発芽
ザッハークは自分の後をついて来るフジミに話した……シームルグのこと、ヘルヒネのこと、そしてこの場所のことを。
「えっ?ここってシームルグが暴走した研究所なの?」
肩越しに驚くフジミを見つめ、ザッハークは小さく頷いた。
「あぁ、アジトとして使い始めたのはここ一年のことだがな。曰く付きの物件だからずっと放置されていたが少し修理すれば、施設は使えたし、データをサルベージして、シームルグを追跡することもできた。まぁ、全てあの人の技術があってのことだがな」
「また出たよ、あの人……」
「そんな不満そうな顔をするな。ほら、ついたぞ、貴様の会いたい“あの人”のいる場所に」
ザッハークは廊下の突き当たりにある扉の前で足を止めた。勿論、フジミも彼と同じく歩みを止める。
「……なんか話し声が聞こえない……?」
扉の奥から二つの声が聞こえてきた。それはとても楽しそうでフジミは場違いに感じた。
「眉間にシワを寄せてないで、入って見ればわかるさ」
「あっ!?」
ザッハークは訝しんでいるフジミのことなどお構い無しに扉の横に設置してあるパネルにタッチして、扉を開けた。
「ほら、入れよ」
「ちょっと!?」
「あら、全然帰って来ないと思ったら、神代ちゃん起きてたのね」
ザッハークに背中を押され、強制的に入室したフジミを出迎えたのは、優しそうな妙齢の女性だった。小さな身体で椅子にちょこんと座っているかわいらしいその姿は、見る人の心を穏やかにさせる。
しかし、フジミにはそれが逆に不気味に思えた。ザッハークの協力者がただのお婆さんなわけなどないのだから。
「あ、あなたは……?というか……一人しかいないんですか……?」
まずフジミが不信に思ったのは、話し声が二人分漏れ出ていたのに、部屋の中には一人しか見当たらなかったこと。キョロキョロと忙しなく目を動かし、部屋を見回すが、いくら探してもこのおばあちゃん以外の人影はいない。
「あらあら、私は一人じゃないわよ」
「ワタシの目にはあなたしか見えないんですけど……幽霊とかイマジナリーフレンドとかなら勘弁してくださいよ……」
「私、そんな痛々しい女に見える?違うわよ、ほら」
「ん?」
お婆さんは自分の目の前にある机をトントンと叩いた。その上には手帳型の物体、フジミがよく見慣れたというより、彼女と辛苦を共にした相棒の姿が……。
「シェヘラザード……って!あれ!?あれあれ!?ない!?」
慌てて自分の身体をパンパンと叩いて、セルフボディーチェックをする。勿論、彼女の手のひらがお目当てのものに触れることはない。だって、目の前にいるのだから。
「マスター……もしかして今の今まで、わたくしがいないことに気づいていなかったんですか……!!」
「うっ!?」
いつもは淡々としているAIの声に明らかな感情、怒りがにじみ出ていた。
「ち、違うんだよ!?ワタシがマロンのことを忘れるわけないじゃないか!これは……あれよ!あれなのよ!!」
手をバタバタさせながら、必死に言い訳するフジミの姿は浮気がバレた彼氏のようで滑稽だった。
「ごめんなさいね、私がマロンちゃんと話したくって」
「そう!そうですよ!あなたが勝手に!」
フジミはこれぞチャンスと言わんばかりに、話題を不機嫌なAIからお婆さんの罪へと変える。その顔は怒りよりも、助かったという安堵感に溢れていた。
「本当に申し訳ない。けど、どうしても科学者としての好奇心が抑えられなくて」
「あのね!科学者だかなんだか知らないけどやっていいことと悪い……」
フジミの口から止めどなく流れ出ていた言葉が止まった。彼女の関心がまた別のものに移ったのだ。
「どうしたの?私の顔に何かついてる?」
自分の顔を不思議そうに見つめるフジミにお婆さんは意地悪そうな笑みを浮かべ、首を傾げた。
彼女はわかっているのだ。フジミが何に戸惑っているのか、その疑問が晴れた時にどんなリアクションをするのかが。
「いや……その顔で……科学者だっていう人……ワタシは知っているなぁって……」
「それって三年前に暗殺された……」
「プロフェッサー飛田……」
「はい、私、プロフェッサー飛田です」
「ええぇぇぇぇッ!!!」
フジミは首が吹っ飛んでしまうんじゃないかと心配してしまうぐらい激しく頭を上下させた。
「はははははッ!そんなに何度も確認しても、足はあるし、頭の上に輪っかも浮かんでないわよ……」
飛田は腹を抱え、大きな声を上げて笑った。どうやらフジミのリアクションは彼女の予想を遥かに上回っていたらしい。
「いや!笑ってないで説明してくださいよ!!」
「ごめんなさい……ちょっと待って……ふぅ……」
飛田は目尻の涙を拭って、呼吸を整えた。
「えーと……どこから話しましょうか……」
「最初からで」
