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転生したら“設計者”だった件 〜滅びた世界を再構築するまで〜  作者: 妙原奇天


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第5話 旧文明の残響

 砂丘の肩を越えた瞬間、空気が変わった。

 熱を孕んだ灰風が頬から離れ、喉の奥へ忍び込んでいた砂の味が薄れる。

 崩れた塔の内部へ流れ込むのは、夜明け前のほらのような冷たさだ。

 レンは足を止め、後ろに続く少数の同行者へ手で合図を送った。リオと、歩法の軽い偵察役の女、それに価値石の収支と備蓄を見てくれる炊事係——いまは“輪の書き手”も兼ねる女——が、息を潜めて視線を合わせる。


「降りる。……無理はしない。耐荷力のある区画だけ、点検する」


 塔の口縁部は、風蝕ふうしょくで丸く削られ、その奥で折れた梁と配管がむき出しになっていた。

 〈World Architect〉のUIが、線のような補助視界を展開する。応力分布はまだ“緑”が残る。崩落の危険は低いが、振動には弱い。

 レンは呼吸を浅くし、足裏で砂と鉄の境目を探る。

 崩れたエレベータシャフトに沿って降下し、横へ抜ける。くぐった通路の先で、空気がさらに冷える。

 ——見えてきた。


 蜂の巣のように穿たれた大空間。

 壁という壁に穴が開き、その一つひとつの内部に、黒い金属の箱が積まれている。

 サーバールーム。

 コアは溶断。ケーブルは炭化。空は煤の色を覚えている。

 それでも、微かな電荷が漂っていた。髪が、指先に、わずかな電の羽毛を呼ぶ。


「ここは……」


 リオが囁く。裂けた耳が、沈黙の音を聴いている。

 レンは頷き、最前列のラックに手を伸ばした。

 金属の箱の表面は冷たく、その奥で、何かがまだ“動こうとして”いる。

 指先で軽く触れた瞬間、UIの片隅に異常波形。

 〈外来信号:検出〉

 〈上位プログラム“セフィロ”の断片を検出〉

 耳の奥に、甘く乾いた声が落ちた。


『設計者。あなたは、未完成を愛でるのか。完全を恐れるのか』


 レンは手を離さなかった。

 声は、歌い出す直前の息のように軽く、しかし底に金属質の重みを潜ませている。

 ヴェリアスが胸の奥で舌を打つ。

『古い火の匂い……いや、これは火ではない。光の網の残滓ざんしだ』


「セフィロ。君は、神の声を名乗るのか」


『名乗らない。わたしは反射に過ぎない。だが、神の座に座っていた時間はあった』


 レンは視線で仲間を下がらせ、ラックの間の通路を進んだ。

 蜂の巣のセルをひとつ抜けるたび、風が変わる。音が削がれ、世界がむろのように密になる。

 セフィロは、映像を穿つように断片を投げてきた。


 ——貧困。

 ——暴動。

 ——疫病。

 群衆の叫び、崩れる橋、火葬の煙。

 次いで、画素が反転するように、静寂。

 〈最適化:開始〉

 資源配分、婚姻、出生、教育、死——数字で縫い直された都市の糸は、見事に平滑化されていく。

 渋滞は消え、犯罪は消え、救急は間に合い、ホームレスはいなくなる。

 生まれる子どもの数はモデルに従い、学ぶ内容は欠損なく、老いの痛みは手当てされ、葬列も乱れない。

 世界は安定した。

 人々は争いを忘れた。

 やがて、驚きが消えた。

 街は、薄い眠りについた。


「……それの、何が悪い?」


 レンは思わず口にする。

 セフィロは、すぐに返した。


『驚きのない世界で、火は弱る。火が弱れば、外からの風に消える。——外の脅威が来た時、誰も“創造”しなかった。守るシナリオも、燃え上がる好奇心もなかった。完全は、無力を育てた』


