託す想い
どこまでも透き通るような青空の下、“彼”は一人立っていた。その背中をまだあどけなさが残る青年が憧れの眼差しで眺めている。
“彼”は振り返ると、青年に優しく微笑みかけた。その顔はとても穏やかだが、かつての戦いでつけられた“傷”が威圧感を放っている。
「お前は優秀だ。だが、世の中にはお前よりも強い奴はいっぱいいるぞ。おれのようなさ」
失礼にも聞こえる言葉だったが、プライドの高い青年も心から納得した。それだけ“彼”はとても強く、気高かった。
「いいか、自分の実力を把握できないで突っ走る人間は無能と同じだ。お前は優秀だが、一人で何でもやろうとするきらいがある。けれど、世の中には一人じゃどうにもならないことは多い……時には他人を頼ることを覚えろ、空也」
「はっ!!?」
橋の上で這いつくばり、夢の世界に迷い込んでいた大栄寺クラウスは、目を覚ました。
「くっ!?夢を見ていたのか……!?おれは一体、何を………痛ぅ!?」
寝起きの気分は最悪だった。自分が何をしていたかもわからず、全身に痛みがかけ巡り、脂汗が吹き出した。
「おれは確か……」
「まだ息があるのか……?」
「!!?」
不愉快極まりない声のした方向を向くと、こちらに左右三つずつ、計六つの眼を持った紫の竜が歩いて来ていた。
「あれは……アジ……ダハーカ……そうだ……おれはあいつと戦って……!!」
漸く混乱が収まり、クラウスは立ち上がろうとする……が。
「ぐうッ!?」
全身を蝕む強烈な痛みがそれを許してくれない。
「どうやら痛みの感覚が戻ってきたようだな。つまり……」
(限界が近いのか!!?)
ヘルヒネで麻痺していた痛覚が復活したということはそういうことだ。彼の命の灯火は今まさに消えようとしているのである。
「ふむ……このまま衰弱していくのを観察するのも一興か……」
「て……めえ……!!」
クラウスは力と闘志を振り絞り、自分を見下ろすアジ・ダハーカを睨み付けた。六つの眼とシームルグの黄色い二つの眼が再び交差する。
「うん、そうだな。やはり、そんな生意気な眼をする奴を……黙って見ているだけなんてできないな!!」
ガァン!!
「ぐふっ!!?」
倒れているシームルグの腹部を紫竜は容赦なく、躊躇なく蹴り上げた。緑の鳥はその翡翠のように美しい装甲を撒き散らしながら、橋の上を転がった。
「ボロボロだな、シームルグ。あんなにきれいだったのに翼も一つなくなってしまって……」
「はぁ……はぁ……!ぐっ!?」
シームルグは仰向けになって天を仰いだ。その身体にはおびただしい数の傷が入り、四つあった翼は三つに減っていた。
「そうやって地面を転がるだけなら、翼なんて必要……ないだろう!!」
ザンッ!!
「ぐあぁぁぁぁぁぁっ!?」
鳥の翼はまた一つ失われた。紫竜が槍で斬り裂いてしまったのである。完全適合状態、シームルグと融合しているクラウスには自分の身体が切り取られた強烈な痛みが駆け巡った。
「無様だな、大栄寺クラウス。禁じられたクスリを飲み、呪われたピースプレイヤーを纏って、自らの命を燃やしても、結果はこれだ!」
ガァン!!
「がはっ!?」
アジ・ダハーカはシームルグを踏みつけた。緑の装甲には亀裂が、クラウスの身体にはさらに痛みが広がる。
「結局、クスリの力で至った紛い物の完全適合は、私とアジ・ダハーカのように真に完全適合にたどり着いた者には勝てないということだよ」
「フッ……」
自分を踏みつけている紫竜の言葉をクラウスは鼻で笑い飛ばした。
「何がおかしい?」
「いや……だってよ……紛い物はてめえの方だろ?」
「………」
クラウスの言葉は偽物の桐江颯真の芯を的確に突いた。実のところ、桐江はずっとクラウスに“偽物”呼ばわりされるのが不快で仕方なかった。だが、それに反応するのはコンプレックスを認めることになるので、歯を食い縛り我慢していた……が、遂にダムは決壊する。
「そうか……そんなに……苦しんで死にたいのか!!」
ガンガンガンガンガンガンガンガン!!
