準備
空が暗くなり、一日の終わりを告げる寂しく冷たい風が吹き始めた頃、ベルミヤの片隅にある何の変哲もないクラブにシュヴァンツの面々はやって来た。もちろん遊びに来た訳ではない。何より今は夜の開店のための準備をしていて、客は入れない。
彼らは客ではなくハンター、ダンスではなく狩りにきたのだ。
「ここがコーダファミリーのナンバー2、『獣使いの深沢』のアジトか……」
神代藤美率いるシュヴァンツはティモシーに引き続き、シュアリーに巣食う凶悪なマフィアを壊滅させるためにファミリーの幹部である深沢の巣とされているこのクラブに来たのである。
「自分、クラブなんて初めてですよ」
「そりゃ、ご愁傷様。初体験が殴り込みなんて可哀想に」
「そういうあんたは来たことあるの?」
「いいや、おれも初めてっす。だからおれも可哀想」
いつものように冗談を言い合うフジミ達。しかし、実のところ彼らの心境は以前とは大きく変わっていた。
「馬鹿なことばっかり言ってないで集中しろ!……と言いたいところだが、今のお前達にはそんな必要ないか」
「それはまぁ……」
「あの無敵野郎の時は舐めてかかって、苦労したからな……」
「あれだけ一方的にやられたのは、ザッハーク以来だったな」
「ええ……奴にはまんまと逃げられちゃいましたけどね……」
あの時のことを考えると自然に眉間にシワが寄る。それほどあの傲慢な怪人との遭遇はシュヴァンツにとって苦い思い出だった。
そして、ティモシーはその時のことをを思い出させるほどの強敵だった。
「ザッハークのことはさておき、ティモシーとの戦いはシュヴァンツに更なる連帯感と危機感を与えてくれたわ。それまでは、言っても戦力を分散していたり、こちらの準備不足で苦戦することもあったけど、あいつは四人がかりで真っ正面から挑んだのに、ギリギリで新技を完成させて漸く倒せたんですもの……!」
ティモシーという明確な格上との全身全霊のバトルが彼らの戦士として意識レベルを引き上げたのだ。むしろ先ほどの談笑はかかり過ぎないように自らをリラックスさせるためのものだったのかもしれない。
「今回は油断はしない、相手を過小評価しない。最初から全力で対応するわ。そのための準備もしっかりしてきたしね」
ティモシーとの戦いの数日後、そして深沢逮捕に向かう数日前、シュヴァンツはいつもの部屋に集まっていた。
「はいはい!注目!これからスーパーメカニック兼情報通の栗田杏奈ちゃんの授業が始まるよ!」
空中に投影されたディスプレイの前で張り切っているアンナ、そんな彼女を椅子に腰かけた残りのメンバーが見つめている。まるで本当に講義を受けているようだ。
「そういうのはいいから、早くしてくれよ」
「全くテッシーはせっかちなんだから……よっと」
アンナが手元のタブレットを操作するとディスプレイにでかでかと顔写真が表示された。
「これが今回のターゲット、“獣使いの深沢”だ」
「顔つきは……ティモシーよりも悪そうだな」
「というか、ファミリーのナンバー2なんだから、実際に悪いんでしょ」
「個人的には“獣使い”ってのが気になるんですけど……」
「さすが、リッキー!いい質問!ほい」
アンナは再びタブレットを操作し、画面を変える。写し出されたのは古ぼけた瓶、もしくは筒のようなものであった。
「これは……」
「これは『獣封瓶』だよ」
「獣封瓶?自分は聞いたことないですね……ボスは?」
「ワタシもないわ」
リキに話を振られたフジミは悪びれることもなく首を横に振った。良くも悪くもこの手の知識に関しては、彼女は信頼する部下達に丸投げしているのである。
「我那覇さんは……」
我那覇はぷいっとそっぽを向いた。どうやら彼も知らないようだが、素直にそう言うのが癪なのだろう。子供っぽい。
「そうですか……みんな知らないんですね……」
「いや!おれにも振れよ!!」
マルが立ち上がり、声を荒げた。
「どうせマルさんは知らないでしょ?」
「うっ!?それは……そうだけど……」
けれど、すぐに鎮圧された。肩を落とし、再び椅子に腰かける。知識面で彼が頼りにならないのはシュヴァンツの共通にして基本認識なのだ。
「それじゃあ改めてアンナ、説明続けて……」
「ほいほい。この獣封瓶はアーティファクト、古代遺跡から見つかったスーパーアイテムだよ」
「何!?」
「アーティファクトだって……!?」
