隣にいる悪③
「アカ・マナフですって……!?」
人を見下したような不快な薄ら笑いを崩さなかったフリーダの表情がその単語を聞いた瞬間、僅かに揺らいだ。
「フレデリックがプロウライトに勝てるかどうかは、あのマシンを使いこなせるかどうかだろうな……」
「そう……使いこなせるかどうかってことは……まだ完全適合には至ってないわけね」
表情が崩れたのはつかの間、再び極悪市長の顔に嫌らしい笑顔が張り付いた。
「その顔からして、貴様はフレデリックがアカ・マナフと完全適合するのは、不可能だと?」
「ええ。生前、安堂クニヒロが言っていたわ……アカ・マナフの力は六体の中でも特に強力だけど、その分装着者にも凄まじい執念を要求するって。おぞましいほどの攻撃性、破壊衝動、そして憎悪……あの子にそれがあるとは思えない」
「そうか……攻撃性に破壊衝動に憎悪か……!」
その言葉を聞くと、紫の仮面の下で木原史生は思わず満面の笑みを浮かべた。
「貴様はフレデリック・カーンズという人間をわかっていない。もし今、言った言葉が本当ならば……勝つのは彼とアカ・マナフだ」
「うひぃ~!このままじゃ負けちゃうよ!!」
木原の期待を裏切るように、フレデリックは情けない弱音を吐いた。
「でりゃあ!!」
「また!!」
ザンッ!!
襲いかかってくるガスで作った分身のドゥルジを一太刀で切り捨てる!
「やってくれたな!!」
「やるしかないからね!!」
ゴォン!!
反対から飛びかかってきたもう一体を盾で叩き潰す!
「まだ!」
「まだぁ!!」
「いい加減しつこいんだよ!!」
ザンッ!ゴォン!!
さらに追加で二体のドゥルジを撃破……これを彼は先ほどから延々と繰り返しているのだ。
(分身の数を増やした分、一体一体の強さは大分弱くなった……けど!!)
ザァァァァン!!
アカ・マナフは一回転、ドゥルジを三体まとめて斬りながら、周囲を確認する。敵は見渡す限り大量に蠢いていた。
(いくら弱いと言っても、この数はまずい……全滅させる前にぼくの体力と集中力が尽きる……!)
焦りを感じながら、再びキョロキョロとドゥルジ達を見回す。立ち位置とポーズ以外に違いは感じられない。
(何でもいい!違和感のある個体を……本体を見つけて、叩かなければ!それしかぼくに勝機はない!!)
「はあァァァッ!!」
ザンッ!ゴォン!ザンッ!ザンッ!
それでもドゥルジを次々と倒しながら、本物のドゥルジを探す。
「ウリャァァァ!!」
ゴォン!ザンッ!ゴォン!ゴォン!
本物のドゥルジを……。
「このぉ!!」
ザンッ!ゴォン!ザンッ!ゴォン!
本物の……。
(無理だ!全部同じじゃないですか!?本物がどこにいるかなんてわかるわけない!!つーか全然減らないし!!)
倒せども倒せどもドゥルジの数は減るどころか増えていき、本体を見つけることもままならない。フレデリックはまさに虚偽と絶望の中にいた。
(苦しんでいるな、カーンズ刑事)
そんな彼を悪徳署長は遠くからニタニタと見つめていた。
(アカ・マナフを装着した時はどうなるかと思ったが、この分なら……)
瞬間、彼の脳裏にフリーダとの会話が甦った。
(いや、ウンギアが死んだ時に教えてもらったあのマシンの能力……もし発動されたら、一気にこの状況をひっくり返されるかもしれん。ここは油断せずに、ドゥルジの全てをもって奴を排除するか……!)
「「「ドゥルジアロー」」」
「何!?」
気を引き締め直したデズモンドに呼応するように、ドゥルジ達が一斉に弓を召喚した。そして……。
「お前の罪は!」
「真実を知ろうとしたこと!」
「愚かにもわたしに弓を引いたこと!」
「罰を受けろ!自らのバカさ加減を恥ながら!」
「串刺し!」
「蜂の巣!」
「針千本だ!!」
バババババババババババババッ!!
