跡目争い
エルザシティ郊外にある山奥に三大マフィアの一角、奏月が所有する豪勢な別荘があった……そう、過去形である。
勘違いして襲撃して来たアルティーリョと佐利羽組の残党連合、対抗する奏月の組員、その争いを誘発させた紫の悪魔の介入、そして奏月のトップであり、この建物の所有者である武斉と愛機サルワの暴走によって別荘は文字通り見る影もなくなり、ただの瓦礫置き場と化していた。
そこに当事者の一人であるアルティーリョファミリー、プリニオが一人佇んでいた。
「……来てくれたか」
プリニオが空を見上げると、それは月をバックに颯爽と現れた。彼のボスの仇でもあり、待ち人でもあるアーリマンことアンラ・マンユだ。
「もしかしたら素顔で現れてくれるんじゃないかと淡い期待をしていたんだが」
「そこまで迂闊じゃないさ」
その言葉を証明するようにアンラ・マンユはプリニオから逃げるにも、逆に攻撃するにもちょうどいい間合いを取り、腕を組んでふんぞり返った。
「ふてぶてしい態度……そんなあからさまに心を許してないアピールをせんでも」
「バカはちょっと甘い顔をすると、すぐに勘違いするからな。これぐらい明確に意志表示しないと」
「少なくともオレは空気が読める方の男ですよ。だからあんたも来てくれたんじゃないのか?」
「だな。しかもこんなに熱烈なラブレターを書ける文才も素晴らしい」
アンラ・マンユはスマホを取り出して、プリニオに見せる。
画面には「親愛なるアーリマンへ。かつてあなたの主宰したパーティーに参加させてもらった者ですが、もう一度お話ししたいです。あのエキサイティングな催しが行われた場所、あなたが危ない風を纏うあの子を落としたあの場所で月の光に照らされながら、いつまでも待っています」と、表示されていた。
「やめてくれ。我ながらもっと他に方法がなかったものかって、いまだに思い悩んでいるんだから。きっと今晩もベッドの中で悶えることになる」
プリニオはわずかに耳の先を赤くして、目を逸らした。
「恥じることはない。わかり易くて良かったぞ。若干気色悪いのは、この際些末な問題さ」
「オレにとっては、それが死活問題なんだけど……まぁとにかく、本当に来てくれるとはな。自分でやっておいてなんだが、ぶっちゃけ半信半疑だった。罠だとは思わなかったのか?」
「思った。思ったが、だからどうした。あの場にいた者で生き残っているのは、三大マフィアの残党、君を含めて、その中にこの私に勝てる者がいると思うか?」
「悔しいが、束になっても無理だね……」
頭を過ったイメージは死屍累々の中に君臨する紫の悪魔……考えるだけで血の気が引く光景だが、何より残念なのはこのプリニオの想像が間違っていないこと。
実際にぶつかり合ったら、この凄惨なイメージが現実のものになると思うと、彼は眉を潜め、肩を落とすしかなかった。
「だけどよ、他のまだ見ぬ組織や強者の可能性もあっただろ?下手したら警察だって場合も……あいつら最近のあんたの活躍に腸煮えくりかえってるはずだからな」
「把握していない相手の場合は……まぁ、その時はその時だ。なるようになるだろ。警察の方は……そんなしょうもないことを企てているなら、私の耳に入るはずだ」
悪魔は誇らしげに耳元をトントンと叩いて見せる。
「なるほど……意外とお友達が多いのね」
アンラ・マンユの底知れぬ情報網に渇いた笑いしか出て来ない。本当にこの男を頼っていいものかと迷いも感じる……が。
(こんな得体の知れない奴に借りを作りたくないんだけど……背に腹は変えられんか)
けれど、今のプリニオには彼に頼るしか選択肢はなかった。
「で、一体私に何の用だ。まさか他愛もない会話を続けながら、情報を引き出すためだけに呼び出したのではあるまいな」
「あぁ、もっと重要な話だ。オレにとってはな」
「なら、とっとと話せ。私は気が長い方ではないんだ。当然、あのスナイパーを他所にやってからな」
「やっぱり気付きますか」
プリニオが手を上げ、合図を送ると、遠くの木を揺らし、ピースプレイヤーが飛び出し、二人からさらに離れて行った。
「……機仙か」
