悪意無き害悪
巨大化した胴体、とりわけ大きくなった右腕、そこから生える刀のような爪。
人間ではあり得ない方向に曲がった脚。
裂けた口に、怪しくぎらつく眼。
ぽっかりと胸に空いた穴。
それは見る者全てに恐怖を感じさせるまさしく“怪物”だった。
(うん。これは無理だな。勝てない)
武斉相手にあらゆる手を使って勝利をもぎ取ったアンラ・マンユだったが、それとは戦おうとも思わなかった。
負けるから、殺されるから。
(暴走状態の特級ピースプレイヤーは一部のヤバいオリジンズと同様、意志のないただの災害だと考えた方がいい。私はあの国でそう学んだ。かつて木原史生ではなかった頃に、読み漁った資料ではそれはそれはひどいものだった……!)
アンラ・マンユはゆっくりと音を立てないように後退しながら、周りを見回した。
(最悪なこの状況で、唯一幸いなのは、私一人じゃないことだ。他の奴らに注意を引き付けて、その間に逃げるのがベスト……!)
これから行うべき行動をまとめると、アンラ・マンユは真っ赤な二つの眼を再び暴獣に戻す。
「ザルルゥゥゥゥッ!!」
「――ッ!?」
その瞬間、暴走サルワは巨腕を振りかぶりながら、飛びかかってきた!
「何で俺なんだよ!?」
「ザルルゥゥゥッ!!」
ドシャアァァァァン!!
撃ち下ろされた右手の爪は、装甲と肉体を一撃で細切れにし、辺りに破片と血と臓物を巻き散らした。
「アーリマンが……あんなに呆気なく……」
「違うよ、芝ちゃん」
「え?」
「今、吹き飛んだのは、うちの者の死体。アーリマンは……」
(……危ねぇ……!!)
アンラ・マンユはうまいこと倒れ込み、暴走サルワの腕の内側に潜り込んでいた。
「ちっ!何で俺を……って、俺が武斉を殺したから当然か!!」
ガァン!!
「――ザルゥッ!?」
地面に手をついて、腕の力で飛び上がると同時に、両足蹴りを暴獣の顎に食らわせる!巨体を強制的に仰け反り状態にすると、紫の悪魔はするすると腕の外に脱出した。
(相手の狙いは俺。だが、戦って勝つ見込みはない。となればやることは……一つしかない!)
「……え?」
アンラ・マンユは立ち尽くす奏月の部隊に、機仙の集団の中に入っていった。
「ザルルゥゥゥゥッ!!」
「ボ、ボス!?」
当然、暴獣はターゲットである悪魔を追って、かつての部下の群れへ飛び込む!そして……。
「ザルルゥゥゥゥッ!!」
ブシャアッ!!バシャアッ!!
「――ッ!?」「――がっ!?」
虐殺が始まる。
素早い機仙・乙が逃げられずに次々と爪に粉砕されていく!
「くそ!?」
回避できないならばと、防御力が自慢の機仙・甲がガードの構えを取ると……。
「ザルルゥゥゥゥッ!!」
ブシャアッ!!
お構い無しにそのガードの上から引き裂き、細切れにして吹き飛ばした!
「ぶ、武斉様!?お止めください!?」
「ザルルゥッ!!」
ブシャアッ!バシャアッ!
「そ、そんな……!?」
部下の懇願などで止まるわけない。それは武斉の身体を利用していても、武斉自身ではないのだから。
そんな哀れにも命を落としていく奏月を見ながら、さらに犠牲を増やすように、彼らがいる方にアンラ・マンユは逃げた。
(こいつらを壁にして自分を守る!そしてあわよくば隙を見て、逃げる!それしか俺が生き残る方法はない!!今の俺にとって逃走こそが最も勇敢な闘争だ……!!)