四方八方から放たれる無数の矢。それに対し、アカ・マナフは……。
「なんだよ!それぇぇぇッ!!」
ザンッ!ゴォン!ザン!ゴォン!ゴォン!
全身全霊で抗った!剣で切り払い、盾で弾き飛ばし、なんとか……いや。
ザシュ!ザシュ!
「くっ!?」
防ぎ切れず。必死の防御を掻い潜った矢が肩や太ももにかすった。そしてさらに最悪なことに、その箇所は……。
ジュウ……
「――なっ!?」
腐食し、ドロドロと溶け始めた。
(あの矢にも溶解能力があるのか!?だとしたら……!)
アカ・マナフは自らの得物の状況を確認した。そして予想通り、剣も盾もドロリと腐食、溶解していた。
(くそ!この攻撃は防御できない!なんとか回避しなければ……!)
「わたしの矢の恐ろしさに気づいたみたいだな」
「プロウライト……!!」
「理解したなら、存分に恐怖を楽しんでくれたまえ!カーンズ刑事!!」
バババババババババババババッ!!
再び放たれた矢の嵐!隙間の見えない攻撃にアカ・マナフは……。
「くそぉぉぉッ!!」
ヒュン!ヒュ!ザシュ!ザシュ!ザシュ!
回避を敢行!しかし、避け切れずにいくつももらってしまう!
「やはりこの数、回避は……」
「ならば盾を使えばいいんじゃないか?」
「警察仕込みの盾の使い方は見ていて気持ち良かった」
「是非とももう一度見せて欲しいね」
「あんたの言うことなんて、誰が聞くか……!!」
「では、そうせざる状態に追い込もうか」
バシュッ!!
一体のドゥルジから発射された矢。それは今までと何の違いもないように見えた。しかし……。
「それが一体……」
「弾けろ」
バシャン!!
「!!?」
突然、アカ・マナフの目の前で矢が弾け、文字通り溶解液の雨となった!
「これは……ちいっ!!」
ジュウ!ジュウ!ジュウゥゥゥゥッ!!
たまらずアカ・マナフは盾で防御。本体へのダメージは防いだが、盾の耐久力は著しく減少してしまった。
(回避しきれず、カメラや脚を潰されたら、一巻の終わりだ。こうするしかなかった……!)
「悔しいか?辛いか?」
「それでも必死に勝ち筋を探っているんだろうな?」
「くうぅ……!」
「だが、頼みの綱の盾を失ったら、君はどうする?」
「憎きわたしに許しを乞うか?」
「それとも潔く自ら死を選ぶか?」
「追い詰められた新人刑事がどんな選択をするのか……」
「わたしに見せてくれ!!」
バババババババババババッ!バシャン!
「ぐわあぁぁぁっ!!?」
通常の矢と弾ける矢を織り混ぜた攻撃にアカ・マナフは対応できなかった。なんとか致命傷は免れているが、確実に着実にダメージは蓄積し、敗北の足音が近づいてきていた……。
(やっぱり……一介の刑事でしかないぼくじゃこの人には、プロウライト署長には勝てないのか……)
絶望に打ちひしがれながら、フレデリックは脳内で走馬灯のようにデズモンドとの記憶を再生し始めた。
「君には期待しているんだから」
(あの時は嬉しかったな……署長がぼくなんかを認識してくれていたんだって……)
「色々と思い詰める気持ちもわからんでもないが、決して無茶をするんじゃない!」
(あの時も……嘘をついているぼくなんかを心配してくれて、申し訳ない気持ちになった……)
「雌伏の時は終わりだ!我らでフリーダ・クラルヴァインの悪政に終止符を打とうではないか!!」
(でも一番嬉しかったのはこれだな。やっぱり署長は正義の人なんだって、悪を絶対に許さない人なんだって……)
「こんないい思いをしているのに、それを自ら手放すなんて……バカのすることだよ」
「!!!」
記憶の旅の果てに再び体験する尊敬する人物に裏切られる瞬間……その瞬間、静かに、だが確かにフレデリックの中に“それ”は芽生えた。
(あの人は、ぼくを、いやこの街の人達をずっと騙してきたんだ!)