部屋の中がざわめき始める。みんな様々な予想をしていたが、その単語は思い浮かべもしなかった。
「はいはい!騒がない、騒がない!」
アンナが手をパンパンと叩いて、自分に注目を戻す。その立ち振る舞いは完全に自分を教師だと思っているようだ。
「悪かった……でも、ここでアーティファクトの名前が出るとは思いもしなくて……」
「マフィアと古代文明は繋がりませんよね」
「まぁ、それはそうだろうね。かくいうあたしも今回の任務を受けて、情報を集めててびっくりしたもん」
「で、そのアーティファクトとやらの能力は?まさかこの瓶に入れた飲み物を適温のまま保ってくれるとかじゃないんでしょ?」
「それだったら楽で良かったんだけどね。獣封瓶っていうのは、その名が示すようにオリジンズを封じることができる瓶さ」
「オリジンズをか!?」
またまた予想外の言葉にマルが声を荒げる。残りのメンバーは声を出すことはなかったが、その表情から動揺していることが見て取れた。
「本当にそんなことができるのか……?」
「信じられないかもしれないけど、本当だよ。オリジンズを封じ込め、さらにそれを自分の思いのままに操ることができることができる道具……それが獣封瓶だ」
アンナは再びタブレットを叩き、画面を切り変える。
新しい画像にはいくつかの獣封瓶と、遠くから撮ったものを拡大したと思われる不鮮明な影の写真が二つ、写し出された。
「獣封瓶には色々な種類が発見されてるけど、基本的にはここに写し出されている金、銀、銅の三種類だ」
「用途……いや、色的にランクを表しているのか?」
「ピンポーン!さすがシュヴァンツ副長!」
「ふっ……これぐらいは当然だ。褒めるようなことじゃない」
我那覇は言葉とは裏腹にとても嬉しそうだった。その顔を歯ぎしりしながらマルが睨み付けている。
「空也が言った通り、これはランクを表していて、強力なオリジンズを封印するには高ランクのものじゃないと駄目なんだ。これを開発した古代人とは区分が違うとは思うけど、特級や上級オリジンズは金じゃないと無理……みたいな感じで思って置けばいいよ。他の色もあるんだけど、それは本当に特殊な個体を捕まえるためのオーダーメイド……」
「アンナ」
「ん?」
「獣封瓶の話はまた今度ゆっくり聞くよ」
フジミが饒舌なアンナの話を遮った。確かに講義みたいな構図になってはいるが、本当にアーティファクトについてのレッスンを受けたいわけではない。
「ははは……ごめんごめん、ついね……」
アンナはバツが悪そうに後頭部を掻いた。ついつい興味のあることを語り出すと、周りが見えなくなるのが彼女を始め、オタクと呼ばれる人種の悪い癖だ。
「えーと……」
「俺達が聞きたいのは深沢とかいう奴の従えてるオリジンズの情報だ。多分そのピンぼけした写真がそうなんだろ?」
「あぁ!そうそう!これこれ!深沢が使役しているのはこの写真じゃわかり辛いかもだけど、飛行能力を持っているものと、四足歩行のものの二体が確認されている」
フジミ達は写真を凝視した。そう言われるとそういう形に見えてくる……ような気がする。
「確認されている……ということは、他にもいる可能性がありますね」
「中々鋭いね、リッキー!噂じゃもう一匹いるって話だよ。もちろんできればやめて欲しいけど、もっといる可能性も……」
「それは考えても仕方ないね。心の片隅に置いておいて、この二匹の対策を考えよう」
「とりあえず飛行型対策に狙撃用のライフル、機動力がありそうな四足歩行型用に攻撃範囲の広いショットガンは用意してあるよ」
アンナは自慢げに胸を張った。
「ありがとう、アンナ。使わせてもらうわ」
「いいってことよ!」
「あの……質問いいですか?」
リキが手を恐る恐る上げた。話が終わりそうなのに長引かせるようなことをしていいものだろうかと、良くも悪くも気を遣う彼らしい仕草だった。
「もちろん!何が聞きたいの?何でも答えてあげる!」
そんな彼を気遣って……ではなく、話足りないアンナは今も張り続けている胸をドンと叩いた。
「さっきの話に戻るんですけど、獣封瓶について……」
「獣封瓶?今、何でもって言ったけど、アーティファクトは解明できてないことも多いし、専門家じゃないから答えられないかもしれないよ」
「わからなければ、わからないでいいですよ。何か獣封瓶にリスクとか弱点とかはないんですか?」
