新たな任務
どこまでも透き通るような青空の下、こちらに背を向けて男が一人立っていた。その背中を“彼”は憧れの眼差しで眺める。
男が振り返ると、“彼”に優しく微笑みかけた。その顔はとても穏やかだが、かつての戦いでつけられた“傷”が威圧感を放っている。
「お前は優秀だ。だが、世の中にはお前よりも強い奴はいっぱいいるぞ。おれのようなさ」
失礼にも聞こえる言葉だったが、プライドの高い“彼”も心から納得した。それだけ男はとても強く、気高かった。
「いいか、自分の実力を把握できないで突っ走る人間は無能と同じだ。お前は優秀だが、一人で何でもやろうとするきらいがある。けれど、世の中には一人じゃどうにもならないことは多い……時には他人を頼ることを覚えろ、空也」
「はっ!!?」
我那覇空也は自宅のベッドで目を覚ました。
「くっ!?また夢を見ていたのか……あいつの夢を……!?」
寝起きの気分は最悪だった。それが“夢”だと認識した瞬間、我那覇の全身に嫌悪感がかけ巡り、脂汗が吹き出した。
「ちっ!」
ぶっきらぼうに身体の上に乗っかっていた布団をはね除け、ベッドから降りる。
我那覇はキッチンに向かい、置いてあったコップを手に取り、水道の水を注ぐ。
そして、その水を一気に飲み干した。
「ぷはっ……最悪の朝だ……!!」
口元を拭いながら、恨めしそうに言い捨てた。
その日のシュアリーの朝は我那覇空也の夢と同じくどこまでも透き通るような青空、つまり快晴だった。
しかし、我那覇の心は空とは対照的に曇っている。黒く分厚い雲が心を覆い、いつも以上に彼を苛立たせていた。
(何で今さらあんな夢を……)
気分は最悪だが、仕事には行かなくてはならない。めんどくさい同僚に、そいつらにさらに輪をかけたようなめんどくさすぎる上司となんか顔を合わせたくないが、我那覇は今の職場である技術開発局の門をくぐった。
(仕事か……かったるいな。まぁ、今日は特に何をするって予定もないし、ドレイクの調整とか言って、サボればいいか……)
仕事をちゃんとしない決意を固めた我那覇。傍目から見ると冷静を通り越して冷酷、人の心などどこかに置いて来てしまったように見える彼もまた人並みに不真面目な部分を持つただの人間なのである。
「よっ!」
「!?」
突然、背中に衝撃が走る。さすがの我那覇もあまりに無警戒だったので、内心ものすごくびっくりした。不真面目なことを考えていたバチが当たったのかもしれない。
「おはよう、我那覇!」
「……神代……!」
衝撃の発生源であるめんどくさい上司が元気はつらつに彼の隣に並び、歩き出す。
満面の笑みで挨拶する神代藤美を、背中を叩かれた我那覇は真逆の苦々しい顔で睨み付けた。
(あぁ……完全にミスったな……めっちゃ機嫌悪くなってる)
上司に向けるにしては鋭すぎる眼光で射抜かれるとフジミの胸は後悔でいっぱいになった。別に彼女は部下の機嫌をわざわざ害するパワハラ上司というわけではない。
(マルやリキとは大分打ち解けたから、我那覇とも……と思ったけど、ちょっと急ぎ過ぎたか……)
急ぎ過ぎである。仲のいい友達にやる行為をいきなり自分を慕っていない部下にやるとは、空気が読めていないにも程がある。
「あの……我那覇、おはよう……」
「一度言ったらわかる。馬鹿にしているのか?」
「いや、そうじゃなくて……」
「?」
フジミは挨拶を返せと言っているのだ。大人として最低限の礼儀も理解できない我那覇も大概だ。
「我那覇……あいさ……」
「もしかしてあのザッハークという奴のことか?」
「えっ?」
全然、違う。違うのだがフジミもそのことについては思うところしかなかった。
「そうじゃないんだけど……まぁ、いいや。あんたも気になっているのね」
「あれだけの強烈なインパクトを残した奴を気にならないわけないだろ」
「そうだよね……あいつ、一体何者なんだろうな……」
「ブラッドビーストか、変身型のエヴォリスト……強さ的に後者だと俺は思う」
オリジンズの血液を人為的にな処置を施し、注入することで獣人に変わる力を得たブラッドビースト。
オリジンズによって大きな傷を負わされた者の一部が得ることができる天からのギフト、奇跡の存在、エヴォリスト。
全く異なるアプローチで誕生した二つだったが、個体によっては一目で見分けるのは難しかった。
