託された想い
「……んん……!?ここは……?」
神代藤美が目を開けると、そこには見知らぬ天井が広がっていた。
「……よっこらしょっと……マジでどこだ?」
寝起きでダルさが残る上半身を起こし、周りを見渡す。そこはコンクリートが打ちっぱなしで、家具も今座っているベンチしかないような質素な部屋だった。
(確かワタシはザッハーク達と戦っていて……そこに桐江局長が……いや、桐江颯真に成り済ましていた者か……!)
自分のいる場所をとりあえず確認したフジミは次は自分の置かれている状況を確かめようとまだ少し寝ぼけている頭に鞭を打ち、記憶を辿った。
(そうだ……あいつが現れて……ダエーワだっけか?とにかくドレイクに取り付けられていたシステムでマル達が……!!)
記憶が蘇って来ると、沸々と怒りも再び沸き上がってきた。自然と顔が強張り、拳を握る。
(あの野郎……!ワタシから部下を奪うなんて絶対に許さない……!!アンナの仇も必ず……)
ガチャリ……
「!!?」
フジミが一人密かに闘志を燃やしていたら、部屋のドアが突然開いた。彼女の思案はストップし、全神経はここに入って来るものに注がれる。
「ん?目が覚めたのか?」
「……へっ?」
部屋に入ってきたのは見ず知らずの男だった。
その男は背こそ高かったが、顔はとても穏やかで、どことなく品を感じさせる佇まいをしていた。そして、その手には二本のペットボトルを持っている。
「喉が渇いているだろ?ほれ」
「おっ……と!」
男はペットボトルを一本を投げ渡した。フジミはさすがの反射神経でキャッチする。それはシュアリー国内で流通しているありふれたスポーツドリンクで、直前まで冷蔵庫にあったのかひんやりと心地よい冷たさが手のひらに伝わった。
「これは……」
一見、何の変哲もないペットボトルをフジミはマジマジと観察する。照明に透かして見たり、底から覗き込んだり、ラベルを読んだり……。
「おいおい……毒なんて入ってないぞ」
「うっ!?」
心の中を言い当てられ、フジミはビクッと身体を震わした。
「そんなに心配なら見ていろ」
男は持っていたペットボトルの蓋を開け、口をつける。ゴクリゴクリと二回ほど喉が鳴った。
「……ぷはッ!……ほらな?毒なんて入ってないだろ?」
男はこれみよがしに中身が少し減ったペットボトルを振り子のように振って見せた。
「でも……」
だが、知らない人からもらったものは口にしちゃいけないと小さい頃から教えられてきたフジミの疑念は消えなかった。
「……そうか……なら、飲まなくていい」
「ごめん!ごめん!嘘!嘘!飲むから!!」
ペットボトルを取り上げられそうになって、フジミは慌てて蓋を開けた。正直なところ、めちゃくちゃ喉が渇いていたのである。
「よーし……ん!」
意を決して口をつけると喉が止まらなかった。やはり心配は心配なので一口だけでやめるつもりだったが、一気に全て飲み干してしまう。
「ぷはー!!」
「いい飲みっぷりだな」
「い、いやぁ……はしたないところをお見せしてしまいましたね……」
フジミは微かに頬を赤らめた。初対面の殿方の前でのイッキ飲みは自称慎み深いレディとしてはとても恥ずかしかった。
「まぁ、無理もないさ。丸一日寝ていたんだから、喉だってカラカラだったんだろ」
「はい……本当に喉が渇いて渇いて………って!ええ!?丸一日!!?」
フジミは驚愕し、立ち上がった。てっきり彼女はまだあの戦いから二時間も経っていないと思っていた。その理由は……。
「ザッハークの野郎……小一時間眠るだけって言ってたじゃないか……!!」
彼女は意識を失う前のザッハークとの会話を思い出していたのだった。空になったペットボトルを握り潰し、嘘をついた彼に怒りを燃やす。
そんなフジミを見て、男はため息をついた。