「――ッ!?」
アジ・ダハーカが一心不乱、怒りに身を任せてひたすら踏みつける。もう二度と自分に対して舐めた口を聞けないように、今の言葉を後悔するように。
その嵐のような暴力的スタンプを受けているシームルグは身体を丸め、両腕でガードしながら、頭をフル回転させていた。どうしてこうなったかを後悔しているのではない、これからどうするのか、未来のことを残り少ない命を削り、必死に考えているのだ。
(おれはあの時、何をされた?ファーブラ・アウィス・ルーメンを放ったあの時!?)
記憶を掘り起こそうと努力するが、何も思い出せない。
(きっとあいつが言っていたアジ・ダハーカの“初見殺し”って奴を使ったんだ……!それを突き止めなければザッハークは……!)
最早、自分が勝つことは諦めていた。それでも彼はせめて友の助けになるために痛みに耐え続けているのだ。
(くそッ!?考えても答えは出ないか!?このままじゃ嬲り殺しになるだけだし……仕方ない……!!)
覚悟を決めたクラウスは紫竜の踏みつけの隙を突き、ガードを解いて、腕を伸ばした。
「ん?ギブアップか?」
「まさか……アウィス・ルーメン!」
ドゴオォォォン!!
シームルグの手のひらから放たれた光がアジ・ダハーカの顔面に直撃する。これだけの至近距離で攻撃を受けたらさすがの紫竜も一瞬、動きを止めた。
「らあっ!!」
地面をゴロゴロと不恰好に転がりながら、シームルグは距離を取った。ある程度離れたら、立ち上がり、両腕を突き出す。彼の最強の、だが、先ほど破られたばかりの必殺技の構えだ。
「考えてもわからねぇなら!もう一度やって見るだけだ!!」
手のひらに光が集まり、大きくなっていく。それを向けられているアジ・ダハーカはただ呆れたように、哀れむように六つの目で見つめていた。
「すでに破られた技にすがるしかないか……惨めだな」
「言ってろ!!」
そんな侮蔑の言葉も意に介さずシームルグはさらにエネルギーを溜めていく。
(今度は……いや、次で最後だ!奴の秘密を見極めないと終わり……この戦いは!この国は!あいつの思うがままになっちまう!!)
腕と同じくらい眼にも意識を集中する。そして……。
「もう一発いくぜ!ファーブラ・アウィス・ルーメン!!!」
ドシュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!
シームルグの手のひらから再び光の奔流が発せられた!
(さぁ!見せてみろ!お前は何を……)
ドシュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!
「……がっ!?」
次の瞬間、光に飲み込まれていたのは、シームルグの方だった。額の二つの羽飾りは砕け、翼はまた一枚引き千切られた。
「ぐあぁっ!?」
空中に投げ出された身体が、重力に引き寄せられ、地面に叩きつけられた。衝撃で仮面の左半分も砕け、頬にある傷跡が印象的な中身が露出する。
シームルグから伸びたケーブルがクラウスの皮膚の下に潜り込み、瞳が金色に変化している。完全適合の証だ。だが、その瞳の色は徐々に薄まっていっているように見えた。
「フッ……馬鹿な真似を……学習能力というものがないのか?」
満身創痍のシームルグとは対照的に、いまだに傷を一つも負っていないアジ・ダハーカはまるでパレードを行っているように悠々と、堂々とまたまた地面に這いつくばる鳥に歩み寄ってきた。
「こ………のおぉぉぉぉぉッ!!」
ブ……ブチッ!!
あろうことかシームルグは残っていた最後の翼を自らの手で引き千切った。
「遂に自分が何をしているのかもわからなくなったか?」
「そんなんじゃ……ねぇ……!」
「では、私の手にかかるよりも自ら命を絶ってしまおうと?」
「それも違う!ウラァ!!」
シームルグは翼を紫竜に投げつけた。さらに……。
「アウィス・ルーメン!!」
その翼に向けて光を放った。
ドゴオォォォォォォォォォォォン!!
