畏怖される悪①
自ら純粋さと神聖さをこれでもかとアピールするような白い建物。
これまた汚れを洗い流したと言わんばかりの純白の衣装に身を包み、判子を押したような不気味な笑顔を浮かべる信者達。
グナーデ教会の本部はエルザシティでも異様な雰囲気を放っており、近づき難かった。
そんな場所に男が一人やってきた。心の中に野心と狂気を閉じ込めながら……。
「すいません」
「はい、なんでしょう……っ!!?」
話しかけられた警備の男は思わず目を見開き、言葉を失った。
話しかけてきた男の顔がぐるぐると包帯で巻かれていたからだ。
「驚きますよね、ちょっと事故にあって、こんな風に……そのことで少し教祖様のお話を聞ければと、ここに訪ねてきたのですが……」
わざと木原はいつもとは真逆のしおらしい態度を取って、相手の罪悪感と同情心をを刺激しようと試みた。
「いえ……すいません、失礼なことを……それでしたらあの奥に見える建物に。いきなり会えるかどうかはわかりませんが、とりあえずは教祖様に取り次いでくれると思います」
そしてそれは功を奏し、門番の男は警戒心を解き、丁寧に対応してくれた。
「ありがとうございます。あなたのような人に親切にされただけで、少し救われました」
「いえいえ、当然のことをしたまでです。あなたの心の重しが取れることを祈っていますよ」
「はい。そうなるといいですね」
木原は深々とお辞儀をすると、言われた通り奥の建物に向かった。
「……うっ!?」
「何だ?えっ!!?」
「あれ……!!?」
(そういう反応は幸か不幸か慣れっこだよ)
すれ違い様に信者が一様に気持ち悪い笑顔を崩すが、お構い無しにガンガン進んで行った。そしてついに目的の建物の前に。
(近くで見ると……シンプルだが、金がかかっているな。これが人を救った見返りか……反吐が出るな)
信者から絞り取った金がこの立派な壁になっているかと思うと、それはとてもおぞましい存在に見えた。
だが、もちろんそんな無礼なことを考えている顔を出さないようにして、というよりそのために顔に包帯を巻いてきた木原は建物に入室した。
「ん……っ!?」
建物の中に入ると受付の女が門番や信者と同じリアクションを取った。
「あのすいません……」
「は、はい、なんでしょうか……?」
必死に冷静に対応しようとするが、そう思えばそう思うほど受付の女の顔はひきつっていった。
「怖いですよね?」
「い、いえ、そんなことは……」
「この顔のことで教祖様にお話を聞いていただきたいのですが……」
「いきなり教祖様はちょっと……」
「それはわかっています。ですので、最初は別の方に、幹部と言わないまでも、教会内でそれなりに信頼を得ている人とお話させてくださいませんか?その方に私が教祖様と会わせるべきか……その価値があるか判断していただきたいのです」
「は、はい……少しお待ちを……」
有無を言わせぬ迫力に受付嬢は手元の資料を確認し始めた。
「えーと……この時間は『ヤーナ』様が空いていますね。かなりの古株で教祖様の信頼も厚い女性です」
「では、その方に」
「少しお待ちください。お会いになられるか確認します」
そう言うと傍らにあった電話の受話器を耳に当てた。その時……。
「あっ!」
突然何かを思い出したように手を止め、あれだけ怖がっていた包帯顔を見上げてきた。
「どうかされましたか?」
「いえ、お名前をまだ聞いていなかったなと」
「あぁ、私の名前は……」
「『神原力也』さんでよろしいですね?」
壮年の女性は目の前の椅子に座る包帯男に間違いはないかと確認した。
「はい。私は神原力也……何も間違いないです」
眉一つ動かさず嘘を答える。そもそも包帯で表情はまったく見えないが。
だが、その内心は決して穏やかじゃなかった。
(我ながらもう少しいい名前を思いつかなかったもんかね。よりによって神原力也って……散々、安堂ヒナのネーミングセンスに文句を言ったが、私も大概だな)
自分自身の単純さと彼らへの執着っぷりに辟易した。吹っ切ったつもりでも、この街に来る前に受けた敗北感はいまだに拭えずにいるのだ。
「えーと……神原さんは教祖様とお話をしたいらしいですが……」
「はい、是非とも」
「その顔の……」
「ええ、この顔のことで少し……」
「お辛いでしょうが、そうなってしまったのは、どういう理由で?」
「私は三年ほど前からキャンプにはまっていまして、所謂一人でやるソロキャンプですね。その日もキャンプをしていて、夕飯の準備をしようとしていたんですが、器具の調整を間違ってしまって……顔に炎が……」
「……はぁ」
ヤーナはあからさまにバカにしたような表情をしていた。
(まぁ、そうなるよな。なんでそんな間抜けな話を聞かされなきゃいけないって思うよな)
しかし、そういう顔になるのも神原力也こと木原史生の狙い。彼は自分の考え通りに事が運んでいることの喜びを隠しながら、口を動かす。
「別に事故にあったことは……よくないですけど、いいんです。私の自業自得ですから……」
「……では、なぜここに?」
「自分は今、叔父の会社で働いているんですけど、年老いた叔父は私に会社を継がせるつもりだったんです」
「……へえ」
(食いついた!!)
