任命
昨日の分厚い雨雲が幻だと思えるほどに、今日のシュアリーの空は青く澄み渡り、爛々と太陽が輝いていた。しかし、神代藤美の心は対照的に曇っている。
「はぁ……終わった……今度こそ完全に終わった……」
大きなため息をつき、肩を落としながらとぼとぼと廊下を歩く。男性にも見劣りしない恵まれた体格の彼女がそんなことをしていると嫌が応にも目立ち、通りすがる人達がチラチラと横目で見てくる。
「ははっ……みんなもワタシに同情してくれてるのかな……」
違う。憐れんでいるのではなく、不気味がっているのだ。また彼女のことを、彼女の“異名”を知っている人達は恐怖を感じて早足になって、離れようとしている。客観的に自分を見ることができないこともこうなってしまった一つの要因かもしれない。
「技術開発局……初めて来たけど、みんないい人だな……こんなワタシなんかに……」
冷静に考えれば、この場所に呼ばれていることがおかしいのだが、どん底モードの彼女の頭には“クビ”の二文字しかない。今もまさに……。
「神代藤美様ですね?」
「ういっ!?」
突然、声をかけられ、重苦しい思いで垂れ下がっていた頭がはね上がる。それと連動するように、特にケアしていないのに誰もが羨むような艶やかな美しい黒髪と生まれ持ったモデルのような長い手足も暴れ出した。
「神代藤美様ですね?」
声をかけた女性はフジミとは逆に眉一つ動かさず、淡々と彼女の名前を繰り返した。
「は、はい!そうです!ワタシが神代藤美です!」
乱れた髪と服を直しながら、フジミは人形のような女の言葉を肯定した。
「何か粗相をしてしまったでしょうか……?」
「いえ。わたしは『メル』、この技術開発局の局長の秘書をしております」
「ワタシを呼んだ局長さんの……?」
「はい。局長はこの部屋でお待ちです」
「あっ……もう到着していたのね……」
下を向いて歩いていて気づかなかったが、フジミはすでに目的地に到着していた。彼女の運命を変える場所に……。
「どうぞお入りください」
「はい……」
メルが身体を退けて、部屋に入るように促すと、フジミは軽くお辞儀をして扉に手をかけた。
(メル……さんだったっけ……彼女みたいに何を考えているのかわからない人は苦手だな……局長さんとやらは違うといいけど……)
ついつい嫌な予想ばかりが頭に浮かぶ。目の前にある扉も世間一般の人なら誰でも開けられる何の変哲もないもの、ましてや暴漢をまとめて叩きのめす彼女の力なら軽いものだが、今の彼女には重く感じた。だが、いつまでも扉とにらめっこしているわけにはいかない。
「ふぅ……失礼します……!」
改めて身だしなみと呼吸を整えると、意を決してフジミは扉を開いた。
「やぁ。お会いできて光栄だよ。噂の刑事さん」
「はい……神代藤美で……すっ!?」
部屋に入ったフジミは言葉を失った。
甘く優しい声色で話しかけて来た男は長身のフジミよりも大きく、高そうなスーツを見事に着こなし、爽やかな香水の匂いを漂わせていた。けれど、それらが彼女の声を奪ったのではない。
彼女の喉を詰まらせたのは彼の顔のせい……男の顔には大きな火傷の跡が痛々しく刻まれていた。
「この火傷跡が気になるかい?」
「あっ、はい……じゃなくて!あの!?なんか……すいません……」
最低限の人間としての常識と倫理観を持ち合わせているフジミは失礼を働いたことを素直に謝罪した。
「気にする必要はない。そういう反応には慣れている。私が君の立場でもそうなってしまうだろう」
「いや……そんなことは……」
「昔、家が火事になってね。父と母は焼け死んだが、私はなんとか助かって……その時のものだ。色々言われることもあるし、ちゃんと治療すればもっと目立たせなくすることもできるんだろうけど、両親や今、生きている喜びを忘れてしまいそうで、敢えてこのままにしている。好きでやっていることなのだから、本当に気にする必要はないよ」
「そう言われても……というか、その話を聞いたら、もっと申し訳なく……いきなりプライベートなことを話させてごめんなさい……」
フジミは深々と頭を下げた。次に進むためにもけじめが必要だったのだろう。不器用な彼女には。
