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第29話 男爵令嬢と日傘 2

いつも読んでくださり、ありがとうございます。

お楽しみ頂けていたら嬉しいです。



 眠りにつく前にアリスはレジーナに髪を梳かしてもらう。

 これはもう長年の習慣の一つだ。

 少しクセのある金色の髪が美しく保たれているのはレジーナのおかげだろう。

 鏡に映るアリスの表情も先程より自然で柔らかい。


「こうして過ごすのも残りわずかのものだと思うと感慨深いものがありますね」


 艶やかな髪を梳かしながら、レジーナがぽつりと呟いた。

 その言葉に鏡の中のアリスの表情が硬くなる。


「いえ、私はもちろんお嬢様の幸せを願っております」


 側にいる者として祝福すべきことを否定したように聞こえたかと、レジーナは慌てて訂正をする。

 

「本当に?」

「え?」

「本当にレジーナはそう思ってくれているの?」


 鏡越しにアリスの瞳がレジーナを捉える。

 青く澄んだ瞳がまっすぐにこちらを向いている。

 突然の問いかけにレジーナの灰色の瞳はかすかに揺らぐ。

 しかし、動揺していることを悟られてはいけないとレジーナは口元を引き締める。


「えぇ、もちろんです。お相手の御方は年齢こそ少し上ですが、評判には何の問題もございません」

「――そんなことを聞いていないわ。私はお前がこの婚姻を祝福してくれるのかを知りたいのよ」


 今度は鏡越しではなく、振り向いてアリスはレジーナの瞳を見つめて問いかける。

 こちらの回答を待つアリスに、レジーナは何も言えない。

 この婚姻は家にとっては良いものであろう。

 しかし、アリスの思いは? そしてレジーナ自身の思いはまた別のところにある。


「……傘をお贈りしてもよろしいでしょうか?」


 アリスはただ黙ってレジーナをじっと見つめる。

 内心を隠すようにレジーナはジュリ達に依頼している傘の話をし始める。


「私はご一緒できるかわかりません。せめて、お嬢様になにかお贈りしたいと日傘に刺繍を刺して頂いております。アリス様が自由に羽ばたけるようにと蝶をお願いしているんです」


 少々早口になってしまったが、レジーナの言葉に嘘はない。

 同時にアリスの問いには直接答えることを避けた形でもある。


「――そう、もう休むわ。傘、楽しみにしているわね」

「は、はい! ありがとうございます」


 傘を進呈する許可を得て喜ぶレジーナはアリスの表情の変化には気付かない。

 そのまま、ベッドへ横たわるアリスへ布団をかぶせ、一礼をすると部屋を後にする。

 明かりを落とした部屋の中、アリスは再び目を開く。

 その瞳は悲しみに染まっていた。


「私には傘よりも欲しいものがあるのにね」


 ふぅとアリスは小さなため息をこぼして、右手を天井にとかざす。

 暗闇の中に白く浮かび上がる細い手の平、この小さな手で何が掴み取れると言うのだろう。

 自身の無力さにうんざりするアリスだが、レジーナの先程の言葉を思い出す。


「私が自由に羽ばたけるように――か……」


 レジーナの願い、それはアリスの心からなぜか離れないのだった。



*****


 

「なにをじーっと見つめて考えているの? ジュリ」


 先程から依頼主レジーナから受け取った日傘を開いて、ジュリはそれを見つめてなにやら考えている様子だ。

 上質な日傘はそれなりに値が張るものであろう。

 男爵家に勤めるとはいえ、一介の使用人が払うには思い切ったものにエレナには思える。


「なぁ、エレナ。思うんだが、レジーナの思いと令嬢の願いが一致するとは限らないんじゃないか?」


 ジョー達との会話でジュリは貴族の婚姻の不自由さを知った。

 であれば、男爵令嬢アリスの心も異なるのではないかとジュリは思ったのだ。

 傘に付与する「アリスが自由であるように」というレジーナの願い、それがどのように作用するのかとジュリはめずらしく不安を抱く。

 

「でも、ご令嬢のお気持ちを聞きに行くわけにもいかないじゃない」

「守秘義務もあるからな。それで悩んでいるんだ」

「そっか……そうだよね」


 そもそもそう簡単に貴族令嬢に会うことは叶わない。

 まして、その思いを聞くなど困難である。

 エレナの言葉にジュリは傘を閉じて、そちらを見る。

 

「うーん、今回はお嬢様が自由であるようにっていう付与でしょ? 全部なんでも好きなように出来ることが自由とは限らないよ」

「僭越ながら、私も主にお仕えしておりますがそれもまた自らの意志。主の幸せを願っております」

 

 エレナとシリウスの言葉にジュリは頷く。 

 彼女もまた「自由」という言葉の幅の広さに気付いている。

 アリスの願う自由とレジーナの願う自由、それが一致するとは限らない。

 しかし、アリスが幸福であることをレジーナは望んでいるのだ。

 

「蝶のように自由に羽ばたけるように……か」


 白い日傘に刺す蝶の刺繍のイメージがジュリの中で固まっていく。

 高価であろう日傘を令嬢に贈ろうとしたレジーナ、降り注ぐ強い日差しからだけではなく、他の多くの者からも彼女を守りたいと思っているのだろう。

 ジュリは一針一針、心を込めて刺繍を刺し始めるのだった。

 