「あぁ、うちと佐利羽が同盟して、ここにかち込み入れた時に奏月側で射撃部隊を率いていた『成訓』って奴だ」
瞬間、木原史生の脳裏に暴走サルワとの戦いの記憶がフラッシュバックした。
「まさかあの片腕になりながらも一矢報いた奴か?」
「あんたも覚えていたのか?」
「あぁ、できることなら味方につけたいと思っていた」
「残念。オレが先に見つけて、必死に拝み倒したからな。あいつはこっちのもんだ」
「色々あったのに水に流してくれたのか?心が広いな」
「全てどっかの誰かさんの筋書き通りで行われた悲しい誤解の結果だからね」
「ひどいことをする奴もいるもんだ」
マスクの下で木原は自嘲した。
「あんたも謝ってみればいいんじゃないか?もしかしたら許してくれるかもよ」
「やめておく。きっと銃弾が飛んで来ることになるだろうからな」
「そうか。そのシーンを是非とも見たかったが残念だ。つーか、話が逸れたな。」
「そうだ。早く本題に入れ」
「ではでは……Barランビリズマを知っているか?」
木原は瞬時にその単語を脳内データベースから検索し、情報を引き出した。
「エルザシティ有数の高級クラブ。しかしその実態は金と欲望をもて余した者達の大人の社交場……違法賭博場。仕切っているのはアルティーリョファミリー」
「グッド。じゃあ、そこの支配人『アレッシオ・クローチェ』については?」
「優秀らしいってことは」
「それも正解。奴は元々お手本のようなエリート街道を歩いて来たような男でな。一流の大学を卒業して、一流の商社に就職した」
「そんな奴が何故マフィアなんかに?」
「その輝かしい経歴が、叩き上げの上司には大層気に食わなかったらしい。まぁ、簡単に言うと、目をつけられて、いじめられて、精神を病んだ」
「その弱り切った瞬間に付け込んで、仲間に引き入れたのか」
「人聞きの悪いことを言わないでおくれ。困っていたから、手を差し伸べたんだよ。ちょうど事務や経理のできる奴を探していたしな。それで実際に期待通りの働きをして、クローチェはランビリズマの支配人にまで上り詰めたわけよ」
「感動的だな。映画にした方がいい」
「ここで終わっていたらな。あいつはエリートらしくプライドが高く、そして……野心も強かった」
「……つまりボスが亡くなったこの状況に、君を追い落として、ファミリーを乗っ取ろうと画策しているのだな。そしてそれこそが今回、私を呼び出すことになった原因」
「大正解!話が早くて助かる!」
プリニオは笑顔で指をパチンと鳴らし、アンラ・マンユを称賛したが、すぐに顔に陰をかけた。
「……なんてはしゃいでる場合じゃないんだよね……奴は幹部会で二週間後に暫定的に組を仕切っているオレが選んだ五人と自分が選んだ五人で試合をやって、勝利した方が正式にボスになるべきだと提案し、了承された」
「決闘でトップを決めるとか、今日日中世から抜け出せない時代遅れな辺境の王族しかやらんぞ」
「時代錯誤ってんなら、この時代にマフィアなんてやってる奴らにはちょうどいいんだろうな。実際、ボスを守れず、奏月との一件で失態を犯したオレに不信感を抱く者も少なくない。そして、それと同じくらいにクローチェを嫌っている奴もまたたくさんいる」
「半々に割れているんだな」
「あぁ、だからこのまま話し合っていても埒が明かないし、下手に拗れて、本格的に組を分裂するようなことになったら、たまったもんじゃない。そういう意味じゃ、一晩の決闘で全部決めようっていうのは、理に適ってるんだよ」
「君がそう考え、了承することも織り込み済みか」
「んで、そうなったらどっかの誰かさんの爆弾テロやら、謀略に引っかかって、優秀な部下を失ったオレに勝ち目はないこともな」
「……そうか」
アンラ・マンユはゆっくりと顔を逸らした。
「別にあんたを責めるつもりはない。オレ達は所詮反社会的組織、ろくでもない人間の集まりだ。どんな卑怯な真似をされても仕方ないと思っているよ」
「割り切りがいいところが、アルティーリョの長所だな」
「そう……だから過去は割り切ってお願いする……オレのためにボス決定戦に出てくれないか?」
「……本気で言っているのか?」
