いるべき場所
マルが廊下を歩いていると目の前にスーツ姿の集団が見えた。こちらに向かって来るその顔はここでは見慣れない顔ばかり。いや……。
「……ちっ!」
先頭に立つ眼鏡の男と視線が交差した瞬間、マルは舌打ちし、足を止めた。
「あの人は……副社長?」
「あぁ……先に行っていてくれ」
スーツの一団の一人がマルの存在に気づき、先頭の眼鏡の男に声をかけるとその男もまた足を止めた。
後ろについていた者達は軽く一礼すると、命令に従い、男を置いて廊下を進んで行った。
結果残されたのはマルと眼鏡の男二人。両者の顔はどことなく似ていた。それもそのはず……。
「光雄兄さん……!」
「久しぶりだな、丸雄」
二人は正真正銘血の繋がった兄弟だったのだ。
「何でここに?」
「お前は昔から頭が悪かったが、会わない間にそんなこともわからないくらい更に脳ミソが劣化したのか?お前の職場と家のことだろうに」
その嫌みったらしい言い回しに昔を思い出し、マルは再び「ちっ!」と舌打ちをした。
「この技術開発局は我が『勅使河原建設』が建てたもの、例の一件で偽局長が悪さしてないかの調査と、改装のために副社長が直々においでなすったんでしょ?なんてったっておれの職場と家のことですからね……わかりますよ……!」
お返しにできる限り嫌みったらしく答えたが光雄は顔を歪めるどころかむしろ感心したように笑みを浮かべた。
「良かったよ……さすがにそこまでバカじゃなかったか」
「実の弟をなんだと思っているんだ……!」
「敷かれたレールを歩くのは嫌だなどと、子供じみたことを言って家を出て行ったアホだと思っている」
「……まぁ、それについては反論はできねぇな」
恥じるように目を背ける弟の姿を見て、兄は今度は眉間にシワを寄せた。
「どうした?やけに素直じゃないか?私の記憶の中のお前なら“うるせぇな!”と荒ぶるところだが」
「家を出てから色々あったからな。おれも過去の行いを反省できるくらいには成長している。あんたの言う通り、あの頃のおれはガキでアホだったよ、間違いなくね」
マルはバツが悪そうに髪をかき乱した。
「ほう……お前からそんな殊勝な言葉が出てくるとは……家を出た甲斐あったというわけか」
「……だな」
「だが、もう十分だろ?戻って来い」
真っ直ぐとこちらを見つめる兄の瞳を見返すと、マルは首を横に振った。
「それはノーだ」
「なぜだ?」
「まだやることが残っている」
「お前がいないと、やらないと駄目なことなのか?」
「それは……」
マルは口ごもった。ミスをした昨日の今日では、「そうだ!」と胸を張って言い切る自信は残念ながら彼にはなかったのだ。
「別にお前じゃなくてもいいんだな?」
「うっ!?」
「ならとっとと戻って来い。勅使河原建設にはお前が必要だ」
「そっちの方こそ何もすることねぇだろ!?おれは経営も設計もてんで駄目だぞ!?んなこと、父さんも兄さんも嫌というほどわかっているだろ!?」
自分で言っていてマルは情けなくなった。結局、自分は逃げただけなんだと自覚すると涙が溢れそうになる。
しかし、兄の見解は違うようで……。
「お前にそんなこと私も父さんも求めてないよ」
「……えっ?」
「父さんは卓越した設計センスと経営手腕をもって、一代で会社をシュアリー有数の大企業にした」
「それはわかっているよ。だからおれにはその才能は受け継がれてないって……」
「お前はもう一つの才能を継承している」
「もう一つ?」
「人の懐に入る度胸……コミュニケーション能力だ。お前は気が強く、喧嘩早いくせに人とすぐ仲良くなるだろ?」
「そう言われれば……」
思い返して見ると、マルの人生はいつも人に囲まれていた。彼にとっては特筆することでもない普通のことだが、兄光雄のような人間からすると、それは凄いことなのだ。
