マシンとマフィア
「お疲れ様、フジミちゃん。はい」
訓練場の端で見守っていたシュヴァンツのメカニック、栗田杏奈が上司であるフジミにタオルを投げ渡した。
「サンキュー。ふぃ~」
フジミはそのタオルで汗を拭った。激しい訓練に加えて、さっきの部下への熱のこもったお説教のせいで汗だくだ。
「あと、これも。人間、水分を採るのは大事だよ」
「だね」
続けて、ドリンクを手渡す。フジミはストローを口につけると一気にボトルの中身のスポーツドリンクを吸い上げた。
「ぷはー!生き返るね!」
「ふふふッ、じゃあ次はシャワーを浴びてくるといいよ。さらに生き返るから。この後のみんなで訓練データを見直す時に、汗臭くちゃ敵わないし」
「あぁ……でも、その前に話したいことがあるんだけど……」
明るかったフジミの声のトーンが下がった。彼女は訓練の最中、いやもっと以前から感じている不満があったのだ。それは……。
「ルシャットⅡじゃ物足りないんだね」
「うん……って、わかってたの?」
「わかるさ、あたしはこのチームのメカニックだもん!」
アンナは胸をドンと手で叩いた。
「それなら話が早いわ……ワタシのドレイクはまだ調べてるの?」
シュヴァンツはドレイクというマシンの試験運用チームであり、その隊長であるフジミにもドレイクは与えられていた。しかし、フジミのドレイクは初陣で中破、そのダメージを受けた状態のデータ取りのためにいまだにアンナに預けられている。
フジミは旧式のルシャットⅡに比べれば、最新鋭のドレイクの方がまだマシだから、渡してくれと暗に催促しているのだ。
「う、うん、調査は終わったんだけど、まだちょっとね……」
急にアンナは何かを誤魔化すように慌て始めた。そんな彼女の様子にフジミは首を傾げる。
「ん?他にって何?ピースプレイヤーは基本的に待機状態にしておけば勝手に修復するメンテナンスフリーなところが売りでしょ。だったら修理は必要ないし、データを取ったら、他にやることなんてないでしょうに……」
「と、とにかく!フジミちゃんのドレイクはまだ駄目なの!!」
「そ、そうか……アンナがそういうなら……」
アンナは強引にドレイクの話を終わらせた。彼女の鬼気迫る姿にさすがの不死身のフジミも気圧され、素直に従うしかなかった。
「ふぅ……それにフジミちゃんもわかってるでしょ……今更、ノーマルのドレイクを渡されたところで満足できないってことに……」
「……ええ」
フジミの声のトーンが更に下がった。マル達が装着したドレイクとの模擬戦を通して、彼女は自分だけじゃなく相手のマシンの性能を正確に把握していた。それが自分が求めているものではないことに。いや、彼女“も”か。
「ワタシもだけど我那覇達も窮屈そうだよ。あいつらの能力をドレイクは生かしきれてない……」
「あぁ……そういう意味じゃあたしがフジミちゃんの為に調整したルシャットの方がマシかもね」
「うん……さっきの訓練だって、あいつら自身の問題もあったけど……あいつらに合ったマシンだったらもっと……」
フジミは悔しそうに目を伏せた。自分の力を存分に発揮できないもどかしさは痛いほどわかる。そんな辛い思いを部下達にさせてしまっていることが、上司として申し訳なかった。
「そっちは問題ないよ。ドレイクには優秀な装着者のための強化プランが用意されているって話があったでしょ?」
「ええ……確かにそんな話があったわね……って!まさか!?」
「そのまさか。量産の前倒しに伴って、強化プランも早めることになった。準備ができ次第、三人のドレイクは三人の力を極限まで引き出す新しい姿に生まれ変わるはずだよ」
「へぇ~、そりゃ良かった!」
フジミの口角が上がる。大切な部下達の喜ぶ顔が思い浮かんだら、自然とそうなってしまったのだ。
「……本当にいいことなのかな……」
「ん?今、何か……」
