オリジンズ駆除 その②
「……本当に雲の中に入ったみたいだ……!」
視界一面を覆う“白”に圧倒されて飯山は自然と思っていたことが言葉になって、口から出た。
「よいしょ!」
「ふん!」
霧を突き抜けると、茶色い枯れ葉の絨毯に着地した。衝撃で二人の周りを砕けた葉と土埃が舞い散る。
「飯山、無事か?」
「はい!自分は大丈夫です!神代さんは……?」
「ワタシ?もちろん!救助にやって来た奴らが怪我したんじゃ、元も子もないからね」
お互いの無事を確認した上司と部下は合わせていた目線をそれぞれ逆方向に向ける。
「上からじゃ、ちゃんと見えなかったけど……森だな」
「ええ……立派な木がこんなに……間違うことなき森です……」
二人の視界には自分達の身体よりも、レスラーと見間違うほど大柄な飯山よりも太い幹を持った木が地面に力強く根を張り、上方では枝に付いた深緑の葉っぱが風で微かに揺れていた。真っ白い霧と相まって幻想的で荘厳な雰囲気を醸し出している。
「まるでおとぎ話に出てくるお姫様が迷い込む森ですね」
「ずいぶんとメルヘンチックだね、飯山」
「い、いや……」
黄色の仮面の下で飯山は頬を赤らめる。
「別にバカにしたわけじゃないよ」
「……わかっています」
「そうか……なら、そろそろ行こうか……?」
「はい!トラックの進行方向から察するに……あっち方面に落ちた可能性が高いです」
飯山は木の間を指差すが、そこは白い闇に覆われていて、トラックどころかまさに一寸先も見えない。
「覚悟していたけど、予想よりも視界が悪いね……気をつけて進もう」
「押忍!」
二人はゆっくりと歩き出した。飯山が先行し、フジミがその後ろをついて行く。
枯れ葉を踏み潰す足と同じくらいに、キョロキョロと忙しなく頭を動かす。当然、お目当てのトラックを見逃さないために。そして、予期せぬ“敵”に襲われないためにだ。
「……オリジンズは見当たらないね」
戦闘を覚悟していたフジミは胸を撫で下ろした。けれど、飯山から言わせれば、それは甘い考えだ。
「こちらからは見えなくても、あっちからは見えているかもしれません」
「そうなのか?」
「はい。オリジンズは人間よりも遥かに鋭い感覚を持っていますからね。常日頃からこんな濃い霧に覆われる場所に住んでいるなら、それに対する策も持ち合わせているはずです。自分達には見えないものが見える眼か、はたまた鼻か耳か……」
「それら全てか……今もワタシ達の行動を監視しているかもってことね」
「考えすぎかもしれませんが」
「考えすぎるくらいでちょうどいいさ。こういう場所ではね」
フジミは気を引き締め直し、さらに注意深く周囲を見渡した。だが、一向に木と霧しか視界には入ってこない。
「……とはいえ、木と霧に囲まれていると、ヒーリング効果っていうの?なんか落ち着くっていうか、気が抜けるっていうか……」
「神代さん!!」
「ごめん!ちゃんとやるから!って、違うよな」
フジミの耳に興奮した飯山の声が届く。一瞬、また集中を乱した自分を叱ったのかと思ったが、直ぐに飯山はそういうことをしないだろうと考えを改める。
彼がこの状況で声を荒げるとしたらターゲットを捉えた時しかない。
「見つかったか……?」
「はい!あそこを見てください!!」
飯山が指を差した先には、相変わらず白い霧があった。しかし、その奥には明らかに木とは違うシルエットが存在している。
「飯山!ペースアップするよ!」
「押忍!!」
二人は枯れ葉を蹴り上げ、軽快に木の間をすり抜け、影の元に走って行く。そして……。
「見つけた……!」
目標にたどり着いた。
トラックは横転し、周囲には事故の衝撃で砕けた窓が散乱し、多少ボディーがでこぼこと変形していたが、本体はしっかりと原型を留めていた。
「ずいぶんと丈夫なトラックだな」
「ええ……あの高さから落ちたならもっとバラバラになっていてもおかしくないのに……」
「で、火や煙でも上げてくれたらもっと簡単に見つけられたのに……っていうのは、さすがに不謹慎か」
「不謹慎ですね」
冗談を言い合っているように見えるが、二人は状況を確認し合っているのだ。その証拠に視線は舐めるようにトラックのボディーを移動し、観察を続けている。
「ドアが開いているね……爆発はしなさそうだし……ちょっと見てくる」
「はい」
「よっと!」
ルシャットⅡは地面を足で軽く蹴ると、ぴょんと身体が浮き上がり、一飛びで横になっているタイヤの上に到着した。
そのまま運転席を恐る恐る覗き込む……。
「助けに来ましたよ………ん?いないのか?」
フジミの声に返事は返ってこない。そもそも運転席に人がいなかったのだ。
「空中で放り出されたか、自ら飛び出したのか……いや、そうじゃないっぽいな」
フジミが視線を上げると、地面や木に赤いものがついているのが見えた。
「ここにトラックが落ちた時にはいたみたいだな。そして移動できるってことは……運転手は生きてる……!!」
内心諦めていた希望の光が再び目の前で輝き始め、フジミの胸の奥を熱くした……が。
「それはどうでしょうか……」
水を差す言葉が、フジミの耳に届く。それを発したのはもちろん彼女の部下だ。
「飯山……それはどういう意味だ……?って、いないし……」
フジミが先ほどまでいた場所を振り返ったが、飯山の姿はそこにはなかった。
「神代さん、こっちです。荷台の上です」
「荷台の……よいしょと」
いつの間にか荷台に移動していた飯山がフジミを呼び寄せる。フジミは彼の指示に従い、荷台の上へ跳躍した。