目の前で現在進行形で増えていく死体の山を見て、その思いはさらに強くなっていった。
そして同じ決断をする者がここにもう一人……。
「芝ちゃん……今がチャンスだ、逃げよう」
「あぁ?あり得ねぇだろ、そんなこと……!!」
プリニオの賢明な発言を、芝は感情のままに拒絶した。
「芝ちゃんはアーリマンを殺したいんだよね?」
「そうだ!お前だってそうだろ!?」
「あぁ、そうだよ」
「だったら!!」
「だからこそ最も確立の高い策を選ぶ。今の最善はあの暴走したサルワとアーリマンを二人っきりにすることだ」
「自分の手でボスの仇を取れなくてもいいのかよ!!?」
「うん、全然いい」
「な!!?」
「オレもボスに拾ってもらった恩がある。そのボスを殺したアーリマンは憎いよ。できることなら自分の手で……って思う」
「なら、その気持ちに従えばいいだろ!!それをやることがボスへの一番の恩返しだ!!」
「違うよ。ボスへの一番の恩返しはあの人が生涯をかけて作り上げたアルティーリョファミリーを再建することだ」
「!!?」
「それは佐利羽組も同じじゃない、芝ちゃん?」
その一言はどんな攻撃よりも大きな衝撃を芝に与えた。
「く……くそおぉぉぉぉぉぉぉッ!!?」
「し、芝さん!!?」
芝は咆哮と共に、自らの身体と心を縛りつける憎しみを闇夜に放出した。
そして全てを吐き出した芝は茫然自失状態の部下達の方を振り返った。
「……撤退だ。佐利羽組存続のために、ここは面子より実利を取る」
「「「………」」」
「返事は!!」
「「「は、はっ!!」」」
「よし!息がある奴を置いていくなよ!!」
芝の言葉に従い、佐利羽組は負傷者を担ぎ、戦場から離れて行った。
「ではアルティーリョも……」
「「「撤退!!」」」
「その通り。アーリマンはオレ達を利用した罰だと思って、奏月の連中と延長戦を楽しんでおくれ」
プリニオもまたアーリマンに挑発的に敬礼すると、仲間達と共に闇に染まった山の中に消えた。
(奴らは退いたか……アルティーリョはともかく佐利羽は残ると思ったが……この土壇場で一皮剥けたか)
チッと自然と舌打ちが出る。壁になる存在が減ることは、すなわち助かる確率が減ることと同じなのである。
(奏月も大分減ってきた。残るは……)
アンラ・マンユは暴走サルワへの警戒を決して弱めずに、視線を外し、別荘の屋根の方を見た。
そこでは生き残った機仙・乙がライフルでかつての主に狙いを定めていた。
(そんなんじゃ無理だと思うけど……)
「武斉様……どうかお眠りに!!」
バシュウッ!!ギン!!
「――ッ!!?」
(ほらね)
弾丸は暴走サルワの装甲にダメージ一つつけられず弾かれた。
けれどプライドは傷ついたようで……。
「ザルル……!!」
「ひっ!!?」
暴獣は屋根の上のターゲットを見定めると、裂けた口を限界まで開いた!そして……。
「ザルルゥゥッ!!」
ブルオォォォォォォォォォォォッ!!
「――!!?」
竜巻を発射する!風はすでに流れ弾を受けて傷だらけだった別荘を粉砕し、狙撃手の片腕を奪い取った。
「そんなことまでできるのかよ!!?」
「ザルルゥッ……!!」
その通りだと言わんばかりに唸り声を響かせながら、暴獣は紫の悪魔に向き直し……。
バシュウッ!!ガァン!!
「――ザッ!?」
「何!?」
「奏月の意地……見せてやったぜ……!!」
崩壊する別荘の方から再びの狙撃!残骸と共に落下しながら、片腕のスナイパーは暴走サルワの胸の穴に超絶スナイプを決めたのだ!
(素晴らしいテクニックと胆力だ、名も知らぬ狙撃手よ。だが、この化け物相手には意味は……)
「ザ……ザルルゥゥゥゥッ!!?」
「――!!?何!!?」
今までいくら銃弾を食らっても動じなかった暴走サルワが突如として悶え苦しみ始めた!
予想外のリアクションにアンラ・マンユも戸惑いを隠し切れない。
(何で突然……あの穴に当たったからか?……ん?)
木原は必死に目を凝らし、自らが開けた穴を注視した。そして暴獣にある異変が起こっていることにようやく気付く。
(穴から亀裂が広がっている……つーか、よく見ると全身に、装甲も剥がれているし、色も最初よりくすんでないか……!?)