「もっと人間離れしてくれれば、わかりやすいんだけどね。ブラッドビーストは言っても人間からそこまで離れた姿にはなれないから」
「元々は人為的にエヴォリストを造り出そうとして生まれた技術だからな。本家には色んな意味で敵わない」
「でも、地方によってはもっと昔からオリジンズの血液を摂取して変身する部族がいるらしいけど……」
「そいつらにとっては今のブラッドビーストは紛い物らしく、嫌っているっぽいけどな」
「へぇ……」
「身体能力も凄かったが肩の頭から毒に煙幕、おまけに光線……他にも何か……」
「もしかして霧もあいつのせいだったりして……」
「それはないだろ。川……口だっけが言っていただろ、あそこは元々ああいう場所だって」
「そうか……じゃあ、通信障害は?あの後、現場検証でもう一回行ったけど、その時は問題なく通信できたし」
「それは可能性としてゼロではないかもな」
「だとしたら本当何でもありだね……」
「あいつの力も正体も気になるが、一番知りたいのは目的だ……奴は何のために……」
「そうだね……って、言ってる間に着いたわね」
話していたら、いつの間にか目的の場所、シュヴァンツに宛がわれている部屋の前にたどり着いていた。
(始まりは最悪だったけど、なんやかんやで我那覇と話せて良かったな)
フジミにとっては今日の出勤はとても有意義で心地よいものだった。
(ワタシ自身、べたべたしたのは苦手だし、これぐらいの距離感がちょうどいいのかもね)
自然とフジミの口角が上がる。それを隣で我那覇は眺めてこう思った。
(一人でニヤニヤと気色悪い女だ……できる限り接触は避けるべきだな……)
近づいたような、離れたような……人間関係とはかくも面倒で難しいものである。
「ふぅ……まぁ、いいや」
「何がだ、我那覇?」
「何でもない。とっとと部屋に入るぞ」
二人が部屋の中に入ると先にいた四人の目線が一斉に集中する。
「おはようございます!姐さん!……とついでに我那覇」
「ボス、副長、おはようございます」
「はよう、フジミちゃん、空也」
「おはようございます」
「おはよう…………ん?」
一人多い……いつもより挨拶してくる人間が一人だけ多かった。
部屋の中を見渡すと、いつものメンバーに加え、いつもはいないが顔は知っている女が座っていた。
「あなた……確か桐江局長の秘書の……」
「メルです。お待ちしていました、神代隊長」
椅子に座っていたメルは立ち上がると相も変わらずの無表情でフジミに軽く会釈をした。
「あぁ……そうだった……で、そのメルさんが何でシュヴァンツに?」
「そのことについては今から話しますので、どうぞ神代隊長はお座りください。我那覇副長も」
「は、はぁ……」
「ふん」
言われるがまま二人は自分の近くの椅子やデスクに腰をかけた。
フジミはチラチラと先に来たメンバーに目線で疑問を投げかけたが、マルは首をかしげ、リキは顔と手を横に振り、アンナは両手のひらを上に向けた。どうやら彼らも何も知らされていないようだった。
こうなれば秘書様の話を拝聴するしかない。興味と不安を抱きながら、シュヴァンツの目線は一人の女性、メルに集まる。
「では、皆さん集まりましたね。改めて自己紹介させてもらいます。桐江局長の秘書をさせてもらっているメルです」
メルはペコリと頭を下げる。戦いの場に身を置く猛者達の視線を一身に集めても、彼女は表情を一切崩さなかった。
「まず初めに……シュヴァンツの活躍、もといドレイクの活躍はわたし達の予想を遥かに上回っています」
「当然だぜ!おれや姐さんがいるんだからな!」
「あたしもね」
マルとアンナが胸を目一杯張って、鼻を鳴らす。その行為が他のメンバーの褒められたことの喜びを恥ずかしさで上塗りした。
「そのおかげでドレイクの量産、そして正式配備が前倒しになることになりました」
「えっ……?」
自信に満ち溢れていたアンナの表情が一転強張った。
「どうしましたか、栗田さん?」
「い、いやぁ……それはちょっと急ぎ過ぎじゃないかな?まだドレイクのデータとかそんなに取れてないし……」
「シュヴァンツの皆さんには不幸なことでしたけど、先のボマーアントやキマティースというイレギュラーな強敵を退けたことはそれだけの評価をするには十分なことだとわたしは思います。栗田さんもドレイクの性能に問題はないと報告をしているじゃないですか」
「そ、それはそうだけど……」
(……ん?)