「飯山……さっきの言葉……あぁ!?」
荷台に移動したフジミの目は、あるものに釘付けになった。
「また“穴”なの……」
荷台の側面には本来あるはずのない人間が悠々と通れるほどの大きな穴が開いていた。前の事件に続いて、またかとフジミは心底辟易する。
「どうやら内側から鋭利な刃物で斬り裂かれたみたいですね」
「内側から?」
「はい。穴以外にも所々隆起している場所があります。きっと中にいた“何か”が暴れたんでしょうね」
「暴れた……」
フジミは近くの隆起を擦ると、そのパワーを感じ取り、思わず息を飲んだ。
「それがこの事故の原因か……」
「これだけの力があるものが暴れ出したら、トラックが制御できなくなるのも頷けます。一応、そういうことも想定しておいてとびきり丈夫なトラックを選んだみたいですけど、無駄でしたね」
「トラックの運転手が何を運んでいたのか、知っていたのかな?」
「さぁ……依頼主にこのトラックごと渡されただけかも……」
「それは情報が無さすぎるし、考えてもしょうがないか……今の問題は荷台にいた“何か”がなんなのか……」
「ですね」
示し合わせたわけではないが、二人はほぼ同時に頭を穴に突っ込んだ。逆さまの視界で手がかりを探す。
「中はまぁ……外よりもひどいな」
荷台の壁にはところ狭しと無数の傷が刻まれていた。これを見ると事故が起きるのもやむなしだと、フジミは改めて思った。
「神代さん」
「ん?」
「これを見てください」
頭を上げたフジミの目の前で飯山は自らの手のひらを広げた。
「わかりますか?指と指の間に糸が張ってるのが」
「あぁ……透明で……粘着質で……まるで……」
「よだれですね、オリジンズの」
フジミが確認したことを確認すると、飯山は勢い良く手を動かし、汚らしい液体を振り払った。
「荷物はオリジンズか……」
「それも戦闘力の高めの奴ですね」
「それでさっきワタシがドライバーが生きているかもって言ったのを否定したのか?」
飯山はコクリと首を縦に動かした。
「あくまで……あくまで自分の勘ですけど、このオリジンズはかなり気が立ってます。ここに閉じ込められていたことを怒っているんだと思います」
「その状況に自分を追いやったかもしれない運転手を見逃すわけないと?」
「はい……自分はそうだと……間違っていればいいんですけど……」
「いや、あんたがそこまで言うなら、きっと合ってるよ、残念だけどね」
気弱で消極的な印象を受ける飯山がここまで言い切った……悲しいけど運転手の死を確信するのに、フジミにとってはそれで十分だった。
「これからどうするか……」
「まずは我那覇さん達に連絡してみては?」
「そうだね」
フジミは耳元に手を当て、通信を試みる……が。
「………通信できない……!?」
待機している部下の声ではなく、耳障りなノイズだけが嘲笑うようにフジミの鼓膜を揺らした。
「飯山……!」
同じく耳に手を当てている飯山は無言で首を横に振った。彼も上司と同じ状態だった。
「この霧のせい……ってことはないか……」
「マシントラブルでもないと思いますし……どうします?一旦、戻りますか?」
「うーん……」
中指でルシャットの額の装甲を叩きながら、フジミは考える。そして、リーダーとして決断を下す。
「なんか戻るのめんどくさいし、血の跡を追おう。ああは言ったけど、運転手の安否は確認できていないし、戻っている間に何かあったら寝覚めが悪い」
「わかりました」
行動指針を決めた二人は横転したトラックから飛び降りた。
「じゃあ、行きますか?」
「押忍!また自分が先行します」
ここに来た時と同じ隊列を組み、捜索班は血痕を追って、さらに森の奥へと入って行った。
「連絡できなかったですけど待機している二人は大丈夫ですかね?自分達のことを心配して、妙な行動起こさなきゃいいですけど……」
「マル一人ならともかく、我那覇がついているから平気だろ。無愛想だけど仕事は今のところきっちりやってるからね」
「信頼しているんですね」
「ええ……もちろんあんたのこともね」
「えっ!?あっ、はい!な、なんか、ここ日が当たらなくて、肌寒そうですね!?ピースプレイヤー着ているから問題ないですけど!!」
不意に放たれた言葉に飯山は取り乱し、無理矢理話を変えた。嬉しいは嬉しいが、彼にとってはそれ以上に照れ臭さが勝っていたのだ。
「飯山は寒いのが苦手か?」
「得意ではないです……暑いのよりはマシですけど」
「ワタシもだ。寒いのは着込めば……血痕が途切れたか」
二人は血の終着点に膝をつき、周囲を見回した。
「足跡は……ないか」
「飯山」
「はい!?」
「今回はワタシの方が早かったね。見てみなよ、血で水溜まりができてる」
ルシャットの視線の先には小さな血の池があった。二人は立ち上がり、そこに近づいていった。
「遠目からはわからなかったが、木の上から血が降って来てるな」
「ということは……」
二人はぽたぽたと落ちてくる血の発生源に視線を向けた。
「当たって欲しくない予想が当たっちゃったな……」
「はい……これはもう……100パー死んでますね」
枝の上に乗っかっていた運転手の顔からは生気は感じられなく、とどめと言わんばかりにさらにその上方の枝に脚が引っ掛かっていた。
上半身と下半身が分かれているのだ。
「ん~……運転手の死亡も確認しちゃったし、やっぱり一度戻るか……」
「そうです……なっ!!?」
視線を下ろし、フジミの方を向いた飯山力の瞳が捉えたのは、上司の背後で鎌のような腕を振り上げているオリジンズの姿だった。