暴獣の身体はいつの間にか先ほど倒壊させた別荘のように、ぼろぼろと崩れ始めていたのだった。
(……あまりの暴れっぷりで忘れていたが、奴の中身は、武斉は、俺が殺したんだ。奴はその残りカスを消費して動いているに過ぎない。きっと……そう長くはもたない……!!)
希望の光が見え木原の心に炎が灯ると、反比例するようにアンラ・マンユの周囲の気温が一段階下がった。
(倒すことは無理でも、奴がくたばるのを早めることは今の俺でもできるかもしれない……そうと決まれば!!)
紫の悪魔は両手、計十本の指を暴獣に向けた。
「フィンガービーム!フルシュート!!」
ビビビビシュウッ!!
紫の指先から十本の光の線が、暴獣に向かって伸びていく!しかし……。
「ザルルゥゥゥゥッ!!」
ブルオォォォォォォォォォォォッ!!
「ちっ!?」
当たることはなかった。暴走サルワは口から放った竜巻で全て防いでしまったのだ。いや、それだけでは飽き足らず、竜巻はそのまま紫の悪魔を飲み込もうと……。
ブルオォォォォォォォォォォォッ!!
「……反重力浮遊装置オン」
アンラ・マンユは再び自身の周囲の重力の流れを歪め、上空へと退避した。
「さっき俺がやられたみたいに、上から一方的に……」
「ザルルゥゥゥゥッ!!」
「って、やっぱ無理だよな」
暴走サルワもまた巨体に風を纏わせ、空を駆けると、アンラ・マンユの眼前まで迫った。
そして再度繰り出される必殺の右手!
「ザルルゥゥッ!!」
ブルオォォォッ!!ギャリィン!!
「――ッ!?これは……!?」
アンラ・マンユは迫りくる爪を紙一重回避した……したのだが、確かに躱したはずなのに、触れてないはずなのに胸の装甲が抉り取られた。
(完全に回避したと思ったのに、このダメージ……タネを理解しておかないと、ヤバい気がするな。なら、嫌で仕方ないが……)
「ザルルゥゥゥゥッ!!」
「そうだ!もう一度撃って来い!サルワ!!」
「ザルルゥッ!!」
ブルオォォォッ!!
了承したと言わんばかりに放たれる右手の突き!しかし、地上を含めて三度目ともなると、避けるコツを掴んだのか、かなり余裕を持って回避できた……その攻撃の恐るべき正体を看破できるくらいに。
(そういうことか。だったら……仕込みがあれば、あの武装で一時的に奴の動きを止められるかも)
アンラ・マンユは再び地に足をつけると、一目散に死体の山に向かって走り出した。
「ザルルゥゥゥゥッ!!」
暴走サルワも着陸、全速力で悪魔の背を追跡する。
(奴の攻撃を避ける時、私は見た……奴の爪の周りを凄まじい風が渦巻いているのを。それぞれの爪に小さな、しかし強力な竜巻を纏い、それで敵をミキサーのように粉砕する。直撃すれば骸装通しと同じく防御不能の必殺技。仮に爪が当たらなかったとして、僅かにでも風に触れさえすればダメージを与えられる……厄介な能力だよ)
アンラ・マンユは、半分強力な力に感心、半分それに襲われている今の自分を嘲りながらも、山から適当な屍を両手に取った。そして……。
「でも……この世に攻略できないものはない!!」
それを暴走サルワに不謹慎にも投げつけた!
「ザルルゥゥゥゥッ!!」
ブルオォォォォォォッ!!バシャアッ!!
けれど、それは難なく暴獣の爪に、正確には爪の周りを高速で吹き荒れる暴風によって切り刻まれた。また右腕周辺に破片と血と臓物が飛び散る。
それこそがアンラ・マンユの真の狙いだ。
「今だ!フリーズブレス全開!!」
紫の悪魔は口から冷却ガスを放射しながら突進!ガスは暴走サルワに……ではなく、空中を漂う血液に触れた。
ガチィン!!
「ザルッ!!?」
液体は一瞬で固体に、ピースプレイヤーの破片や骨などを巻き込んで、獣の必殺の右腕に絡みついた。
「冷たい真紅の拘束具……なんて、大層なもんじゃないが、これで多少は動きが制限されるだろ」
「ザルルゥゥッ!!」
バキン!!
