世間では悪女と言われておりますが、夜の鶴のように君を愛してます
午前三時の外は予想通りに寒く暗かった。車のエアコンを付けて目的の地まで走り出す。
助手席の相方を見るとすでにウトウトしている。毎回、チャイルドシートに座らせるのが面倒だったが、今日はすんなりと座ってくれた。多分、半分寝ぼけていたからだろう。
黒髪にメッシュが入ったような朱色の毛が目立ち、ポニーテールでまとめたかったが、いくつかの朱色の毛はアホ毛のようになっている。顔はクリッとした瞳とすっと伸びた鼻立ちはまるで可愛い女の子と思うが、六歳の男の子 夜鷹で自分の姿を見た。腰まである髪の一部をお団子にして、他は結ばず流している。真っ黒な髪で特徴がない。背も小さく幼い顔をしているけど、疲れているので老けて見えるかも。
いつもだと一時間半に着くだろうけど、新聞配達の人すらいない時間帯なので道路は空いているから、一時間もかからないで着くだろう。
だから午前四時くらいには到着して、準備が出来る。彼女が起きているならば……。
自宅を出て、しばらくすると商店街の入り口に【菊鶴祭り】の立て看板が見えた。そして【午前十時から十二時まで通行禁止】と言う看板も見えた。
あと数時間したら、道路にはお神輿に乗せられた深雪が街の神社に向かう。そのために車は通行禁止になっているのだ。
儚く美しい深雪を見るために歩道には溢れんばかりの人が募るだろう。
*
市街地を抜けて、自然豊かな山のすぐ近くに大きな門構えが見えてきた。そこの門には車を入れないで、近くのお神社の駐車場に車を停めた。
時計を見ると午前四時ピッタリ。外に出てチラッと東の空を見れば、少し明るくなっていた。そして車から出ると、冷徹なまでに空気が澄んでいるような気がした。
「さて、夜鷹を抱っこしないと」
そう言いながら助手席のチャイルドシートに乗っている夜鷹に目を向けると目をこすって私の方を見ていた。
すぐさま、彼のいる助手席のドアを開けてあげる。
「おはよう、抱っこする?」
「しない」
そう言って夜鷹はクールにチャイルドシートから降りて、トコトコと走り後部座席のドアを開いた。
「さっさとやろうぜ、深雪の髪結い」
「そうだね」
「というか、重いぞ。この荷物!」
「一緒に持とうか」
「大丈夫だ! ヒナ!」
私の前で頑張ろうとする夜鷹に嬉しさを感じながら、彼が苦戦している荷物を一緒に運んで行った。
私と夜鷹が暮らす家よりもはるかに大きなお屋敷 田鶴宮家の正門、ではなく裏口へと入る。裏口と言っても裏庭は雑草も無く木々は綺麗に手入れしてある。
勝手口から入ると小さな廊下で、すぐ隣には台所と言うよりも格式高い料亭の厨房のような感じだ。中では私と同じくらいの若い女中たちが働いている。
「おはようございます」
「おはようごじゃいます」
私の挨拶とあくび交じりの夜鷹の挨拶をしたが、女中たちは無視している。私と夜鷹は気にしないで、用意された部屋へと急ぐ。
大きな屋敷では部屋自体が大きい。ただ髪を結うための部屋だけで八畳の部屋を使うのだから。
綺麗な畳に髪の毛が入らないように真っ赤なカーペットを敷いて、サイドテーブルには道具を並べる。そして深雪が座る折り畳み式の椅子と大きな姿見を用意して、準備万端だ。
あとは深雪が来てくれればいいのだが、来ない。
「嘘でしょ、なんで来ないのよ……」
スマホの時計を見る。すでに午前五時半。血の気が引いて女中に確認するが、深雪はまだ来ないと一点張りだ。
「あの、予定では午前四時半にはお清めの水浴びをして、午前五時には私が髪結い、次に化粧をしないといけないんですけど。間に合うんですか? だってお神社に午前六時にはついて儀式が始まるんですよ!」
「はあ、大丈夫です」
女中は面倒くさそうな顔でそう言って去って行く。元々この屋敷では私は嫌われているので、こういう扱いには慣れている。だが今回は儀式をするお神社で行う儀式などのイベントがたくさんあって、深雪の準備が出来なければ他人に迷惑がかかるのだ。
どうしよう……。
「なあ、深雪を起こしに行こうぜ」
ひょいっと夜鷹がそう言って、走り出したので私は追いかける。
「えええ! ちょっと待って、夜鷹!」
眠そうな返事をした女中を通り過ぎると、慌てて「ちょっと! 待ちなさい!」と呼び止められる。
「部屋は知っているよ」
「そうじゃありません!」
「待って! 夜鷹!」
「起こしに行った方が早いって!」
深雪の部屋に行こうとする夜鷹を私と女中たちは慌てて捕まえようとする。だが夜鷹は俊敏で速い。私はうまく捕まえられず、更に後ろに多くの女中が夜鷹を止めようと集まっている。
平安時代のお屋敷のような家だが唯一、二階建ての建物がある。渡り廊下を歩いて、門のような扉が開ければ深雪の居住スペースである。
夜鷹は扉をノックしようとしたその時だった。
「何をしているんです!」
聞き慣れた声にパッと振り向く。動きやすい小袖の着物姿の深雪の母であり、この屋敷の長のような存在だ。
夜鷹はジロッと見て憎まれ口を言おうとしていたので、私がすかさず事情を話す。
「神社の儀式が午前六時で午前五時には髪結いをしないといけないんですけど、深雪様はまだ現れないので、起こしに来たんです」
「何を言っているんですか? 神社の儀式は午前八時ですよ」
澄ましたお顔で深雪の母親がそう言い、私の頭が真っ白になった。え? 嘘だ! そう思ってスマホを操作して仕事内容を確認する。うん、やっぱり、午前四時半までには来いとある。
「あの送られてきた仕事内容のメールには、儀式は午前六時ってありますけど」
「ああ、じゃあ、間違えたのね」
えー、じゃあ、私が早く起きて車を走らせて、ここまで来た意味が無くなっちゃうじゃん。
しかも女中の人達はそういう事を誰も言わず、早く来た私を無視していたんだ……。そう思うと怒りよりも脱力感しかない。
無駄な体力を使ってしまった気持ちになっていると、「ヒナ」と深雪の母親に呼ばれ顔を上げる。
「お前はこの家の人間では無い。無駄に出しゃばらないで」