怒りが憎しみがどこからともなく溢れ出て、身体中に、そしてアカ・マナフに伝播していく!
(そんな奴を許すわけにはいかない!ぼくが死んで、そんな卑怯者がのうのうと生き残るなんて、間違っている!デズモンド・プロウライトは……絶対に殺さないとダメなんだ!!)
スッ……
「……え?」
フレデリックの憎しみが極限まで高まった時、世界は静止した。
矢も溶解液もドゥルジも全てがその場で動かなくなったように見え、まるで動画を一時停止したようだった。
(世界が止まっている?いや、違う……ゆっくりだけど動いている。スローモーションだ)
よく見ると僅かに動いていたが、集中してい見ないと止まっていると誤認するほどスローリーだった。
(なんで急にこんなことに……って、そう言えば、ヒナさんがなんか言っていたな……)
「アカ・マナフの能力は思考能力と感覚機能の強化だよ。アスリートとか、極限状態に陥るとフィールドにあるものが全てスローに見えるとか話しているの聞いたことない?その状態まで到達させてくれるのさ、このアカ・マナフというマシンは」
(あの話は本当だったんだ!今のぼくは認識能力が爆上がりして、世界が止まって見える……これなら!!)
ヒュン!ヒュン!ヒュン!ヒュン!
「何!?」
アカ・マナフは矢の間を、溶解液の隙間をいとも容易くくぐり抜ける!その動きはまさに神憑り的、常軌を逸していた!
「もうあんたの攻撃は怖くない!!反撃……開始だ!!」
さらに完全適合で上昇した基礎スペックにものを言わせ、ドゥルジ達に接近、そしてすれ違い様に……。
ザンッ!ゴォン!!ゴォン!ゴォン!ザンッ!
撃破!流れるように次々と斬り捨て、叩き潰し、ドゥルジは数を減らしていった!
「人生には自分自身で決めた基準、物差しが必要だと思う。他人の言う通りに生き、他人の価値基準で自分の価値を決めても生き苦しいだけだ」
「ワタシもあなたも、しっかりと自分を持っているタイプよね。あくまで大切なのは自分の意志……必要とあらば、法律を破るのも辞さない……」
「フレデリック・カーンズもそうだ」
「……ワタシにはそうは見えないけど。警察としてとか、正義とはとか、下らないものに縛られて生きているどこにでもいるつまらない人間にしか見えない」
「あいつはそんな単純な人間じゃないさ。かつてあいつの先輩の汚職警官を奴の目の前で殺した時、顔馴染みの死を目の当たりにしたことに動揺こそしたが、殺したことをついぞ咎めることはなかった」
「それは……」
「その後も奴は私が違法行為をすることも、マフィアの連中を殺すことも責めなかった。グナーデ教会の信者達も同様だ。彼らはフレデリックにとって死んでもいい人間、いや死ぬべき人間だったんだ」
「………」
「あいつは自分の基準で正しくないと判断したものに対しては何をしてもいいと思っている。そしてそうすることこそ正しいと、そしてそれを行うために法を犯すことも仕方ないと、何の悪気もなく信じている」
「悪気がない分、あなたやワタシよりもタチが悪いわね……」
「そうだな。だが、今の世界はそんな奴らが溢れている。正義感というこの世で最も身近で、隣にいる悪に蝕まれた畜生どもがそこら中で今も平気な顔で他人を傷つけている。自分は正しいことをしていると悦に浸りながらな」
「……自分のことを棚に上げて言わせてもらうけど……反吐が出るわね……!」
「その反吐が出る連中の最上級、末期患者がフレデリック・カーンズだ。奴は自分の歪んだ基準に反した者を決して許さない。どんな手を使っても必ず自分を騙したくそ署長を殺すはずさ」
「わたしの分身達が……!?」
無力な霧になって消えていく分身達を見て、デズモンドは戦慄した。このままではいずれ自分も……。
(いや!まだだ!まだ終わっていない!あれだけの動き、そう長くは続くまい!本体であるわたしさえ見つからなければ、逆転のチャンスは必ず来る……!!)