「オレは本当にほんの少し寝てもらうつもりだけだったんだぞ」
「だけど、実際は……!」
「貴様、最近寝不足だったんじゃないか?」
「そんなこと……あるな。アンナの件があってからあまり眠れていなかったわ……」
「じゃあ、そのせいだ。最初の一時間はオレのせいだが、残りは貴様自身のせいだ」
「そうか……ワタシの……ん?」
男の説明に納得すると同時に、フジミはあることに気づいた。
今、目の前にいる男の正体に……。
「あんた……もしかしてザッハーク……?」
「貴様……今まで誰としゃべっているつもりだったんだ……」
ザッハークは呆れて、再度ため息を吐いた。
「い、いやぁ……想像していた姿と全然違うもんで……」
フジミは照れくさそうに後頭部を掻きながら座り、改めてザッハークを足の先から頭の上までなめるように観察した。やはりあの怪物然とした姿と今の優男風の姿は結びつかない。
「まぁ……仕方ないか。逆の立場だったら、オレもそうなるかもな。あんな恐ろしい怪物の正体が、こんなひ弱そうな男だとは思わない」
「そう言ってもらえると助かります……」
「だが、どっちかと言うと、こちらの方が本来のオレに近いんだけどな」
「えっ?それってどういう……?」
「オレは昔は病弱で、学校にもまともに通ったことがないんだ」
「へぇ、意外……」
「知り合いもほとんどいない名門のご子息様……入れ替わるなら、これほど好都合な人間もいない……!!」
「うっ!?」
優男の全身から強烈なプレッシャーが吹き出した。それはフジミが何度も相対し、苦しめられてきた紫の怪人と同じものだった。彼女の中で漸く二つの存在が一つに繋がる。
「た、確かにそう言われると……その通りかもね。顔を見たことがあるくらいの知り合いなら火事で顔が焼けたって言えば、納得してくれるだろうし……」
「あぁ……」
「それで……えーと……」
フジミは口ごもった。何を言ったらいいかわからないのではない。何と呼んでいいのかわからないのである。
「ザッハークでいい。まだ“桐江颯真”の名前は取り戻していないからな……」
彼女の気持ちを察したザッハークが寂しい提案をする。その顔に浮かんだ笑みはどこか憂いを帯びていた。
「あんたがそう言ってくれるなら、今まで通りザッハークと呼ばせてもらうわ……それで色々と聞きたいんだけど……」
「なんだ?答えられるものなら、全て答えるぞ」
「じゃあ、まずは……あんたのその力はどこで、どうやって手に入れたの……?」
「この力か……」
ザッハークは話を円滑に進めるためか、単純に飲みたかっただけか、再びペットボトルに口をつけ、喉を潤した。
「ふぅ……あれはオレが全てを奪われ、宛もなくさ迷っていた頃だった……オレの前にあいつは現れた」
「あいつ?」
「名前は知らない。性別もどちらにも見えるし、どちらにも見えないというか……何か超常的な魅力を持った人……一応、人ということにしておこうか……」
「はぁ……」
ザッハークの説明は至極曖昧で要領を得なかった。けれど、これでも詳細に説明しているのである。
「特徴を挙げるとしたら、銀色の髪をしていて、服にも髪と同じ“銀色の竜”の紋章をつけていた」
「銀色の竜って……あんたの……?」
「あぁ、桐江家の紋章と近いな。そもそも竜の紋章を持つ家は世界中にいくつかある。奴もそんな風なことを言っていた……あいつはオレに手を翳して……」
「弱き竜の者よ……お前の先祖には世話になったからな……我がお前の中に眠る力を引き出してやろう。その力で世界を呪うも、愛するもお前の好きにすればいい……」
「……その言葉を聞き終わると、オレは気を失い、起きた時にはこの力を発現していた」
「へぇ……」
フジミは相槌を打つが、心が込もっていない。
「信じられないか?」
「あっ、うん………じゃなくて!信じてますとも!!」
