極限峠バトル①
時間を少し遡り、プリニオが旧クイントン邸にたどり着いた頃、緑色のスポーツカーがエルザのとある峠を攻めていた。
「よっと!!ほっと!!」
軽快にシフトレバーやら、ブレーキペダルやアクセルやらをなんかいい感じ操作して、見た目に似合わぬ繊細なハンドル捌きで次々とカーブを攻略していくのは、現在なし崩し的に佐利羽組を仕切らされている芝武昭。ドライブは彼のストレス解消法の一つであった。
(やっぱ買って良かったガナドール!!ピースプレイヤーもいいが、この会社は車だ!高いだけあってきびきび動く!まるで俺の身体と一体化したみたいだ!俺は今……風になっている!!)
全てを忘れ、車を転がしている時だけが自由だった。さらにスピードを上げて、果敢にコーナーに突入する。
「よっし!完璧のパーペキ!!」
なんかいい感じに荷重移動して、いい感じにタイヤを滑らせ、いい感じにコーナーを抜けると、峠の出口が視界の端に見えた。
(もう一回往復したい気持ちもあるが、これ以上は組員達が心配するか。最近危ないから大人しくしておいてくれって、浜野の野郎、涙目だったもんな。それでもヤクザかよ)
なんて脳内で文句を言いながらも、フロントガラスに映る芝の口角はバッチリ上がっていた。大切にされていると認識することは、誰にとっても嬉しいもの、それがヤクザのトップであってもだ。
(まぁ、その身内への甘さが佐利羽らしいと言えば、らしいんだろうけど。とにかく今日のところはあいつの顔に免じてこれでラストランにして、真っ直ぐ帰ろうか……汗流しに銭湯によるけど。土産の一つでも買って帰れば、怒られないでしょ、多分)
ブブブブブブブブブブブブブッ!!
「ん?」
助手席に置いてあるスマホが振動し、画面に“浜野”と表示された。
「噂をすれば何とやら……ご立腹の様子だね。つーか、いつの間にかメールがたまってるな。そんなに俺のことが心配なのかよ」
溜まったメールのほとんどは浜野のものだったが、その中にはヤクザーン達が襲撃されたことを伝えるプリニオからのものもあった。
もしこの時に芝がメールをきちんと確認していれば、この後の展開も変わったかもしれない。
けれど、現実には彼はそうしなかった。だから芝武昭は……。
「じゃあとっととひとっ風呂浴びて帰りますか……ん?」
急に車内が明るくなった。後続車のヘッドライトによって照らされたのだ。
(いつの間に……今日はすれ違うことも、追い抜くこともない貸し切り状態だったはずなのに。つーか、俺のガナドールに追いつくとか、どんなモンスターマシンだよ)
芝はバックミラー越しに、後続車を確認した。
(色はブルー……爽やかぶってんのか?車種は……うげ!ヴィスカルディかよ!車もピースプレイヤーも最高速重視のスピード馬鹿企業!大事なのはトータルバランスだろ!トータルバランス!!)
怪訝な顔で、後ろの車を見つめる芝ちゃん。
その視線に気づいたのか、ピタリと後ろについて来る青の車はチカチカとヘッドライトを点滅させた。
「野郎……!煽ってやがんのか……!?このエルザのスピードスター、峠を駆ける緑の閃光と呼ばれたいと思ってる俺を……!!」
芝は両手両足をまた軽快に動かし、愛車を自分の身体のように操作する。
「ふん」
緑色の車は横にずれ、後続車に道を譲った。
(昔の俺だったら、即限界バトルに突入していたところだが、今の俺は何の因果か佐利羽の顔。こんな迷惑ドライバーに目くじら立てて、張り合うなんて真似、みっともなくてできやしない。良かったな、車のいろはもわからない雑魚運転手……この芝武昭はいくつもの修羅場を乗り越え、大人になったのだよ)
青い車は芝の心を察したのか、ライトの点滅を止め、大人しく緑の車と並んだ。
(そのまま追い抜いていきたまえ。そして悔い改めるんだ。マナーを守ってこその、最高のカーライフ……そのことに気づくんだ、少年……多分少年だよな?)
