プロローグ:百花繚乱
『Barランビリズマ』――最高級の酒と音楽に酔いしれることができるエルザシティー屈指の大人の社交場……それが一般人の認識である。別に間違っているわけではないが、それはこのバーの魅力のほんの僅かでしかない。
ここの本当の魅力は、ここの本当の楽しみ方は、特別な会員しか見られない地下の催しものにある。
それは……。
『さぁ!賭けは締め切り!本日のメインイベントです!!』
地下格闘技による違法賭博である。
アルティーリョファミリーが取り仕切るこのイベントは一回の試合で目眩がするほどの大金が動き、それに見合う地上ではできない流血上等の過激な戦いが繰り広げられる。
まさにこの腐敗した街に相応しい最低で最高のエキサイティングな娯楽である。
『では選手入場です!!挑戦者~ッ!!デンジャラ~ス!前ざ~わッ!!』
「「「うおぉぉぉぉっ!!」」」
実況が仰々しく呼ぶと、人相の悪いこれぞ地下格闘技の選手といわんばかりの男が入場口から現れ、割れんばかりの歓声を背に中央にある闘技場に歩いていく。
「勝てよ!前澤!!」
「今日の負け、チャラにさせてくれ!!」
「頼む!一発逆転させて!!」
「おう!!」
(仕方ないとは言え、俺様が不利だと思ってやがるな……)
心の奥の不満をおくびにも出さずに、デンジャラス前澤が待ち構えていたレフェリーの側で立ち止まると、照明が消え、真っ暗になった。それに呼応するように騒々しかった観客も息を飲み、黙り、視線を一点に集中させる。前澤の反対側の選手入場口にだ。
今日ここにいる客の大半が、これから出てくる男を見に来たのだ。
『最強、無敵、絶対王者……このランビリズマでその名を欲しいままにしていた男が今日もまた強さを見せつけるのか!!チャンピオン!ヤクザーンの入場ですッ!!』
「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」」」
「「「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」」」
前澤への歓声が子供騙しに思えるほどの熱狂!絶叫!
最新鋭の防音、耐震施設でなければ、近所からの苦情が殺到するであろうほどの声を受け、男は堂々と姿を現した。
均整の取れた身体に鋭い眼光、しかし前澤と違って、ヤクザーンにはどこか品があった。それがチャンピオンとして君臨し続けたから身についたものなのか、生まれ持ったものなのかは定かではないが、素人目に見ても両者の格の違いは明らかだった。
『さぁ!両者睨み合う!!』
『私には一方的に前澤選手が睨みつけているようにしか見えませんがね。チャンピオンは意に介してないというか、余裕があるというか』
『チャンピオンの圧力に飲まれているってことですか?』
『でしょうね。彼を前にしては当然。血気盛んなデンジャラス前澤だとしても例外ではなかったということです』
(解説の野郎……!勝手なことを言いやがって……!)
レフェリーを挟んで目の前にいるヤクザーンから目を逸らさずに前澤は胸の奥では解説の男に対して怒りを燃やした。
『最高の試合には最高の審判が必要。ということで、表のP.P.バトルで長年レフェリーをし、このランビリズマ地下格闘技でも厳格なレフェリングを下してきた古沢さんがこの試合を取り仕切ります』
「簡単に止めるなよ!!」
「死ぬまでやらせろ!!」
物騒な言葉を軽く受け流しながら、古沢は胸ポケットからカードを取り出し、天に掲げた。
「『キュリオッサー・ブラベウス』」
そしてそれを白黒の地味な機械鎧に変え、全身に纏う。
『ご存知全世界のP.P.バトルでも使用される審判用ピースプレイヤー、キュリオッサー・ブラベウスを装着しました!!』
『いよいよですね』
「バリア……展開!!」
古沢が声をあげると、それにスタッフが応え、機械を作動、三人を外界から遮断する光の膜が覆った。
「お二方とも準備を」
「おう!!『デンジャラスガルーベル』!!」
前澤も着けていた腕輪を戦闘形態へと変形させ、全身に纏った。
デンジャラスガルーベルは色こそ観客受けがいいようにド派手なカラーリングをしているが、機能にはほとんど手が加えられていない。唯一得物が身の丈ほどもある柄に、胴体ほどもある巨大な鉄槌を取りつけたバカデカいハンマーであること以外は……。
「魅せようか『アエーシュマ』」
対するネックレスから変形したチャンピオンヤクザーンのマシンはシンプルな作りだった。色こそ赤と青で彩られた派手なものだったが、造形は余計なものを削ぎ落とした引き算の美学……アエーシュマはそういうものが感じられる機体であった。
『両者愛機を纏い準備万端!絶対王政の維持か!はたまた崩壊か!!答えはゴングの先にある!!』
『素晴らしい試合を見せて欲しいですね』
「ルールは……君達には言うまでもないな」
「おう!!」
「あぁ」
「では試合……」
レフェリーが高々と手を振り上げた。そして……。
「始めぇぇぇぇぇッ!!」
カーン!!
