チャレンジャー
そのマシンが入って来た瞬間、一気に空気は張り詰め、ジンは思わずゴクリと唾を飲んだ。
半分はシェヘラザードが纏う想像を越えるプレッシャーに気圧されたから、もう半分は待ち望んでいた瞬間がついに来たことに興奮しているからだ。
そんな心の内をおくびにも出さないようにイーヴィルは再びダガーを器用に回し、逆手に持ち変えて、構えた。
「まぁ、いいや。メインディッシュから来てくれたんだから、よしとしよう」
「メインディッシュ?ワタシのこと?」
「そうだよ、シュヴァンツ隊長神代藤美さん」
「名前を知っているってことは……さてはあなたワタシのファン?サインならいくらでも書いてあげるから、大人しくしてくれない?」
「そのやり取りは……さっきやったよ!!」
先手を取ったのはイーヴィル!ダガーでシェヘラザードに斬りかかった!
「マロン」
「一夜、装備。どうぞ」
「どうも」
バキィィィィン!!
「くっ!?」
しかし、シェヘラザードは銃の代わりに現れた鉈でドレイクダガーを粉々に砕き、返り討ちにした!
「武装を変更する余裕はなかったの?普通のドレイクのまんまじゃない」
「近接格闘戦はこれで十分だからね!!」
イーヴィルは刃を失ったダガーの柄を投げ捨てると、今度は両手を広げてシェヘラザードに掴みかかる!
「姐さん!そいつに捕まったら駄目だ!」
「わかってる……見てたからね」
パンッ!パンッ!
「――!!?」
「ワタシに触れていいのは、ワタシより強い長身のイケメンだけよ」
「ちっ!?」
けれど、これもあっさりと手刀ではたき落とした。いや、それだけでなく……。
「とりあえず……部下を苦しめてくれたお返し、一発目!!」
ゴォン!!
「――がはっ!?」
強烈なボディーブローが炸裂!肺の中の酸素が強制的に追い出されて、身体が直角に曲がる!イーヴィルは腹を抑えながらよろよろと後退した。
「はぁ……予想通り、いや予想以上だね……」
「これぐらいできないと問題児をまとめられないんでね」
「その問題児のために、一番のターゲットである組長を追うより、こっちを優先させたのか?」
「実際に会ってみて、木真沙彰彦は小賢しい男だと思ったわ。でも、それだけ。ザカライアほどの男じゃない……あとでどうにでもなる」
「ひどい言われ様……だけど、組長自身もそれを自覚している。だから、ボクに貴重なドレイクを与えて、好きに改造させてくれたんだ」
「その結果がこれ?小賢しいって言ったけど、頭もあまりよくないみたいね」
「まだ結果は出ていないよ!!」
会話の間に回復したイーヴィルは再びシェヘラザードに飛びかかった!
「いいえ、もう出ている」
けれど、これもまたいとも簡単に回避される。そしてまたまたボディーブローが……。
「同じ手なんかに!」
「何!?」
だが、イーヴィルはまるでバレエダンサーのように回転しながら、躱す!さらにその勢いを利用して……。
「でやぁ!!」
ガァン!!
パンチを繰り出した!けれど、これもガードされてしまう!
「今のはいけると思ったんだけどな……」
「この程度で?」
「……だね!シュヴァンツの隊長を!ザカライアを倒して、新たなチャンピオンになったあなたにはもっと全力でやらないと!!」
イーヴィルは拳を、蹴りを連打した!右から左から上から下から!凄まじい勢いでラッシュを放ったのだ!
「おっと」
シェヘラザードはそれらを時に回避し、時にはたき落とし、事なきを……いや!
ガッ!!
「はっ!!」
「なんですって……!?」
シェヘラザードの頬を拳が掠めた!先ほどまで手も足も出なかったというのに、ほんの少しだがその肌に触れたのだ!
「あれ?強いイケメン以外は触っちゃいけないんじゃないの?まぁ、ボクはいずれ長身のイケメンになるし、今日ここであなたより強くなるけどね!!」
今の一撃で自信を取り戻したのか、さらにラッシュはより速く、鋭くなっていった!
シェヘラザードは、美しきピースプレイヤーを纏うフジミはそれを必死に捌きながら、現状を整理した。
(あの一撃……偶然じゃない。多分、こいつこの短時間でワタシの動きを学習、成長しているんだわ。恐るべきポテンシャルの高さ……時間をかけるのは危険ね……!)