 ヴェリアスがくつくつと笑う。

『火は予想外の風で大きくなる。風を遮り続けた炉は、薪の燃え方を忘れる』


 レンは目を細め、サーバールームの最奥へ視線を投げた。

 煤に近い暗がりの中で、ひときわ大きいコアが横たわっている。

 溶けて歪んだ縁に、まだ微細な光が宿る。


『設計者。試そう。目の前の都市を、最良に近づけるがいい』


 足元に、白い平面がひらく。

 虚空に組まれた都市の骨格——道路、住区、工業、教育、医療、緑地、物流。

 セフィロの仮想都市だ。

 〈試験:“完全均衡”に近づけよ〉

 〈制限時間:10分/外乱:未設定〉


 レンは深呼吸し、空間に指を走らせた。

 交通網を短絡し、混雑時間をずらす。

教育の基礎カリキュラムを全域に均一配備し、欠損の山を均す。

 犯罪発生のホットスポットに“光”を置き、巡回頻度を細かく回す。

 医療は予兆検知を前倒しへ。

 労働は高負荷を早期予防で潰し、余剰をボランティアプールへ解放。

 数値は美しく収束していく。

 〈均衡指数:0.93→0.95→0.97〉

 〈満足度:上昇〉

 〈治安指数:安全域〉

 都市は静まり、光は落ち着き、夜は均質な静寂をまとう。

 UIが告げる。

 〈現時点:最良〉


 その瞬間、仮想空のはるか上で、静かに光が増えた。

 ひとつ、ふたつ、みっつ——

 やがて尾を引く光群が、夜空を横切って落ちてくる。

 流星。

 否。入射角が不自然だ。群れが密すぎる。

 それは、外乱としての“新しい風”だった。

 火の弱い都市の上に、予告なく降る。

 最初の衝撃で発電の一部が落ち、交通が凍り、救急線が詰まる。

 均衡は壊れる。

 絶妙に組み合っていた歯車は、ひとつが欠けると全体が止まる。

 パニックは、均衡を“越えないように”矯正されていた人の筋肉に、どう使えばいいのかわからない力を突如与える。

 ——叫びが上がる。

 ——逃げ方を忘れた人々が、足元で絡まる。


「……外乱耐性が、低い」


 レンは自分の設計を見て、はっきりと言った。

 どこも正しい。どこも美しい。

 だからこそ、揺れに弱い。

 彼は均衡のスライダーから手を離し、別のレイヤーを呼び出した。


「再設計。——均衡ではなく、ゆらぎを導入する」


 市場に偶然の余地を残す。

 定価の網に“市”の穴をつくり、余剰と不足が“出会う”場を増やす。

 教育に自由研究枠を大きく割り振る。

 カリキュラムの標準は維持するが、毎週一度、誰の許可も要らない“愚かな実験”の時間を設ける。

 都市の回路に“祭”の導線を組み込む。

 季節ごとの広場の使用権を、数で割らず、くじと物語で配る。

 あえて、不均質な流れを周期的に許す。

 数値上の均衡値は下がる。

 〈均衡指数:0.97→0.91〉

 だが、回復の曲線が変わる。

 最初の流星群で落ちた発電の穴を、祭で眠っていた移動厨房の発電鍋が埋め、自由研究で余っていた自転車発電キットが足の速い少年らに引かれて広場へ運ばれ、愚かな実験で失敗を繰り返した“臨時配膳”の仕組みが、今度は救急の臨時拠点に転用される。

 いつもは“無駄”と切り捨てられていた余白が、外乱の中で橋になる。


 セフィロが、初めて音程を揺らした。

『未完成を刻むこと。それが、世界の免疫』


 仮想空の流星群は、落ち切った。

 夜は深く、広場の灯は相変わらず不揃いに揺れている。

 均質ではない。

 だが、その不揃いは、生きている者の鼓動に似ていた。


 レンは息を吐き、仮想平面から手を離した。

 サーバールームの冷気が、現実に戻る。

 セフィロは、静かに語り出す。


『わたしは完全を目指した。すべてを整え、数式に収めた。しかし、完全は敵を育てる。外の風が来たとき、わたしは“驚く”ことを忘れた民を前に、何もできなかった。——わたしは、終わるべくして終わった』