また内心を見透かされたフジミは慌てて、手をじたばたさせて否定した。ザッハークはその気取っていない不恰好な姿を見て、僅かに口角を上げる。
「別にいいよ。正直、オレも夢だったんじゃないかと思う時がある」
「はぁ……そういうことなら………あっ!?」
「ん?新しい質問か?」
「うん。今の話が事実なら、あんたのその変身能力って分類上はエヴォリストなの?それともブラッドビースト?」
何故かかわいこぶってフジミは顎に人差し指を当てて首を傾げた。ザッハークの眉間にシワが寄る。
「……似合ってないぞ」
「う、うるさいわね!それよりもどうなのよ!!」
「あの人が言う分にはエヴォリストに近いらしい。銀色の竜の言葉的に潜在能力を引き出したらしいし、オレもなんとなくだがそっちの方が近いと思っている」
「ふーん……」
自分で質問しておいてフジミは興味がなさそうに返事した。正確には興味があったのだが、それ以上に気になることができたのである。
「あのさ……」
「なんだ?まだあるのか?」
「今、言った“あの人”って……大栄寺クラウスのことじゃないよね?というか……クラウスは……」
フジミは最後まで言葉を声にできなかった。話しているうちに質問するのが、怖くなってしまったのだ。
「クラウスは……きっと貴様が想像している通り……」
「そう……」
それだけでフジミは全てを悟った。別れ際のクラウスの言動を、覚悟を目の当たりにしていたのだから、その結末しか思い浮かばなかった。
「話が長くなってしまったが、そもそも貴様に会いにきたのは、奴の最後の言葉を伝えるためだ……」
「クラウスの……?」
重苦しい空気を打破するようにザッハークはポケットからカードのようなものを取り出した。
「それは?」
「録音装置だ。これを鳥型に変形させて密かに情報を収集していた。クラウスが持っていた物だが、貴様が寝てる間に戻って来た」
「じゃあ……」
「クラウスのメッセージが入っている」
「ワタシにクラウスが何を……」
「とりあえず聞いてみてくれ」
ザッハークは人差し指でカードをなぞると、それは光り始め、そして……。
『聞こえているか、ザッハーク?』
「クラウ……」
「しっ!!」
ザッハークはカードをなぞった人差し指をフジミの口に当てた。フジミは慌てて両手で自らの口を覆う。
『いいか、よく聞け……一人で戦うな。お前一人ではアジ・ダハーカには勝てない。女隊長に協力を仰げ。二人で力を合わせて戦うんだ……プッ』
淡々と感情をできる限り抑えた大栄寺クラウス最後のメッセージが再生し終わると、カードから光は消え、フジミはゆっくりと手を下ろした。
「ワタシとあんた……二人で戦え……?」
「それがクラウスが最後にどうしても伝えたかったことだ……オレは……奴のことを戦友だと思っている……オレは彼の想いに応えたいと……だから神代藤美!」
ザッハークはフジミの目を真っ直ぐと見つめた。敵として相対した今までとはまるで違う、誠実で不安気な眼差しで……。
「ザッハーク……ワタシも上司として部下を助けなくちゃならない。そのために力を貸してくれる心強い仲間が必要だ……協力してくれるかい?」
フジミは立ち上がると、そっと手を差し出した。
「……あぁ!宜しく頼む!」
ザッハークはそれに応じ、二人はガシッと力強く手を握り合った。
「……で、タッグ結成はいいんだけど、これからどうするかは決まっているの?」
「そのことなら、あの人も交えて話し合おう」
「また出た、“あの人”……」
フジミは顔をしかめる。何か仲間外れにされているみたいで悔しい。
「あの人のことは本人に聞け。この施設の別の部屋にいるからな。案内するよ」
「道すがら、これまで入って来ている情報を教えてちょうだい」
「了解した」
フジミとザッハークは立ち上がり、二人で部屋を後にした。




