拭えぬ過去
佐利羽組との戦いから五日後、エルザ市警はそわそわと落ち着かない雰囲気に包まれていた。
凶悪事件があったからではない。とある大物がやってくることになっているからだ。
「みっともないな。揃いも揃って刑事がみんな浮き足立って……だから、この街は平和にならないんだ」
柱の陰から清掃員姿の木原史生は毒舌を吐いた。
それを聞いた隣の不審人物は顔をしかめた……ような気がする。
「言っていることは一理ありますけど、あなた自身が現在この街の混乱の最大の元凶と言っても過言ではないので、どの口が……!って感じですね」
「確かにそう言われるとそうだが……」
木原は怪訝な顔でフレデリックの顔を見つめた。サングラスにマスクを装備し、完全防備状態の彼の顔を……。
「それ、どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたも、組長殺されて、殺気立ってる佐利羽組の残党が街中を歩き回っているんですよ!!ぼくの顔は割れているんで、こうするしかないんです!!」
「それだとむしろお前が同僚に職務質問されるだろ?」
「ええ!何回もね!その度に同じ警察官だって説明して、この格好はアレルギーがうんたらかんたらって嘘をついて!羞恥心と罪悪感で気が狂いそうですよ!!」
「で、そのストレスを今、私にぶつけている訳か、不審人物くん」
「はい!あなたがあの時佐利羽の連中に手心なんて加えず、皆殺しにしていたら、ぼくは何の心配もなく、外を出歩けたんです!!」
「君は……本当に凄いな」
木原はフレデリックの言葉に呆れたのか、はたまたむしろ感心を覚えたのか、苦笑いを浮かべた。
「……何か面白いことを言いました、ぼく」
「わかってないところがまた」
「っていうか、誤魔化さないでください!ぼくは本当に困っているんですから!!」
「それは申し訳ないと本当に思っているよ。だが、今は佐利羽組の連中には生きていてもらわないと。次なる一手の為にもね」
「次なる一手……また何か悪巧みをしているんですか?」
「まぁな。今回の……っと、その前に今日のメインイベントお客様が始まるようだぞ」
「マジですか」
話を打ち切り、二人はにわかにざわつく正面玄関に視線を向ける。フレデリックはその光景をしっかりと目に焼き付けるためにサングラスとマスクを外した。
ドアが開くと、大勢のボディーガードを引き連れた雰囲気のある女性が入ってくる。
その女性は待ち構えていたこれまた大勢の警察官を後ろに従えた男性の前まで行くと、足を止めた。
「……お久しぶりです、デズモンド・プロウライト署長」
「こんな形では会いたくないなかったですがね、フリーダ・クラルヴァイン市長」
「ワタシもです」
二人ががっちりと握手すると、署内に拍手が巻き起こった。今日は以前から予定されていたこの二人の会談の日であった。
「佐利羽秀樹の死体が見つかったと聞きましたが」
「ええ、他にも組員が大量に……奴の邸宅も襲撃にあっています」
「犯人は?」
「お恥ずかしながら……」
デズモンドは申し訳なさそうに、小さく首を横に振った。
「自棄になって暴れていた組員を逮捕して聞いた話では、犯人は“アーリマン”だと」
「アーリマン……この会談の理由となったアルティーリョの壊滅を実行したと言われている者ですね」
「あの大組織を潰せるなんて簡単にできるものではないので、模倣犯の可能性はないでしょう。とはいえ情報があまりにも少な過ぎるんで、彼の、彼女かもしれませんが、捜査はまったく……」
「そうですか……できることならエルザスタジアムの完成までに全て解決して欲しいですね」
「そうなるように市警一同、粉骨砕身、全力で捜査に当たっています」
「それは心強い。信頼してますよ」
「では、そろそろ中に。市長を立ちっぱなしにさせていたら、わたしが逮捕されてしまいます」
「はい。このエルザ市民の平穏を取り戻すために、話し合いましょう」
そう言うと二人は大名行列を引き連れて、奥に進んで行った。
「……油断しているな。今が暗殺のチャンスだぞ、不審人物くん」
「そのジョーク、笑えませんから。不謹慎にも程がありますから」
「だな」