何はともあれこのまま青い車が自分を抜き去って、万事OK。
そんな風にこの時までは芝は思っていた。
(さぁ、さっさと俺を抜いて、どこへでも行ってく――)
ガァン!!
「――れっ!!?」
青い車は抜き去ろうとした瞬間、ケツを振り、芝の車にぶつけてきた!
ちょっと小突かれただけだったが、多少緩めたとはいえ、かなりのスピードを出していた芝カーにとっては致命的!挙動を乱し、コントロールを失い、ぐるぐるとスピンする!
(ヤバい!?このままだと、ガードレールを突き破って、崖下にダイブ!俺はお陀仏!この俺の最後が煽り運転の餌食だと……そんなのあり得ねぇ!!)
突然の死の匂いが、芝の走り屋として本能を覚醒させた!
なんかいい感じにシフトレバーやら、ブレーキペダルやアクセルやらをガチャガチャと操作して、ハンドルを切る!すると……。
ギギィ……コン……
アスファルトに黒いタイヤ跡を残し、緑の車はガードレールに僅かにタッチこそしたが、ギリギリで踏みとどまった。
「助かった……さすが俺、最高のドライバー、そして俺のガナドールは最高の車…………あの野郎!!その最高の車にわざとぶつけやがった!!」
ブオォォォォォォォォォッ!!
大人から子供に逆戻り!芝の怒りに呼応するように、エンジンが唸りを上げる!
「ぶつけやがった!ぶつけやがった!ぶつけやがった!高かったんだぞ!これ!!ぜってぇ!許さねぇ!!」
怒りで頭を支配されながらも、その動きに一切の乱れはない。
ブオォォォォォォォォォッ!!
運転手の鼓動と比例するように、激しくエンジン音が鳴り響かせ、再びなんかいい感じにシフトレバーやら、ブレーキペダルやアクセルやらをガチャガチャと操作し、ハンドルを切り、今度は自ら意志でくるりとターン!そしてロケットスタート!
フロントに傷をつけた芝の愛車は緑色の閃光となって、峠を猛スピードで下っていく!
「完全にハートに火が点いたこの俺から逃げられると……いた!!」
下の道に描かれた赤いテールランプの残像を捉えると、アクセルを踏む足にさらに力がこもる!
「アホみたいにトップスピードばかり追及してるから、まだそんなところにいる!車はトータルバランスだよ!トータルバランス!!」
芝が最適なタイミングで最適な操作をすると、ガナドール製のトータルバランスに優れているらしい車は彼のイメージ通りの軌跡を描いた!ヘアピンに高速コーナーなんて何のその!
あっという間に青い車の後ろに張り付くことに成功する。
(後ろから小突いてやろうか、ファッキンドライバー……!いや、違う!!)
カーブを曲がろうとする青い車の内側に、芝の愛車はノーズをねじ込んだ。
(こんなくそ野郎と同じレベルに落ちるなんてごめんだ!俺がやるべきなのは、傷をつけ返すことじゃない!ドライバーとしての格を見せつけることだ!俺はエルザのスピードスター!峠を駆ける緑の閃光と呼ばれたいと思ってる男だ!!)
またまたなんかいい感じにシフトレバーやら、ブレーキペダルやアクセルやらハンドルとかをガチャガチャと操作!からのいい感じの荷重移動!いい感じにタイヤのグリップ的な奴をいい感じに使いながらのドリフト!多分ドリフトだと思われるいい感じの走法で、緑の車は青い車を華麗に抜き去った!