「最初からって言われても……そうね……私が科学者を志したのは……」
「そこまでさかのぼらなくていいです」
飛田は良く言えばお茶目な、悪く言えば空気の読めない人間だった。
「じゃあ……」
「暗殺事件の少し前からで」
「それなら……あの当時、私は自分の周囲を誰かが探っていることに気づいたの」
「偽物の桐江颯真ですね」
「その時は彼の仕業だとはわからなかったけどね。ただ狙いはすぐにわかったわ。ちょうど私は新しい技術を開発したばかりだったから」
「その技術って……」
「ええ……ダエーワシステムよ」
その単語を聞いた瞬間、フジミの顔は曇り、彼女の顔を見た飛田の顔にも陰りが差した。申し訳ないと思っているのだろう。
「言い訳させてもらうと、あのシステムが人を操れるのは、私にも想定外だったわ」
「だったら、何のために……」
「システム・ヤザタと同じですよ、マスター」
「マロン……」
「システム・ヤザタは人知を超えた能力を発揮する特級ピースプレイヤーやエヴォリストなど天に選ばれた者達に、選ばれなかった者達が対抗するためにわたくしのようなAIが人間を補助するシステム。それに対し……」
「ダエーワも同じ。凡人が超人と並び立つためにピースプレイヤーから放たれる電気信号で装着者の脳を刺激し、潜在能力を引き出すシステム……だった。色々と実験を重ねるうちに少し電気信号の質を弄ると装着者の思考を封じ込め、操れることが判明した」
「それを奴が嗅ぎ付けて……」
「もしかしたら最初は技術開発局の局長の椅子を争うライバルの弱味を握るために探りを入れてるだけだったかもしれないわね。けど、彼にとって喉から手が出るほど欲しいものを私が持っていることに気づいてしまった……私一人を殺せば局長の座も、彼の野望を実現する技術を手に入れられる状況……そりゃあ、暗殺も計画するわよね」
飛田は苦笑しながら、机に置いてあったカップを手に取り、もうとっくにぬるくなってしまったコーヒーを啜った。
「でも、私だってただ殺されるのを待っているようなお人好しじゃないわ。信頼できる友人である大栄寺クラウスに私の周りを探っている者を逆に探らせ、クローン培養技術とP.P.ドロイドの技術を合わせて作った影武者を遠隔操作して、私自身は安全のために身を隠したわ………ん?どうしたの?」
ふとフジミの顔に目を向けると、彼女は表情をひきつらせていた。
「なんか……結構、倫理的にあれなことをサラッと言ったような気がして……」
「ふふん!科学者ってのは、倫理観に縛られてはダメなのよ!」
飛田は何故か自慢気に腕を組み、胸を張り、ふんぞり返った。
「まぁ……それで助かったならいいか……今さら言ったところでって話だし……」
「そうよ!無茶したおかげであなたとこうして話せるんだから!」
「はぁ……」
「とにかく、影武者は私の代わりに爆破テロの犠牲になり、世間的にはプロフェッサー飛田は死亡。その罪は偽物を探っていたクラウスに着せられることに……彼には本当、悪いことをしたわね……」
遠い目で虚空を見つめ、飛田は今は亡き友に心の中でもう一度謝罪した。
「……………」
「………えーと、それで?」
「あっ、ごめんなさい」
一人黄昏るおばあちゃんをフジミはぶっきらぼうな言葉で我に返した。使命感はもとより、彼女が本来持つ強い知的好奇心が早く話を先に進めろと訴えたのだ。
「えーと……それでその後、逃げ回っているクラウスに彼が、ザッハークが接触してきたのよ。ねっ?」
飛田に促され、ザッハークに視線を向けると、彼はコクリと無言で頷いた。
「そう……それであいつが桐江颯真でないことと、やろうとしていることを三人で秘密裏に探っていたのね」
「ええ」
「あなたが生きている理由や、これまでのことは大体わかったわ。で、これからワタシ達はどうするの?」
「そのことだけど……」
飛田は両手の人差し指同士をツンツンとくっ付け、もじもじと目を伏せた。
「あぁ……何にも決まっていないのね……」
「いやいや!あるにはあるのよ!あるには……」
「何よ……あるなら、勿体ぶらないで教えてよ」
「ええと……あの男が計画の最終段階に入ったって言ってたんでしょ……?」
「確か……そんなこと言っていたような……」
「だとしたら、次に彼が行うのはベルミヤ中に配ったドレイクのダエーワシステムを一斉に発動させることだわ」
「一斉に……ダエーワを……!?」
昨日、目の前で部下が奪われた屈辱的で恐ろしい光景がこの国中で行われようとしている……フジミの身体から血の気が引いていった。
「それ……止められないの……?」
「もちろん止められるなら止めたいんだけど……場所がね」
「場所……?」
「ええ……広範囲に電波を飛ばす必要があるから、それなりに大規模な設備が必要よ。高い場所なら、よりいいんだけど………ん?またまたどうしたの?」