心の奥で決断を下したフジミは一度全身の空気を吐き切ると、新鮮な酸素を取り込み、相棒に語りかける。
「マロン!システム・ヤザタよ!」
「はい!発動します」
主の命に従い、シェヘラザードは装甲を展開し、変形していく!その姿こそが彼女の本気の戦闘スタイル!
「それが真のシェヘラザード!そいつを倒すために、イーヴィルドレイクは生まれたんだ!!」
「ガキくさい名前ね」
「そのやり取りもさっきやったよ!!」
ガァン!!
「――ッ!?」
カウンター一閃!システム・ヤザタによってイーヴィルのパンチを回避すると同時にお返しのナックルを顔面に叩き込んだ!たじろぐ幼竜……けれどそれで終わりじゃない!
「今度はこっちの番よ!!」
ガンガンガンガンガンガンガンガン!!
「ぐうぅ……!?」
やられたらやり返す、倍返しだ!と言わんばかりにシェヘラザードはイーヴィル以上のパワーとスピードで攻撃を繰り出した!幼竜は小さな身体をさらに小さく丸めて被弾面積を減らすことしかできない。
「ほらほらどうしたの!?大口叩いておいて、これで終わりなの!?」
「ッ!?」
攻撃に加えて口撃を加えるフジミ。それは決して彼女の性格が悪いからではない……性格は悪いかもしれないが、今回はちゃんとした理由と意図がある。
(意識をワタシに、前方に集中しなさい……そうすれば、ドレイクの泣き所が無防備になる!)
彼女の狙いはドレイクの機能を一時的に停止させる背中。そして思惑通り、そこががら空きになった!
(もらった!!)
ゴォン!!
一瞬で背後に回り込み、掌底を叩き込む!これでイーヴィルドレイクも……。
「イーヴィルテイル」
ザッ!!
「――ッ!?何だって!?」
掌底を食らうと同時に、イーヴィルから先っぽに刃のついた尻尾が生え、それでシェヘラザードに反撃した!白い機械鎧は内蔵されているAIの力で回避運動を取ったが、胸の装甲に小さな傷をつけられてしまう。
「ちっ!小癪な真似を……」
シェヘラザードは大事を取って、イーヴィルから離れた。その動きは今までと同じく華麗で軽快だ。
「やっぱり狙ってきたね……背中」
「ドレイクの弱点を把握していたのね……」
「正確には把握した上で、改善してある。そこに衝撃を与えても、イーヴィルは不具合を起こさないよ」
「そう……まんまとワタシは誘導されたのね。この一撃のために」
シェヘラザードは胸につけられたばかりの小さな傷をそっと撫でた。触ってみると、改めて薄皮を斬り裂かれただけだとしか思えなかった。
「狙いは良かったけど、その成果がこれじゃ、ちょっと労力と見合ってないんじゃない?」
「そう見えてるなら、あなたの目は節穴だね」
「……何?」
必殺の策が破られたというのに、ジンの声色には戸惑いや焦りは感じられなかった。むしろ大変満足しているような……。
フジミの眉間に自然と深いシワが刻まれる。その時……。
「マスター……」
「マロン?」
耳元で相棒の声が流れる。それはいつものことだが、今回は音声に僅かなノイズが混じっていた……。その違和感にフジミは当然気づく。
「あんた……どうしたの?」
「申し訳ありません……わたくしはここま……」
ガーッ!!ピイィーーッ!!
「――なっ!?」
突如としてマロンの音声が途切れ、展開していたシェヘラザードの装甲が元に戻っていく!
それをジンは愉快そうに、イタズラが成功した子供のように眺めていた。
「ボクの作戦が失敗に終わったと思った?残念、大成功だよ」
「何ですって!?」
「さっき隊長さんが小馬鹿にした“イーヴィルドレイク”という名前は完成後に付けた名前。開発当初のコードネームは『エレクトリックドレイク』」
「エレクトリック……」
「電子戦特化ってことだよ」
「!!?」
フジミの全身に電流が走る!ジンの言葉の通りならば、今自分の愛機に起きている異変の理由は一つだけ……。
「コンピューターウイルスか……!」
「正解」
イーヴィルは人差し指でシェヘラザードを指差した。
「さっきあなたのことチャンピオンって言ったでしょ?ボクシングでもフットボールでもなんでもいいけど、チャンピオンっていうのは、徹底的に対策されるものだよ。っていうか、それをするのがチャレンジャーの義務であり、敬意の証さ」
そう言いながらチャレンジャーはゆっくりとチャンピオンに近づいた。
「くっ!?」
シェヘラザードは動かない。さすがチャンピオン!堂々としている!……というわけでは、もちろんなく、動きたくても動けないのだ。
「完全にウイルスに蝕まれたみたいだね。あなたを守るはずの鎧が拘束具になってしまった」
「くそ!?」
「これがイーヴィルドレイク……あなたを、不死身のフジミを、シェヘラザードを倒すためだけに生まれたマシンの力だ」
イーヴィルはそっとシェヘラザードの首筋に触れた……勝利を手にするために。
「イーヴィルライトニング」
バリバリバリバリバリバリバリバリッ!!