芝武昭、渾身のドライブである。
(ふん。この俺の超絶テクニックを間近で見れたことを誇りに思うがいい……それはそれとして、ナンバー覚えたから、必ず修理代を請求に行くからな。どこに逃げても佐利羽組のネットワーク使って、追い詰めるからな)
そんなことを思いながら、念のためもう一度ナンバーを確認しておこうと、バックミラーに視線を移した。
(愚図るようなら、あの趣味の悪い車を差し押さえちまおう。センスの欠片も感じないが、世間的には高級車だし。いっそのこと修理代払わせた上で、もらっちまうか?なんかヴラドレンの奴、買い物用に新しい車欲しいとか言ってた気がするし、ここで恩を売っておけば後々……ん?)
ヘッドライトの下の方が動いた気がした。錯覚かとも思ったが、どうにも気になるので、芝は目を凝らす。
(なんかライトの下が開いて、円筒状のものが飛び出して来た?何だありゃ?見たこと……あるかも。どこかで見たことある。あれは確か……銃だ)
「って何ぃッ!!?」
バババババババババババババッ!!
「ぐわっ!?」
けたたましい音と、火花とともに発射される弾丸!芝の自慢の車のテールランプは、タイヤは無惨にも貫かれ、再びコントロールを失う。今回は操作システム自体にもダメージを負ったので、芝のドライビングテクニックをもってしてもこの先起こる事故を防ぐことは不可能だった。
ドガシャアァァァァァァッ!!
ガードレールに激突し、ひしゃげる緑の車。
それを颯爽と追い越す青い車の運転手は、スクラップと変わらない姿となったターゲットをバックミラー越しに見て、満足そうに笑った。
「ボロい仕事だぜ。この事故で気絶した佐利羽の顔役を連れて帰れば、特別ボーナスゲットだぜ」
運転手は芝を回収するために、ブレーキペダルを踏もうとした。その時!
グンッ!!
「――!!?」
ブレーキはまだ踏んでいない……踏んでいないのに、突如として青の車は動きを止めた。
(何が起こった!?抜かれる時にぶつけられていたか!?それともクイントンの野郎、勝手にブレーキがかかるゴミを掴ませやがったのか!?いや、これは……)
何かを察した男が振り返ると、彼の想像した通り、緑の車からこれまた緑色の蔦が何本も伸びていて、車体に絡みついていた。
「ちっ!やっぱりかよ!!そっちがその気なら無理矢理愛車の外に引きずり出してやる!!」
男は目一杯アクセルを踏んだ……が。
ギャルギャルギャルギャル!!
車は一ミリも進むことができず。タイヤはひたすら空回りして、無駄に表面をすり減らすだけだ。
「なんつーパワー……!!アルティーリョのボス決定戦とやらで惨めな負け方したって聞いてたから、完全に舐めてたぜ……!!」
「誰が……」
「!!?」
「誰が惨めな敗北者だ!!ボケぇ!!」
蔦は力任せに青い車をひっくり返した!
「ちいっ!?」
ガシャアァァァァン!!
青い車も横転!緑の芝カーに続いて、こちらもスクラップに!
一方、運転手の方は車が宙に浮く直前で脱出し、軽く服が汚れただけで済んでいた。
「ったく、楽な仕事だと思ってたのによ~。こんなことなら、もっとふっかけておけば良かったよ。あんたもそっちの方が良かっただろ?おれのボーナスさん」
男が土埃をはたき落としながら、青い車から出てくる芝を、全身に禍々しい機械鎧を装着した芝に話しかけた。
「俺のことは知っているらしいが、改めて名乗らせてもらうぜ……佐利羽組暫定組長、芝武昭……この俺とザリチュに喧嘩売っておいてただで済むと思うなよ……!つーか、てめえも名乗れ!煽り運転野郎!!」
「では、組長様に敬意を表して……おれはチャルレス・コロナード。この街の本当の盟主らしいクイントンファミリーに雇われて、お前の身柄を確保しに来た。怪我したくなかったら、大人しく従ってちょうだいな」