「ううん!何でもないよ!何でも!!」
「いや、何か……」
「何でもないって!!」
「うっ!?……わかった……何でもないんだね……」
思わず口に出してしまったシュヴァンツのメカニックとしてふさわしくない呟きをアンナはまた必死に誤魔化した。そして、フジミも再び丸め込まれてしまった。
「それよりも!早くみんなのところに戻ろうよ!」
「そうだね……って、違うでしょ!ワタシのルシャットの話!!」
180度ターンしたと思ったら、すぐにまた180度ターン……フジミは視線も話も元に戻した。
「ワタシがルシャットじゃ物足りないって話だったのに、いつの間にかあいつらの話に……」
「はははっ!上司の鑑だね、フジミちゃん。でも、そっちは問題ないよ」
「えっ?何か解決策があるのか……?」
「もちろん!天才メカニックのこのあたしがフジミちゃんのために特別なピースプレイヤーを現在鋭意開発中だよ!」
アンナが自慢げに自分を親指で指差した。だが、あまりに自信たっぷり過ぎてフジミの心には不安が過る。それに“特別”という言葉がどうにも引っかかった。
「特別なピースプレイヤー……あんた、まさか“特級”じゃないでしょうね……」
「特級?違う!違う!」
ジトーと半目で睨み付けるフジミに、アンナは手と首をブンブンと振って否定した。今、上司が口にした言葉を肯定するとこの国ではたちまち犯罪者になってしまうからだ。
「まぁ、確かに意思や感情をエネルギーに変換し、場合によっては超常の現象を引き起こす特級ピースプレイヤーは戦闘中にテンション上がるタイプのフジミちゃんには合ってると思うよ。だけど十年前の『シームルグ』暴走事件以来、このシュアリーでは新規に特級の研究や開発は禁止されているからね。あたしは美食家なんだ……臭い飯は食べたくない」
「そっか……」
フジミは肩を落とした。本音を言えば彼女自身も自分には特級が合っていると考えていたのである。
「でも、だからこそメカニックの腕がなるってもんさ!あたしがずっと一人密かに研究していた特級にも対抗できるシステムを搭載したニューマシンを近日中にお届けできると思うよ!」
アンナは鼻息荒く高らかに宣言する。実のところ、ずっと言いたくて仕方なかった。だけど自分から言うのは品がないと我慢していた。傍若無人に見える彼女でも色々と考えているのだ。
「へぇ……ニューマシンね……」
対照的にフジミの態度は素っ気なかった……表面上は。胸の内で湧き出る期待が、キラキラと目に漏れ出している。
メカは得意じゃないと言っていた彼女もシュヴァンツの活動を通じて、いつの間にかピースプレイヤーに思いを馳せるようになっていた。
「あんたがそこまで言うなら、ワタシもごちゃごちゃ言わずにそのマシンが完成するのを楽しみに待ってるよ」
「おう!任せとけ!」
アンナは腕と指を伸ばし、ピースサインを作った。これにて一件落……。
「ん?」
「どったの?まだ何かあるの?」
「あんた……もしかして、ワタシのためとか言ってるけど、本当は体よく自分の開発したシステムの実験に使おうとしてるんじゃない……?」
「そ、そ、そんなことないよ!!あるわけない!!!」
手と頭をはち切れんばかりに振って、否定した。栗田杏奈、今日は誤魔化してばっかりである。
「まぁ……いいや。なんかめんどくさくなってきた……」
「そうそう!気にしない気にしない!早くみんなのところに行こう」
一応話が纏まり、今度こそ二人は訓練場から出て……。
「お話は終わりましたでしょうか?」
「「うあっ!!?」」
突然、声をかけられフジミとアンナは二人仲良く驚き、飛び上がった。
「……大丈夫ですか?」
「メ、メルさん……!」
音もなく忍び寄り声をかけてきたのは技術開発局局長、桐江颯真の秘書をしているメルであった。相も変わらずのポーカーフェイスで再び汗を吹き出したフジミを見つめている。