「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」」」
勢いよく始まりを告げながら振り下ろす!合わせてゴングが会場に鳴り響くと、観客は今日一番の歓声を上げた。
『さぁ!始まりました!先手を取るのは……』
「でりやぁぁぁぁぁっ!!」
『デンジャラスだぁぁぁぁぁッ!!』
デンジャラスガルーベルは巨大なハンマーを軽々と持ち上げ、そしてすぐさま振り下ろした!
ブゥン!!
しかし、アエーシュマには当たらず。簡単にバックステップで避けられてしまった。
「まだまだぁぁぁぁぁッ!!」
ブンブンブンブンブンブンブンブン!!
だが、それに懲りずに振り回す!振り回す!風を切る音が、歓声で溢れる地下闘技場でもばっちりと聞こえた。
それに対し、アエーシュマはひたすら距離を取って逃げ続ける。
『攻める!攻める!攻める!まさにデンジャラス!この危険な人間暴風雨にチャンピオンも為す術無しか!!?』
「言われてるぜ、絶対王者様」
実況に気を良くした前澤はマスクの下で口角を上げた。
一方のチャンピオンも……笑っていた。
「まさか『エミリア』の言葉を鵜呑みにしてるのか?」
「あ?」
「あいつはプロだからな……こんな勝負の見えたくそ試合でも必死に盛り上げようとしているのさ。そしてそれはワタシも同じ」
「な――」
ゴンゴンゴォン!!
「――にっ!!?」
電光石火!目にも止まらぬスピードでアエーシュマは三発のパンチを放った!顎の先を掠めたそれの衝撃は前澤の脳ミソまで伝播し、一瞬で彼の意識を断ち切った。
「これで終わり……でもいいんだが」
勝負は決した。これが実戦だったら、これで十分、終了でいいのだが、今行われているのはショーである。
それを誰よりも理解しているチャンピオンは崩れ落ちる挑戦者に勢いよく背を向けた。
「聞こえてはいないだろうが、一応弁明しておく。お前に恨みがあるわけではない。ただ……こうでもしないと、客が満足してくれないんでな」
ドゴオォォォン!!
後ろ回し蹴り炸裂!無意識の状態で食らったデンジャラスガルーベルは全身に亀裂を走らせながら吹っ飛び、バリアに叩きつけられる。
瞬間、観客が声の出し方を忘れ、レフェリーが頭上で手をクロスさせた。
カンカンカンカンカン!!
