侵食する悪①
木原が刑事ロニーとひったくり犯を殺害してから数日後、フレデリック・カーンズはエルザ市警本部の中庭で行われる色んな意味で楽しくないセレモニーに出席していた。
「この『デズモンド・プロウライト』がエルザ市警の署長になってから、残念ながら何度かこういうことがありましたが……慣れることはありません。不当に命を奪われた我らの仲間を見送ることは……」
セレモニーはロニーを追悼するものだった。外面の良かった彼は慕われていたようで、壇上の署長の弔辞を聞いて涙ぐむ者も多い。
対してフレデリックの両目は渇きに渇いていた。
(仕方ないことだってわかってるけど、あんな汚職警官を追悼しなきゃいけないんだ……!むしろ過去の悪事を追及される立場だろうに。あの人の口振りだと他にも……)
自分を裏切ったロニーのことを死んだからといって許す気にはならなかった。
結果、フレデリックはセレモニーが終わるまで一人イライラし続けた。
「カーンズ刑事」
「……だいたいあの人は……」
「カーンズ刑事」
「……何であんなことに。きっかけはあったのか?」
「フレデリック・カーンズ刑事!」
「いっ!?」
思考の迷路にどっぷりはまりながら、署内を彷徨いていたフレデリックを現実に引き戻す声、その声は先ほどまで中庭に響き渡っていたものと同一のものだった。
「プロウライト署長!?失礼しました!!」
「いやいや、別に構わないよ」
振り返り、彼の姿を確認すると、フレデリックは凄まじい勢いで頭を連続で下げた。その様子に署長は苦笑いを浮かべる。
「本当に考え事をしていたとはいえ、あなた様を無視するなんて……」
「君の立場を考えたら、色々と思うところがあるだろ。あの日君はマクルーア君と一緒だったんだよね?」
「は、はい……ぼくがひったくり犯を見失ったばかりに……」
平静……というか、後悔の念に苛まれる後輩を演じる。そんな真似はしたくないが、彼の正義は命の恩人を守ることを優先させろと訴えてくるので、それに従った形だ。
「そのことだがあまり気にするな。調書を読んだが、ピースプレイヤーを装着したマクルーア君を一方的に殺害する相手では、新人でガルーベルも支給されてない君が現場にいたところで結果は変わらない……むしろもっとひどい、君の命まで奪われることになっただろう」
「はい……」
「彼を殺害し、ガルーベルを盗っていった犯人はエルザ市警が全力を持って捕まえる!君も時間はかかるだろうが、元気を取り戻し、協力してくれ!そのことを言いたかったんだ」
「あ、ありがとうございます……!」
フレデリックは深々と頭を下げた。デズモンドから見えないその顔はそれはそれは苦々しいものだった。
励ましてくれたお礼のためではない……心の中では騙していることを謝罪するために頭を垂れたのだ。
「まぁ、焦らずゆっくりな。君には期待しているんだから」
「……ご期待に添えるように頑張ります」
デズモンドは労るようにフレデリックの肩を二回ほど叩くと、その場から離れていった。
(……ぼくのことを気遣ってくれたのに、ぼくは……)
彼の優しさはむしろ嘘をついているフレデリックには重しにしかならなかったのは、言うまでもない。
だが、それが霞むほど億劫な状況にすでに彼は追いやられていた。
(……とにかくあの人をどうにかしないと……!)
『去年現市長と争いながら、選挙中に数々の汚職の罪が明らかになった『ベンジャミン・マクナルティ』容疑者に新たな疑惑が……』
ガチャ……
「おかえり」
「……ただいま」
フレデリックが自宅に入ると、木原史生が我が物顔でテレビでニュースを見ながら寛いでいた。あの日から彼の家はこの悪魔のような男から侵略を受けていたのだ。
「どうした?顔色が悪いぞ」
「そりゃあ、自宅が不法占拠されたら……って、ええ!!?」
フレデリックはテーブルの上のあるものに顔を近づけた。それは完食されたカップアイスであった。
「食べたの!?」
「見ての通り」
「何で!?」
「腹が減った。冷蔵庫開けた。アイス見つけた。食べた」
「食べた……じゃないよ!!楽しみにしてたのに~」
「過ぎたことでくよくよするな」
「あなたが言うべき言葉じゃない!!もう~」
自分がどれだけ責めても、この火傷男には暖簾に腕押しだということは、ここ数日で理解させられたので、早々に諦めて着替え始めた。
「大丈夫だったか?」
「それってぼくの精神の話?それとも自分の存在をばらされなかったかって、問い詰めてるの?」
「もちろん後者」
「あなたは本当に……安心してよ、何も言ってないよ」
「二人も殺した人間を刑事が匿うのか?」
「………」
「………」
二人の動きがピタリと止まり、僅かの間、体感的には結構な時間じっと見つめ合った。
「もし……もし木原さんが来てくれなかったら、今日弔辞を読まれていたのはぼくの方だった。この恩はきっちり返すよ」
「ほう……」
木原は口角を上げて、とても嬉しそうな笑みを浮かべた。
「なんですか、急にニヤニヤして……」
「いや、予想以上だなと思って」
「はい?」
「気にするな。こっちの話だ」
「気にしますよ……でも、ぼくなんかが問い詰めても絶対に答えないんでしょうけど」
「私のことがわかってきたじゃないか」
「わかりたくなかったですけどね。これ以上知りたくもないんで、できるだけ早く出て行ってくれませんか?」
「いい部屋を見つけたらな。木原が……私が今まで使っていたところはボロくて敵わん」
「まさか引っ越し代が貯まるまでいさせてくれなんていいませんよね?」
「引っ越しする金なんて稼ごうと思えば、いくらでも方法はあるんだがな」
「……それって合法?」
「………」
「急に黙らないでくださいよ!!」
そう言いながら、私服に着替え終わったフレデリックは再び玄関に向かった。
「出かけるのか?」
「今日はアイスを楽しみに、朝からずっと頑張ってきたんで!それが無くなったっていうなら、コンビニで買って来るしかないでしょう!!」
「アイスごときをそんなに楽しみにしていたのか?まぁ、中々美味だったが」
「本当にあなたって人は……!!」
フレデリックの身体は怒りでワナワナと震えた。
「とにかく!ぼくがいない間はできるだけ、物に触らないでください!!あとそのゴミを一刻も早くなんとかして!!」
フレデリックは木原の奥にあるディスプレイの割れたパソコン、タブレット、ボロボロの扇風機etc……スクラップの山を指差した。
「分解すれば使えるパーツを回収できると思ってな。ゴミ捨て場から拾ってきたんだが……そんなに邪魔か?」
「めちゃくちゃ邪魔です!もう不愉快極まりないです!だからお片付けお願いしますよ!!」
「そこまでいうなら、善処する。日も落ちて暗くなってきたから気をつけてな」
「くっ!?心にもないことを……!!」
その言葉に感情は全くこもっていなかった。当然、逆にフレデリックはヒートアップする。
「どうした?暗くなると危ないと言ってるだろ。出かけるなら早く行きたまえ」
「ぐうぅ~!わかりましたよ!心配してくれて、どうもありがとう!いってきます!!」
ガシャン!!
ストレスをドアにぶつけるように勢いよく出て行った。
一人になったことを確認すると、木原は傍らにあったスマホを手に取った。
「ロニーという男がただの三下汚職警官なら問題ないが、もし面倒なところと付き合いがあったら……そろそろ血の気の多い奴が動くはずだ」
木原史生にとっては待ちに待った、フレデリック・カーンズにとっては的中なんてして欲しくなかった予想がこの後現実のものとなる……。