もう一人の悪
どこか生物感を思わせる丸みを帯びた造形、それでいて所々世界を拒絶するように攻撃的に尖った刺が生えており、二つの眼は破壊衝動を凝縮したかのように血の色に、真っ赤に染まっている……その姿はまさにアンラ・マンユそのものだった。
唯一の違いは木原のマシンは毒々しい紫色をしているのに対し、目の前に現れたそれは神々しさと荘厳さを感じさせる“白色”に染められていたこと……。
(どういうことだ……!?アンラ・マンユがもう一体……これだけのピースプレイヤーが量産されていたのか……!?)
暴走サルワに追い詰められ、ただでさえ弱っていた木原の心は混乱の極みに達していた。
「……哀れだな、武斉」
一方、白のアンラ・マンユのノイズがかかっていたが、その声はとても落ち着いており、暴走サルワに向かって歩く姿も堂々としたものだった。
「ザ、ザルル……!!」
「もはや精神エネルギーをピースプレイヤーに供給するだけの電池……しかも今にも尽きようとしている。これがエルザシティの裏社会を支配していた三大マフィアの一角の最期とは……」
「ザルルゥゥゥゥッ!!」
蔑むような言葉に激昂したわけではない。片腕を奪われたことを怒っているわけでもない。
ただ暴走サルワの本能が突如現れた白い悪魔を真っ先に排除すべき対象だと判断した。だから残る力を振り絞り、飛びかかった。
「ザルルゥゥゥゥッ!!」
残された左手は失われた右手ほどの威力は持ってはいない。だが、大抵のピースプレイヤーを一撃で粉砕するには十分すぎる力は十分にあった。それを全力で白の悪魔に撃ち込む!
(完全に虚を突かれた……!あれはアンラ・マンユでは……躱せない……!!)
木原は目の前で起こっていることを反射的に自分に置き換えて、絶望的な未来を予見した。この後、白のアンラ・マンユは粉々に砕け散り、再起不能のダメージを受けるだろうと……。
「……下らん」
ゴッ!!ブォン!!
暴走サルワの行為に対して言ったのか、はたまた見当違いも甚だしい紫色のアンラ・マンユに呟いたのか、その一言と共に白の悪魔は暴獣の拳を受け、空中を一回転した。そして……。
「攻撃とはこうやるものだ」
ガァン!!
「――ザルッ!?」
勢いそのままに暴走サルワの脳天に蹴りを叩き込んだ!
衝撃でよろよろと後ずさる暴獣。
その姿を見て、紫のアンラ・マンユも強い衝撃を受けていた。
(奴は何をした?今のは完全にクリティカルのはず。少なくとも俺だったら間違いなく致命傷を受けていた。つまり……奴は俺よりもアンラ・マンユを使いこなしているってことか……!?)
自然と拳を力一杯握り、ワナワナと震えた。ザリチュやサルワを紙一重で退け、少しずつ積み上げていた自信が今、この瞬間、たった一瞬で崩れ去ったのだ。
「さてと……君ともなんだかんだで長い付き合いだからね。すぐに終わらせてあげよう」
「ザルルゥ!!?」
そんな木原の気持ちなど露知らず、この虚しい戦いを終わりにするため白のアンラ・マンユが動いた!地面を抉れるほど蹴り出すと、一気に懐まで潜り込んだ!
「食らいなさい」
ドゴォ!ドゴォ!ドゴォン!!
「――ザル!?」
お手本のようなワンツーからボディーブローのコンビネーション!暴走サルワは反応することもできずに全てを食らい、悶絶した。
「はっ!」
ガンガンガンガンガァン!!
さらに追撃!鞭のようにしなる脚で暴獣の頭を右左と蹴り飛ばし、最後は顎を下からかち上げた!
「これでフィニッシュだ……!」
白のアンラ・マンユの真紅の眼が光輝いた!そして……。
「ヒートアイ」
ドシュウゥゥゥゥゥゥゥッ!!
「――ッ!?」
そこから放たれた熱線が暴走サルワの上半身を飲み込み、溶かし、吹き飛ばした!