『決着~ッ!!』
「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」」」
『まさに一蹴!瞬殺!チャンピオンが圧倒的な力を見せつけ勝利!!王座は揺るがず!!』
『横綱相撲でしたね』
『解説のダルトンさんはこの試合を決めたのは何だと思いますか?』
『正直解説として曖昧なことは言いたくないのですが、今回に関しては何がというより全てに置いてチャンピオンが上回っていました。力の差が歴然で、そもそも最初から勝負として成り立っていなかったかと』
『デンジャラス前澤選手も決して弱い選手ではないはずなんですけどね~』
『そうなんですよ。ただヤクザーン選手とアエーシュマがあまりに強過ぎた……そうとしか形容できません。最後の不必要な蹴りも今日来てくれた観客へのサービスでしょうし、きっとヤクザーン選手は汗一つかいていないと思いますね』
(ダルトンめ……余計なことを)
そんなことを思っている勝者の顔には、解説の言葉通り、水滴一つも滲んでいなかった。
『この絶対王政はどこまで続くのか!!次の試合が楽しみで仕方ありません!!ですが、今日は残念ながらここまで!勝者に惜しみない拍手を!!』
「凄かったぞ!!」
「また見にくるからな!!」
アエーシュマは歓声に応え、拳を上げながら、入場口に戻っていった。
「お疲れ様」
そこで待ち構えていたのは、高級スーツに身を包んだいかにも卑屈そうな細身の男だった。
「支配人、見ていたのですね」
ヤクザーンはアエーシュマをネックレスの形に戻すと、軽く頭を下げた。
ヤクザーン個人としてはこの卑屈そうな……というより、実際卑屈でどうしようもない男は好きになれなかったが、一方で客観的に見て、これだけの興行を成り立たせる手腕には一定の敬意を表していた。
「今日も圧勝だったね」
「ええ、きっとこのままだと近いうちに賭けが成立しなくなりますよ」
「言うねぇ。でも、実際にそうなりつつある。この金と欲望渦巻くランビリズマ地下格闘の中で、君の試合だけは純粋に君という選手の応援と一方的な虐殺劇を楽しむものになっている」
「だが、それもいずれ飽きが来る。ワタシの戦いはつまらないだの塩試合だの言われる前にもっと強い相手を用意してください」
「そうは言っても君相手となると中々ね」
「以前戦った『リンジー・マカパイン』や『イレール・コルネイユ』はどうですか?素質は今日の相手以上でしたし、戦いにおいては真面目な性分のようですから、ワタシへのリベンジのために鍛え直し、かなり強くなっているのでは?」
「そうだね。あの二人はいいね。ずっと連勝中だよ」
「ならば」
「申し訳ないけど再戦の前に、君はその二人と力合わせて欲しいんだ」
「……はぁ?」
何のことかわからずヤクザーンは思わず口をポカンと開き、首を傾げた。
「実は今日はその話で来たんだよ。君達三人……後、もう二人加えた計五名の力でわたしを上に押し上げて欲しい」
「……さっきから何を仰っているのか理解しかねます」
「では、順を追って話そう。このランビリズマ、そしてその地下で行われている賭博はアルティーリョファミリーのしのぎだってことは知っているね?」
「もちろん。ワタシ達のやっていることは違法であり、お天道様に顔向けできることではない」
「言葉に刺があるが結構。その通りだ。では、そのトップが亡くなったことは?」
「それも当然」
「ならば、その跡目と目されているプリニオ・オルバネスという男のことは?」
「その人物のことは存じていません」
「わたしは奴がアルティーリョの新たなボスには相応しくないと思っている。奴がなるくらいなら、わたしが……!!」
(いや、どんな奴かは知らんが、きっとあんたよりはマシだろうさ。あんたは事務や経理に関しては一流だが、組織を率いるトップになるにはあまりに器が小さ過ぎる……とか言ったら、面倒なことになるから黙っておこう)
目をギラつかせる支配人に、チャンピオンは冷めた視線を向けながら、固く口を接ぐんだ。
「ただアルティーリョ……というより、エルザシティが混乱している時に、ぐだぐだと内輪揉めをしているのは得策ではない」
「ごもっとも」
「だからわたしは最もシンプルかつ公平な方法で新たなボスを決めることを提案するつもりだ」
「……なるほど」
支配人の意図を察したヤクザーンの口角が自然と上がった。それは彼にとっても魅力的な提案だったのだ。
「どうやらこれ以上は説明をする必要はないようだな」
「ええ……その話に乗りますよ。正直、反社会組織の頭が変わろうがどうでもいいですが、強い奴と最高の環境で戦えるなら、断る選択肢はワタシにはない」
「君はそれでいい。だが、あまり期待し過ぎるなよ。プリニオは悔しいが紛れもなく優秀で組員からも慕われていた……しかし、奴の配下にあった目ぼしい奴は先のボスを殺した爆弾テロと、奏月との決戦でくたばっている。君といい勝負ができる手札を持っているとは思えん」
「いや……ないからこそ血眼になって探し、形振り構わずワタシの前に連れて来るんです。きっとワタシを満足させる相手を用意してくれる……そんな予感がします。ただの願望かもしれませんが」
ヤクザーンの願いは叶うことになる。プリニオはこの地下闘技場に誰も予想しなかった五人の強者を連れて来る。
その中には、この事態を引き起こした張本人であるあの紫の悪魔の姿も……。