フレデリックは心底呆れると、柱にもたれかかった。木原もまた意地悪そうな笑みを浮かべながら彼の隣に並んだ。
「それにしても仲良さそうだったな」
「プロウライト署長とクラルヴァイン市長がですか?」
「ここまでの流れで、その二人以外誰の話だと思うんだ?」
「いや、ぼくには別にそういう風には見えなかったんで。普通に社交辞令を交わしているだけに見えましたけど」
「私はもっと親しそうに見えた。ただの勘違いかもしれんが」
「二人の関係の深さはわかりませんが、面識自体は多分十年くらい、結構な長さですよ」
「……何でそんなことを知っている?」
「さっきのジョークを笑えないって言ったのは、常識的に当然なことなんですけど、この街では特に洒落にならないんですよ。前の市長が本当に暗殺されているんで」
「……何?」
「うっ!?」
木原の顔が一気に引き締まり、真面目なものに変わった。その迫力にフレデリックは思わず気圧される。
「そんな怖い顔しないでくださいよ……」
「怖い顔にもなるさ。そんな穏やかじゃない話を聞かされたらな。それでその話があの現市長と市警のトップに繋がるんだ?」
「簡単な話ですよ。クラルヴァイン市長は当時、前市長の秘書をやっていて、プロウライト署長はその捜査の責任者だった……それだけのことです」
「なるほどな。それなら面識があるのも当然か。それでその暗殺の犯人は?」
「その時幅を利かせていたマフィアの構成員です。かなりのジャンキーで捕まって、ほどなくして獄中で亡くなりました」
「市長暗殺は上の者の指示だったのか?」
「当然と言えば当然ですけど、組織は否定しています。そしてこれまた当然ですが、市警がそれを鵜呑みにするわけなかった」
「今、その組織の影も形もないってことはやはり……」
フレデリックはコクリと頷き、木原の推測を肯定した。
「はい……暗殺事件をきっかけに徹底的に市警に目の敵にされて、追い詰められたボスは自殺、トップを失った組織はほどなく解体。結果、三大マフィアが台頭し、現在に至る……というわけです」
「ふむ……」
木原はさらに神妙な顔になり、考え込んだ。
「木原さん?」
「いや、ちょっとな。それよりもこの話の流れだと、フリーダ・クラルヴァインは前市長の弔い選挙で当選したということでいいんだな?」
「はい。もう圧倒的、ぶっちぎりで。同情票が凄まじかったですから」
「単純だな、民というものは」
木原は眉をひそめ、侮蔑の心を露にした。
「でも、そんなもんでしょ、選挙なんて」
「その通りだ。人を選ぶというのは、その実、かなりの労力と能力を必要とされるからな。適材適所に人を配置すればいいなんて軽々しく言うが、歴史上何人もそれができずに、権力者の座から転がり落ちている」
「……木原さんも人を選ぶ立場にいたんですか?」
「どうしてそう思う?」
「なんとなく実感込もっているというか、自虐的に聞こえたんで……」
「そうだな……これは自虐に他ならないな」
ばつが悪そうな笑みを浮かべながら、木原は火傷跡を掻いた。
「確かに私もかつて人を選ぶ立場にあり、それをミスって失脚した」
「へぇ~、そんなことが……後学ののためにその話を詳しくお聞かせ願いませんか?」
「私に自身の恥を語れと?」
木原は眉間にシワを寄せ、あからさまに嫌な顔をしたが、意外と頑固なフレデリック刑事は引き下がらなかった。
「佐利羽組の件で身体張ってあげたじゃないですか。少しでも恩を感じているならお願い!このままだと気になって、夜も眠れない!」
「私は君が不眠症になろうと一向に構わないのだが」
「そう言わずに、ね?」
「人の過去をほじくり返すなんて真似は、とても下品な行為だぞ」
「わかってますって、ぼくが下世話な人間だってことは!」
「なら……」
「でも、あえてその下世話な真似をしないといけない時があるんです、刑事にはね」
「そこで自分の職業を持ち出すか……形振り構わずだな」
「木原さんと同じです。本当に欲しいもののためなら手段を選ばない」
フレデリックはじっと木原を見つめた。曇りのない純粋な眼差しで……。
これが決定打となった。
「……いいだろう。自戒のために、恥を振り返ることも時には必要かもしれん」
「やったー!!」
目的を達成した刑事は年甲斐もなく、飛び跳ねた。
