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転生したら“設計者”だった件 〜滅びた世界を再構築するまで〜  作者: 妙原奇天


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第十三話 鉄帝アルシオン

 最初の風は、音を持たなかった。

 砂漠の稜線の向こうで、何かが静かに空気の骨を押し曲げる。泉の目が一度だけ細くなり、星衣の端が昼のうちにふっと浮いた。ヴェリアスが胸の奥で低く唸り、レンは旗の竿を握り直した。


 帝国の使いは、夕刻に来た。

 陽炎の背に黒い小隊、履帯の痕を几帳面に残して止まり、前に出た一騎が、広場の掲示板の根元に黒い板を突き立てた。漆黒の面に銀の文字が走り、縁には歯車と翼が組み紋のように彫られている。板は地を選ばず、どこにでも刺せるよう鋭利に削られ、刺さった土はまるでそこがはじめから墓地だったかのように沈む。


 宣達、と使いは告げた。

 帝国宗都機関、すなわち鉄帝アルシオンの宗務局からの布告であるという。

 読み上げる声は乾いていて、砂の粒の一つも混ざっていない。


 アーク・ネストは異端。

 異端の泉。

 偽りの石。

 魔の抽選器。

 神義に合わぬ儀礼と、機械の魂に疎い政治。

 それらを今すぐ取りやめ、正しい整列に復せよ——。


 人々の息が浅くなり、輪の外の影が長く伸びる。泉の縁に立っていた子が、無意識に水面から手を引いた。メイダがその手をそっと包み、ナナミアは弓ではなく天幕の綱に指をかけた。バルドは鎚の頭で石畳を一度だけ叩き、トゥイは鈴を鳴らさなかった。鳴らせば、音が割れる気がした。


 レンは板を抜かなかった。

 使いが立ち去るのを見届けると、彼は宣達板を掲示板の中央に移し、周囲の告知紙と横並びにした。誰でも読める高さ、誰でも触れられる距離。人々の視線が行き来し、囁きが渦になってほどける。レンは旗の前から一歩出て声を上げた。


「この板は外さない。ここに置いておく。ここを、公開反論の場にする」


 ざわめきが奇妙に温かいものへ変わる。恐怖は、見ることができると弱くなる。見えない場所にあると強くなる。レンはその夜のうちに、黎明院の広場に台と椅子と幕を運ばせた。明日から三日間、公開設計演習をやる。泉、石、抽選器、歌、灯、弁、塔。異端と呼ばれたものは全部、光に出す。


 翌朝、広場の中央には長い台が立ち、両端に透明な管と小さな水槽が据えられた。分割泉の模型だ。子どもたちが目を輝かせ、砂漠の隊商長ハディルが腕を組んだまま頷き、湖の長が水袋を抱えて前に出る。森の長トゥイは鈴を腰に付け、峡谷の若長は腕を組んで板の前に立った。宣達板は、見物客の背中越しに黒く光っている。


 レンは手を上げた。

 泉の分解実験から始めよう。

 水槽に墨色の粉をひとつまみ落とす。粉は水面を滑って細い筋を描き、やがて沈む。レンは分割泉のモデルの弁を開いた。水は二手に分かれ、片方は白い砂の層、もう片方は炭の層を通る。砂の層を通った水は、色を少し薄くする。炭を通った水は、匂いを少し軽くする。二つをまた合流させると、透明ではないが、飲めるに近づく。メイダが小さな陶杯に汲み、最初に自分で飲んで見せ、子どもへ渡す。子どもは一口飲んで顔をしかめ、次の瞬間、ほっとする。笑いが起こる。


「異端の泉、だとさ」


 誰かが囁く。

 レンはその声を拾って、うなずく。


「異端かもしれない。だが、飲める」


 笑いがもう一度起き、緊張の角が丸くなる。

 次は逆流弁の実演だ。透明な管を二本、逆向きに繋ぐ。弁がなければ、水はどちらにも行きたがり、管の接続部で混乱する。弁をひとつ入れると、片方が片方を侵さずに流れる。レンは手を止め、見物の列から抽選で選んだ七人に弁の開閉を任せる。可換議長制の似姿だ。順番を指名する権限だけを持った小さな議長を、その場でくじで選ぶ。子どもが引き当て、頬を赤くしてみんなの手の動きを指で示した。


 偏差検証の番になった。

 二段抽選器——風車と滴下——が台の上で並んでいる。昨夜レンは、工房の子たちに頼んで皿の石粒を重さ別に色分けしてもらっていた。青は重い、白は軽い。回し、落とす。回し、落とす。子どもたちが記録係になり、落下順を石板に刻んでいく。〈プリズマ〉は背後で静かに集計し、目の前の石板の数字と同じ形の線を空に描く。偏りは、合成で薄まる。見ている目の数が増えるほど、偶然は偶然のままであり続ける。