ヤーナがわずかに前のめりになったのを見て、木原は心の中でガッツポーズをした。
「私もそのつもりだったんですけど、今回こんなことになってしまい……社長は表に出ることも多いので、火傷の痕が残る私では不適格なのではと……!!」
悔しさと申し訳なさで、小刻みに震えた……ように見えるように、演技した。
「心中お察しします……なんて、気軽に言ってはダメよね……」
「いえ、そんなことは……」
「お話はわかりました。つまりあなたは自分が当初の予定通り会社を継ぐべきか、身を引くべきかに迷い、教祖様に相談したいのですね?」
「はい。叔父を始め、周りのみんなは気にするなと励ましてくれましたが、やはりどうしても踏ん切りがつかなくて。神の声が聞ける教祖様ならば、答えをくれるのではないかって、藁にもすがる気持ちできました!!」
感情を全面に出して、最後のダメ押し。だが、そんなことをしなくても、もうすでにヤーナは心を決めていた。
「神原さん……」
「はい……!」
「あなたのような人を導くためにグナーデ教会はあるのです!」
「ヤーナ様!!」
「少しお待ちください、教祖様と今すぐあなたに会うようにとお伝えしてきます」
そう言うと、ヤーナは足早に部屋から出て行った。
「……フッ、欲に目が眩んだ人間というのは、動かしやすくて助かるよ」
残った木原は最大級の侮蔑の言葉を呟いた。
しばらくして戻ってきたヤーナに連れられ、木原は大講堂の入り口の前までやって来た。
「失礼ながらボディーチェックをさせてもらいます」
「どうぞ」
警備の男が下から上に木原の身体をパタパタと優しく叩き、不審物を持ってないか確認する。
「ポケットの中に入っているものは……」
「スマホと財布ですね」
「お預かりしても?」
「もちろん」
取り出したスマホと財布を手渡すと、チェックを再開。アクセサリー一つ着けていない腕や胴体を調べる。
そして警備の手は包帯に包まれた頭に……。
「あの……ここは触ってもよろしいのでしょうか?できることなら、一度素顔を見せていただきたいのですが……」
「お医者様からは傷痕を空気に触れさせないようにと言われているのですが……教祖様に会うためなら仕方ありませんね……!」
意を決した……ように見せかけ、神原力也は包帯に手をかけると……。
「ちょっと待って!」
慌てて制止すると、警備は困惑した顔でヤーナに目配せした。
彼女は小さく首を横に振った。
「あの……包帯はそのままに」
「いいんですか?」
「グナーデ教会は人を救うためにあるのです。決して苦しめるためではありません」
警備の背後で満足そうにヤーナがウンウンと頷いた。
「さすがですね、グナーデ教会!!」
(さすがに無防備過ぎるだろ。私としては助かるけど)
呆れ半分、安堵半分、木原の胸の中ではそんな複雑な感情がちょっとだけ渦巻いて、すぐ消えた。
「では大講堂の中に。ジーモン・シュパーマー教祖がお待ちです」
「はい。ありがとうございました」
包帯頭を下げるとドアを開け、中に入っていった。
中は広々としていて、二階建ての席がびっしりと四方を取り囲み、その姿はむしろ……。
(格闘技の会場みたいだな……元々そういう場所を買い取ったのか?)