男はその生真面目さを好意的に思ったのか、笑みをこぼし、彼女に歩み寄ると肩を優しく叩いた。
「顔を上げてください。これから大切な仕事のパートナーになるんですから」
「は、はい……」
フジミの顔を上げさせると、男は今度は右手を差し出す。
「改めて……シュアリー技術開発局局長『桐江颯真』です。よろしく」
「こちらこそよろしくお願いします。あっ、神代藤美です」
フジミは桐江に応じ、彼とがっちりと握手した。
「ん?仕事のパートナー?」
落ち着いたら、彼の放った言葉に大きな違和感を覚えた。フジミの想定ではむしろ仕事はなくなるはずなのだから。
「仕事?パートナー?って、どういうことですか……?」
「それを説明するために君を呼んだんだよ」
頭の上に無数の?マークを浮かべて、首を右、左に傾けているフジミに再び笑いかけると、桐江は手を離し、デスクにおいて合ったリモコンを操作した。
ピッ、ピッとボタンを押すとカーテンが閉まり、電気が消える。そして、天井に取り付けられた機械から壁に映像が投射された。
「これは……ピースプレイヤーですか……?」
写し出されたのは見たこともないピースプレイヤー……オリジンズというこの世界の至るところに生息する生物の骸で造られたパワードスーツである。
「あぁ。名前は『ドレイク』」
「ドレイク……」
「君も知っている通り、最近ピースプレイヤーや、オリジンズの血を精製して変身能力を得た……」
「ブラッドビースト……ですか?」
「そう、そのブラッドビーストがらみの凶悪犯罪がシュアリー……特にこの首都ベルミヤで増加している」
桐江が言った通り、ニュース番組では連日連夜その手のことが延々と報道されていた。フジミも当然、そのことを把握している。だから、目の前に写し出された“それ”が何のためのものかは言われなくても直ぐに理解できた。
「そいつらに対抗するための新型ですね」
「そうだ」
桐江はフジミの方を見ずに、頷いた。
「これも勿論シュアリー国民、ましてや警察官である君なら知っているだろうが、十年前の“特級ピースプレイヤー暴走事件”、そして、三年前にこの国のピースプレイヤー研究の第一人者である『プロフェッサー・飛田』が爆弾テロで暗殺された事件……この二つの悲しい出来事のせいで我が国はピースプレイヤー開発において、他国に比べて大きく遅れを取ることになってしまった」
「ワタシはメカには詳しくないのでよくわかりませんが、そう言われてますね」
「個人的に今の治安悪化はそのことが原因なのではないかと考えている。砕けた言い方をすると、犯罪者どもに我が国の警察や軍人が舐められている……!!」
「桐江局長……」
桐江の顔、そして声色が一変して、険しいものに変わる。彼からしたら今の状況は許し難いものなのだろうと、彼の横顔を見つめながらフジミは思った。
「このドレイクは、その状況を打破するために技術開発局の粋を集めて造られた新型だ。これを試験運用する部隊『シュヴァンツ』を君に任せたい」
「そうですか……これを試験的に運用する部隊をワタシに………って!?ええっ!!?」
フジミは突拍子もない声を出して、飛び上がった。
「な、な、なんでワタシが!!?」
取り乱しドタバタと忙しなく手足を動かすフジミの滑稽な姿に笑みを取り戻した桐江はリモコンを再度操作し、映像を消し、カーテンを開いた。
「“不死身のフジミ”」
「うっ!?」
彼女にとって、あまり……というよりかなり喜ばしくない単語が耳に入り、顔がひきつる。僅かだがたじろいだのは、窓から入ってくる太陽の光が後光のように桐江を照らし、神々しさや妙な迫力を生んでいたからであろう。
「警察官の両親の下に生まれた君も警察官を志した」
「まぁ……やりたいことも特になかったですし、本当は事務とか、子供に交通安全をレクチャーするような平和な感じの仕事をしたかったんですが……」
「けれど、幼き頃より様々な格闘術やおもちゃを使って銃の扱いを仕込まれていた君を周囲はほうってはおかなかった。結果、対マフィア、半グレを相手にする武道派どもの中に放り込まれた」
「本当に嫌で嫌で仕方なかったです……」