 

「本当に素敵な品に仕上げて頂いて……」


 日傘を受け取ったレジーナは慈しむようにそれを見つめる。

 小さく、だが可憐な一匹の蝶が白い傘に飛ぶ。

 そしてその傍には一輪の花が咲く。

 凛としたその花は灰色がかった色合いだ。地味で目立たず、だが蝶と寄り添い合うようにも見える。

 受け取ったレジーナが家を後にしていくその姿を、窓からエレナは見送った。


「これでよかったんだよね」

「いや、わからんな」

「え! だって素敵な傘になってたじゃない?」


 エレナの言葉通り、レジーナもその仕上がりに満足気であった。

 ジュリもまた傘に問題があるとは思っていない。

 付与である「令嬢が蝶のように自由に羽ばたけるように」という願いも、きちんと込められているはずだ。

 それでも大丈夫だと断言しないのはジュリなりに考えてのことだ。


「お守りにはなる。だが、どんな付与をしても、選ぶのは本人次第だからな」

「そっか、そうだね」


 付与の力は確実にある。しかし、絶対的なものではない。

 付与を得た本人たちがどのような道を選んでいくかは彼ら次第でもあるのだ。

 それは今回の依頼に限ったことではない。


「自由に望むまま生きる――それは彼女達の思い次第だな」

「……彼女達の?」

「あぁ、そうだ」


 窓の外をエレナは見る。雪は止んでいるが、その白い道にはレジーナの足跡が残っている。

 先程のジュリの言葉を思い起こしながら、エレナはただ二人の未来が明るいものであることを願うのだった。



 それから一か月後、アリスは生まれ育った街を旅立った。

 ガタガタと揺れる馬車にはアリスと使用人が座っている。

 なぜか不機嫌そうな使用人にアリスはくすくすと楽しげに笑う。

 それは屋敷にいた頃には見られなかったものだ。


「予想していなかったの? レジーナ」


 そう、使用人はアリスの傍にずっとついていたレジーナである。

 彼女は願い通り、これからもアリスと共にいられることとなったのだ。


「えぇ、まったく。長年お嬢様のお傍にいながら、このような事態は想定しておりませんでした!」

 

 レジーナの言葉にまたアリスは嬉しそうに大きく口を開けて笑う。

 屋敷であったならば、それを嗜めるレジーナだがもうその気は起こらない。

 それだけのことが彼女の身に起きたのだ。

 楽しそうに笑うアリス、だがその髪は耳にかかる程度の長さしかない。

 

「私も自分がこんなに思い切った行動をするとは思わなかったわ。レジーナのおかげね」

「――たしかに私はお嬢様が自由にと願いましたが……まさか、ご婚約を破談にするとは思っておりませんでした」

「そうね、お相手には悪いことをしたわ」


 貴族令嬢が長い髪をばっさりと切ったのだ。屋敷の者は皆、慌てふためいた。

 それも婚約相手が訪ねてくる日の朝のことである。起こしに行ったレジーナすら、アリスの行動に言葉を失った。

 体調が不調だと会わせないように計らおうとしたのだが、アリスは使用人達が止めるのを聞かず、客室へと向かい、宣言した。

 自分には想う人がいる、修道院へ行く――と。

 可憐で物静かだった男爵令嬢の予想外の行動は、屋敷の者だけではなく婚約相手も青ざめさせた。

 むしろ、その行動が婚姻前であったことを婚約相手は安堵したほどである。

 病弱で繊細な令嬢は婚姻という重責に耐えられなかったのだろう。体調を崩し、婚姻自体が困難になった――表向きにはそうなっている。


「ねぇ、凄い! 山が見えてきたわ!」

「えぇ、向かう先はそのふもとにございますから……」

「修道院、良いところだといいわね」


 アリスの言葉にふぅとレジーナはため息をこぼす。

 貴族令嬢として育ってきたアリス、そんな彼女が修道院へと向かう。

 レジーナとしては心が痛むのだ。


「修道院は閉ざされた世界だと聞きます。私はお嬢様に自由でいて欲しいと願ったのに……」


 その言葉にアリスは微笑む。

 屋敷にいたときは生活に不自由がない一方、自由はなかった。

 しかし、これからは生活に不自由が多くとも、心は自由でいられるのだ。

 少なくとも望まぬ相手と将来を共にすることはない。


「大丈夫よ。だって、あなたが側にいてくれるもの。それが私の望んだ自由よ、レジーナ」


 そこには厳しい戒律があり、制限もあるだろう。

 しかし、誰が傍にいてくれるか、誰と共に笑うかが、アリスにとっては重要なのだ。それは得難い心の自由である。


「――それともあなたは嫌だった?」


 突然、泣き出しそうな表情に変わったアリスの白い手にレジーナは触れる。


「いいえ、そのようなことはございません。あなた様のお傍にいることが私の望みであり、幸福です」

「ありがとう、私もよ」


 ほろほろとアリスの瞳からは涙が零れる。

 その小さくか弱い手でアリスは自身の幸せを掴んだのだ。

 二人の間にはレジーナの贈った傘がある。

 可憐な蝶の横には凛とした花、対になったその姿は白い傘に良く映えていた。

 





 

新しい一年が始まりました。

皆さんに楽しんで頂けるよう

私も色々学びつつ、書いていきます。

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