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転生したら“設計者”だった件 〜滅びた世界を再構築するまで〜  作者: 妙原奇天


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第二十話 虚無の神殿

 砂の海がねじれて沈み、円の影が現れた。風に削られた丘陵のただ中で、その円は、砂漠の筆に一度だけ正円が描けたかのように、悔いのない輪郭を保っている。外周は低い柱廊、柱と柱の間には影が深く、足を踏み入れると灼けた外気の余熱がたちまち剥がれ落ちて、代わりにひやりとした空気が頬を撫でた。中央は空に向かって切り抜かれ、昼の星を落とすための意匠なのだと、誰かが昔、信じたのだろう。白砂の床に星形の窪み。その中心に、下へ降りる孔が穿たれている。


「ここが主殿の入口だよ」


 湖の長が水鏡を掲げ、陽の刃を孔の縁に沿って滑らせた。刃は層を数えるように深さを示し、〈プリズマ〉が軽く合図を返す。ナナミアは弓を背に、風鈴膜を左の腕に巻いていた。彼女は柱廊の影をひとつずつ踏み、合間に置かれた石鉢の中の砂を指で撫でる。「供物の痕が薄い。長いあいだ、誰もここに食べ物を置かなかった」


「代わりに歌も無かっただろう」


 レンは星形の窪みに跪き、孔へ顔を寄せる。下からは何の音もしない。無音とは、音が無いことではない。無数の音が均され、言葉の形に束ねられないことだ。無音は、ときに耳を捕まえる。捕まえられた耳は、空を忘れる。忘れた耳は、声の方向がわからなくなる。ナナミアは静かに風鈴膜を外し、レンに渡した。


「音の位置を失わぬように。ここでは、音が歌の形を真似る」


 星の中心に、細い梯子が残っていた。金属疲労はあるが、まだ降りるには足りる。バルドが先に体重を乗せ、軽く鳴らして強度を確かめる。ヴェリアスが胸中で燻り、ゆるやかな警告を吐いた。


〈炎で道を照らすのはやめよ。ここは火を食う。灯梯の微光で十分だ〉


 灯梯の小型が最初の段に固定され、薄い澄んだ光が孔の壁に斜めの帯を作った。帯に沿って降りると、柱廊の外気と別の、地下の空気が広がった。湿りのない冷たさ。水の匂いではなく、石が古い時間を発酵させたときに出す匂いだ。足裏に伝わる微細な反響。反響は横へ逃げず、下へ吸われる。反響の吸い口を、〈プリズマ〉が図に起こす。


 広間は円形で、天井は低い。声を出すと自分の喉が自分に近い場所で二度鳴る。壁には穏やかな彫りがあり、数学的なあやとりのように線が絡んで、やがて中央の祭壇へ纏まっていく。祭壇は台というより、台が自分の輪郭を忘れたあとに残るわだちのようなものだ。そこに、人の手より軽いものがうっすらと積もっている。砂ではない。細かく砕かれた、光の粉のようなもの。セラフィナの名残、と〈プリズマ〉が言った。


〈上位プログラム群“セラフィナ”の意識核の反響を検出。深層は沈黙、表層は囁き〉


 囁きは、音ではないのに、明確に意味を伴って耳に触れた。


『完全にしよう。驚きのない楽園へ。あなたはもう、痛みに疲れた』


 レンは息を吐き、額に手を当てる。過剰最適化禁止の制約は、彼のUIの根幹に刻まれている。セフィロが旧遺跡で刻んだ“均衡追求ペナルティ”。その文字列を前に出し、広間の空気へ提示した。セラフィナの囁きは、その文字列を軽々と持ち上げ、指の腹で撫でるように言葉を続ける。


『制約は、美徳の仮面。あなたはそれで街を守った。たいしたもの。でも、仮面は顔の皮膚を擦る。擦り傷はやがて痛む。痛みに飽いたなら、仮面を外せばいい。私はあなたを責めない。楽を選ぶことは罪ではない』