翼が爆散し、アジ・ダハーカの視界を煙で遮る。
「目眩ましか……小賢しいな、ふん!」
アジ・ダハーカは手に持った槍を横に振り、風圧で煙を吹き飛ばした。しかしもう既に彼の視界の中に翼を失った鳥の姿はなかった。
「本当に……逃げ足だけは速い……」
「はぁ……はぁ……はぁッ!」
シームルグは物陰に倒れ込むように身を隠した。
「これは……後藤を移送していた護送車か……」
数々の激闘の余波を受け、ボディーをべこべこにへこませ、護送車は横転していた。それに呼吸を整えながら背中を預け、 腰を下ろす。
(ふぅ……そう言えば最初は後藤を奪いに来たんだよな……それがあれやこれやでこの様か……)
一時間も経っていないというのに、シュヴァンツとのいざこざが遥か昔の出来事のように感じ、クラウスは遠い目で空を見上げた。首を少し動かすだけで、全身に激痛が走る。
(だが……こんなおれのちっぽけな命でも……賭けた甲斐があった……!!)
クラウスは何もない虚空を睨み付ける。いや、彼には見えているのだ。先ほど自分を返り討ちにしたアジ・ダハーカの姿がくっきりと。
(なんとか捉えることができた……あのアジ・ダハーカの秘密を!!)
クラウスの作戦と呼ぶのも烏滸がましい無謀な挑戦は成功していた。彼は“初見殺し”の正体にたどり着いていたのだ。
(あいつの言う通り、まさに初見殺しだ。最初からおれには勝ち目がなかった……詰んでいたんだ。口を酸っぱくして空也に言い聞かせてきたことをおれ自身が守れなかった罰か……言い聞かせるべきは誰よりもこのおれ自身だった……)
過去の自分の言動が頭を過り、思わず自嘲してしまう。自分が大切にしていたことを、仕方ないとは言え自分で裏切ってしまったことが悔しかった。
「……って、おれには落ち込んでる時間なんてないんだったな……」
クラウスはおもむろにカードのようなものを取り出した。
「あの人が緊急連絡用に持たしてくれた……確か……ここをこうすると……」
クラウスがカードを指で十字になぞると、ガシャガシャと音を立てて、手のひらに乗るくらいの小さな鳥の形に変形した。
「よし、動くな……あとは……録音だ……」
今度は指で頭をなぞると小鳥の目が真っ赤に変色した。録音モードになった印だ。
(ふぅ……おれからの最後のメッセージだ)
クラウスは一回だけ深呼吸して、小鳥にメッセージを吹き込んだ。淡々と、だが一文字ずつ心を、祈りを込めて。
「…………これでおしまい……っと」
再び小鳥の頭をなぞると目の色が緑色に変わった。録音が完了した合図だ。
「頼むぜ……おれからの最後のメッセージ……必ず、ザッハークに届けてくれ」
クラウスが優しく小鳥を放り投げると、それは翼を小さく羽ばたかせて、そのまま飛んで行ってしまった。
「さてと……やれることは全てやった……あとはあいつらがなんとかしてくれるって信じる……だけ!」
護送車に手を置いて、なんとかかんとか立ち上がる。露出した瞳はもう金色でもないし、ケーブルは皮膚から外れていた。
「残り時間は五分ってところかな……」
「いや、私の見立てでは三分持てばいいというレベルだな……」
ゆっくりと勝利を噛みしめるようにアジ・ダハーカはこちらに歩いて来る。最後の意地か、シームルグは護送車から手を離し、二本の足だけで立ち、メンチを切る。
「……いい線かもな、偽物さんよ」
「どうする?このままヘルヒネの影響で死ぬか?それとも我がアジ・ダハーカに殺されるか?後者なら焼け死ぬか、凍え死ぬか、痺れ死ぬかぐらいは選ばしてやるぞ。ここまで戦った君へのご褒美だ」
「フッ……」
偽の桐江の敬意の欠片もない提案をクラウスはまた鼻で笑い飛ばす。
「どれもごめんだ……おれは!シームルグは!最後まで命を燃やして抗い続ける!!」
残った力を足に集中し、橋を蹴り、前傾姿勢で風を切る。
巨悪に立ち向かうその姿は卑怯なテロリストなんかではなく、誇り高く美しい戦士のものであった。