「分かってます」
無感情にそう返事をして部屋に戻ろうとした時、夜鷹が「起きろー! 深雪!」と叫んで扉をどんどんと叩いた。
「ちょっと、夜鷹。まだ儀式には早いから起こさなくてもいいって」
「えー。でも起こそうぜ。だって、あいつ、寝起きが悪いじゃん。早めに起こせば、すんなり準備も出来んじゃね?」
そう言って、再び「おい! 深雪! 起きろや!」と怒鳴る。
これには深雪の母親も「ちょっと! 何やってんの!」と怒りながら、やってきた。
「神社から儀式は午前八時にするって決まっているんです! こんなに朝早くからあの子を起こさないで頂戴!」
「夜鷹! とにかく深雪が起きるまで待つよ!」
夜鷹を抱っこして急いで深雪の屋敷から離れる。だがギギギッという、深雪の部屋の扉が開いた。地獄の門が開かれたと言える。
ドア向こうは薄暗いが、真っ白なボサボサ髪と浴衣姿の深雪が確認できた。表情は決して爽やかな朝を迎えたような顔じゃない。青白い肌に血管が浮き出ていて、積年の恨みを晴らすために蘇った幽霊にも見える。
私どころか女中も深雪の母親も血の気が引いている。
深雪は「うるさいんじゃ! ボケがアアアアア!」と言って、部屋に飾っていた花瓶を投げつけた。
まるで貧相な小枝のような足と鳥の特徴である鋭い爪がついた四本のアシユビで掴んで投げた花瓶は狙い通り、私の方に飛んできたので急いで逃げる。
私がいた所にガチャンと花瓶が割れて、背後を見ると深雪の頭にある白銀の冠羽と両腕は一点の曇りのない真っ白な翼を広げて威嚇する。
「うるせえんだよ! クソガキがアアアアア!」
美しくそして恐ろしい田鶴宮の花鳥人 深雪のお目覚めだった。
*
花鳥人と呼ばれる人がいる。
両腕を鳥のような羽に変化させるなど体の半分以上を鳥のような姿をした一族だ。海外だとハーピーとも呼ばれている。その姿は美しく、時の権力者達を常に魅了してきた。
花鳥人はどんどんと権力を持ち、政権にさえも彼らは関わっている。それは現代、令和の時代でも花鳥人の一族達の力は劣る気配はなかった。
そしてここ田鶴宮家もその一つである。そして次期当主である深雪はここの屋敷ではお姫様でもある。
「十分で支度しろ」
水浴びを終えた深雪が不機嫌マックスで言い、椅子に座った。私は「はい」と返事をして深雪の髪をとかす。もし深雪の髪が凝って頭皮を少しでも痛めつければ、私はボロクソに怒られ、噛みつかれるだろう。緊張しつつ、彼女の髪をとかして油をつける。
髪結いと一緒に化粧も施されて深雪は更に神々しくなった。
大きな姿見を覗き見ると深雪は淡雪のような儚さを持った美しさがあった。髪も肌も真っ白だが、口紅はくっきりとした紅を付けているので雪が積もった椿にも見え、そして髪も菊のモチーフの装飾品を付けているが、雪の中に健気に咲いているように見えた。
まるで彼女自身が雪の化身みたいだった。彼女の美しさが装飾品も化粧一つ一つを引き立たせている。朝見た恐ろしい幽霊の姿だったとは思えない。
ただ彼女の真っ白い冠羽は光の加減で緑色になり、先が切れていた。
「髪結い、終えました」
「化粧、終わりました」
私と化粧係の子が恭しく一礼をして、深雪に報告すると「フン」と返事一つして立ち上がって、女中と一緒に部屋を出て行った。恐らく十二単を着る部屋に向かったのだろう。
深雪がいなくなるとプツンと緊張の糸が切れた。大きく深呼吸して、私は大きく伸びをして「あー、終わった」と呟き、化粧を施した子は「はあ」と言って片づけを始める。
「聞きましたよ、ヒナさん。夜鷹君が深雪様を起こしに行ったって」
「ああ、そうなのよね」
「深雪様と半分、血が繋がっているからって大胆な事はしない方がいいですよ」
ジロッと睨む化粧係の子。ああ、この子は孔雀宮の子か。
そう、私と深雪は父親が同じだ。深雪の母親は孔雀宮の当主の従兄弟の血統書付きのお嬢様で、父親と政略結婚したのだ。一方、私の母はただの女中で花鳥人の髪結いの仕事をしていた。母は父と先に政略結婚をする前に恋に落ちたのだが、結局関係は切れず私を産んで愛人となったのだ。
ちなみに父親は田鶴宮の当主だが表に全然出てこない。なので深雪の母親や深雪がこの田鶴宮を仕切っている。
化粧係の子は掃除しないで、さっさと部屋を出て行ってしまった。私は掃除機をかけてカーペットをしまうため押し入れを開ける。
下の段に三角座りをしてジト目で見る夜鷹がいた。上の段にカーペットを片すと、しゃがんで夜鷹と目線を合わせて「夜鷹」と呼んだ。
「ヒナ、俺は悪くないよ」
「うん、夜鷹は予定通りに来ない深雪を起こしに行ったんだもんね。でも勝手な行動だったよね。起こす必要はなかったし、私は待ってって言ったよ」
夜鷹に言い聞かすように私が言うが「俺は悪くないもん」と拗ねた。
深雪を起こしに行った夜鷹を私が怒鳴ってしまったので、こうして押し入れの中でずっと引きこもっていたのだ。
この屋敷の中で私は理不尽な扱いを受ける。私は慣れているけど、小さな夜鷹にとっては酷だ。
「ほら、夜鷹」
そう言って夜鷹を抱きしめる。夜鷹も私の首に腕まわして抱きつく。
夜鷹の髪についている赤いメッシュのような物が目に入った。メッシュではなく冠羽であり、黒に良く生えた朱色の羽だ。腕も見る見るうちに羽になり、足も鳥の足へと変化していった。
夜鷹もまた花鳥人なのだ。
*
深雪の髪結いをした部屋の隅で私と夜鷹はウトウトしていた。私は正座して、壁に寄り掛かり、夜鷹は私の膝に座って、私の胸に頭を預けている。時々むずがって頭を動かし、そのたびに朱色の冠羽がヒコヒコと動く。
可愛いなと思いつつ、夜鷹の背中が寒くないようにひざ掛けの毛布を掛けてあげる。
「寒くないの? ヒナ」
「ん? 大丈夫。夜鷹が暖かいから」
夜鷹は本当かよって顔をするが、私は正直に答えている。夜鷹は湯たんぽのように温かい。恐らく子供特有の暖かさだろう。
「ヒナ、夜の鶴みたい」
「夜の鶴? 難しい言葉を知っているね。夜鷹」