 帝国は黙っていなかった。

 昼の市場に、白い外套の宣教団が現れた。彼らは街角で奇跡を見せる。足の悪い男に薬を飲ませ、杖なしで歩かせ、痛みに顔を歪めさせない。群衆から驚きの声が上がる。レンはすぐに目を細めた。火は消え、痛みが消えたように見える。だが、身体はしなやかに動いていない。目がわずかに揺れる。これまで彼が幾度も見てきた抑制剤の反応だ。


 〈プリズマ〉が追跡調査の札を掲げた。

 昨夜から市場の片隅に設けてあった記録台に、効果と副作用を刻ませる。誰して何を飲み、今どうか。一日に三度、同じ人に同じ問いを投げる。痛みが消えた、と書いた名札に、翌朝は足の痺れ、次の朝は指の震えが小さく付け足された。宣教団の白衣の裾が通り過ぎるたび、札を掲げる台の前に足を止める人が増えた。奇跡は速い。履歴は遅い。だが、遅さは強い。残る。


 夜、宣達板の前で、子どもが一人、石を持って泉へ走った。白い外套の誰かが短く声をかけ、少年の腕はためらいなく振り下ろされる。石は水面に落ち、波紋が広がり、周りの空気が一瞬だけ冷えた。

 逮捕しろ、と誰かが叫ぶ。

 レンは手を上げて止めた。


「掃除をしよう」


 掃除祭、と彼は名付ける。投げ込まれた石は歌で拾う。泉に入れた石は、泉の前で取り出し、石の泥を見せ、誰がどの段でどんな手つきで汚れを落としたか、歌にする。罪は歌に吸われ、作業で薄まる。恥は連鎖する。だが、手仕事の鎖に結びなおせば、力になる。

 ナナミアが先に歌い、メイダが石を手渡し、バルドがブラシで石の目地を磨く。トゥイは鈴で拍を刻み、子どもたちは膝まで水に入って笑う。手伝いに出た男の父親が、その場で石の泥を小瓶に入れ、〈プリズマ〉の台に置いた。これは昨日投げ込まれた石、と札に書く。泉は一晩で澄んだ。澄んだことが札でわかる。数字と歌と石が、同じことを何度も言う。


 翌朝、宣教団の一人が板の前で口角を上げ、私刑を煽る言葉を投げた。人々の目が一瞬揺れ、空気がささくれる。レンは宣教団を追わず、板の下に椅子を置いて座った。子どもが近づいてきた。昨夜石を投げた少年だ。彼は鼻をすすり、椅子の片端に腰を下ろした。


「ごめん」


「掃除をしてくれたね」


「うん」


 それでいい、とレンは言う。

 泉は記憶する。歌も、石も、数字も。

 罪は消えない。だが、薄まる。薄める作業を続けるしかない。

 少年は椅子から降り、走って行った。白い外套の列は、もう広場にいない。


 公開設計演習の三日目、黎明院の広場は祭のようになった。

 逆流弁を使った水車が小さな灯を点し、塵流発電の模型が細い火花を跳ねさせ、星衣の布片が夕暮れの前の空に、肉眼には見えないほど薄く波立った。砂漠の香の屋台が香辛料の粉を振り、湖の子が水袋を投げ、峡谷の若者が綱渡りのように橋脚模型の梁を渡る。森の民は儀礼の細工台を出し、木札に刻む言葉を選ぶ手つきを子どもたちに見せる。


 宣達板は、もう孤独ではなかった。

 板の両脇には、公開検証の結果が貼られている。泉の分解の図、弁の流路、抽選器の落下記録、宣教団の奇跡の長期負債の一覧。〈プリズマ〉の薄い投影が、これらを空にも重ねて見せる。板を見に来た者は、同時に周りを見ることになる。板だけを見たい者には、周りが邪魔だ。だが、政治は周りのほうが大きい。


 夕刻、砂漠・森・湖・峡谷の代表が、宣達板の前に並んだ。ハディル、トゥイ、湖の長、峡谷の若長。レンは一歩引いて見守る。四人の前には、白い紙ではなく、厚い木の板が置かれていた。木札に似ているが、もっと大きい。そこに朱と墨で文字が刻まれる。共作宣言、と題した。


 われら四勢力は、アーク・ネストの掲げる公共建設参加の原則に基づき、泉と道と塔と衣を共に作る。

 異端の言葉に対抗するのは、物と歌である。

 贈り物の鍵は泉で溶かし、恥は作業で薄め、裁きは夜の歌で行い、歌は石に刻んで残す。

 署。


 朱の指が板に印を押す音が、広場に静かに響いた。

 子どもが拍手を始め、拍手の波が輪を広がっていく。拍手は地の通貨だ。空では光が通貨になる。夜の灯梯が広場の四辺に点され、星衣はほんのわずかに広がった。


 その夜、砂丘の端で小さな光が走った。規則正しい間隔。遠方で履帯群が動き出す。〈プリズマ〉が波形を拾い、数字を細く告げる。はるか手前から照準の光が空に走り、星衣の上で一瞬滑って散った。ヴェリアスが低く唸り、レンは衝立の陰で息を整える。