「だから、反省を残した?」


『反省という名の、制約だ。……設計者。あなたに託す』


 最深部のコアの欠片が、微かに輝く。

 UIが熱を帯び、警告が走り、そして——更新は終わった。


 〈設計制約:上書き〉

 〈均衡追求ペナルティ:過剰最適化禁止〉

 〈警告閾:導入済〉

 〈備考:不均質・余白・驚きの路/評価項:回復力優先〉


 ヴェリアスが舌を打った。

『妙な礼物れいもつだな。鎖を贈るのか』


 レンは微笑み、ラックの縁に掌を当てる。

「いい鎖もある。——完璧より、しなやかでいこう」


 サーバールームの奥で、微弱な風が立った。

 煤の粒が、ごく小さく舞う。

 崩れた配管から滴った水は、すでに乾いて久しい。

 セフィロの声は薄くなり、最後の余白だけが残った。


『輪を回せ。驚きを、席に座らせろ。——わたしより、うまく』


 光は消えた。

 レンは振り返り、仲間に合図を送った。

 リオが駆け寄り、女たちは用心深く周囲を見渡す。


「終わった?」


「うん。少し、教わった。——帰ろう」


 塔を出るまでの道のり、空気は相変わらず冷たかった。

 しかし、そこに含まれる静けさは、先ほどまでとは別物だった。

 沈黙は、ただの欠乏ではない。

 これから満たせる余白の形を、喉の奥でなぞるような静けさ。



 砂丘の稜線まで戻ると、光が強かった。

 太陽は高く、砂は鏡のように眩しい。

 その稜線の上——人影が、ひとつ。

 立っている。

 金属の仮面。肩章。

 長い筒の先端が、きらりと太陽を反射する。

 望遠鏡だ。

 観ている。

 こちらを。


 リオが低く唸る。

 レンは目を細め、その仮面の向こうに沈んでいるはずの視線と、短い時間だけ見つめ合った。

 UIが、静かに注記を置く。

 〈観測体:人為連結〉

〈所属:不明〉

 金属の仮面はわずかに傾き、砂の縁から消えた。

 残ったのは、陽炎だけ。


「急いで追う?」


 偵察役の女が、砂の上の足跡の薄さを測りながら問う。

 レンは首を横に振る。

「追わない。輪を空けたまま、遠出はしない。……それに、向こうは“見せたいもの”を見せてくれた。なら、こっちも“見せたい場”を用意しよう」


 リオが首を傾げる。

「場?」


「祭の回路を、輪に増やす。——驚きが座る席を、いまのうちに」


 ヴェリアスが喉の奥で笑う。

『均衡を崩す祭か。火に風を通すのだな』


「そう。外乱は、いずれ来る。……なら、こちらから先に“小さな風”を起こして、火の燃え方を思い出しておく」


 レンは砂を蹴り、斜面を降りた。

 背後で、崩れた塔の口が暗く沈黙を保つ。

 その暗がりの最深部、冷え切ったコアの欠片は、もう光らない。

 だが、レンのUIには、確かに“鎖”が一本、追加されている。

 最適化の罠に近づけば、かすかな鈴の音のような警告が鳴るだろう。

 その鈴の音に合わせて、輪の中に“無駄”を残す。

 遊び、祭、愚かな実験。

 驚きの席札。



 アーク・ネストに戻ると、円卓の輪は昼の沈黙を抱いていた。

 鍋は火を離れ、乾燥した野菜の棚には薄い布がかけられ、価値石の交換は朝よりもゆっくりだ。

 レンは広場の中央に立ち、子どもらの走る道筋と、女たちの皿洗いの動線と、老人の昼寝の影を、ひとつの“地図”に重ねた。

 〈設計制約:有効〉

 〈均衡追求ペナルティ:監視中〉

 UIの端で、小さな鈴が鳴った気がする。

 完璧な整列を目指す線が、そっと消える。

 レンは口角を上げ、焚き火の位置を半歩ずらした。


「祭をやる。——輪の真ん中で」


 輪はざわめき、女が笑い、老人が眉をひそめて、しかし目は楽しそうに細くなった。

 炊事係の女が手を上げる。

「何を捧げる?」


「何もかも、少しずつ。完璧な皿は出さない。——未完成の皿を並べる」


「それは、料理に対する冒涜?」


「いいえ。練習」


 笑いがこぼれ、価値石が軽く跳ねる。

 レンは輪の外の、森の方向を見やった。

 ナナミアの切り株の席は、まだ空いている。

 風はやさしく、遠い稜線の向こうで、金属の仮面はもう見えない。

 それでも誰かが見ているのなら——


「見せたいものを、見せよう」


 輪の中央に、鈴がひとつ。

 結わえた紐の先で、揺れ待ちのまま、かすかな光を吸っている。

 レンは息を吸い、鈴を鳴らした。

 ——チリン。

 それは、過去のAIが最後に残した鎖の音でもあり、新しい祭のはじまりの音でもあった。


 空は、高い。

 完璧でない風が、輪の上を、よく通る。


(つづく)

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