難しい言葉を使う夜鷹に私はほほ笑む。湯たんぽのような夜鷹を抱っこしていると、眠くなってしまった。窓からも暖かな日差しが差し込んで気持ちいい。朝も無駄に早かったし、ちょっと仮眠でも取ろうかなと思って目を閉じた。
「誰だ!」
夜鷹の鋭い声にパッと目が覚めた。部屋を見ると一人の男性がいて、夜鷹の声に驚いた表情だった。
「えーっと、いたたた……」
膝にずっと座らせていた夜鷹を降ろして立ち上がろうとしたら、ビリッとした痛みが足の甲から走ってきた。痺れて、うまく立ち上がれない……。
うまく立ち上がれない私に彼は近づいて、手を差し出してきた。あ、優しい。そう思ったが彼の手は私の手ではなく、頭に縛っているお団子に触れようとしていた。
「ヒナに触んな!」
「あ、ちょっと、夜鷹!」
差し出してきた彼の手を夜鷹は払いのけ、生まれたての小鹿のような感じで立つ私の手を握った。怒りのあまり夜鷹の朱色の冠羽が逆立っている。
夜鷹は「あんた、誰?」と言って睨みつける。私は慌てて「失礼でしょ!」とたしなめて、部屋に入ってきた男性を見る。
男性は戸惑った笑みを浮かべて「すいません」と言った。彼の身長は高く、黄緑色の目をして、頭には短めな萌黄色の冠羽が生えている。寒々しい冬の景色を変える明るく冴えた緑の葉の萌黄色の冠羽、つまり彼もまた花鳥人だ。
「申し訳ありません。この子が失礼な事を言って」
「いや、僕も勝手に入ってしまい、申し訳ございません。ここのお屋敷はかなり広いですから」
はっきり言って正門から入ってここにたどり着いてしまうのは相当な方向音痴だろうなと思う。深雪の屋敷に近いこの部屋は、正門とお座敷からかなり離れた場所にあるからだ。
「僕は若草宮 吉彦と申します。深雪の婚約者です」
「ああ、そうですか……」
婚約者と聞いて夜鷹が更に冠羽を逆立てて小さく「キイイイ」と唸り声をあげる。これは夜鷹の威嚇だ。私は大丈夫だよという意味も込めて、夜鷹の頭を撫でてあげる。
「もしかして深雪を探しているのですか? 深雪は神社で儀式をしていると思います。もう八時過ぎなので」
「ああ、そうでしたか」
吉彦は穏やかに笑うのだが、一向に部屋から出てくれない。訝しいがる私と睨みつける夜鷹に吉彦はにこやかな笑みを浮かべて口を開いた。
「えーっと、田鶴宮ヒナさんですよね」
「私は愛人の子なので田鶴宮の姓は名乗っていないです。五十嵐ヒナです」
本当は五十嵐と言う名字でも無いが、将来的にはこの名字を使うつもりだ。
だが吉彦は私の苗字に対して特に気にせずに「ヒナさん」と呼んだ。馴れ馴れしい! とばかりに夜鷹が「キイイ」と唸り声を上げた。
だがそんな夜鷹には眼中無く、吉彦は話し始める。
「恐らく長い付き合いになると思いますが、よろしくお願いします」
「……はあ」
「お嬢ちゃんもよろしくね」
「俺は男だ!」
「これは失礼しました」
ようやく威嚇している夜鷹を見て、にこやかにそう言う。
馴れ馴れしい上にお嬢ちゃんと間違えられた夜鷹は噛みつかんばかりに睨みつけて「キイイイ」と唸り、朱色の冠羽を逆立てているが、吉彦は気にしない。ひな鳥のような花鳥人の子なんて眼中にないといったところか。
「それでは、また」
そう言って、ようやく吉彦は部屋を出て行った。
「んだよ、あいつ!」
突然の吉彦の襲来で、夜鷹は「キイイイ!」と唸り声をあげて地団駄を踏み怒る。私はそんな夜鷹の頭を撫でながら、なだめる。
その時、「ヒナさん」と女中が声をかける。
「禄朗様の髪結いをお願いします」
「分かりました」
私はそう返事をして、髪結いの道具を持って禄朗様、つまり私の父親の元へと向かうため部屋を出る。
廊下を出れば小鳥のさえずりのような小さな話し声が聞こえてくる。前を歩く夜鷹の耳を軽く塞いであげる。
「ねえ、また愛人の子供が深雪様の婚約者に色目を使っていたわ」
「また深雪様の婚約者を盗るのかしら」
「深雪様も可哀そうにね。これじゃ、性格も歪むわ」
「あのヒナって女は荒鳥の花鳥人と駆け落ちしたけど逃げられて、出戻ったんでしょう」
「色目を使わなければ生きて行けないからね」
「元々、娼婦のような仕事もしていたんでしょうからね」
「小さい子供もいるのにね」
「だからでしょう。子供もいて躍起になって新しい夫をもらわないと生活に困るんだから」
「と言うか、あの小さな子供っていくつで産んだ子供なの? ヒナってまだ二十代前半でしょう」
「確か高校時代に産んだとか……」
根も葉も無い噂話がチラホラとさえずっている。私は軽く耳を塞いでいるけど夜鷹にも聞こえているようで「キイイイ」と唸って口を開く。
「ヒナ、小鳥のさえずりはウザいな」
私はたしなめないで夜鷹の言葉に「そうね」と返事をした。確かに、ウザったいもの。
と言うか、今日はお祭りなんだから、噂話をする余裕なんて無いのだか……。
そんな小鳥たちが囀る噂話が聞こえる廊下を通って、父親のいる部屋の前に到着した。
「お父様、ヒナです」
「入りなさい。ヒナ」
どうしようもなく優しい声が聞こえて部屋に入る。父、禄朗は車椅子に座って広い庭を眺めていたが、私が入ると振り向いて優しく微笑む。
部屋に入れば私は娘の立場になれる。
「おはようございます。お父様」
「おはようございます」
「おはよう、ヒナ、夜鷹君」
黒髪に真っ白で長い冠羽がさらっと流れる。細面で少したれ目の優しい眼差し、そして頬には蜘蛛の巣のような文様がついている。
花鳥人と言うのは呪術のような技を持っている。普通の人間にやっても全く効かないけど、花鳥人のみに効くのだ。そうして昔から花鳥人同士で呪いをかけあって、今でも飽きずにやっている。呪いには様々な種類があって冠羽が剥げたり、体の不調、更には超常現象のように、突然老けたりするなどもする呪いさえもあるのだ。
この呪いのせいで父、禄朗は体が弱くなっている。この呪いは孔雀宮の人間がやっているという噂が立っているが確証はない。でも呪いは日光浴と月光浴をすれば良くなるなど、呪いを治す方法はちゃんとある。
