿名布の下、抽選で選ばれた十名が矢印に対する納得度を石で示す。過半で補助判定が成立する」


 今夜の十名は、石を静かに置いていった。青、青、白、青、青、白、青、青、白、青。

 〈夜の陪審:納得度 7/10〉

 数字は合意の温度として布に刻まれる。


 判決を読み上げ終えたとき、裏広場の屋根に微かな光が跳ねた。

 遠距離からの反射合図。

 〈プリズマ〉が位置を弾く。砂漠側の外郭丘。

 レンが駆け出すより早く、ヴェリアスが胸中で唸った。


『嗅いだぞ。鉄帝のススの匂いだ』


 光はすぐに消え、夜の布だけが残る。

 レンは裏広場の外周まで出て、暗がりの底を凝視した。

 観られている。

 実験、という言葉が舌の手前で重くなる。

 ——こちらは被験体にはならない。だが、観測手は観測しに来る。

 影の法廷の灯りは、彼らにとって格好の餌だ。都市が何を怖れ、何に拍手し、どんな鎖を新しく編むか。

 遠くで砂の音が薄く動き、すぐに止んだ。


 夜がほどけ、泉に朝の色が差し込む。

 石段の目地に残った細い粉の帯は、風に攫われる前に小瓶へ回収された。

 瓶の口に指先が触れた瞬間、レンの皮膚に微弱な電撃が走る。

 旧文明の制御タグに似た反応。金属化合物は単に毒の担体ではなく、遠隔起動の鍵でもあったのだ。


 耳の奥で囁きがする。

 〈観測体:夜間審理プロトコル、採取完了。興味深い適応〉


 レンは息を吐き、泉の縁に膝を落とした。

 ナナミアが静かに歌う。歌は水面を柔らかく叩き、木札をくぐらせる子どもたちの指先に薄い泡をのせる。

 都市はまたひとつ、陰圧で呼吸する術を覚えた。

 だが、砂漠の薄灰の帯は、なお目の端に残る。

 そこから、履帯と軍靴が、いずれ確実に来る。

 逆流封止弁は水のための策だ。空には、まだ何も設えていない。


 黎明院の黒板の余白に、レンは小さな円を描いた。円の外に矢印を三本伸ばす。

 空の層へ。

 ヴェリアスが、低く、遠い記憶の腹でうなずいた。


『空の戦争を語ろう。光の網が、どのように森の上を覆い、火の舌を逆流させたかを』


 レンは黒板に第二の円を描き、円と円の間に橋を渡した。

 設計は法廷だけではない。

 正義は数字の矢印と物語の声の二重螺旋だ。矢印は道筋を示し、語りは勇気の場をひらく。

 個人責任と構造責任を分けて処す。罰ではなく再学習で応じる。匿名は逃げではない。参加の設計だ。

 その全てを、空へ延長する。


 輪の中心で、メイダが朝の椀をもう一度回した。

 ラキアは列の端で静かに礼をし、助手の子が一歩前に出た。

 夜に焼かれた木札の灰は、泉の底に沈む。

 焼ける前の痛みはもうない。

 残るのは、鎖の地図に刻まれた薄い線と、夜の陪審の石の配置だけだ。


 旗が鳴る。

 青は水。金は創造。

 その間に薄くにじむのは、覚悟の色。

 影の法廷は一夜の臨時で終わらない。

 都市の深層へ降りていく螺旋階段の、最初の踊り場だ。


 石畳の端で、誰かが小さく足を鳴らした。

 乾いた音が二度、三度。規則正しい。

 遥か彼方の丘で、同じ規則が別の材で刻まれる。金属が砂を押さえつける音。

 鉄の意志は、観測に飽きることはない。

 こちらが輪を広げ、匿名布を張り、鎖の地図に矢印を刻むほど、向こうの口は涎を深くする。


 レンは旗の竿を握った。

 祭も、法廷も、学校も、台所も。

 守るために設計する。

 設計するために、見せる。

 見せるために、隠す。


 泉の目が、ひとつ瞬いた。

 薄い青の呼吸が、朝の光に溶ける。

 輪は動き、屋根の上では雀が小さく飛び移った。


 次章、ヴェリアスの記憶。

 空の層に、都市の防衛を拡張する。

 光の網の再来を前に、円卓の紋は、空にもひとつ刻まれねばならない。

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