「えーと、まずは何から話すべきか……」
「どういう経緯で人を選ぶことになったんですか?」
「そうだな……まずはそれからか。私はとある商品の開発に携わっていて、それの完成度を上げるための運用データを集めるチームを組織することになった」
「ふむふむ。チームってことはメンバーは……」
「五人だ。だが、一人は商品開発に携わっていた特殊技能持ちだから、私が選ぶことはできなかった。個人的にはあまり好きなタイプじゃなかったんだが……」
無邪気なあの笑顔を思い出すと、木原は色褪せない苛立ちを感じた。
「反りが合わなかったんですか?」
「当時はそうは思わなかったが、今思えば、同族嫌悪だったのかもしれない。彼女もまた目的のためなら手段を選ばないところがあったからな。しかも私以上に感覚的かつ短絡的に」
「似てなくても揉めるし、似てても揉める……人付き合いって、本当難しいですね」
「それで残る四人のメンバーを私が選抜するんだが、リーダー以外はあっさり決まった。一人目はとにかく能力が優秀で、冷静な判断力を持っている男だ」
「それは文句なしですね」
「彼の知らないところで、私とは因縁があったのが若干の懸念だったが、それを差し引いても、チームには必要だと思い、選んだ。彼をチョイスしたことに関しては、今でも名采配だと思っている」
ウンウンと噛みしめるように頷いた。
「二人目は潜在能力なら、先の男、いや私さえも遥か凌駕する逸材だった。けれど残念ながら彼は精神的な問題でそれを発揮できずにいた」
「ちょっとそれは迷いますね……」
「だが、私は迷わなかった。彼の問題を解決し、ベストパフォーマンスを発揮させる手立てを知っていたからね」
「どんな方法ですか?」
「……企業秘密だ。まぁ、今となっては全てが虚しいだけだが……」
もし彼の力が自分の意のままに操れていたら……そう思うといまだに悔やんでも悔やみきれなかった。
「三人目は能力的には光るものはなかったが、野心が気に入った。私に通じるところがある」
「今回は似ているところが嵌まったパターンですね」
「実際には彼はいいところのボンボンで、私なんかとは似ても似つかないのだがな。その実家とのパイプができる可能性も含めての採用だ」
改めて言語化すると、自分のコンプレックスの根深さと、彼の能力の評価の低さに渇いた笑いが出た。
「これで後はリーダーだけ。すんなり決まらなかったってことはかなり迷ったんですね?」
「あぁ。いくつかの候補がいて、誰を選ぶのがチームのため、そして自分のためにいいのか、様々な面から見比べた」
「で、最終的に何を決め手にしたんです」
「……直感だ」
木原は人差し指でこめかみをトントンと叩いた。
「最後の最後は勘ですか」
「結局はな。なんとなくずっと彼女の存在が心の端に引っかかっていてね。初めて会った時は後光が射しているように見えたよ。本当にあの時の私は……どうかしていた……!」
木原の目が据わり、声が低くなった。その威圧的なオーラにフレデリックは空気が冷たくなった気がした。
「……あんまり怖い顔をしないでください……」
「ついな……」
「その様子だとリーダーさんが木原さん失脚の原因なんですね」
「……今思えば、私が感じていたのは、本能が危険を報せるために鳴らしていたアラームだったんだろうな。長年温めていた計画を彼女に台無しにされた」
「それはそれは……お気の毒に」
「私はあの頃からあまり変わっていない。人間を理解したつもりで全くできていない。バイク好きの隠居老人だと侮り、佐利羽秀樹に殺されかけて、痛感したよ」
自分が情けなくなり、木原はため息をつき、頭を掻き乱した。
「なんか……本当に嫌なことを話させてしまったみたいですね……でも、色々と勉強になりました。ありがとうございます」
フレデリックは深々と頭を下げて、感謝と謝罪の意志を示す。
「別に礼を言われるほどのことじゃないさ。それにこの話を活かせる立場に君が行けるとも思えないし」
「ひどい!!………って、どこ行くんですか?」
「掃除だ。私はお前と違って、出世したいんでな」
そう言って、木原はその場を立ち去ろうとした……が。
「ちょっと待ってください!!」
フレデリックが慌てて呼び止めた。
「まだ何かあるのか?」