熱線が止まり、残された下半身はキラキラと光の粒子に分解されると、指輪の形に再構築され、カランと音を立てて地面を転がった。
「武斉は完全に吸収され、死体も残っていないか。それにしてもあれだけのダメージを受けても、待機状態に戻れるとは……さすがは暴走した特級ピースプレイヤーだな」
そう言いながら、白のアンラ・マンユは指輪を拾い上げようとした。その時!
「おっと!」
紫のアンラ・マンユが横取り!指輪を奪うと、離れたところで兄弟とも呼べる白の悪魔の方を向き直した。
「……戦利品を得る権利はとどめを刺した者にあると思うのですが?」
「そのとどめを刺せたのも、私が弱らせたおかげだ。最後の最後に出てきて、美味しいところだけ持っていくなよ」
「なるほど……そういう考えもできますね。いいでしょう、サルワはあなたにお譲りします」
白のアンラ・マンユは手のひらを向けて、譲渡の意志を身体でも示した。
「ずいぶんと素直だな」
「そもそも別に欲しくなかったですから。ワタシが本当に欲しかったものそれは……あなたが持っているんでしょ?」
「……あのペンダントか?」
白の悪魔は首を縦に動かした。
「あなたには聞きたいことが山ほどある」
「私もだ」
「それならばちょうどいい。少しお話をしましょう。サルワを譲って上げたのですから、それくらいいいでしょう」
「なんて恩着せがましい……と拒絶したいところだが、いいだろう。何が聞きたい、白のアンラ・マンユよ」
木原があっさりと了承したのは、先ほど言った通り得体のしれない白の悪魔に興味があったから、話の中で自分の欲しい情報を引き出せるかもと考えたから。そしてもう一つ……。
「では、ペンダントのことはどこで知りましたか?何のために集めているのですか?」
「知ったのはたまたまだ。諸事情でアルティーリョとやり合うことになってな。その時ヴァレリアーノが大事そうに持っていたペンダントをあんたの言葉で言うところの戦利品として頂いたわけだ。集めているのは、ぶっちゃけただの興味本位。あのデータの中身が何かは見当がつかない」
「佐利羽秀樹と武斉が同じペンダントを持っていると思った理由は?」
「死の間際、ヴァレリアーノがそいつらの差し金でペンダントの回収しに来たのか的なことを言ったから」
「奴め……口を滑らしたか」
白いマスクの中で「ちっ」と舌打ちが小さく響き渡った。
「ペンダントに関して知っているのは、これが全てだ」
(嘘を言っていたようには思えない。ほとんど真実なのだろう……一つを除いて。会ったばかりだが、この男がただの興味だけでこんな危険な橋を渡るとは思えない。完璧でないにしてもデータカードの中身についてはある程度予測がついているのだろう)
白のアンラ・マンユの考えは見事的中していた。唯一その部分だけ木原史生は誤魔化していた。
「どうした?急にボーッとして」
「あぁ、すいません。少し考え事をしていました」
「それならいいんだが……で、訊きたいことはペンダントのことだけか?」
「いや、君の装着しているそのピースプレイヤーのことも知りたい」
そう言いながら白は紫を指差した。
「それをどこで手に入れましたか?」
「チンピラが持っていたのを奪った。正確に言うと、適合できなくて捨てられたのを拾った」
「ふむ……すでに外部に流出していたのか……それとも彼女は最初から隠していなかったか……」
(彼女?)