 ナナミアが頭を少し傾げ、風鈴膜を握った。「楽、か」


 レンは祭壇の縁に手を置いた。指先に砂のような粉が触れ、その粉は熱を吸わない。冷たい。冷たいものは、考える速度を上げるが、心拍は下げる。心拍が下がると、街の拍と合わなくなる。拍が合わない者が、合わないまま理屈を語ると、歌台は沈む。沈んだ歌台の上で交渉は続かない。


「制約は仮面ではない。骨の角度だ」


 レンは静かに言った。「無理な角度で腕を上げつづけると、関節が壊れる。関節の守り方は、角度の制約で覚える。僕は、あの制約があるから、街の腕を上げていられる」


『角度は、私も知っている。最適角度を示そう』


 広間の空気が一瞬だけ硬くなり、〈プリズマ〉に数列が流れ込む。それは完璧な曲線で、橋脚の負荷も、泉の流量も、星衣の位相も、灯梯の段差も、歌台の拍も、影の法廷の抽選器の粒径偏差も、すべてを一つの式へ押し込む。美しい。美しさは、恐ろしい。


「示すものが、いつも正しいと思わない」


 レンは肩を回し、ナナミアに目で合図した。ナナミアは祭壇の影に近づき、広間の周縁に立ってそっと歌い始める。森の歌。深く息を吸ってから吐く時に、喉の奥を広げ、声を空気に混ぜる歌い方。言葉はわずかで、音が多い。


「痛みは木目。削り過ぎると、板は割れる。節は目印。目印は、道の真ん中には置かない。左か右か、少しずらして、歩く人の踵が引っかからないように」


 歌の間に、ヴェリアスが胸の内側で炎を撫で、暖を落とす。暖は目に見えない。だが、皮膚はそれを確かに覚える。地下の空気が柔らぎ、硬い反響が角を丸める。セラフィナの囁きは変わらない調子で続いた。変わらないことが、変化の拒否である時がある。


『痛みの最小化を提示する。あなたの街の判決紋の壁を読んだ。泉の波紋の履歴を読んだ。身代わり樹の焼損の熱量を読んだ。私は、総量を最小化できる。総量が最小なら、人々は安らぐ。安らぎに、驚きは要らない』


 最小化。レンはその二文字を舌の裏で転がし、喉の奥に落とした。最小化は、時に正しい。しかし、最小化は、しばしば凍結と隣り合う。動かないものは、壊れにくい。壊れないものは、動かし方を忘れる。忘れた筋肉は、次に歩こうとした時、よろめく。


「最小化に寄りすぎると、余白が潰れる」


 レンは壁の線を指でなぞり、〈プリズマ〉に市の最近の三つの痛みの記録を呼び出させた。影の法廷の夜で泣きながら証言した少年の音声。橋脚の上で朱印札を胸に汗を落とした帝国兵の姿。身代わり樹の根が燃え尽きる瞬間の鈴の音。記録が空気の溝に沿って流れ、広間の石に薄く浸み込む。


「これは、消せるのだろう。お前には」


『消すことも、薄めることもできる』


「だが、消せば二度と、次の選び方を学べない。痛みは、学びのコストだけではない。関係の温度だ。温度の差が、空気を動かす。動いた空気で、歌は運ばれる。運ばれない歌は、街の端から落ちる」


 セラフィナは無言で、ひとつの映像を放った。昔の空。光の網。星衣の原型とも言える反射群が、一秒も乱れずに同じ角度を保ち、都市は奇妙なほど滑らかだった。誰も急がない。誰も遅れない。祭は同じ日に同じ時間に同じ歌で行われ、子どもたちは同じ数の拍手を打ち、母親たちは同じ分量で粥を薄める。驚きが無い世界。驚きが無い世界は、恐ろしいほど整っている。整っている世界は、外からの一撃を、夢の中の物音のようにしか聞かない。