日当たりのいい南の部屋で療養しているおかげで父は大分良くなった。数年前は寝たきりだったが、今は車椅子に乗れるまでに元気になっている。
父の真っ白な冠羽と地毛である黒髪をバランスよく目立たせ、まるで白と黒の翼を持つ鶴に見えるように髪を結んでいく。
正直、男性の髪結いは短時間で終わる。でも父との会話はこういう時にしか出来ないので、ゆっくりと行う。
夜鷹は父の部屋から見える庭はじっと見ている。手入れされた松の木やコイが泳ぐ池、そして庭師が作った枯山水。穏やかで心が休まるような感じさえあった。
「お父様も大分、元気になりましたね」
「おかげさまでね。ヒナも大丈夫かい?」
何に対して大丈夫なのか分からないけど、とりあえず「大丈夫ですよ」と答えた。
「そう言えば、夜鷹君。深雪を起こしに行ったんだね」
「申し訳ございません」
「いや、例年通りに六時に神社の儀式を始める予定だったんだ。だが深雪が神社に無理言って八時にしたんだ。私としては儀式の意味も込めて六時にやってほしかったが、聞かなくてね」
どうしようもないとばかりに呆れた表情になる父。わがままな深雪にちょっと嫌気がさしているようだ。
そんな時、「失礼します」と部屋の外から聞こえ、襖が開いた。中年の男性で萌黄色の冠羽がついた花鳥人と同い年くらいの普通の女性だった。
「ああ、若草宮様。申し訳ございません。髪結いをしている時に」
「いえいえ、例年と同じ時間通りに来てしまった我々がいけなかったのです」
思いっきり嫌味な事を若草宮の当主が言うので、父は「申し訳ない」と謝罪をする。どうやら予定変更の連絡を私以外にも怠ったようだ。私が身内だから大丈夫だが、婚約者の両親である来賓にも伝えないとは……。
でもかなりの権力を持っている孔雀宮の深雪の母親にとって、位の低い花鳥人の一族を適当に扱っているし、馬鹿にもしている。
父がこのような感じなので田鶴宮の屋敷と言え、孔雀宮の人間が仕切っている。現に深雪を世話している女中や料理人は孔雀宮の人間だ。辛うじて父の世話をしている方や庭師の方達は田鶴宮に長く使えている人達だが、定年で辞めている人が多くなっている。
来賓の方が来ているので、さっさと父の髪結いを終わらせようと思い、素早く動かす。
「ヒナさんでしたっけ?」
突然、呼ばれてびっくりするが、「はい」と穏やかに返事をした。
「吉彦とお会いしましたね」
「あ、はい。深雪の婚約者ですよね」
「どうですか?」
正直、どうですか? と聞かれても、どう答えればいいか分からない。しかし頑張って、言葉を紡ぐ。
「深雪とお似合いだと思いますよ。真っ白な雪を思わせる冠羽を持った深雪と芽吹きを思わせるような萌黄色の冠羽を持った吉彦様。二人が並べば春の訪れのようです」
とっさに思いついた言葉だったが、意外と綺麗にまとまったなと思った。
私の言葉に父は軽く笑い、若草宮様は微妙な顔で笑う。
「髪結いが終わりました」
そう言って一礼し、私と夜鷹は父の部屋を出た。
父の部屋を出るとすぐに若草宮の当主が諭すように喋り出す。
「いい加減、考え直したらどうです? ヒナを次期当主に変えませんか。当主をヒナにすれば、身分に非難する人間は多いかもしれませんけれど、ほとんどの花鳥人は納得します」
「確かにヒナは、あなたの妾の子だ。しかも荒鳥の娼婦もやっていたようだし、その子供もいる。だが、あなたの子供であるには違いないですよ」
「このままだと閑古鳥共に田鶴宮は食い潰れます」
「若草宮殿」
父の鶴の一声のような言葉が屋敷に響かせる。この声を聞けば父は田鶴宮の頂点であると知らしめる。深雪やその母親さえも逆らえず、黙り、従うしかないのだ。
「次期当主は深雪だ。今は、な」
父の「今」と言う言葉に、何かしら含みがあったが気にせず私は部屋へと戻った。
*
先ほどの髪結いの部屋で私と夜鷹は、菊鶴祭りのメインイベントである田鶴宮の花鳥人のお参りをスマホの動画サイトで見た。
昔、ここの地域では山の神の子供と言われていた花鳥人の菊鶴。慈悲深い彼女は山の麓にある村の平和を願って祈りを捧げていた……と言う伝説を再現しているのだ。
深雪は十五歳から菊鶴役をやっていて、祈りの儀式を神社で行った後、小さなお宮の形をして四方にすだれが掛かったお神輿に深雪は乗り、田鶴宮の親戚や分家、慕う人々達が担いで街の神社まで行き、そこで再び祈りの儀式を行うのだ。
参列には父、深雪の母親の他、婚約者の若草宮の吉彦もいる。
【婚約者がまた変わっているよー】
【婚約者が替わるのは五回目じゃないか?】
【悪口言うと、コメント消されるぞー】
【と言うか、年々、神輿を担ぐ人が少なくなっていない?】
生配信しているので、こういったコメントが数多く流れてくる。
花鳥人は一般市民にとって公人に近い存在でもあるのだ。だからゴシップに群がる人も多い。だが花鳥人のほとんどがこういった悪口を気にしない。一般市民と花鳥人は住む世界も価値観も常識も違うって言うのもある。そもそも一般市民なんて騒々しいカラスのような存在としか見えていない。
とは言え、悪い印象のコメントは消されていっている。気にしないと言いつつ、やっぱり気にしていると言えばしているのだ。
お神輿に担がれた深雪がアップになった。と言っても、すだれのせいで十二単を着て軽く俯いているとしか分からない。でも多分、深雪はスマホゲームか携帯ゲーム機で遊んでいるんだろうなと思う。裏側を知るからこそ知っている事実だ。深雪が十二単を着ながらスマホゲームをする光景はよく見ているのだが、平安時代の十二単衣を着て令和のゲームをするって不思議な感じがする。
【田鶴宮の花鳥人の子って閑古鳥なんだろ】
【閑古鳥って?】
【閑古鳥ことカッコウは托卵をする鳥。つまり、そういう事だ】
こんな不世話なコメントも削除された。
無事に街の神社に着き、婚約者の若草宮吉彦が待っていた。お神輿は降ろされ、すだれは上がり深雪は外に出る。白銀の冠羽と白い髪が美しい深雪にまじかで見る人も配信を見ている人達もハッとしてしまうだろう。