「君の心は拒絶しても、君の才能は適応した。数多の修羅場をくぐり抜け、いつしか殺しても死なない無敵のレディ、『不死身のフジミ』と呼ばれるようになっていた。まぁ、活躍し過ぎてしまったことも多々あったようだけど……」
「……はい」
フジミの顔がさらに曇っていく。彼女はその異名が好きじゃなかった。ただただ可愛くないから。そして、何より彼女の今までのやり過ぎた暴走の証でもあるから。
片や、桐江は目を輝やかせ、フジミを見つめている。火傷跡ばかりが目を引くが、桐江颯真の目鼻立ちは“色男”と呼ばれる類いのものである。特にその目は特に涼やかで色っぽく、女性は勿論男性でも見つめられたら鼓動が高鳴ってしまうほどだ。
しかし、フジミの心臓は違う。静かに脈打っている。彼女はわかっているのだ。桐江の瞳に光を灯しているのは、女としての“神代藤美”ではなく、優秀な戦士としての“不死身のフジミ”だということに。
「君ならばドレイクを、君と同じくテストパイロットとして配属される彼らを導いてくれると私は信じている……!この話、受けてくれるね……?」
「えーと……」
本音を言えば直ぐにでも断りたかった。けれども、彼女の功罪は若干……かなり罪の方が大きい。断ったらそれこそ……。
「あの……?」
「何か?」
「もし……もしですよ……例えばワタシがその話を断ったりなんかしちゃったりしたら……?」
「クビだよ」
「うっ!?」
「昨日の酔っぱらいの喧嘩の仲裁に入ったのに、何故かまとめて病院送りにしたことを含めて今までのあれやこれやで、クビだ」
案の定、予想通り、悲しいかなフジミには選択肢はなかった。
「その話、お受けします!いえ!どうかわたくしめに是非、是非やらせていただきたく!!」
今日一番の笑顔を見せている桐江にフジミはまたまた頭を下げる。後光が差す男に頭を垂らすその姿はまるで神社を参拝しているようだった。
「ありがとう。そう言ってくれると思っていたよ」
「こちらこそ……ありがとうございます……」
ひきつった笑顔がへばり付いた顔を上げる。胸の奥では(そう言うしかねぇだろ!!)と泣きながら叫んでいた。
「フジミ君、あれを見てくれ」
「はい……?」
桐江が映像が投影されていた逆側の壁に視線を移動させる。
フジミもそれを追っていくとその先にはシンプルだが高級そうな額縁に彩られた絵が飾られていた。
「あれは……紫の………竜……ですか……?」
「あぁ、我が家の……桐江家の家紋だよ」
「家紋……」
「ドレイクが竜を模しているのは、この紋章が元になっているからだ。祖先の、今は亡き父と母に誓って、この手でシュアリーを私の理想の国にするという覚悟の証だ……!」
「局長……」
紫色の竜を見つめているといつの間にか桐江の顔は真剣な面持ちになっていた。これまでのどこか人をからかうような姿は見る影もない。
そんな彼の真摯な姿と言葉がフジミの心にもようやく火を着けた。生半可な気持ちで問題児である自分を呼んだのではないと、それに応えないと女が廃ると。
「ワタシ……やります……!正直自信ないし、ちょっとめんどくさいとか思わなくもないけど……ドレイクの完成に役立てるように頑張ってみます……!」
「うん……君ならやってくれると信じているよ」
桐江はフジミの目を真っ直ぐ見つめ、満足そうに首を縦に振った。
「話は以上だ。詳しい話はまた……」
「はい……それではワタシはここで……」
フジミはペコリと軽く会釈をすると、くるりとターンをして入って来た扉に歩き出した。
「あっ!」
フジミの足が急停止し、再び桐江の方を向き直した。
「なんだい?忘れものでもあるのかな?」
「いやぁ~、そのぉ~“不死身のフジミ”のことなんですけど……」
「ん?それが……?」
桐江は眉を八の字にして、首を傾けた。
「その異名は女の子っぽくないので、呼ぶなら『華麗なるフジミ』とかにしてくれませんか?」
予想だにしない提案に桐江は呆気に取られ、口をポカーンと開いた。だが、直ぐに口は緩やかなカーブを描く。
「私の一存で決まるものではないから、なんとも言えないが……君がそう呼ばれることを祈っているよ“華麗なるフジミ”」
「はい」
フジミもその顔に笑みを浮かべるともう一度頭を下げて、その場を後にした。