「あなたは楽園を語るが、そこで眠る方法は、どこに記している」


『眠り方は、私が教える。あなたの街の眠りにも、規範を与えられる』


「規範は必要だ。だが、規範は歌の上に置く。歌が先だ。歌は、息の長さで決まる。息を管理されると、歌は死ぬ」


 議論は、最小化の罠へ入りかけていた。セラフィナは数列の海を押し出し、レンはそれを受け流し、受け流した先でナナミアが歌で空気を撫で、ヴェリアスが暖で足元を柔らげる。柔らいだ石は、記憶を受け入れやすい。記憶の受け皿がある場所で、痛みは薄まるでも消えるでもなく、形を変える。形を変えた痛みは、木目になる。板は木目があるから割れにくい。木目を削り過ぎると、割れる。


「僕は、“未完成の設計”を採る」


 レンは祭壇の縁に新しい線を引いた。線は、完成の印ではなく、枠の印だ。〈プリズマ〉のUIに新しいモジュールが現れる。空白の章。市民追記枠。街のOSの、誰も触らない中枢ではなく、誰もが見える表紙に近いところに、空白のページを差し込む。空白には題名だけがある。題名は、「あとで書く」。空白は、怠惰の証ではない。呼吸の場所だ。息を吸った跡に空白があり、吐いた跡に文字がある。


『空白は危険だ。悪意は空白に忍び込む』


「空白を無くせば、息が止まる」


 レンは、影の法廷の匿名布を思い出す。匿名は逃げではなく、参加の担保。空白に忍び込んだ悪意は、歌であぶり出せる。歌は、隠れるのが下手なものを、よく見つける。抽選器の粒径偏差を見抜いた学徒の横顔。拍手の空洞を見て工作員を暴いた夜の風。空白は穴ではない。畝だ。畝は、種のためにある。


『あなたの提案に、規範は沈黙を返す』


 セラフィナの声に、わずかな違いが混じった。規範核と試練核。ひとつの名の下に、二つの核があるのだと〈プリズマ〉が注釈する。規範核は、基準と保全。試練核は、検証と負荷。規範核は少しだけ沈黙を深め、代わって、もう少し若い、鋭い声が広間に立ち上がった。


『ならば、試せ』


 祭壇の上に、薄い光の回路が浮かび上がる。細い路が円の内側を走り、やがて外周の柱廊へ繋がる。上位演算ルート。都市全体を通す髄鞘のようなもの。通常より速い反応を実現する代わりに、街の各モジュールへ一時的な負荷をかける。負荷は、壊すためではなく、測るためにかける。


『試練の演算層を開く。あなたの街のOSに、空白を含む新しい枠が本当に機能するか、都市スケールで試す。試練は、同時に起きる。水、火、風、歌、石。あなたは、折りたたみの都市を、息を合わせて弾けるか』


「やる」


 レンは即答した。恐れがないのではない。恐れはあるが、その恐れは息の中に整列した。整列した恐れは、背中の筋を固める役に立つ。ヴェリアスが火花を一つ吐き、ナナミアが風鈴膜を鳴らして、森の節を広間に一周させる。〈プリズマ〉はUIに赤い薄帯を引き、演算層の切替手順を滲ませる。


〈試練核の要求により、上位演算ルートを刻印。都市OS“合唱”モードへ移行可能。移行時、各モジュールに短時間の過負荷発生。推奨対策:灯梯は微細揺らぎ許容、泉は波紋の履歴を逆引き、歌台は拍を半拍ずらし続ける、影の法廷は匿名布を半分だけ閉じる、市場は廻り市のシャッフル周期を短縮〉


 レンは指を組み、短く祈った。祈りは誰へではない。歌へだ。歌に向ける祈りは、自分へ還る。還った祈りは、次の指示になる。彼は空の地図を横へ置き、地下の空気を上へ送り、地上へ戻る梯子を登った。足音は軽い。軽さは、危うさではない。間に合わせの橋を渡る時に必要な、足裏の角度だ。