白の言葉に紫が僅かに反応する。それを目敏く白い悪魔は見逃さない。
「……ん?もしかしてワタシも口を滑らしましたか?」
「安心しろ。何のこっちゃわかってないから。それよりも私からも一ついいか?」
「どうぞどうぞ」
「アンラ・マンユとマフィアのボス達が持っていた特級ピースプレイヤーの関係は?どことなく似ていたが……」
「簡単に言うと親戚ですかね。メーカーがほぼ一緒だからデザインラインが似てしまっただけです」
「ほぼ一緒?」
「ええ、ほぼです」
「……そうか」
木原はそれ以上問い詰めたところで、答えてくれないと悟り口をつぐんだ。
「あなたの話を総合すると、偶然に偶然が重なって、皮肉なことになっているようですね。よりによって偶然アンラ・マンユを手に入れたあなたが偶然ペンダントの存在に気付き、それを集めることになるなど……ここまで来ると笑えてきますね」
「私には楽しそうには見えないんだが」
「まぁ、ムカつき過ぎてって奴ですよ……」
「――ッ!?」
白のアンラ・マンユの雰囲気が一変した。夜に目立って仕方ないその純白なボディーがどんな闇よりも暗く、冷たく感じるような異様な威圧感を放ち始めたのだ。
「最後に……最後に一つだけよろしいですか?」
「……なんだ?」
「何ゆえアーリマンなどと名乗っているのです?」
「アンラ・マンユを覚えられなかったバカのせいだ。勝手に間違った名前が広まっているだけ。私に何の意図もない」
「……なるほど。得心がいきました。わざわざ正式名称に訂正する必要もありませんもんね」
「そういうことだ」
「これで全て訊きたいことは聞けました。ありがとうございます」
白のアンラ・マンユはペコリと頭を下げた……と思ったら……。
「そして……さようなら!!」
次の瞬間、拳を振り上げ、凄まじいスピードで突撃してきた!
「ちっ!」
「はっ!!」
ドゴォン!!
撃ち込まれる白と、それを迎え撃つ紫、二つの拳が衝突すると、大気が揺れた。
そしてギリギリと拳を押し合いながら、二人の悪魔、計四つの眼はお互いを映し合う。
「ふむ……今の一撃で決めるつもりだったのだが」
「私を甘く見すぎだ……!」
「僅かに体力を回復したくらいでいきがるなよ」
「……気づいていたか」
「この状況で打てる最善の一手だと思いますよ。話を長引かせて、少しでも体調を整えようとするのは」
「相手にバレていたら、効果は半減だがな……」
「それがわかっているなら、警戒していることを悟られないようにしないと。ワタシに疑心を抱いていることが、バレバレでしたよ」
「いきなりあんなド派手な登場しておいて、警戒するなってのは無理な話だ。それに白色なのもまた……」
「白はお嫌いか?」
「あぁ……特に白いピースプレイヤーはな!!」
ゴッ!!
「おっと」
紫の拳が力任せに白の拳を弾き飛ばした!そしてすぐさま追撃の拳を振り上げる……両者ともだ!
「でやぁっ!!」
「はっ!!」
ドゴォン!!
再び重苦しい衝突音が山にこだました!今回もまた互角のナックルの撃ち合い……いや!
ガギィン!!
「……な!?」
紫の拳が押し負けた!砕けた装甲を見て、木原は絶句した。
(同じマシンであるのに一方的に押し負けるだと!?そんなことあり得ない!いや……一つだけ、装着者の能力に大きな隔たりがあった場合は……いや!そんなこと認めてなるものかぁッ!!)
刹那の思案が導き出したのは、屈辱的な答えだった。それを振り払うために、紫のアンラ・マンユは今度は蹴りを繰り出した!
「受けて立とうじゃないか」
それに応じるように白のアンラ・マンユも脚をしならせる!
ドゴォン!!
三度の衝突音。それがもたらす結果は……。
バギィン!!
「――ぐあっ!!?」
紫の悪魔の負け!また脚の装甲を砕かれ、無様にたじろいだ!
だが、そんな惨めな姿を晒しながらも、木原史生を脳ミソは冷静に今の結果を踏まえ、二体のアンラ・マンユについて分析していた。
(やはり奴の方が力もスピードも上回っている……!けれど奴の動きは武斉ほど洗練されていない。中身に差はそこまでないはずだ。完全適合してる気配もないし、俺とアンラ・マンユが消耗していることを差し引いても、ここまで一方的になるならば……奴のマシンは純粋に俺のものより性能が上……上位互換か……!?)
弾き出された答えは先のものより屈辱的かつ絶望的なものだった。この状況でマシンスペックが大きく上回る相手と戦わなければいけない自分をただただ呪った。
「……くそが!?」
「どうした?さっきまで威勢はどこに行った?」
挑発的に手招きする白のアンラ・マンユ。だが、さすがにそんな煽りに乗るほど……。
「舐めやがって!!」
乗った!紫のアンラ・マンユは煽りに見事引っかかり、満身創痍の身体に鞭を打って飛び出して行った!いや……。
(力負けしている相手に体力を出し惜しみしている場合じゃない!逃げることも許してくれないこの状況……少しでも奴を揺さぶって、活路を探すしかない!)