「もう……驚かせないでよ、めるるん……」
「申し訳ありません。一応、わたしなりにお二方のお話が終わるタイミングを見計らって、声をかけたのですか……」
「えっ、じゃあもっと前からいたの?」
「はい」
「そうなの?なら、待たせちゃって悪かったね……」
「いえ、そこまで急ぎの用というわけではないので」
「で、その用っていうのは?」
「わたしが仰せ付かったのは、神代さんに局長室まで来るように伝えろということだけです」
「局長室にね……わかった、すぐに向かうわ」
「はい、それではわたしはここで……」
メルは頭を下げると足早に訓練場から出て行った。
「……というわけだから、この後のデータの見直しは延期よ。一時間は待機、それ以上経ってもワタシが戻らなかったら、今日は解散で」
「わかった。みんなにはあたしから伝えとく」
「任せたわよ」
メルに続いて、今度こそフジミも訓練場から……。
「あっ!待って!フジミちゃん!」
出て行こうとした瞬間、アンナに呼び止められた。
「……っと!?何よ……まだ何かあるの……?」
フジミはけだるそうに振り返り呟く。そんなスピード感のある動作ではなかったが、汗が飛び散り、彼女をキラキラと彩った。
「いやぁ……急ぎじゃないっていうなら、シャワーぐらい浴びていった方がよくないかなぁ~……って」
「あっ……」
フジミは顔や首筋を手で拭った。一撫でしただけで指先はぐっしょりと濡れた。
「そう……だね……アンナの言う通りにするよ」
「これで……大丈夫だよね……?」
シャワーを浴び、服もトレーニングウェアからスーツに着替えたフジミは局長室前で最後の点検をした。腕を上げ、腰を捻って背中を見ようとしたりと、その姿はまるで初デート前の中学生男子のようだった。
「よしっ!それじゃあ……失礼します!」
心と身なりの準備を終えたフジミは局長室に入って行った。
「やぁ、久しぶりだね、“華麗なるフジミ”君」
桐江局長は自身の机に腕を組みながら腰掛け、フジミを出迎えた。
久しぶりに見た顔の火傷跡に内心ギョッとしたが、当然とても失礼なことなので、フジミは表情には出さなかった。いや、それよりも彼の言葉の方が気になったという方が正しいか。
「覚えていてくれたんですね……」
「覚えているさ。私にとってあの日は夢の第一歩だからね。それに実際、華麗なると頭についてもおかしくないくらい君は私の予想以上に活躍している。聞いていると思うがドレイクの量産配備が前倒しになったのも、誰でもない君のおかげだよ」
「は、はぁ……どうも……」
褒められ慣れていないのか、後頭部に手を当て、フジミはへこへこと間抜けに揺れた。こういう時、どうするのが正解なのか、数々の修羅場をくぐり抜けてきた“不死身のフジミ”でもわからない。
「そ、それで桐江局長はワタシに何の用が……?」
いたたまれなくなったフジミは話を先に進めることにした。桐江は彼女に一瞬微笑みかけると、一転して真剣な顔になった。
「今言った君の活躍、シュヴァンツがこれまで解決した事件についてのことなんだが……」
「えっ?それが何か?もしかしてワタシ達が……?」
フジミの顔も真剣、というより強張った。何か自分達が大きなミスをしてしまっていたのではないかと思ったのだ。
その考えを察し、否定するために桐江は首を横に振った。
「君達にミスはないよ」
「じゃあ、一体……?」
「君達が解決した宝石強盗事件、トラック転落事故改め違法オリジンズ密輸事件、そして的場議員暗殺未遂事件、それらは一つの組織に繋がることが判明した」
「一つの組織……!?」
フジミはゴクリと唾を飲み込んだ。
「それって……」
「『コーダファミリー』というマフィアだ。と、もったいぶって言ってみたが警察官である君なら知っているだろうが」
「はい……」