木原はキョロキョロと辺りを見回しても、人影は見当たらなかった。
唯一、大講堂のど真ん中で立っているターゲット以外は……。
「神原力也さんです」
「お会いできて光栄です、ジーモン・シュパーマー教祖様」
(写真で見た通り……ただの小太りなおっさんだな)
小綺麗な格好で誤魔化しているが、ジーモンという人間自体はただの恰幅のいい中年で、オーラやカリスマ性は一ミリも感じられなかった。しかも……。
(目の下に隈ができている。最近寝られていないのかな?まぁ、今この街で起きていることと、誰にも明かせない過去を考えれば当然か)
顔色は悪く、今にも倒れそうと思うほど弱々しかった。不覚にも木原が心配するくらいに。
「……わたくしの顔に何かついていますか?」
「いえ、ちょっとお疲れのように見えたので……」
「あぁ……最近物騒ですから、一刻も早く平穏が訪れるようにと、三日三晩寝ずに祈りを捧げていたのです」
「それは素晴らしい!!」
(嘘つけ、強欲カルトジジイ!!)
「それで神原さんはその顔の傷のことでお悩みになっていると」
「はい……そのことで教祖様に相談できたらと……」
「わかりました。あなたのお悩み、このジーモン・シュパーマーが解決して見せましょう」
ジーモンは任せておけと、胸を叩いた。
その仕草を木原は心の奥底では全力でバカにしていたが、おくびにも出さずに感動している風を装う。
「なんと心強い!!グナーデ教会を、あなたを頼って良かった!!」
「そうでしょう、そうでしょう」
「それで私は一体どうすればいいのでしょうか?」
「先ほどは、わたくしに任せろと言いましたが、あなたを輝かしい未来に導くのは、神のお告げ。わたくしはそれを伝えるだけです」
「では、その神のお告げを私に」
「そのためにはやってもらわなくてはいけないことがあります」
「やってもらいたいこと……」
生唾を飲み込み、緊張した演技……ではなく、今回は本当に木原は緊張していた。さすがの彼でもイカれた宗教家が何を言ってくるのかは読めないし、正直恐ろしかった。
「あなたにやってもらいたいこと、それは……」
「それは……」
「三回回ってワンと鳴いてください」
「三回回って……え?」
木原の頭では、ジーモンの言葉を理解できなかった、したくなかった。
「すいません、もう一度言ってもらっていいでしょか?」
「あなたに三回回ってワンと鳴いてもらいたいのです」
「ちょっと何を言っているのか……」
もう一度聞いても飲み込めなかった。脳が心が理解することを拒絶していた。
「いいですか?三回回ってワンです。お手本を見せましょう」
「いえ、教祖様、そんなことをせずとも……」
「三回回って……ワン!!」
「うわぁ……」
小太りの中年男性が三回回ってワンと鳴く姿は目を覆いたくなるほど、惨めなものだった。それを自分がやっている姿を想像すると……吐き気がした。
「すいません教祖様、私のプライドがどうしてもそれは出来ないって」
「プライド?そんなものに縛られているから、辛いんです。それにこれは神からメッセージを受け取る神聖な儀式ですよ。恥ずかしがることはない」
「素直にやった方がスムーズだってことはわかるんですけど……やっぱり無理だ!」 「無理なことはありません!ここにはわたくししかいませんし、思いきって!さぁ!!」
ジーモンは真っ直ぐな瞳で詰め寄って来た。
「さぁ!さぁ!神原さん!自分を解放して!!」
ジーモンは真っ直ぐな瞳で詰め寄って……。
「何事も始めは怖いものです!でも、大抵のものは実際にやってみたら大したことないんですよ!」
ジーモンは真っ直ぐな瞳で……。
「神原さん!勇気を出して!三回回ってワンです!!」
ジーモンは……。
バチィィィィィン!!
「――ぐへぇ!!?」
ジーモンは包帯男におもいっきりビンタされて、吹き飛んだ!
「か、神原さん何を!!?」
「あっ、つい最近の癖で」
「癖で!!?癖であなたは初対面の人をビンタするのですか!!?」
「うん」
「うん。って、認めちゃうのかよ!!?」
ジーモンはただ痛みと恐怖で混乱し、大講堂の外に響くほど絶叫した。