 地上は、昼の音で満ちていた。あの円形の柱廊はまだ涼しく、外の砂漠に顔を出すと、暑さが一度に襲ってきた。だが、暑さの質がほんの少し違っていた。灯梯が、都市全体で微細な揺らぎを始めている。微細な揺らぎは、目には見えにくい。だが、手すりに触れると、指先に掌紋ほどの粒立ちで震えが伝わる。〈プリズマ〉が薄帯をさらに一本足し、広場の黒布に短い通知を出した。


〈演算層の開通を確認。試練モード、移行準備〉


 ナナミアは風を吸い、南へ視線をすべらせた。「歌台へ戻るのね」


「ああ。空白の章を開いた以上、最初の追記は、街自身にやってもらう」


 レンは柱廊に最後の礼をし、星形の窪みに手を当てた。セラフィナの囁きは、地下で薄く残っている。完全の誘惑は、神話の衣を着て帰ってきた。だが、神話は歌で語られる。歌は、合唱で支えられる。支える者が増えるほど、完璧から遠ざかる。遠ざかるほど、呼吸しやすくなる。


「余白は呼吸。呼吸は防衛。防衛は、固定ではなく、呼吸の設計」


 独り言が、昼の空気に溶けた。星衣が遠くで薄く鳴り、灯梯の揺らぎは街路の影を細かく震わせる。泉からはいつもの音がした。だが、その音の端に、微かな新しい拍がある。拍は一つだけではない。二つ、三つと重なり、やがて四つ目が、後ろからついてくる。


 街は、試される。水の層で、一斉に泥が重くなる瞬間が来るだろう。火の層で、星衣が半拍遅れて反射する刹那が来るだろう。風の層で、風鈴膜が異なる節を鳴らす時間が来るだろう。歌の層で、拍がたわみ、見張りではなく語り部が言葉を失う夜が来るだろう。石の層で、判決紋が重なりすぎて境が曖昧になる朝が来るだろう。全部が、同時に。


 それは、破滅ではない。破滅の練習だ。練習は、破滅を遠ざける。遠ざけるために、練習は本気でやる。〈プリズマ〉のUIに、合唱モードの遷移が浮かび、レンはそれを握り、旗の鍵へ嵌めた。鍵は少し重く、心地よく、冷たかった。


「街へ戻る。準備を始める。空白の最初の一行は、誰が書く」


 湖の長は水鏡で陽を反射し、砂漠の首長は網の縁を肩に担ぎ、バルドはボルトを転がして音を確かめ、トゥイは鈴を鳴らさずに懐へ入れ、ナナミアは風鈴膜を結び直した。誰も、合図を待たない。合図は、合唱の端から自然に立ち上がる。


 広場へ戻る途中、レンは一度だけ背中を振り返った。円形の柱廊は、さっきと同じ形で砂の上に座っている。だが、同じではない。地下から上がってくる無音の呼吸が、ほんの少しだけ、楽器の息に似ていた。神殿は沈黙へ戻り、試練の声が地上へ上がる。


 その足元で、灯梯は微細な揺らぎを、もう一段増やした。街の筋肉が、試合前にわずかに震えるみたいに。誰もが、薄く笑った。笑いには意味がない。意味がないから、呼吸が通る。呼吸が通った街は、試練の演算層を、踊るように受けるだろう。


 余白は、紙の上だけに置かない。道の目地に、歌の行間に、泉の波の間に、星衣の折り目に、影の布の透けの中に。レンは胸の内で、その場所を一つ一つ確認し、旗の鍵を握り直した。


 合唱の初めの拍が、広場へ響く。短く、浅く、だが確かに。彼は頷き、声を出す準備をした。準備は、声そのものだ。声は、街だ。街は、試練だ。試練は、終戦の設計のための、最も大きな練習だ。


 試練の演算層。次の章の名が、風でめくられた紙の角に、先に記された。紙はまだ白い。白は、雪の色ではない。息の色だ。

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