「設計センスと経営手腕、そして人と交渉し、最終的に味方につけるコミュニケーション能力、それらが全てあったから父はここまでの勅使河原建設を大きくできた。そしてそれを継承し、さらに発展するためにはそれをそれぞれ受け継いだ私達が力を合わせないと駄目なんだ」
「兄さんの設計と経営の才能と……」
「お前の人と通じ合う才能が、だ!私達は二人で一つなんだよ!だから戻って来い!丸雄!お前がいるべき場所はここではない!」
光雄は手を差し出した。この手を取れと全身から圧力を発している。それに対してマルは……。
「正直……兄さんがおれのことをそこまで評価してくれるのは嬉しい」
「なら」
「だけど今は任務の最中なんだ。それを途中で投げ出すことはできない。終わったら……答えを出すよ」
こちらを見つめる弟の真剣な眼差しに、兄の顔は再び綻んだ。
「そうだな……そんな急に言われてもお前も同僚の方も困るよな。何より無責任はよくない。わかったよ、いい返事を期待して待っている」
「あぁ……待っていてくれ」
光雄は歩き出し、通りすぎ様にマルの肩にポンと手を置いた。
「あと私や父さんはともかく母さんには定期的に連絡しろ。ニュースを見る度にお前の名前が呼ばれるんじゃないかと、泣きそうになっている。シュアリーの平穏を守るのもいいが母親の心も労ってやれ」
「……わかった」
言いたいことを全て伝えた兄はその場から去って行った。
そして残ったのはマル一人……。
「ふぅ……」
緊張感を解くために一息吐くと、マルはなんとなく天井を見上げた。
(なんで“おれはシュヴァンツだ!”……って言い返せなかったんだろ)
マル自身、兄との問答の着地点は想定していたものとはまったく違っていた。まさか答えを保留にするなど思いもしなかった。
(やっぱ昨日の今日で自信を喪失しているのか……それとも偽物野郎との一件が凄すぎて燃え尽き症候群になっているのか……どちらにしても間違いなくおれは手柄を立てることやシュヴァンツにいることに昔ほど執着しなくなっている……あぁ!!)
視線を下ろすと、再び髪をかき乱す。
(くそ!そうじゃない!それ以上におれは兄さんの話を聞いて、おれがシュヴァンツにいる必要性がないと思ってしまったんだ……姐さんのように完璧でもない、アンナのように賢くもない、リキのように力も強くない、我那覇のように狙撃がうまくもない……だったら、おれは兄さんの言う通り家に戻って、自分の強みを生かした方が……)
胸の奥底に封じ込めていた劣等感が堰を切ったように吹き出した、慣れ親しんだ廊下で疎外感を覚えるほどに……。
(おれは……)
「マルさん!!」
「!!?」
さらに深い闇の中へと堕ちていこうとした瞬間、突然聞き馴染みのある声で名前を呼ばれた。振り返るとそこにはリキがこちらに走って来ていた。
「リキ……どうした?そんなに慌てて……」
「マルさんと連絡つかないから……何度も電話したのに……!」
「あっ」
肩で息をするリキに指摘され、電話でもある待機状態のルシャットⅡを取り出すと、画面に飯山力の名前がデカデカと出ていた。
「悪い……ちょっと立て込んでて、気づかなかった」
「いや、まぁ、こうやって合流できたから別にいいですけど……それよりも伝えたいことが……」
「そうだ……そこまで急ぐってことは緊急事態か?」
「緊急といえば緊急ですね……」
リキは息を整えると、一言一句ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「たれ込みがありました。今夜、ベルミヤ郊外で『木真沙組』が武器の取引をするそうです」
「……何?」
この日、シュヴァンツはある意味では今までで一番のピンチを迎えることになるとは、今は誰も知らない……。




