姫竜結戦 その④
「……勝った」
偽桐江は自分にしか聞こえないような小さな声で呟いた。まるで自分を労うように、勝利をじっくりと噛み締めるように。
だが……。
「………ん?」
すぐに彼はある違和感に気づく。
「……血が出ていない……?」
シェヘラザードから一切の血液が漏れ出て来ないのだ。胴体を貫かれたのなら普通は真っ赤な鮮血が周りに飛び散るべきなのに。それどころか内臓を突き破ったはずの刃に一滴も血が滴っていない。さらに言えば、神代藤美という人間の気配、彼女が絶えず放出しているプレッシャーが感じ取れなくなっていた。
(何故だ?これだけの傷を負いながら、全く血が出ないなんてあり得ない……そもそも思い返して見れば、感触もおかしかった!あれは人を刺した感触ではない……まるで硬い殻を砕いた……中身がない殻だけを……まさか!?)
「その反応……気づいたようですね」
「!!?」
点と点が線で繋がったと同時に、答えを告げる電子音声が流れる。いや、その電子音声自体が答えだ!
「AI……!?」
「このシェヘラザードは装着者無しでも、極短時間ならわたくしの制御で自律稼働できます。それを利用した囮作戦……それがピースプレイヤー・パペット……通称オペレーション・トリプルPです」
「私を!謀ったのかぁ!?」
「散々人を騙してきた貴様には怒る資格などないよ」
「ッ!?」
「シャアァァァァァッ!!」
べちゃっ……
「しまった!?」
アジ・ダハーカの腕や足元に粘着性のある液体が吐き出される。この場所に来る時に量産型ドレイクの足を止めたあれだ。
「ザッハーク!!」
「今のと……あともう一発で、オレの心も身体も空っぽになる……だから!これが正真正銘、最後の一撃だ!!」
ザッハークの肩から生えた蛇が大口を開けて、仇敵に向く。口にはどんどんと光の粒子が集まっていく。
そこから逃げ出したくてもアジ・ダハーカは先ほどの小細工のせいで身動きが取れなかった。
「くそッ!?」
「ザッハークは準備万端のようですし、わたくしの役目も終わったので一足先にお暇させてもらいますよ、マスター」
「AI!?」
シェヘラザードは自分に突き刺さっている槍から、すーっと抜け出し、その場からフェードアウトした。
そして、代わりに彼女のいた場所の後方、もう一体の白と藤色の装甲を持ったピースプレイヤーが煙幕の中から姿を現す。
「ルシャット……だと!?」
最後の最後で登場したのは、シェヘラザード以前の神代藤美の愛機ルシャットⅡだった。その旧式のマシンは両手でがっちりシームルグ砲を構え、紫の竜に狙いを定めている。
「ワタシって物持ちがいい方なのよね」
「くっ!?だが、シェヘラザードでも耐えられなかった反動にそんな旧式が耐えられるのか!?まともに撃てるはずがない!!」
偽桐江の指摘は正しい。ルシャットのパワーではシームルグ砲の反動を抑えて、狙い通りの銃撃を行うことは不可能だ……ルシャットだけなら。
「そうね……ワタシ一人では無理。けど!ワタシには!こんな頼りない隊長であるワタシを!支えてくれる部下達がいる!!」
「なっ!?」
徐々に煙幕が薄くなっていくと、そいつらは次々とその姿を現した。
赤色、黄色、青色……傷だらけの三匹の竜がルシャットの背中をがっちり支えていたのだった。
「なんとかエンディングには間に合ったようだな!!」
「あの二人も強かったですが、自分達を止められるほどではありません!!」
「任せてはみたものの……やっぱり俺自身の手で奴に一矢報いないと寝覚めが悪い……!!」
「シュヴァンツゥッ!!!」
全員集合したシュヴァンツの感情を想いを取り込み、シームルグ砲はチャージを終える。あとは引き金を引くだけだ!
「ザッハーク!!」
「おう!!」
フジミは別方向からアジ・ダハーカを狙うパートナーに合図を送った。彼の返事はもちろんOK。
だから、躊躇なくトリガーを引いた!
