朝ごはんとラブレター
「……ん……んん」
カーテンの隙間から漏れる朝の日差しによって、安堂ヒナは目を覚ました。軽く乱れた髪を整えながら、上半身を起こし、傍らに置いてあったスマホを手に取る。
「……久しぶりに見る数字だね」
普段なら絶対に見ることのない時計の表示に苦笑いを浮かべると、布団を雑にどけ、ベッドから飛び出た。
自室から階段へ、そしてリビングへと行くと、テーブルには湯気の立った味噌汁と白米と目玉焼きがきれいに並べられており、その前には納豆をかき混ぜている木原史生の姿があった。
ヒナは現在彼の家で居候をさせてもらっている。
「おはよう、フミオちゃん」
「おはよう、安堂ヒナ。その言葉を正しい時間帯で使う君を見るのはいつ以来だろう」
「朝から絶好調だね。普通の人は開口一番、そんな嫌味出て来ないよ」
「嫌味?事実を述べただけだが」
ヒナの答えを一笑に付すと、木原は納豆を白米の上にかけ、本格的な食事を開始した。
「前々から思っていたけど、意外としっかりとした生活送ってるよね」
「規則正しく穏やかな生活は心身を整える。人間らしく生きたいならば、最優先にするべきだ」
「ご立派なことで。んで、アタシの分は?」
「あるわけないだろ。用意してやる義理もないし、そもそも普段はこの時間起きてないだろうが」
「ですよね~」
「冷凍の米も納豆もインスタントの味噌汁も冷蔵庫に入っている。食べたければ自分で準備しろ。さすがの君でも卵を割って、目玉焼きを作ることぐらいはできるだろ?」
「なんか勝手に料理できないイメージになってるけど、人並みにできるからね」
「では、お手並み拝見」
「うーん、でもアタシの超絶料理を披露したいのは山々だけど、今日はめんどくさいからパス。コーヒーだけでいいかな」
「空きっ腹にコーヒーは良くない。パンもあるから、せめてそれを食ってからにしろ。というか、朝起きたらまずはうがいしてからの水だろうが。水分補給だ、水分補給」
「へいへい」
指示に従い、ヒナはキッチンに行き、コップを手に取り、うがいを始める。
「……それで何か変わったことはあったか?」
「……ぷはっ!いきなり仕事の話?忙しないな」
「君との会話にそれ以外の話題はないだろ。ネットをパトロールし、私の活動に役に立つ情報を探す……それだけで、衣食住が保証されているんだから、もっと感謝して欲しいものなんだかな」
「こっちとしてもこんな可愛い女の子と同棲できることにもっと色めき立って欲しいんだけどね~」
ヒナはスマホを操作し、日々の日課であり、仕事でもある“アーリマン”のエゴサーチを始めた。
「今日もまたアーリマンは大人気ですよ」
「それは善きかな」
「でも、変わったことは特に……ん?」
あるSNSユーザーの投稿を見て、ヒナの動きが止まった。
「……どうした?」
「いや、実は二日前くらいから複数のサイト、複数のアカウントから同じ文章が投稿されているんだよ。それが今日も」
「何故報告しなかった?」
箸を置いた木原は眉間にシワを寄せ、全身から不快感を醸し出した。
「ただのイタズラの可能性もあったから、しばらく様子を見てた。個人的に職務を怠慢したとは思ってない」
「それを判断するのは私だ」
「だね。これからはどんな些細なことでも逐一報告するよ。だから今回は……許してちょんまげ!!」
「………」
手を合わせ、おちゃらけながら謝るヒナの滑稽な姿を見て、木原は毒気を抜かれてしまった。みるみる眉間のシワが薄くなる。
「……まったく、次からは気をつけろよ」
「もちのろん。今日からはお風呂でどこから洗ったかも報告するよ」
「それはせんでいい。で、どんな書き込みなんだ?」
「キザったらしいってことぐらいしかアタシにはわからないね。さっぱり意味不明な文章だよ。色々と事情を知っている人でないとわからないじゃないのかな?」
「暗号の類いか?」
「そんな大層なものではないよ。むしろこれは……昔の恋人に宛てたラブレター?二人だけの思い出があれば理解できる……かも?」
首を傾げながら、ヒナはスマホを木原に見せた。
「ほう……」
すると、強張っていた木原の顔がさらに綻んでいく。
「どうやらフミオちゃんには理解できたみたいだね。もしかして本当に元カノ?」
「そんなものよりもタチの悪い奴さ。もしかしたらこれは果たし状かもしれん」
「じゃあ、お誘いには……」
「乗る」
「妥当な判断とは思えないけど、その心は?」
「こいつを書いたのが、私の予想通りの人物なら、意図はどうあれ相当面倒な状況に追いやられていると思われる。奴ほどの男がそこまで……気になるだろ?」
「あぁ、ただの野次馬根性ね……」
ヒナは呆れた。彼のこういう妙に俗っぽいところに親しみを覚えることもあるのだが、今日の彼女はあまりお気に召さなかったようだ。
「何にせよ、待ち合わせは今晩だ。その会談次第ではお前も忙しくなるから覚悟しておけよ」
「へいへい。では英気を養うとしますか」
ヒナは冷蔵庫を開けると、食パンを手に取り、そのまま口に運んだ。
「それでいい、安堂ヒナ。またエルザが騒がしくなるぞ」
木原もまた力を蓄えようと、納豆ご飯を一気に書き込んだ。