彼女には有無を言わせない美しさがあるのだ。
ようやく屋敷がばたついてきた。ここから来賓たちのおもてなしをしないといけないのだが、恐らく女中たちは今になって慌て始めている気がした。
手伝いさせられるかもしれないから、帰ろうかな? と思っていると「ねえ、ヒナ」と夜鷹は珍しく甘えた声で私に抱きついた。
「出店に行きたい!」
「えー、そんなにないよ。出店なんて」
「でもお昼ごはんは焼きそばを食べたいもん! あと、お好み焼きも!」
スマホの時計を見ると十二時だった。こうして待っていても絶対にお昼ご飯は来ないだろう。それだったら夜鷹の言う通り、出店で食べた方がいいかもしれない。髪結いの仕事はもう無いのだし。
父と深雪の母親のスマホに【夜鷹と一緒に神社の出店に行ってます】とメールを送って、早速出店のある神社に向かった。
秋も深まった頃なので夏祭りに比べて出店はあまりない。だが焼きそばやお好み焼き、そして甘酒や甘栗などの出店は連なっている。
焼きそばとお好み焼きを買って、テーブルとイスがあるテントの下で食べる。夜鷹は口いっぱいに焼きそばとお好み焼きを食べていて幸せそうだ。朝ごはんにおにぎりを食べさせていたけど、多分足りなかったのかもしれない。
花鳥人の特徴である冠羽は目立つので夜鷹には野球帽を被せている。
ふっと耳を澄ますと、いろんな声が聞こえてくる。
「深雪様、綺麗でしたね。父親にも似ないで」
「禄朗様は地毛が黒で冠羽は白なんだよ。だけど次期当主の深雪様は真っ白な上に冠羽は光の加減で緑に光る。血がつながっているとは思えないよね。でも田鶴宮は孔雀宮の支援なしでは立ち行かない。だから深雪様が次期当主に決めているのさ」
「でも禄朗様って妾がいて隠し子が一人いるんだろ?」
「深雪様を産んだ孔雀宮の母親に虐待されて殺されたんじゃなかった?」
「まだ生きているよ。妾の子と言うだけで次期当主の座を奪われ、更に殺されそうになった恨みで深雪様の婚約者を盗っていくんでしょ。子供が生まれなければ、お家は断絶だ。だから五回も婚約者が替わっているんだよ」
「かなりの悪女らしいな。半ぐれ組織と付き合いがあったとか」
一般の人にまでこんな噂が広がっているのか……と思うと嫌な気持ちになる。
そんな時、「ヒナ」と呼ばれて隣に座る夜鷹に振り向く。すると優しく耳を塞いでくれた。
「ヒナ。焼きそばとお好み焼き、美味しかった」
「美味しかったね」
耳を塞いで夜鷹だけの声を聞く。夜鷹の眼差しも声もあの頃の彼に似て優しい。
昼ご飯も食べたし、帰ろうと思っていると夜鷹が急に駆け出した。
「ちょっと! 夜鷹! どこに行くの!」
「面白いことしている場所!」
そう言ってダッシュして人ごみを素早く避けながら走る。夜鷹が走れば、私は捕まえるどころか追いつくのに必死だ。私の頭に結んであるお団子が崩れていないか、ちょくちょく確かめた。
夜鷹は神社を裏道まで走る。そこは森で一般の人は立ち入り禁止の場所だ。この道を夜鷹が目指しているのに気が付いた瞬間、不味いと思った。
しばらくすると明らかに危ない雰囲気の男性や色っぽい女性とすれ違う。そして色鮮やかな冠羽を持った花鳥人である。
すべての花鳥人が決して現代の貴族と言うわけではないという事を自覚させられる。時の権力者を魅了した花鳥人だが、その権力者の中には堅気じゃない人間も含まれているのだ。
私はよくここを出入りしていたので慣れているが今、夜鷹と来るのは避けたかった。
夜鷹を見ると不思議の国に迷い込んだ子供のように目をキラキラさせながら、目的の場所に向かった。
そこは相撲をするような場所だった。だが土俵にいるのは艶やかな女物の着物を着て、頭の冠羽は艶やかな飾りをつけた花鳥人の男性だ。両腕は翼を羽ばたかせて、足も鋭い爪を持ったアシユビをして変化している。恐らく彼が勝ちぬかれた軍鳥だろう。
彼は荒々しい笑みを浮かべ、観客に向かって叫ぶ。
「おい! この俺にかかってくる奴はいるかあ?」
「俺だあ!」
夜鷹は元気よく叫んで、野球帽を取って土俵まで走って登る。
六歳くらいの小さな夜鷹が土俵に登ってきたので、煽った男性も観客たちはキョトンとするがすぐにクスクスと笑みがこぼれた。
「随分と威勢のいいお嬢ちゃんが俺に挑戦するってよ!」
「嬢ちゃんじゃ無いぞ!」
「はいはい、誰かこの可愛い挑戦者に着物を貸してやってくれ!」
「やりませーん!」
急いで私は土俵に登って夜鷹をようやく捕まえる。抱っこして「もう、やらないよ」と言うと夜鷹は「やるの!」ともがいた。
「おいおい、挑戦者じゃ無いのに土俵に登っちゃいけないよ、お母さん」
「お母さんじゃない……、それに、この子はまだ小さいのでやれませんよ」
「大丈夫、大丈夫。子供専用のルールもあるから」
面白げな笑みを浮かべながら、他のスタッフに夜鷹と一緒に連れられて控室に行かされる。彼らの笑みがひな鳥を虐める鳥に見えて不安しかなかった。
*
花鳥人のお祭りにひっそりと行う、影の催し物がある。神社の裏の森を突き進めば、賭博とお酒、そして艶っぽい女性がたくさん集まっている怪しくも魅力的な場所だ。
そしてメインイベントは闘鶏だ。普通の人は闘鶏と聞けば鶏同士を戦わせる物と思うだろう。だが花鳥人の闘鶏は互いに戦う決闘である。彼らを軍鳥と呼ばれる。
軍鳥は花鳥人が変化した両足は鋭い爪のアシユビになっており、更に脚力は普通の人間よりも強いのだ。それを活かして戦国時代は花鳥人の一部は侍と一緒に戦っていたとも言われている。自慢のアシユビの爪で相手を切り裂き、強烈な蹴りで刀を折っていった……と言う伝説もある。
この闘鶏も戦国時代からやっていた試合であり、荒鳥と呼ばれる堅気じゃない花鳥人の資金源になる。
「もう! 怪我したらどうするの!」
「大丈夫だよ!」
負ける事なんて考えたことないとばかりに夜鷹は自信満々に言い、私の不安を分かってくれない。
両腕は黒い翼に変え、両足も鳥のような足に変わっている夜鷹はちょっとボロボロだが女の子が七五三で着そうな真っ赤な着物を着崩して着ていた。