「蛇王超究逆鱗弾ッ!!!」
「シュヴァンツ!ファイナルシュート!!!」
ドシュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!
寸分の狂いもない同じタイミングでシュヴァンツとザッハークの最後にして最強の一撃が放たれた!
「くっ!?オースペクルムッ!!」
アジ・ダハーカは二つの巨大な竜の骸骨を召喚する。そして、二つとも口を開けさせ、攻撃を吸収させる体勢を取らせる。
本来ならあり得ない運用方法……だが、今の彼にはそうするしか他なかった。
今、彼もまた選択肢のない弱者になり下がったのである。
「全部飲み干せッ!!奴らの怒りも!憎しみも!全部食い尽くすんだ!!」
ドシュウゥゥゥゥゥゥゥゥ………
偽桐江の必死な叫びに応えるように骸骨は光の奔流をその口腔に広がる漆黒の空間に飲み込み続ける。そして……。
ガチャン……
全ての光を取り込むと口を閉じた。
「ボス……」
「ええ……これで何も起こらなかったらワタシ達の負け……」
「おれ達にできるのは……」
「祈るだけか……」
シュヴァンツ、そしてザッハークもアジ・ダハーカの様子を静かに見守っていた。やるだけのことをやった彼女達の表情はどこか晴れやかで、どんな結果でも受け入れるつもりだ。
「はぁ……はぁ……はははははっ!!」
皆の視線をその身に一身に受ける偽桐江颯真は高らかに笑った。
「やったぞ!全て吸収し切った!!やはりアジ・ダハーカは無敵だ!!天は私を選んだのだ!!!」
人生最大の窮地を乗り越え、感じたことのない充足感を彼は感じていた。間違いなくその瞬間こそが彼の人生のピークだった。
そのたった一瞬だけが……。
ピキッ……
「……えっ?」
彼は不審な音を聞いた。何かがひび割れるような音を。それが自分の愛機が砕ける音だと理解する前に、ひびは全身に広がっていった。
ビキビキビキビキビキビキビキィッ!!
「な、なにィッ!!?」
どんな強力な攻撃にも傷一つつかなかった紫の鱗に稲妻のように深々と刻まれる亀裂!その隙間から……。
ドシュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!
エネルギーが噴出する!先ほどシュヴァンツとザッハークが放ったあの光の奔流だ!
「あ、姐さん!?」
「ええ……どうやら上手くいったようね……」
全身から光を放ちながら、崩壊する紫の竜を見て、フジミは今までの苦労が報われたと目を潤ませた。
「漸く……漸く終わるのか……」
彼女以上にこの件に長く苦しめられていたザッハークも言葉を詰まらせた。しかし……。
「まだ……」
「「!!?」」
「まだだぁッ!!!」
偽桐江颯真は咆哮を上げた!アジ・ダハーカの冠のような角は折れ、紫の鱗は剥がれ落ち、六つの眼はコントロールを失いチカチカと点滅していても、彼の心は折れていなかった。
「わ、私は終わらん!こんなところで!終わってたまるかぁ!!私はシュアリーを……」
「いい加減しつこいんだよ!貴様はここで終わりだ!このオレが終わらせてやる!!」
ガァン!!
「ぐはっ!?」
ザッハークが今までの怒りや憎しみを全て乗せた一撃をアジ・ダハーカの顔面に叩きつける!いや、十年分の想いが一発で終わるはずがない!
「はあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
ガンガンガンガンガンガンガァン!!!
「がああぁぁぁッ!!?」
身体に残っているエネルギーを全て振り絞り、ひたすら拳を撃ち込む。
圧倒的な密度の攻撃に立っているのがやっとの紫竜は手も足も出ない。
「痛いか!?痛いよな!?痛くなるようにやっているからなぁッ!!」
「ぐうぅ!?」
「だが!父や母!クラウスはもっと痛かったはずだ!!」
ザッハークの拳には彼だけでなく、彼の大切な人達の想いも乗っていた。ここで偽物を倒したところで、彼らは返って来ない、もしかしたら更なる虚無感が心を蝕むかもしれない……それでもザッハークは、本物の桐江颯真はその拳を止めることができない!