デズモンドは心の中でそう自分に強く言い聞かせた。
悲しいかな彼はまだ自分が敗北していないと勘違いしているのである。
(僅かな大気の揺らぎさえ感知するほど神経が研ぎ澄まされた今ならわかる……プロウライト、あんたの居場所が!!)
「そこだぁ!!」
ブゥン!!
アカ・マナフは剣を投げた……何もない空間に。
ズブッ!!
そしてそれは突き刺さった何もない空間……いや、違う!
ドロリ……ブシュウゥゥゥゥッ!!
「……がっ!?なんだと!?」
宙に浮いた刃に真っ赤な液体が滴ると、突然そこからガスが霧散し、手負いになったドゥルジが姿を現す!それと同時に分身も次々とガスへと分解され、夜の闇に溶け込み、消えていった。
「考えてみれば簡単な話だった。ヒナさんのお父さんが造ったマシンなんだから、透明になる機能がついていても何もおかしくない。そしてそんな機能があったら、卑怯なあなたは戦闘は分身に任せて、自分は安全な場所で高見の見物を決め込む」
「わたしが……!?虚偽と不浄を司るドゥルジが……!?」
「最後に残るのは、たった一つ……正義だけだってことですよ!デズモンド・プロウライト!!」
ガァン!ゴスッ!!
「――ぐはっ!?」
アカ・マナフは盾を構えて突進!そのままドゥルジを押し倒し、地面と挟み込んだ!
「み、身動きが……!?」
「もう終わりです……あなたの命は……!」
「ひっ!?」
拳を振り上げながらこちらを睨むアカ・マナフの恐ろしい顔を見て、デズモンドの心はいとも簡単にへし折られた。
「ま、待て!?今までのことを謝る!罪も全部認めるから!!」
「ここで命乞いですか……」
「あぁ!みっともないだろう!情けないだろう!蔑んでくれて構わない!だから命だけは!!」
「そう言われて、あなたは許したことがあるんですか?」
「……へ?」
「ぼく達より前にあなたやクラルヴァインの前市長暗殺を含む不正に気づいた刑事がいたはずです。その中には追い詰められて、今みたいに命乞いをした人もいたんじゃないですか?」
「それは……」
「あなたはそれで拳を下ろしましたか?」
「…………」
沈黙。それが何よりも明確な答えだった。
「やはりあなたはこの世界に必要ない!」
「や、やめろ!カーンズ!!!」
ガンガンガンガンガンガンガンガン!!
アカ・マナフはひたすら右のナックルを馬乗りになっているドゥルジの顔に撃ちつけた!ハンマーのように何度も何度も!破片をばらまきながら!
ガンガン!グシャ!ドシャ!ベチョ!!
暫くすると音が変わった。飛び散るものも破片ではなく赤い液体や、桃色の肉に……。
グシャ!ドシャ!ベチョ!!
「この!この!!」
グシャ!ドシャ!ベチョ!!
「これが正義だ!正義の鉄槌だ!!」
グシャ!ドシャ!ベチョ!!
「お前のような悪党は速やかに死ぬことでしか、この世界に貢献できないんだよ!!」
ドグシャ!!
渾身の一撃がデズモンドの頭蓋骨を完全に粉砕すると、アカ・マナフは、フレデリックは漸く拳を止めた。
「……少しやり過ぎたかな……」
そう自分に呆れながら言い放つと、顔の判別ができないほどぐちゃぐちゃになったデズモンド・プロウライトの上から降り、背を向け、エルザスタジアムへと歩き出し……。
ガクッ!!
「――ッ!?」
歩き出せなかった。突然全身から力が抜け、アカ・マナフは膝から崩れ落ちたのだった。
「これは……いや、当然か。あれだけの力を行使したんだ。もう体力が……」
バタン……
(ぼくは正義を執行し、この世界を一歩平和に近づけさせました……だから、木原さん、あなたもフリーダ・クラルヴァインを……悪を滅ぼして……)
アカ・マナフは倒れ、フレデリックは木原に思いを託しながら、深い深い眠りについた……。