アンラ・マンユは身体ごとプリニオの方に向き直した。
「こんなつまらない冗談を言う趣味はないよ。それだけ切羽詰まってるってことだ」
「そんなに相手は強いのか?」
「あぁ、クローチェは地下闘技場のスター選手を出すつもりだ。実力もさることながら、今回の決闘はその地下格闘技のルールで行われるからな。オレの今の手駒ではまず勝ち目がない」
「どういうルールだ?」
「観客の安全を守るバリアを壊すような高火力攻撃は禁止だ。見ていて盛り上がる至近距離の格闘戦を促す意味もある」
(だとしたらヒートアイや悪の華は使えんか……)
「そのルールで無敵のチャンピオンやってるヤクザーンとやらも間違いなく出て来る。そいつに対抗できる戦士を記憶の中から探して見たが……」
「私以外思いつかなかったわけか」
「そういうこと。だから恥を忍んで頼む!オレに力を貸してくれ、アーリマン!!」
プリニオは手を合わせて、頭を下げた。
「……いくつか質問がある」
「何だ?答えられるものなら、何でも答えるぞ」
「では……君はそこまでしてボスになりたいのか?勝手に私はそういうものを煩わしがるタイプだと思っていた」
「実際その通りだよ。できることならボスになんてなりたくないね」
手のひらを上にし、プリニオはやれやれと首を振った。
「ならば何故?」
「ボスにはなりたくないが、それ以上にクローチェをボスにしたくない」
「優秀なのだろう?ならばいいじゃないか」
「事務と経理はな。とてもじゃないが、あいつはマフィアの、アルティーリョのトップに立つ器じゃないよ」
「そこまで言い切るくらい人間として酷いのか」
「さっき上司にいじめられたって言ったけど、奴は組で功績を上げ、ある程度の地位になった途端、その上司に部下をけしかけ、半殺しにしている」
「小さいな……だが、舐められたら負け、面子を大事にするこの世界ではそこまで咎められるものでもないんじゃないか?」
「やっぱあんたもそっち側か……」
「……何?」
刺のある言い回しに、二人の間に流れる空気が一気に張り詰めた。
「……悪い。少し言い方がきつかったな。別にあんたがセコいとか小さいとか言いたいわけじゃない。ただオレや先代が大事にしていた流儀には反するってだけで」
「流儀?」
「裏社会に生きる者は、表にいる奴らに迷惑をかけない……所謂堅気には手を出すなってことだよ」
「なるほど……ダークヒーロー気取りで表で注目されている私は確かに君達の流儀には反しているな」
「色々言ったが、裏からはみ出たクズに対処してくれているあんたには感謝してる部分もある。先代が健在の時でも、末端でバカをする奴は必ずいたからな。その先代がいなくなったのに、ここまで落ち着いているのは、アーリマンという抑止力のおかげだ」
「私は分別があるが、アレッシオ・クローチェという男はボスになったら、お構い無しに表社会にちょっかいを出すだろう……そう懸念している」
「あぁ……ああいう輩はビビって自分より弱い者をターゲットにする。きっと罪のない子供達を……!!」
想像しただけで怒りが込み上げて来たのだろう、プリニオは拳を握り、小さく震えた。
(子供が犠牲になるか……)
その姿を見て、彼の話を聞いて、木原の脳裏に幼き日、たった一人で泣きながら廃墟に立ち尽くしていた記憶が甦り、心に熱いものが灯った。
「……というわけで、オレはなんとしても奴のボス就任を止めたい。そのためにあんたの力が欲しい。別に正義のヤクザを気取るつもりはないが、少なくともオレがボスになった方があんたにとっても、エルザシティにとっても大分マシだと思うぜ」
「……だろうな。君は少なくとも理不尽に暴力を振るうタイプではない」
「じゃあ……」
「あぁ、その話を受けよう」
「よっしゃ!!」
アンラ・マンユが力強く頷き、プリニオはガッツポーズをした……が。
「ただし一つ条件がある」
「条件?………え?」
その一言で動きを止め、お手本のようにきょとんとした。
「条件って……金か?」
「いや、金は必要ない」
「じゃあ一体……」
「私が出す条件は……」
「条件は……」
プリニオはゴクリと息を飲んだ……。