「この話はここまで……次は……」
フジミは今の二人の会話に違和感を覚えた。しかし、その正体に気付く前に、話は切り替わっていた。
メルは自分の後ろにディスプレイを投影する。そこには一人の女性が映し出されていた。
「この人……どこかで見たことありますね……」
「ええ、ニュースなんかを見ていれば、目にしたこともあるでしょうね、飯山さん。この人物は『的場叶絵』議員、政治家ですよ」
「あぁ!そうです!そうです!有名な政治家一家の!」
頭にかかっていた霧が晴れ、リキはすっきりした様子だった。他のメンバーも「あぁ~」と、小さく呟いており、どうやら埋もれていた記憶を掘り起こしたみたいだ。
メルはシュヴァンツの面々が的場議員のことを思い出したことを確認するとディスプレイの画像を変更した。彼女の経歴と政治活動中の写真だ。
「五年前に亡くなった父親の地盤を受け継ぎ、政治活動を続けてきた的場議員ですが、特に力を入れているのが、反社会的組織の撲滅です。その為の力になるとドレイクの開発を後押ししてくれた方でもあります」
「つーことは、この議員先生のおかげでおれ達がここにいるってわけ?」
「そういうことになりますね」
「「へぇ~」」
恩知らずにもシュヴァンツのみんなは誰一人としてそのことを知らなかった。恩知らずにも。
「それでその的場議員がどうかしたんですか?まさかお礼をしに来いと?」
「タレコミがありまして、彼女の存在を疎ましく思った勢力が彼女を亡き者にしようと暗殺者を雇ったようなんです」
「……穏やかじゃないわね」
「――ッ!?」
どこかのんきな雰囲気があった部屋の空気が一気に張り詰める。メルもさすがに真剣になり、良く言えば個性的、悪く言えば間の抜けたフジミ達が、一流の戦士へと変貌し、彼らの全身から放たれるプレッシャーに思わず気圧された。
「それでその暗殺を俺達にどうにかして欲しい……ってことだな」
「え、ええ、話が早くて助かります、我那覇副長……」
「……最近そのことばかり褒められているな……」
「え?」
「いや、何でもない、話を戻そう。やり方は?」
「任せます。何か必要なものがあったら、言ってくれと、桐江が」
「だそうだ、隊長」
我那覇がフジミに視線を送ると、フジミは頷き、メルの方を向いた。
「わかりました……その任務、シュヴァンツがお受けします」
「そうですか」
「後で知っている情報、的場議員の近日の予定を全て送ってください」
「了解しました。よろしくお願いします。わたしの話はこれでおしまいです。失礼させていただきます」
仕事を終えたメルは軽く頭を下げると、足早に出口に向かい、そのまま出て……。
「あっ!?」
いかなかった。大切なことを思い出し、元いた場所に戻る。
「忘れ物ですか?」
「はい、一つ伝え忘れていたことが……」
「それって……」
「あくまで不確定なことですが……今回雇われた暗殺者は主に狙撃による暗殺を好み、また顔に傷がある男だそうです」
「なんだと!!?」
「が、我那覇……?」
我那覇が声を荒げ、勢いよく立ち上がった。いつも冷静な彼が取り乱す姿にフジミを始め、皆が目を丸くしている。
「それは本当なのか……!!」
「い、いや……ですから、不確定な情報だと……」
「そ、そうだったな……済まない、驚かせて……」
落ち着きを取り戻した我那覇は腰を下ろし、戒めるようにこんこんと二回自分の額を叩いた。
「それでは……改めて失礼します」
メルは額から汗を拭うとまた頭を下げ、今度こそ本当に部屋から出て行った。
「んん……暗殺阻止……それが新しい任務か……」
フジミは身体を伸ばしながら、呟いた。
「なんか安請け合いしちゃってたけど、作戦とかあるの、フジミちゃん?」
「あるに決まってんだろ!ねぇ、姐さん!」
「うーん……」
マルが目をキラキラと輝かせる。残念ながらそれは過大評価だ。
フジミは目標を設定することはできても、それを達成するロードマップは作れない典型的な支えてもらうタイプのリーダーだ。彼女自身もそのことを自覚している。だから……。
「我那覇、なんかいい案ない?」
できそうな部下に丸投げする。
「結局、人頼みか……」
「まぁ、そう言わないでさ。あんたも宝石強盗の時に他人に頼るのも大事みたいなこと、言ってたじゃない」
「……少し違うし……俺の言葉じゃない……」
我那覇の脳裏に今朝見た夢がフラッシュバックした。
(あれは……あの夢はこれを暗示していたのか……?顔に傷のある男……あんたなのか……!?だとしたら俺は……!!)
突如として目の前に現れた因縁の影……我那覇の心は動揺と歓喜でぐちゃぐちゃになっていた。
「おい!我那覇!!」
「………」
「おいってば!!」
「――ッ!?あぁ……どうしたんだ……」
「どうしたって……何かいい案ないかって聞いてるんだけど……」
「そう……だったな……」
思考の迷宮にはまりそうになったが、喧しい上司に引き上げられる。いつもならうざがるところだが、今回は密かに感謝した。そもそもここでウダウダ考えたところで答えは出ないのだから。
(暗殺者が奴なのかどうかは捕まえればわかることだ……なら!)
決意を固めた我那覇の視線はフジミ……ではなく、アンナに向いた。
「栗田女史」
「はいはい」
「あなたの力を借りたい。上手くいけば、暗殺者などすぐに捕まえられる……!」