リキはオリジンズだけではなく、それを操る道具に対しても対策を講じられないだろうかと考えたのだ。そして、その質問はアンナに大切なことを思い出させた。
「あぁ!そうだ!そうだ!大事なことを言うの忘れてたよ!獣封瓶からオリジンズを出して、操れるのはおよそ三十分!それ以上、瓶の外に出していると、契約が切れるというかなんというか、オリジンズが自由になって、コントロール不能になっちゃうんだよね」
「じゃあ、持久戦に持ち込めば、自然と敵の戦力を削ることになるんですね?」
「いや、それはどうかな」
「ボス……?」
話に割って入って来た上司の方にリキは視線を移した。今の話を聞いて、若干顔を緩めたリキとは対照的にフジミの顔は厳しいものだった。
「深沢の支配下を抜け出したからって、ワタシ達に襲いかからないとは限らない。むしろ予測がつかなくなる分、リスクが高まるとも言える」
「そ、そうか……無差別に民間人を襲う可能性があるとしたら、持久戦はやめた方がいいですね……」
リキは自分の考えの浅さに失望し、ガックリと項垂れた。マルと違って功名心ではなく、アンナのように頭の良さをひけらかす為でもなく、純粋にみんなの役に立てると思っての発言だったのに、残念ながら的外れだったようだ。
そして落ち込むリキを尻目に話は次の段階に進んでいった。
「アンナ、他には何か言い残したことない?」
「そうだね……あとは、一度戻したら、次に出すまでインターバルが必要で、オリジンズがダメージを負っていたら、その時間も長くなる」
「その辺はピースプレイヤーと似ているわね」
「そうだね」
「獣封瓶をワタシ達が奪って、使うことはできる?」
「戻すだけなら誰でもできるよ。但し、操るとなるとオリジンズを屈服させないと駄目」
「屈服?力を認めさせるってこと?」
「うん。つまり、それができてる深沢も……」
「かなりの強敵ってわけね……」
フジミは一息吐くと、立ち上がり、前に出て、部下達の方を振り返った。
「話は聞いたな!相手はかなりの手練れで厄介なペットまでいる!今から数日で、身体に対策を叩き込むぞ!とりあえずナーキッドはみんな手足のように操縦できるようになっておけ!!」
「押忍!!」
「ふん」
リキと我那覇はいつも通りの返事をした。しかし、その胸の奥にはいつも以上の闘志の炎がメラメラと燃えている。
そして、彼ら以上にマルは……。
「よっしゃ!!バリバリ鍛えて、獣使いだかなんだか知らねぇが、おれがこてんぱんに熨してやる!!」
燃えに燃えている。それには理由があった。
「マル……」
「はい!姐さん!」
「あんた、今日の話に一切入ってこれなかったからって、取り返そうと変に張り切るのはやめてよね」
「うっ!?」
ものの見事に気持ちを言い当てられ、マルはたじろいだ。
「本番前にケガとか笑えないから……」
「き、気をつけます……」
フジミの注意が効いたのか、マルはもちろんシュヴァンツの面々は皆が皆、最高の状態で今日という日を迎えることができたのである。
「深沢の従えるオリジンズの能力を考えると、閉ざされたクラブの中で戦った方がいいわ。だから今回も突入する」
「前回とやっていることは同じだが、頭の使い方が大違いだな」
「それは言わないでちょうだい……えーと、武器は持った?」
「うす!」
「はい!」
フジミと我那覇は狙撃用のライフル、マルとリキはショットガン、傍らに置いてあったそれを担いだ。
「じゃあ、事故の調査の時と同じ組み合わせで、ワタシとリキは正面玄関から、我那覇とマルは裏口から二分後に突入よ」
「姐さんと一緒が良かったな……」
「文句は言わない!早く、所定の位置に……」
「キイィィィィィィィッ!!」
ドゴオォォォォォン!!
「「「!!?」」」
突然、奇声と共にクラブの屋根が吹っ飛び、中から大きな翼を持ったオリジンズが飛び出して来た。
「な!?あれは!?」
「深沢が操るという飛行型のオリジンズか!?」
「見てください!背中に深沢が!それに……嘴に何かがつままれています!」
「何か……灰色の……ルシャットか!?」
オリジンズは背に主人を乗せ、そして口にはピースプレイヤーを咥えていた。そして、そのままクラブからどんどん遠ざかっていく。
「くそ!?みんな追うよ!」
「お、押忍!」
「ちいっ!いきなりイレギュラーかよ!今日まで準備して来たこと、無駄になったら堪んねぇぞ!!」
マルは叫んだ。フジミ達はその言葉に心の底から同意した。