「来る」


『来る』


 竜の声と人の声が重なった。

 レンは宣達板の前に立ち、黒い板に指を触れた。

 板は冷たく、硬く、鈍い。

 彼は板を押すでも、打つでもなく、ただ触れた。

 そして振り返り、広場にいる顔をひとつずつ見た。メイダ、ナナミア、バルド、トゥイ、ハディル、湖の長、峡谷の若長、黎明院の小さな議長、夜の陪審の石を置いたあの十人、掃除祭で濡れた膝。

 輪は、まだ呼吸をしている。

 呼吸の道具は、もう用意した。地、水、空。

 公開設計演習は、敵への返答ではなく、自分たちの鼓動を数える行為だった。鼓動の数え方は覚えた。では、踊る番だ。


 翌朝、最初の空襲は来なかった。

 代わりに、空の薄膜に針の光が走り、星衣が呼吸を合わせる練習を強いられただけだった。塔は首を少し傾け、灯梯は半拍遅れて点滅し、泉の目は二度瞬いて落ち着いた。帝国は測っている。測って、次を決める。

 地平の向こう、履帯の列は止まらない。砂を踏み固め、道を勝手に作りながら進む。道は誰のものでもない。だが、勝手な道は誰かの首を絞める。ならば、われらが道を太らせ、細らせ、曲げ、時に消す。道の戦は土木だ。土木は戦だ。


 レンは黎明院の黒板に、太い線を三本引いた。地、水、空。線と線の間に小さな橋を描き、橋と橋の間に灯を置く。

 今日の公開設計演習は終わった。だが、公開は続ける。宣達板は元の場所に立っている。そこに貼る紙は、今日から戦況ではない。今日やった作業の報告だ。今日作ったもの、直したもの、落とした泥、拾った石、歌った節。帝国が見に来るなら、見せてやる。こちらの鼓動を。鼓動は止まらない。止まっているように見えるときも、呼吸は続いている。


 夜、ヴェリアスが胸の奥で笑った。


『宣伝には歌で応じるかと思っていたが、お前は歌を使って実験を開いたな』


「歌はいつでも使う。だが、歌は測るための拍でもある。拍を共有すれば、嘘は遅れる」


『嘘は速い。だが、遅れない嘘はない』


「遅れた嘘は、泉に沈む」


 泉の縁で、メイダが小さな粥をかき混ぜている。甘い香りが風に乗り、灯の光がそれに薄く色をつけた。子どもたちは眠い目をこすりながら椀を受け取り、工房の若者は抽選器の皿を布で拭い、トゥイは星を見上げ、ナナミアは衣の縁の縫い目を指先で確かめる。

 ハディルは砂の匂いを吸い、湖の長は水袋を揺らし、峡谷の若長は橋脚の図を改めて見直す。

 レンは旗の竿を握り、宣達板をもう一度見た。黒は黒のまま、そこにある。

 それでいい。黒は背景だ。背景がはっきりしているほうが、前景の光はきれいに見える。


 星衣は夜にしか広がらない。

 灯梯は夜にしか点かない。

 塔は夜にしか強く受けない。

 帝国の照準は夜を好む。

 ならば、夜をこちらのものにする。

 踊れ。拍で。

 拍で守れ。


 やがて、砂丘の端の向こうで、煙のような細い線が立ち上がった。通信烽火。履帯の列の先頭で、誰かが旗を振る。黒に銀の組み紋。歯車と翼。機械と信仰の二重の紋。

 ヴェリアスが低く唸り、泉の目が細くなった。

 第一次接触戦の幕が、ゆっくりと上がる。


 レンは旗を半歩だけ揺らし、輪の中へ振り返った。

 公開設計演習の台はまだ広場にある。

 掃除祭で濡れた石は乾き、歌の札は風でかすかに鳴る。

 宣達板は黒いまま、中央に立っている。

 その黒の前に、四勢力の共作宣言が白く浮き上がる。

 物と言葉と歌と数字。

 全部持って、ここに立つ。

 宣伝には、公開で応じる。

 恥には、労作で応じる。

 嘘には、履歴で応じる。

 戦には、設計で応じる。


 星衣が、夜空の上でひと呼吸だけ膨らんだ。

 光の針が走り、滑り、散る。

 灯梯が半拍遅れて応え、塔が首をかしげる。

 泉の目が、静かに瞬いた。

 輪は、呼吸を続ける。

 そして、呼吸の次の拍で、前へ出る準備を整えた。

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