闘鶏の試合をする者はど派手な着物を着て戦うのだ。それはまさに傾奇者の如く。
夜鷹はこういうのが好きだからな……、と思いつつ、彼の髪と朱色の冠羽を結って行く。
父が呪いで倒れ、母も亡くなり、自分で稼がないと生きていけない状況になってしまった。高校に行きつつ十代後半から、こういった興業の闘鶏に出る人達の髪結いの仕事をしていた。闘鶏の仕事はかなり儲かるし、髪結いの修行にもなった。
だがこういった場所のイメージは最悪で体を売っているとか、娼婦をしていたとか、良い生まれの花鳥人は言うのだ。私はそんな事、一切やっていないのに。
あそこで仕事をしていたが後悔はしていない。だって彼に出会えたから。
朱色の冠羽をまるで炎のように逆立てやり、ちょっと長めの黒髪が邪魔にならないように髷のようにして結ってあげる。
闘鶏の試合に出るのだからちゃんと結ってあげないといけない。
「出来たよ、夜鷹」
「うん! かっこいい!」
満面の笑みを浮かべて、小さな傾奇者の夜鷹は土俵に向かおうとする。私は「ちょっと、待って」と言って、夜鷹を後ろから抱きしめた。
「ケガしないように、危ない事をしないでね」
「うん、分かった」
夜鷹の返事を聞けたので、そっと離す。彼は籠から飛び立った鳥のように駆けて行った。
闘鶏の試合はテコンドーのように蹴り攻撃で戦う。土俵から出たり、膝や背中をついたら負けだ。
だがルール無用の場合、禁じ手の頭を狙う事さえある。ろっ骨が折れる事は多いし、もう二度と立てないほどのケガもすることもあるのだ。
「おやおや、坊主。随分と雅な髪になったな! さっきのお母ちゃんに結ってもらったのか?」
ニヤニヤ笑って軍鳥は夜鷹の目線に合わせて、ちょっと腰を曲げる。そして先が深い青色の目玉のような柄の孔雀の緑色の羽を出してきた。
「坊主専用の試合だ。尻尾鬼は知っているかい? 俺が腰に付けたこの羽を取ったら、坊主の勝ちだ」
「分かった!」
夜鷹は「キイイイ」と威嚇の声を上げ両翼を広げ、軍鳥もバサバサと両翼を仰ぎ「ギャギャギャ」と威嚇する。これはちょっとした闘鶏の挨拶だ。
天狗のような格好の審判が扇を降ろして「いざ」と言う。軍鳥は腰に孔雀の羽をつけて、構える。夜鷹も軍鳥の目を見ながら構えた。
「勝負!」
天狗の審判が扇を上げた瞬間、軍鳥は軽く後ろに下がったが、夜鷹はスルッと懐に入ってしまった。一瞬にして懐に入られてしまった軍鳥は驚いた顔になり、その間に夜鷹は軍鳥の腰にある孔雀の羽を取ってしまった。
孔雀の羽を頭の髷に付けて、夜鷹は意地悪気に言った。
「さあ、次は俺が逃げる番だな」
炎を模した朱色の冠羽と孔雀の羽がヒラヒラと舞う。それを捕まえようと躍起になる軍鳥。
「おい! ちょっと来てくれ! この坊主、すばしっこい!」
軍鳥の言葉に二人の花鳥人がやってきて、夜鷹を捕まえようとする。だがそれをクルッと前転したり、両足の間を潜って逃げたりと翻弄する。
保育園のお遊戯会のような気持ちで見ていた観客もどんどんと盛り上がっていた。
「坊主! 頑張れ!」
「さっさと捕まえろ!」
そんな声援を夜鷹は「キイイイ!」と威嚇して、両翼をばたつかせて逃げる。縁起のいい鶏のようだ。
ハラハラしながら見ている私の後ろで「焔羽のような子だな」と言う声が聞こえた。振り向くと年配のスタッフが目を細めて夜鷹を見ながら言う。焔羽は闘鶏での彼の源氏名だ。
そして私と目が合うとスタッフは目を見開いた。
「あんた、焔羽の……」
「ああ、はい。軍鳥の焔羽と一緒に髪結いとしてこういった闘鶏の興行に回っていました」
「じゃあ、あの子は焔羽の子か」
「あー、……まあ」
曖昧に答えながら夜鷹を見る。ようやく軍鳥に捕まえられて、頭の孔雀の羽を取られていた。
「坊主! 俺より速かったじゃねえか!」
「キイイイ」
得気に威嚇をする夜鷹を軍鳥は肩車してもらって、観客たちの声援をもらっていた。
それを見ながら中年のスタッフは「焔羽は元気か?」と聞かれた。
「……ちょっと今、姿を消していて」
「え?」
「でもすぐに戻ってきます。絶対に」
私は自分に言い聞かすように言った。
*
「えへへへ、やったぜ!」
焔羽を知っているスタッフから賞品として孔雀の羽と甘栗が詰まった袋をもらった。夜鷹は得意げに見せてきたので、私は「良かったね」と言いつつ、髷と取って、真っ赤な着物を脱ぐのを手伝ってあげた。洋服に着替えて、人間の腕と足に戻し、真っ赤な冠羽を隠す帽子を被って帰る準備が完了だ。
「さあ、帰ろう」
「うん」
満足げな笑みを浮かべて私と夜鷹は闘鶏がやっていた森を抜けて、神社に戻ってきた。空はすでに夕焼けが見えた。
ちょっと遅くなっちゃったなと思いつつ、夜鷹と手を繋いで田鶴宮の屋敷へと歩いた。
だがしばらく歩いていると得気だった夜鷹の表情と歩みに変化が起こった。顔をしかめ、歩くのが遅くなった。
「夜鷹、もしかして関節が痛い?」
「……うー、ちょっと」
時々、夜鷹は体の関節が痛くなることがある。
不味いなと思い「おんぶする?」と聞くが、夜鷹は「歩ける」と言って私の手を引いた。とにかく、早く帰って休ませないといけない。そう思い夜鷹の様子を見ながら歩いた。
市街地を抜けて、人通りの少ない林の道を通るとギュッと夜鷹が私の腰に抱きついた。
「ヒナ、ヤバい奴がいる」
「え? ヤバい奴?」
ぞろぞろと明らかに悪そうな若い男たちが数人、私の前に歩いてきた。
「よう、坊主。さっきはよくも恥をかかせたな」
「意味分かんねーよ! キイイイイ! わあ!」
威嚇する夜鷹を抱っこして、後ろを向いて逃げる。だが後ろにも彼らの仲間がいた。
マズイと思っていると、私の肩を抱いて男は言う。それだけで怖くなって動けなくなってしまった。
「ちょっと面、貸してくれよ。お母さん」
「やめろ!」
「いって! 何すんだ! クソガキ!」
抱っこしていた夜鷹が私の肩を抱いた男の手の甲を噛みついた。怒った男性は私を押して、更に夜鷹を狙って蹴ろうとした。
ヤバイ! ヤバイ!