「痛いだと……私だって!ずっと我慢してきたんだ!!」
ガァン!!
「ぐっ!?」
防御一辺倒だったアジ・ダハーカが殴り返した。ザッハークの魂の叫びが、仇敵である彼の闘争心にも再び火を着けた。
「誰からも認識されず!名前すらなく!泥水を啜って生きてきた!!そして、やっとここまで来たというのに!邪魔をするなよ!!」
ガァン……
「な……」
アジ・ダハーカの拳はザッハークの額に直撃したが、紫の怪人はびくともせず、自分を殴った相手を睨み返した。
「言いたいことはそれだけか……?」
「くっ!?」
ガァン!!
気圧されたアジ・ダハーカが破れかぶれでまた拳を放つが、やはり全くザッハークは動じない。
「貴様にも辛い過去があったのかもしれない……」
ガァン!
「それは同情すべきものだったのかもしれない……」
ガァン!
「だとしても!他人を傷つけていい理由にはならないんだよ!!」
ガァン!!
「ぐあっ!?」
ザッハークのカウンターにアジ・ダハーカの首が一回転してしまうのではないかと錯覚するほどに捻れた。
それでもすぐさま正面を向く……と、ザッハークが今までで一番大きく拳を振りかぶっていた。
「ひっ!?」
「いいか!紫の竜の紋章はシュアリーの守護神の証!!そんなこともわからない奴が!“桐江”の名を語るなぁッ!!!」
ドゴオォン!!!
「があぁぁぁっ!!?」
アジ・ダハーカは三度目となる顔面パンチを受け、床に足で線を引きながら吹っ飛んだ。
それと同時にザッハークが前のめりに倒れ込む。遂に限界を迎えたのだ。
「オレができるのはここまで……あとは任せたぞ……“不死身のフジミ”」
「任されたぁッ!!」
ガンガンガンガンガンガンガァン!!!
「ぐっ!?」
一難去ってまた一難、ザッハークのターンが終わったら、フジミルシャットのターンだ!
猛然と拳のラッシュを放ち、紫の装甲を砕いていく!
「偽物野郎!これがあんたのやったことの報いよ!!」
「神代……藤美……!お前さえいなければ……!!」
「そうよ!ワタシがいたから、あんたの計画は崩壊した!でも、そのワタシを計画に引き込んだのはあんた自身!自業自得よ!!」
「ぐうぅ……!」
偽桐江は何も言い返せなかった。フジミの言う通りだからだ。この惨めで情けない状況は結局、巡り巡って自分の行いが返って来ているだけなのだ。
「あんたは“幸せ”になりたかったみたいだけど、幸せっていうのは他人から与えられるものでも、ましてや他人から奪うものでもないのよ!!」
「それは持っている者の言い分だ!!」
「そうかもしれない……けど!結局は同じことなのよ!持っていようが!持っていまいが!自分と向き合った先にしか、“幸せ”はない!!!」
ガァン!!!
「がっ……」
フジミ、会心の一撃がアジ・ダハーカにヒットした……いや、ヒットしてしまった。
それは彼女の予想を超えた威力を発揮し、アジ・ダハーカを壁に空いた穴の先、地上から遥か上空、雲の上の夜空に放り出した。
「しまった!?」
過ちに気づいたフジミが床を蹴り上げ、手を限界まで伸ばす。
「この手を取って!!あっ……」
フジミの口は動きを止めた。今、自分が手を差し伸べている男をなんと呼んでいいのかわからなくなったのだ。
「…………フッ」
その姿を見て、偽物は伸ばせば届いたであろう手を引っ込め、笑った。
「……名も無き者の末路とは、かくも惨めなものか……呼んでもらえる名前があったなら、もしかしたら……」
今まで散々、人を見下し、嘲り笑っていた者が、最後に嘲笑したのは自分自身であった。
名も無き者は一人、雲の中へと堕ちて、フジミの前から姿を消した。