挑発に乗った振りだった。木原は冷静に今の自分にできることを、がむしゃらに実行しているだけなのだ。
(まずは……!)
「うりゃあ!!」
紫のアンラ・マンユは貫手を繰り出した!しかし……。
「そんなもの……」
ガシッ!!
白のアンラ・マンユには見切られていた!あっさりと手首を掴まれ、止められてしまう!
「……ん?」
瞬間、真紅の眼が捉える……紫色の指先が光っていることに。
「フィンガービーム」
ビシュウッ!!
白の悪魔の顔面に放たれた光線!しかし……。
「君のやろうとしていることはわかるさ。ワタシもアンラ・マンユ、いやアーリマンだからね」
白の悪魔は読んでいた!あっさりと顔を動かし、回避する。けれど……。
(狙い通り!!)
紫の悪魔は避けられることを読んでいた!
(体勢が崩れ、注意が上に向いた今……ボディーは無防備だ!!)
がら空きの脇腹にもう一方の拳を叩き込む!それが紫のアンラ・マンユの作戦だった。
結果から言うと、その作戦は見事に成功するのだが、彼の望む結果は得られなかった。
ゴッ!ブォン!!
「――な!?」
傍目から見ると紫の悪魔の拳を受けた白い悪魔が吹き飛び、勢いよく一回転したように見えた。
(全く手応えが……ない!?)
だが、当の本人からしたらその挙動は異様な、予期せぬものだった。
「そんなセコい手でワタシを出し抜けると思っていたなら……勘違いも甚だしいね!!」
ガァン!!
「――ッ!?」
回転を利用した蹴りはアンラ・マンユの身体と木原の意識を一撃で吹き飛ばした。
「…………ん!?俺意識が……」
「遅いよ、何もかも」
「な!?」
なんとか意識を取り戻した木原の目に映ったのは、アッパーカットを繰り出そうとしている白いアンラ・マンユのまさに悪魔的な姿だった。
(回避が間に合わない!?ならばサルワの時のように一か八か……!!)
思考より先に身体は動き始めていた。彼の本能が、経験則がそれしか生き残る術はないと叫び声を上げたのだ!
ガアァァァァァァン!!
「……顎を撃ち抜かれるくらいなら、一か八か頭突きで迎え撃ってみるか。考え自体は悪くなかったよ。だが……やはり遅いよ」
「がっ!!?」
白の拳は紫の悪魔の口元にヒットした。最善ではないが、及第点の場所に命中できたことで白のアンラ・マンユの装着者はマスクの下でほくそ笑んだ。
そして紫色の方、木原史生もまた……笑みを浮かべた。
「これでいい……フリーズブレス!!」
ブオォォォォォォォッ!!ガチィン!!
「な、何ぃ!?」
ゼロ距離から放出された冷却ガスは白い腕を氷でコーティングした!
予想外の反撃に狼狽える白の悪魔。
(今なら……殺れる!!)
その決死の思いで作ったチャンスを活かすために紫の悪魔は追撃に……。
ガクッ……
「――な!?」
木原の想いに彼の身体と愛機はついて来れなかった。サルワとの激闘から蓄積され続けた疲労とダメージがついに限界を迎えた。
「ここで……この場面でそれはねぇだろう!!?」
「天はワタシに味方したようだな、アーリマン」
「くっ!?」
彼の今までの努力を踏みにじるような冷たい声が響いた。いや、その淡々とした声は侮蔑ではなく、紫の悪魔を認め、白の悪魔も本気になったという証だ。
「君を侮るのはやめよう。適当に痛めつけて、ペンダントさえ回収できればと思っていたが……君はいずれワタシの障害となると確信した!ならば今、この時にワタシの全力を持って排除するのが道理!!」
そう言いながら、白のアンラ・マンユは後ろに跳躍した……両目を真っ赤に光らせながら。
「それは……サルワを倒した俺の知らない武装……!」
「さらばだもう一人のアンラ・マンユ……ヒートアイ」
ドシュウゥゥゥゥゥゥゥッ!!
真紅の閃光が全てを飲み込み、破壊した……。