すぐさま、男の蹴りを私の背中で受け、転ばないよう足に力を入れて踏ん張った。強烈な蹴りだったが夜鷹には当たらなかったし、転ぶ事は無かった。
「ヒナ!」
抱っこしていた夜鷹がギュウッと抱きついてきた。大丈夫の意味も込めて、よしよしと背中をさする。
蹴った相手を私は睨みつけた。
「もう十分ですよね。帰らせていただきます」
そう言ってたじろぐ男たちを押し退けて、帰ろうとすると後ろから車のクラクションが響いた。振り向くと黒い高級車がやってきて、こちらに停まった。
萌黄色の冠羽をした吉彦だ。
「こら! 何やっているんだ!」
車から出てきた吉彦がそう怒鳴ると、男たちは逃げていった。まるで、そう示し合わせたかのように。
「助けてくださり、ありがとうございます」
「大丈夫ですか? 送っていきますよ」
「田鶴宮はもうすぐなので歩いて行けますよ」
「でも蹴られていますよね。ヒナさん、我慢しすぎです。誰かに甘えた方がいいですよ」
もう田鶴宮の屋敷の屋根が見えるし、二十分もすれば着く。だが吉彦は車で送ると譲らない。確かに我慢強いとは言われるが、大きなお世話だ。甘える相手は自分で決める。と吉彦には言わず、心の中で叫んでおく。
だがほぼ無理やり私と抱っこしている夜鷹は車の助手席に乗せられた。
夜鷹はぐったりしているから、すぐでも田鶴宮の屋敷に行って休ませた方がいい……と思ったら、なぜか反対方向に車を走らせた。
「え? ちょっと! 田鶴宮の屋敷に帰してください!」
「最近、リニューアルした旅館がありますよね。そちらに行きましょう」
「そもそも儀式が終わったから、田鶴宮で宴会をしているはずですよ。深雪と一緒にいないと示しがつきませんよ!」
「もう宴会は終わっていますし、儀式が終わったら深雪さんはさっさと部屋に入ってしまいした」
主役がさっさと居なくなるって、不味くないのか? でも深雪だからなって納得してしまう。だが宴会が終わっていようが、私は帰らなければいけない。
「夜鷹の具合も悪いんです。すぐに休ませないと」
「旅館はすぐに着きますから」
「それに夜鷹をチャイルドシートに乗せないと、警察に怒られますよ!」
吉彦が軽く笑って「大丈夫、大丈夫」と言う。何が大丈夫なんだ!
赤信号で停まった瞬間、ダッシュで逃げたいが具合の悪い夜鷹を抱っこしている上に私も背中が痛いから無理そうだ。
警察に見つからず、車で三十分もかかって旅館に着いて、女将直々にお部屋を案内された。窓から赤くなった紅葉や静かに流れる川が見えて風流だった。こんな状況じゃ無かったら、テンション上がっていただろうな。
吉彦は上機嫌に「温泉に入ってきますね」と言って、部屋を出て行った。何しにここへ来たんだ、この人……。
女将にも温泉を勧められたが断って、夜鷹を寝かすためのお布団を敷いてもらい、蹴られた私の背中に湿布を貼ってもらった。そして大人用の浴衣を用意してもらった。
お布団で眠っている夜鷹を見る。苦悶の表情をしている。
「痛い? 夜鷹」
「うん」
そう頷いて夜鷹はゴソゴソとお布団の中に潜っていった。お布団に出来た小山を見て、不安に駆られる。さすってやりたいが、きっと触ればもっと痛むだろう。我慢するしかない。
そんな時、部屋の襖が開いた。
「いい温泉でしたよ、ヒナさん。入ってきたら?」
私は「結構です」と素っ気なく言った。マジで何しにここへ来たんだ!
「まるで夜の鶴みたいだ人だね。ヒナさんは。知ってます? 夜の鶴って霜の降る寒い夜でも、子供を自分の羽で優しく包むって言うことわざです」
この人に褒められてもうれしくもなんともない。
吉彦の誉め言葉を無視して「田鶴宮の屋敷に帰してください」と言うが、吉彦はテーブルに置いた孔雀の羽と甘栗の袋を見ていた。
「だからもう闘鶏の興行とか荒鳥の人間が多くいる場所には行かない方がいいですよ。こういった因縁をつけられる」
「……彼らは突然、襲い掛かるという卑怯な事はしません。もしそれがバレれば、闘鶏の試合に出られないどころか、卑怯者と言われて荒鳥のいる場所から出なくてはいけません」
更に私は「失礼かもしれませんが、あなたが仕掛けたんじゃないですか?」と言った。
「あなた、私が襲われるのを待っていましたよね」
「そんな事無いですよ」
そう言いながら孔雀の羽を取って、隣の部屋の襖を開けた。
「ちょっと別室で話しませんか?」
「無理です。夜鷹の具合が悪いから、一緒についていてあげたいです」
「小さな夜鷹君に聞かせなくないお話しです。ほら、ちょっとくらいいいでしょ」
私が「嫌です」と言っているのに吉彦は私を無理やり立たせて、隣の部屋に連れて行かれた。本当に、無理やりすぎる、この人!
隣の部屋には布団がなぜか二人分敷いてあった。無理やり連れていかれ、バランスを崩した私は布団の上に尻もちをついた。
この状況、非常にマズイ。すぐに立ち上がろうとしたが吉彦に肩を押さえられて立てない。仕方がないので「お話しって何ですか?」と聞いた。
「今の田鶴宮をどう思いですか?」
「父の体調が良くなればいいとしか思っていません」
「孔雀宮に乗っ取られているとしても?」
そう言って、夜鷹がもらった孔雀の羽をヒラヒラと私に見せつけた。緑色の羽に先が青い丸い模様がついている。
「誰もが知っていますよ。花鳥人どころか一般の人すらも田鶴宮は孔雀宮に乗っ取られているって言われています」
「それでも父は深雪を次期当主にすると決めました」
「今は、でしょ」
そう、決定はしていない。あくまで暫定だ。
ヒラヒラと吉彦が緑色の孔雀の羽を見せる。深雪の冠羽によく似ている。だが深雪は孔雀の羽の特徴である先端の丸い模様がついている部分を切り落としているのだ。
昔から深雪は気性の荒い子でわがままだったが、父親のような冠羽が生えない事や血がつながっていない事実が分かってから更に悪化した。
でも小さい頃から次期当主と世間に発信してきたから簡単には変えられない。でも父の曖昧な態度が、深雪の心を荒れさせているのだ。
「深雪は閑古鳥だ。田鶴宮の血を引いていない上に、恐らく孔雀宮内にいる血縁関係に近い、もしくは近親相姦で生まれた呪われた子だ。その証拠に深雪は地毛も冠羽も真っ白だ」
「孔雀宮には深雪のような外見の人は歴史上、いるそうですよ。珍しい子というわけじゃないようですよ。それと父の子供でも、そう言う子が生まれる可能性があるらしいって言われています」
「だが田鶴宮の、鶴のような羽の要素が一切ないでしょう? 冠羽すべてが孔雀のような羽なのだから、あの子は。しかも出産予定日よりも早く生まれたり、色々と疑惑が多い子ですよ」
「あなたは深雪の婚約者ですよね! そんな疑惑とか……」
私の言葉を遮って吉彦がおもむろに私の頭に触れ、フサッと結んでお団子にしていた私の髪は解かれ、私の真っ白い冠羽が晒される。
私も花鳥人なのだ。
吉彦が立ち上がり腰を下ろしている私を見下ろす。そして彼は静かに言葉を紡ぐ。
「若草宮の僕は田鶴宮の次期当主である娘と婚約しているんです。純白の白い冠羽を持った花鳥人の娘を」
「……私には結婚を約束した相手がいるんです」
「そいつと縁が切れていないから、あなたは次期当主になれないんでしょう」
「確かに彼は荒鳥です。闘鶏の軍鳥で名を馳せた花鳥人ですからね。でもやましい事はしていませんよ。私も彼も」
「焔羽でしたっけ? 素早さが強みだった軍鳥で、それでいて愛郷があったとか。ただ彼の家系はずっと荒鳥で、決して堅気とは言えない一族だったとか……」
「……それ以上、彼を貶める発言はやめて」
この男のために顔を上げるのすら億劫なので、目だけ吉彦の方を見て言う。まるでハッとしたような彼は表情を浮かべた。
「例え彼と縁を切ろうと、あなたと一緒になろうとは思わない。絶対にね」
「……」
「夜鷹の具合が良くなったら、すぐに帰ります」
立ち上がって隣にいる夜鷹の部屋に行こうとした瞬間、髪をグイッと引っ張られ再び尻もちをついた。
「痛い!」
「俺に、俺に指図するな! ただの妾の子で、下品で、はねっかえりが、俺を、恐ろしいと思わせるな! 鶴の一声ように、俺を従わせるな! お前は、ただ、ただ、人の言う事だけを聞いていればいいんだよおおおお!」
スパン!
