第12話 同盟の宴
砂の都に三つの太陽が落ちたような黄昏だった。西からの風は熱を帯び、遠くで鳴る風鈴の音が砂粒のこすれる音に混じっている。泉の縁に張られた天幕の群れは、各勢力の旗をはためかせ、香と音と光が渦を巻くように広場を覆っていた。砂漠の民、森の民、峡谷の民、湖の民——そして新興のアーク・ネスト。その五つの旗が一堂に並ぶのは、旧時代の記録を探しても例がない。
宴は三夜に分けられた。第一夜は食の交換、第二夜は歌の交換、第三夜は道の交換。レンは第一夜の開宴の杯を掲げながら、周囲をゆっくり見渡した。
「われらの同盟税は、金ではなく道で払ってもらいたい」
その一言にざわめきが起きる。砂漠の首長が大きく笑い、湖の長は慎重に頷き、森の長老トゥイは目を細めて手を叩いた。
「それぞれの手が、他者の道を造る。それがこの宴の誓いだ」
砂漠の民は熱を制し、湖の民は流れを整え、森の民は儀礼を定め、峡谷の民は橋を架ける。アーク・ネストはその中心で、泉の循環を支える。守ることを作ることに変える外交。誰もが、戦ではなく手仕事の分担表に顔を寄せた。
地図が広げられ、共同工区が赤い線で区切られる。レンは筆を取って、それぞれの印の上に小さな朱点を置いた。「これがわれらの血のかわりだ」
場が温まり、砂漠の香辛料が鼻を刺す頃、行商の一団が現れた。鮮やかな衣、滑らかな声。彼らは各首長の帳に贈り物を運び入れた。砂金色に光る小片、見慣れぬ金属。
〈プリズマ〉が波形を拾う。光の揺らぎが、人工の信号であることを告げた。帝国暗号鍵。見えぬ手が、同盟の輪に贈賄の影を落とした。
夜が更け、焚き火が静まり、月の光が天幕を縁取る頃。レンは泉のほとりで、金属片を指の上に乗せた。冷たい。だが、冷たさの下に熱を秘めた不気味な波動があった。
翌朝、峡谷の若長が態度を翻した。
「帝国との商路は魅力的だ。物資も技術も届く。同盟は理想だが、腹は理想で満たされぬ」
広場の空気が一瞬で冷える。砂漠の民が眉をひそめ、湖の民が水袋を揺らし、森の長が杖で地を叩く。
レンは息を吸い、反論の言葉を探した。だが、その場の理では言葉が通じないと悟る。正面からの説得は、心の防壁を厚くするだけだ。
ならば、歌だ。
レンは席を立ち、泉の中心に歩み出た。
「この宴に異議を申し立てるなら、歌で示そう。言葉は争うが、歌は響き合う」
それは影の法廷で使われた判決短歌の形式。五つの勢力が輪になり、順に句をつむぐ。森の長トゥイが先唱した。
「雨に濡れ 根を分け合うも 森は森」
砂漠の首長が続ける。
「砂に咲く花も 根は同じ水」
湖の長が手を振り、静かな声で応じた。
「流れゆく水に 名はなくとも 舟は進む」
そしてレンが結句を置いた。
「道は誰のものでもない 歩く者が形を決める」
歌が終わると、風が泉を渡り、薄く波が立った。峡谷の若長はしばらく黙っていたが、やがて苦笑した。
「歌に負けたわけじゃない。歌に守られたんだ」
笑いが広がり、杯が再び上がった。緊張の糸がほどけ、宴の輪が呼吸を取り戻す。
二夜目の夜。各地の歌と舞が交わされる。森の笛が空を裂き、砂漠の太鼓が地を鳴らし、湖の琴が水を揺らす。アーク・ネストの子どもたちは灯梯を背に小さな灯を振り、光の拍子で舞った。
レンはその中心で杯を置き、静かに呟く。
「この光が、互いの影を照らす限り、まだ道は続く」
三夜目。道の交換の日。各勢力の代表が、共同工区の地図に印を打つ。砂漠の民は路線を、湖の民は水門を、森の民は儀礼の園を、峡谷の民は橋脚を。アーク・ネストはそれをつなぐ泉の流路を描く。
地図上に朱の線が重なり、輪の中心に泉の印が置かれた。
そのとき、ヴェリアスが低く唸る。〈プリズマ〉が反応。帝国鍵の波形がまだどこかに残っている。贈られた金属片の一部が、誰かの懐で眠っている。
レンは静かに立ち上がり、手を掲げた。
「この宴の最後に、ひとつだけ儀を加えよう」
彼は泉の縁に歩み、手にした金属片を水面に投げ入れた。
青い光が走り、泡が弾ける。泉の底から塩素のような音が響き、光の鎖が一瞬だけ立ち上がって消えた。暗号鍵は分解された。
次々に各勢力の代表も贈られた金属片を取り出し、泉に投じた。砂漠の首長は笑いながら、湖の長は祈りの仕草で、森の長は杖で水面を叩いて。最後に峡谷の若長も、少し遅れて、金属片を放った。
泡が重なり、泉の水は光を帯びる。〈プリズマ〉が小さく鳴動し、波形が消失する。
ヴェリアスが満足そうに息を吐いた。
レンは言った。
「この泉が証人だ。われらの同盟は、贈り物ではなく手で結ばれた。作ることを誓い、守ることを誓う。これがわれらの新しい盟約だ」
砂漠の太鼓が鳴り、湖の琴が重なる。光の衣が広場を包み、夜空には星衣が薄く広がる。三夜の宴の締めくくりにふさわしい、静かな光の踊りだった。
宴の終わりに、各勢力の第一工期が確約される。朱線の地図に印が入り、共有の誓文が声に出される。
レンは杯を掲げた。
「われらはもう、ひとつの空を見ている」
その言葉に応じるように、星衣が夜風でたわみ、反射膜が淡い光を放った。
だが、宴が完全に終わる前に、〈プリズマ〉が微かなノイズを拾う。砂漠の端で、通信烽火。
レンは遠くを見た。砂丘の向こうに、淡く光る線。
帝国の先遣部隊が、境界線に触れた。
風が一瞬止まり、ヴェリアスの目が細く光った。
「次は鉄の客人か」
レンは深く息を吐いた。
宴の火がまだ消えぬうちに、次の戦いの火種が風に乗って届く。
砂漠の香と、森の風と、湖の湿りと、峡谷の響き。そのすべてを繋ぐ道の上で、レンは旗を握り締めた。
「ならば、迎えよう。話すために。守るために。作るために」
星衣が、夜空の上で再び広がった。
そして、同盟の宴は終わり、次の章——鉄帝アルシオン——が始まる。