「いやいや!次の一手とやらをまだ聞いてないんですけど」
「……あっ、そう言えば話の途中だったな」
木原はポンと手を叩いて、大切な話を忘れていたことを思い出した。
「まったく……大切なのは過去より未来でしょ?」
「君が訊いて来たのに、ずいぶんな言い種だな……」
「それはそうですけど……とにかく!木原さんはこれからどうするんですか?」
「いや、実はやることないんだよ」
「……へ?」
フレデリックは首を傾げた。
「正確には今は何もしないことが次の一手だ」
「……はい?」
さらに傾げた。もう肩に耳がつきそうだ。
「ぼくにはてんで理解できないんですけど……何もしないのが、次の一手ってのは?」
「言葉の通りさ。何もせず時が満ちるのを待てばいい。私のプラン通りに行けば、次のターゲット、奏月にはこちらからアクションを起こす必要がない。毒はすでに撒いている」
「……マジでちんぷんかんぷん……」
「心配せんでも、すぐにわかるさ。私の傷が癒えたってことはすでに動けるようになっているはず。奴らがどれだけ準備をするかだが……多分、一週間以内に動くだろう。血気盛んな奴らはそう我慢が効かない」
「えーと、やっぱよくわかりませんが。こちらも鋭気を養いながら、いつでも動けるように準備しておけってことでOK?」
「OKだ。それだけ理解していれば十分さ」
木原は満面の笑みを浮かべて、親指を立てた。
ちょうど同じ頃、暗い部屋で一人、佐利羽組の生き残り、芝がとある人物を待っていた。
「組長、兄貴……必ず奴らに落とし前をつけさせますからね……!!」
亡き恩人のことを思うと、身体が熱くなった。
彼らの命を奪った者と、守れなかった自分への怒りで身体が煮え滾るように熱く……!
コンコン……
「来たか……入れ」
「うっす」
部屋に入って来たのは、ギプスで腕を吊らした彼の部下と、小綺麗なスーツに身を包んだ大男だった。
そして彼らもまた怒りの炎をその胸のうちに宿していた。
「アルティーリョの……」
「『プリニオ』だ。名前なんてどうでもいいがな」
「違いない」
芝は鼻で笑ってみせたが、目の奥は敬愛する組長、佐利羽秀樹のように全く笑っていなかった。
「で、話は本当なんだろうな?」
「あぁ、奴は、アーリマンは、自分が奏月のもんだって、はっきりと俺の前で言いやがった……!!」
その時の光景、つまり自分のミスで兄貴分である渡辺を殺した瞬間を思い出すと、自然と身体が震える。恐怖と後悔とやはり怒りで……。
「そんな簡単に口を滑らすものかね……」
対して、プリニオはアルティーリョ壊滅から日にちが経っているからか、頭の方は冷静で、芝の発言に懐疑的だった。
「じゃあ、他にどんな奴が佐利羽組とアルティーリョファミリー相手にこんな舐めた真似をするってんだ?」
「それは……」
「間違いなくうちとおたくらが潰れて、一番得してんのは奏月だろ!!奴らに決まってるんだ!!」
芝はむしろそう思いたいと、そう思ってないとやってられないと、自らに無理矢理言い聞かせているように見えた。
「わかったわかった!落ち着けよ!」
「……すまない、取り乱した」
「目の前で家族が殺されたら、みんなそうなるさ。オレは現場にいなかったから、いまだに現実感はないが、ボスの仇を取りたい気持ちは一緒だ」
「なら……!」
「あぁ、お前さんに乗るぜ。今、戦える奴と戦うための武器を集めている。三日もすれば十分な量用意できる」
「そうか……おい!こっちは?」
芝が声をかけると、部下は緊張した様子で、ピンと背筋を伸ばした。
「はい!うちらはあと四日ほど準備に必要です!!」
「なんとかうちらも三日に……」
「芝さんよ……焦る気持ちもわかるが、ここは落ち着きな。情報じゃ山奥の別荘に武斉の野郎はあと二週間は滞在するんだろ?」
「……そうだな……仇討ちは絶対に失敗できねぇもんな……」
プリニオを宥められ、芝も頭を冷やすために深く息を吐いた。
「じゃあ、区切りよく一週間後にしないか?」
「……あぁ、それでいい。それ以上は俺の我慢が効かない……!!」
「決まりだ。アルティーリョと佐利羽の合同軍で、武斉とアーリマンの首を取る!!」
彼らは知らない……それこそが憎きアーリマンが描いた筋書きだということに……。