隣の部屋の襖が勢いよく開いた。
「チッ。クソガキ、今、忙し……」
小さな幼児の夜鷹が襖を開けてやってきたと思った吉彦だったが、襖を開けた人物を見てみるみるうちに顔色が変わった。
「はあ? 何が忙しいんだよ? 女の冠羽を引っ張るのが、そんなに忙しいのか?」
遥かに高い身長、両腕の代わりに黒い羽と太く鋭いアシユビ、そして真っ赤な炎のような冠羽。軍鳥、焔羽であり、私と結婚の約束をした相手は部屋を轟かす程の威嚇をした。
*
花鳥人には現代の科学などでは解明できない呪いも存在する。
私の恋人の夜鷹は若返る呪いをかけられた。本来なら二十代半ばの年齢なのに幼児の姿に戻ってしまうのだ。
「さっさと離れろ!」
「え? え? ヒイ!」
情けない声を出しながら、引っ張っていた私の髪を離して吉彦は後ろに転んだ。謝罪の言葉を言おうと口をパクパクしている吉彦に、夜鷹は素早く動いて鋭いアシユビで頭を掴んだ。
「おい! テメーは言い負かされたら女の冠羽や髪を引っ張っていいって思ってんのか?」
「い、いいいいいえ」
「立場が弱いヒナと関係を持って、こいつが当主になっても自分が婿になればいいとか思ったんだろ!」
「ち、違います!」
頭を掴まれた吉彦は震えながら、夜鷹を泣きそうな顔で見上げている。
もう可哀そうなので私は「もういいよ」と夜鷹に抱きつく。
「さっさと帰ろうよ」
「そうだな」
パッと吉彦の頭を離して、夜鷹は私の頭を撫でる。数分前は夜鷹を守らないといけないって思っていたけど、大人になった夜鷹を見るとホッとする。
だが夜鷹は「あ、でもすぐには帰れないな」と言って、吉彦方を向いて口を開いた。
「悪いけど、あんた。お使いしてくんない?」
「はあ?」
「大人用の服を持っていねえんだわ。今、大人用の浴衣着ているけどさ。だから近くの店で何でもいいから男物の服と下着を買ってきてくれ」
「……はあ?」
「嫌なら、テメーの服を引ん剝くぞ」
「行きます!」
夜鷹に怯えて吉彦は逃げ出すようにお使いを行かされた。
ちょっと前は夜鷹を抱っこしていたが、今では夜鷹に抱っこされて旅館から出る。吉彦が買ってきた服に文句を言いながら。
「はあ、何だよ、このグレーの服。華もパンチもケレン味もない」
「……すいません」
「あと、俺がガキの姿になるって事も言いふらすなよ。あと旅館の人にも口止めしておけ! ヒナの父親と数人くらいしか知らねえんだから」
「はい」
私の時は高圧的な態度だったが、鷹に睨まれた小鳥のように恐縮している吉彦。もはや情けない。
ジロジロと道行く人が私達を見ているので「夜鷹、私、一人で歩けるよ」と私が言うと、夜鷹は優しい声で「抱っこさせて」と言った。
「ヒナは男に冠羽を引っ張られるわ、蹴られるわで、散々だったろう。それに俺の事、ずっと抱っこしていたんだ。たまには俺も抱っこさせろよ」
そう言って、夜鷹は私の冠羽に頬擦りをする。
お姫様抱っこは恥ずかしいけど、背中と頭は痛いし、夜鷹に抱っこされるのは久しぶりだから、まあいいか。なんか安心するし。
吉彦が呼んだタクシーに乗り込み、田鶴宮の屋敷までと伝えた。
「あ、そうだ。吉彦さん。夜鷹に買ってきてくれた服のレシートください」
「え? ああ、いいですよ。僕の奢りで」
「ダメですよ。お金は必ず返します!」
吉彦は「分かりました」と言って、レシートをくれた。
そうしてタクシーは走り出す。チラッと見ると吉彦はお辞儀をしていた。謝罪のお辞儀なのかよく分からないが、目上の上司を送る部下のような感じだな。さっきまで見下していたくせに。
タクシーの後部座席に一緒に座る夜鷹は「ヒナ」と私の頬を指で突っつく。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「本当は?」
「怖かった。背中も蹴られるし、あの人に連れて行かれた時は泣きたいくらいだった」
「俺がいるから気丈に振る舞っていたんだよな。いつも俺の事を守ってくれて、ありがとう」
「夜鷹こそ、私を守ってくれてありがとう」
私達は寄り添って、今の時間をじっくりと味わう。
彼の背中には、未だに蜘蛛の巣のような呪いの後があって消えていないのだ。次の日になれば、夜鷹は再び子供に戻る。
でも大丈夫だ。呪いの効果も薄くなっているし、こうして大人に戻ってくれるんだから。
きっと大丈夫。
呪いが消えるまで、いや消えても彼を守り愛すよ。夜の鶴の如く。
田鶴宮に帰った後、深雪の髪結いをした部屋で私と夜鷹はもらった栗を食べる事にした。もちろん大人の夜鷹を隠しながら。
「そう言えば、幼児だった俺はどうだった?」
夜鷹は幼児になっている時の記憶が無くなってしまう。でも時々、彼が乗り移っているんじゃないのかなって思う言動は多い。例えば「夜の鶴みたい」って言ったり、荒鳥の巡業に行ったり……。
深くは突っ込まず、私は笑って答える。
「いつも通り、可愛かったよ。色々と大騒ぎしたけどね」
「はあ、小さい頃は女に間違えられたからな」
そう言って夜鷹は「ヒナ、あーん」と言って剥いた栗を私の口に入れた。なんだか、親鳥が子供に餌をあげているみたい。前まで私が夜鷹にあげていたのに、と思いつつ、もらった栗を食べた。