フジミが再び顔をひきつらせた。彼女には心当たりがあったのだ、その場所に。
「多分ですけど……ベルミヤタワーじゃないですか?あいつ、技術開発局主導で改装してるって言っていたし……」
「「!!?」」
飛田とザッハークが限界まで見開いた目を見合せる。
「確かに……あそこなら申し分ない……!」
「改装しているのは知っていたけど、まさかあの男が関わっていたなんて……でも、考えれば考えるほどベルミヤタワーほど相応しい場所はないわ……!」
二人はお互いの意志を確認するように頷き合うと、フジミの方を向いた。
「前言撤回……私達は全員でベルミヤタワーに向かうわ。一刻も早くね!」
「あいつも今頃、そこに向かって……いや、もう……」
「奴がいないなら、洗脳装置だけ壊せばいい……奴がいるなら、洗脳装置ごと奴をぶっ飛ばせばいい!!」
フジミはパンと右拳を左の手のひらに叩きつけた。その音が部屋の中を活気づける。
「それじゃあ、タワー突入の準備に取りかかりましょう」
「あぁ!」
「あっ!ワタシ、お腹空いたんだけど。腹が減ってはなんとやらって言うじゃない?」
ザッハークと飛田の急速に熱くなっていった心が急速に冷めていった……あまりにも気の抜けたフジミの発言に。
けれど、フジミからしたら超重要事項だ。肝心なところでお腹が減って力が出なかったなんて笑い話にもならない。
「……冷凍食品ならあるけど、それでいい?」
「ええ、上等よ」
「じゃあ、ちょっとチンしてくる」
呆れていたプロフェッサー飛田もフジミには万全の状態でいてもらわないとと、気持ちを切り替え、白衣を翻し、部屋を出て行った。
「ふぅ……じゃあ、待っている間にワタシ達は……」
「決戦の日に備えて、武器を揃えてある。それを確認しよう」
「そうね」
飛田に続き、ザッハークとフジミも出口に向かった。
「それにしても……はぁ……」
「どうした?急にため息なんてついて?」
「いやさ……ワタシ、あいつに食事に誘われてたのよ。ベルミヤタワーのレストランで美味しいワインを飲もうって……」
「ワインを嗜む予定が、血で血を洗う戦いになってしまって落ち込んでいるわけか」
「うん……そういうこと」
「覚えておけ、神代藤美……竜の紋章を持つ一族は酒は飲まない」
「それ、もっと早く教えてくれれば、こんな思いしなくて済んだかもしれないわね……」
「……かもな」
フジミとザッハークが新たな目標に心を燃やしている頃、偽物の桐江颯真は彼女達の推測通り、ベルミヤタワーにいた。
「さてと……」
タワーの最上階のさらに上、隠し部屋に五人の従者を連れた彼は巨大な装置の前で首をコキコキと鳴らした。
「まったく私の大願が成就する日だというのに……こうもギャラリーの反応が悪いと盛り下がるな」
彼のことを無表情で、何の感慨も持たずに勅使河原丸雄、飯山力、我那覇空也、メル、後藤が無言で見つめていた。文句を言っているが、そもそも五人がこうなってしまったのも彼自身のせいであり、マル達は彼を祝う義理も義務もない。
「まぁ、歴史が変わる瞬間とは、存外ドラマチックではないものかもな……」
苦笑いを浮かべながら、機械のパネルに映し出された手形の上にぴったりと合わせるように、偽桐江は自らの手を置いた。
「さぁ……ひとりぼっちのクーデターの始まりだ!!」
彼の指紋を認証した機械が起動し、ベルミヤタワーに指令を送る。
「はぁ……こんなんもらったけど、使う機会なんてあるのかよ?」
シュアリー首都ベルミヤのどこにでもある交番の一角で警察官が先日支給されたドレイクを見て、素直な気持ちを吐露した。
「そんな機会なんて来ねぇ方がいいに決まってる。精々、日々徳を積んで、世界がいつまでも平和であるように祈るんだな」
日誌を書いている彼の上司と思わしき人物が、彼を一瞥もせずに返事をする。
「そうっすね……でも、最近この国物騒だから……ん?」
「どうした?」
奇妙な声を上げた部下の方を向くと、彼は待機状態のドレイクを突き出していた。
「これ……何か勝手に起動……」
カッ!!
「「!?」」
ドレイクから光が発したと思ったら部下の身体を紺色の装甲が覆っていった。
「おい!ピースプレイヤーの装着は緊急事態でもない限り……」
カッ!!
「……えっ?」
部下を止めようと立ち上がった瞬間、上司の懐に仕舞ってあったドレイクも起動し、紺色の竜が二匹交番に降臨した。
「…………」
「…………」
二体のドレイクは誘われるようにふらふらと交番から出て、歩き出した。ベルミヤタワーに向かって……。
そして、これと同じ光景が今、シュアリーで、ベルミヤ中で起きている。
竜に植え付けられた邪悪の種が、電波に乗った悪意に触れ、今一斉に発芽したのである。