暴走サルワは右腕をおもいっきり地面に叩きつけ、氷を砕こうと試みる。そして実際に砕け、赤い結晶がキラキラと闇夜に舞う。
しかし、そうしている間にアンラ・マンユは目と鼻の先まで接近していた!
「懐に入る刹那、そのコンマ数秒だけ腕を使えなければ十分だ」
「ザルルゥゥゥゥッ!!」
ならばと暴獣は大きく口を開き、竜巻で迎撃しようとする!
「そう来ることは……読めてるよ!!」
ガァン!!
「――ザ!!?」
飛び膝蹴り炸裂!顎に勢いよく膝を叩き込み、強制的に閉口させた!
「さぁ……仕上げといこうか!!」
そのままアンラ・マンユは暴獣の身体に登り、背後に回る。
そして、自らが開けた胸の空洞に狙いを定める!
「ウラッ!!」
両手をその穴に突っ込むと、手首を返し、指先を外側に向けた。そして……。
「……外からは対処できても……内からは無理だろ!!」
ビビビビシュウッ!!ズバシャアッ!!
「ザルルゥゥゥゥッ!!?」
フィンガービーム発射!暴走サルワの内部から放たれた光線は、獣の骨、筋肉、皮膚を突き破り、次々と新たな穴を開通させた。
「まだまだ!!ありったけもってけ!!」
ビビビビシュウッ!!ズバシャアッ!!
「ザル!?ザルルゥゥゥゥッ!!?」
ビームを連射!連射!連射!身体から光線が飛び出して来る旅に、獣は悲痛な声を上げた!いや……。
ビビビビシュウッ!!ズバシャアッ!!
すぐに声を上げなくなった。身体からは今まで以上に大きな装甲が剥がれ落ち、目からは生気が失われていた。
「……倒すまではいかないと踏んでいたのだが……嬉しい誤算だ」
手を引き抜いたアンラ・マンユはとても満足そうだった。言葉の通り、彼は今予想以上の結果を得たと思っている。喜ぶのは当たり前だろう。
それは大きな勘違いなのだが……。
「………ザルルゥゥゥゥッ!!」
「――ッ!!?」
ブルン!!ガァン!!
「ぐあっ!!?」
暴走サルワ、突然の再起動!目に輝きを取り戻した暴獣は力任せに、偽りの勝利に寄っていた滑稽極まりない悪魔を振り落とした!
「ザルルゥゥゥゥッ……!!」
「うっ!?」
振り返りながら、風によって拘束具を吹き飛ばした必殺の右腕を振り上げると、生気と殺気に満ち溢れた暴走サルワの目とアンラ・マンユの二つの赤い眼が交差した。
瞬間、木原は自身の敗北を悟る。
(抜かった!暴走状態の特級相手に、最後の最後に油断してしまった!!俺はこんなミスで……俺の野望はこんなところで終わるのか!!?)
後悔したところで、もうどうにかなる状況ではない。
木原史生は、名も無き悪は逃れられない死が振り下ろされる瞬間を待つしかなかった……。
「ち、ちくしょう……!!」
「ザルルゥゥゥゥッ!!」
ドシュウゥゥゥゥゥゥゥッ!!
「……ザルッ?」
「……え?」
今まさに竜巻を纏った爪が紫の悪魔を細切れにしようとした時、どこからともなく飛んで来た真紅の光の奔流が暴走サルワの右腕を飲み込み、そして消し飛ばした。
「ザ、ザルルゥゥゥゥッ!!?」
「なんだかわからんが……助かった……!」
勝利も自慢の右腕も失い、再び悶え苦しむ暴獣。
逆にギリギリ、すんでのところで命を取り止めたアンラ・マンユは立ち上がるや否や全力で暴走サルワが離れた。
「九死に一生とはこのことだな……だが、一体何が起こっ……な!!?」
真紅の光が飛んで来た方向を向くと、アンラ・マンユは、木原史生は膝から崩れ落ちそうになった。
幸か不幸か、今日という日だけで衝撃的な光景をいくつも目にしたが、今目にしている光景こそが間違いなくナンバー1だった。
彼の前に現れた者、それは……。
「白い……アンラ・マンユだと……!?」