その名前には確かに覚えがあった。桐江は警察官ならと言っているが、一般人でも知っているくらいシュアリーでは有名だ……悪い意味で。
桐江は手元にあったリモコンを操作し、前に来た時のように壁に映像を投影する。あの時はドレイクだったが、今回は人の写真。フジミはその顔に覚えがあった。
「この人……コーダファミリーの……」
「そうだ……こいつは『ザカライア金尾』、ファミリーのトップだ。コーダファミリーは近年発足したばかりだというのに、すでにシュアリー最大と呼ばれるほど成長したのは、ひとえにこの男の手腕のおかげだろうな」
「ええ……写真からでもわかります……ヤバい奴だって……」
写真越しだが、一介のヤクザとしてだけではなく、一流の戦士として放たれるプレッシャーを同じく一流の戦士であるフジミは感じ取っていた。
「これだけ危険視されているコーダファミリーだが、巧妙にも政府が介入できる口実を与えてくれなかった」
「はい……ワタシがシュヴァンツに来る前も、彼らの関わった事件を担当したことがありましたが、末端のチンピラを捕まえただけ……でした」
「あぁ、“今まで”はそうだった」
「今までは?」
桐江はリモコンを操作し、画面を切り替えた。画像はシュヴァンツがこれまで解決した事件についてのものだ。
「宝石強盗事件の犯人達に武器を提供したのも、オリジンズ、キマティースの密輸をしようとしたのも、的場議員暗殺を以来したのも全てコーダファミリーだという証拠が取れた」
「じゃあ……」
「あぁ……大手を振って、コーダファミリーを壊滅させることができる!」
警察官として、一人のシュアリー国民として、その知らせはフジミにはとても喜ばしいものであった。しかし……。
(良いことなんだけど、言うほど簡単に壊滅なんてできるだろうか……?それができるなら、もっと早く潰せていただろうし……そもそも誰が………あっ!)
フジミは気付いた。自分がここに呼ばれた、桐江局長がわざわざ呼び出してまで、直接言おうとしていることを。
「ま、まさか……」
顔をひくつかせるフジミに桐江はニコッと笑いかけた。
「さすがに察しがいいね。このコーダファミリー壊滅作戦は君達、シュヴァンツに任せる!」
「やっぱり……」
フジミはがっくしと肩を落とした。めんどくさいったらありゃしない。
「まぁ、そう嫌がるな」
「嫌がるに決まってるでしょ……マフィアの相手なんて……」
「だが、成功したら特別ボーナスが出るぞ」
「ボーナス……」
その甘美な単語が鼓膜を揺らした瞬間、フジミの脳内で服とか家電とか美味しい食べ物とか色々と浮かび上がった。
「ま、まぁ、誰かがやらないといけない仕事ですからね!その任務、シュヴァンツがお受けいたしましょう!」
フジミは力強く親指で自分を指差した。とても力強くだ。
「そ、そうか……君ならそう言ってくれると思っていたよ」
「はい!」
元気よく返事をするが、金に釣られる俗物だと言われているにも等しいことをこの女はわかっているのだろうか、いや、わかってない。
「全て終わったら、私個人としてもこれまでの頑張りを労わせてくれ」
「えっ?局長もお金を……」
「お金じゃなくて食事だ。外に見えるベルミヤタワーの改装しているのは知っているだろう?」
窓の外で天高くそそり立つ塔を桐江は指差した。
「その改装に技術開発局も関わっているんだ。だから、この任務が終わったら、コネで展望台のレストランに予約を入れて、食事をご馳走するよ。美味しいワインを、勝利の美酒を二人で味わおうじゃないか」
「レストラン……ワイン……」
フジミはよだれが垂れそうになるのを必死に堪えた。
「わかりました!必ずやワタシが!シュヴァンツが!コーダファミリーをけちょんけちょんにやっつけてやります!」
「期待しているよ、華麗なるフジミ」
使命と欲望に燃える二人を壁にかけられた紫の竜の紋章が静かに見つめていた。