「――があぁッ!!?」
今度は比喩ではなく、実際にフジミの全身に電流が走る!ジンが言ったように白い機械鎧は彼女を拘束するように固まっているので、傍目からは微動だにしていないように見えるが、中ではフジミは激痛でのたうち回っている!
「これでボクがチャンピオンだ!!」
今日一番興奮した声をあげるジン!待ち望んでいた瞬間がついに訪れ……。
「離れろ!くそガキ!!」
ドォン!!
「――うおっ!?」
隊長と幼竜の戦闘中に回復したマルルシャットが乱入!さっき自分を助けてくれた恩を返すように、シェヘラザードに夢中になっているイーヴィルの不意を突き渾身のタックルで吹っ飛ばした!
「姐さん!?おっと!?」
追撃にはいかず、尊敬する隊長に駆け寄ると、意識を失っている彼女は力なく崩れ落ちた。それを滑り込むようにギリギリで受け止める。
「姐さん!?くっ!意識はないか……!」
「仮にあっても、マシンがそんな状況じゃイーヴィルドレイク相手に為す術ないけどね」
「ジン……!!」
イーヴィルドレイクは勝ち誇ったように、堂々とした態度で歩み寄ってくる。その姿はまさに新チャンピオンだ。
「さぁ、どうする?ボクは優しいから潔くギブアップするなら、許してあげるよ」
「お前は強い……今のおれじゃ勝ち目はない」
「ずいぶん素直だね」
「はっ!何もわかってねぇな……!」
「ん?まさかこの期に及んでまだやる気?」
「あぁ、やる気は満々だ……だが!今はやるつもりはない!」
「威勢よく言ってるけど、逃亡宣言だよね、それ?ボクが許すと思う?」
「そもそも許可なんて求めてねぇよ!おれの行動を決めるのは、おれ自身だ!!」
「思うだけなら、誰でもできる!!」
これ以上の問答は不毛だと判断したイーヴィルドレイクは足に力を込め、突進……。
「ナーキッド2号!!」
ガシャアァァァァァァァン!!
「――なっ!?」
入口を突き破り、天駆けるバイクがド派手に登場!そのまま敵を轢こうとするが、イーヴィルは転がって回避!だが一番の目的は達成した。
「よいしょ!!」
マルは不本意ながらシェヘラザードを雑にナーキッドの後ろに投げ置き、自分は運転席に飛び乗った!
「それじゃあ今日のところは帰らせてもらうぜ!!」
赤と白の二つの機械鎧を乗せたバイクはそのままポップコーン売り場から飛び去ってしまった。
「空は……飛べないみたいだな」
追手が来ないことを確認すると、マルルシャットは耳元に手を当てた。億劫極まりないが、この緊急事態を同僚に伝えなくてはいけない……。
『我那覇!リキ!姐さんが……隊長がやられた!!』
「――なっ!?」
「……嘘でしょ!?」
絶賛苦戦中の二人に衝撃が走る。彼らの中で彼女は“不死身のフジミ”、絶対的な存在であり、シュヴァンツの精神的主柱……そんな彼女が倒れたと聞いて取り乱さないはずがない。
『言うまでもなく、おれ達は神代藤美あってのシュヴァンツだ!姐さんが戦闘続行不可能な今取るべき行動は……撤退だ……!!』
「くっ!?」
「マルさん……」
通信越しでもその声には悔しさがにじみ出ていた。それを慰める言葉も、咎める声も返って来ない。クウヤとリキもまたただ歯噛みして耐えるしかできなかった。
『おれはこのままナーキッド2号で近くの病院に姐さんを運ぶ!お前らもどうにかして、逃げてそこに来い!姐さんなら意地やプライドのために命を粗末にするなって言うはずだ!だから……必ず生きてまた会おう!!』
そう言ってマルはさらにアクセルを開け、夜空を疾走した。
シュヴァンツを包む見渡す限りの漆黒の闇はまるで彼らの心を暗示しているようだった。だが、悲しいかなまだ夜は始まったばかり……。




