ちぇすとー
その後、なんやかんやと一悶着あったが、無事に二人は学園に登校した。
教室に入って、昨日と同じ位置に座る。
初日に色々やらかした二人は、相変わらず遠巻きにされていた。ひそひそと交わされる会話。貴族科の生徒だけでなく、一般科の生徒も彼ら二人の事を噂する。
「あの女の子、新入生代表だよね?」
「横の男は誰だ?」
「枯れた天才。シアン・アーシェルトだよ。知らないのかよお前」
そんな会話が、教室中で繰り広げられていて。
だが、彼らがそれを特に気にする事は無かった。
シアンは、興味なさそうな瞳で前を見つめるルトに話しかける。
「なあ、さぼっていいか?」
「駄目に決まってる、です」
「えー」
のべっと、机にもたれかかりながら気の抜けた声を出すシアン。そんなシアンにルトは目を眇めると、何気ない様子で自身の腰に手を伸ばそうとした。
そう、腰の剣にだ。
それに慌ててシアンが言う。
「あーいや。急にやる気が満ち満ちてきたなーうん。さぼりたいという気持ちがどこかに行ったみたいだー。はー出来れば戻って来れればいいんだけど……っていやいや、はは。嘘、嘘。やる気満ち溢れる青少年になったから僕。光り輝く感じで。もうぴっかぴかよ」
身振り手振りをもってシアンは、なんとか、ルトの腰に伸ばされた手を元の位置に戻してもらえるように必死に言う。
暴力反対。平和的な解決を望みたい。
「ぴっかぴかすぎて、もう目を開けていられないかも。いやー凄い発光力だ。うんうん」
ちらちらとルトを見ながら、適当な言葉を口からぽんぽんと吐く。
そんな彼をルトは半眼で見つめた。
数秒間、時が流れる。
シアンは愛想笑いを浮かべてなんとか乗り切ろうとする。
と、ルトは興味を失ったかのように前に視線を戻した。
ほっと息を吐くシアン。
どうやら、許されたらしい。
シアンは身振り手振りする為に上げていた手をのべんと机に伸ばすと、肩を落として、
「はーこんなはずじゃなかったんだけどなぁ」
「じゃあ、どんなはずだったんだ?」
「んあ?」
シアンは自分の独り言に応える者が居た事に、視線をそちらに向ける。
そこには、昨日シアンに話しかけてきた二人組の片方、アイリスが居た。チェーンがついたモノクルの奥、知的な雰囲気が漂うアメジストの瞳が柔らかく細められる。
「いきなり話しかけてすまないな。今日も隣いいか?」
「いや。別にいいよ。好きに座ったらいい」
「ありがとう」
ふわりと笑うと、椅子を引いて座った。
と、そこでアイリスは、教室の扉の方を見ると、少し笑いだしそうになりながら手招きする。
「ほら、ハイトも。そんな所でぷるぷるしてないでこっちに来いよ」
シアンが、その先を見てみると、そこには扉の向こうから、ちらりと頭だけを出してこちらを伺っているハイトが居た。
アイリスとシアン、二人に見つめられたハイトは、深紅の瞳をせわしなくあちこちにやる。が、やがて諦めたのか、おずおずとこちらに歩いてきた。
そして、アイリスの横に座る。
ハイトは往生際悪くアイリスの体に隠れながら、シアンに話しかけた。
「隣、失礼します」
「ああ。かまわない」
沈黙。
妙に気まずい雰囲気が流れる。
間に挟まれたアイリスは、さぞ苦痛だろう。現に、俯いて、肩を震わせている。
「ぶっふっ。ふふふ」
「お、お前! 笑うな!? 元はと言えばお前のせいなんだからな! お前が、友達になる為には交換日記がいいなんて変な事言うから!!」
「いやいや、普通信じないだろう」
「普通ってなんだ! そんなもの知らねえ!」
ぎゃん! と最初にあった品行方正はどこに行ったのか、ハイトはアイリスに噛みつく。
そんなハイトと反対にアイリスは涼しい顔で、
「ほらほら、猫がどっか行ってるぞ。ちゃんと被らないと」
「うううう!」
「ははは。お前は面白いな本当に」
「うぅぅううう!! 貴方、嫌い、です!」
「光栄だな」
にやりと笑うアイリス。それに、ふんっ。とそっぽを向いてしまうハイト。
そんな二人のやり取りをシアンは見て、
「仲いいんだな」
「良くないです!」
「良くない」
「ははは」
笑うシアンに、二人は苦い顔をする。
と、そこで、シアンに声を掛ける者が居た。
「これはこれは、あの腑抜けで有名なシアン・アーシェルト殿ではないか。貴様の様な塵芥が、ルト嬢の魔法使いとは。一体どのような事をすれば、そんな奇跡が起きるのか。ぜひその手腕、ご教授頂きたいな」
後ろに纏めた固めの赤毛に、見下すように眇められた碧瞳。鍛え上げられた筋肉は、いかにも騎士という風貌だ。
彼、ムスケル・ミュスクはさらに、
「まあ、オレ達貴族には思いもつかないような方法なんだろうな」
にやにやと馬鹿にするような笑みを浮かべながら言う。
それにシアンはとえば、特に気にした風もなく。というか、むしろ納得したような顔で、
「いや。うん。まあ、確かにお前には思いつかないかもな」
だって、入学式前に、一般科の生徒に紛れて立っていただけなのだから。むしろ、シアン自身もなぜルトに魔法使いとして選ばれたのか分からない。
教えて欲しい位だ。
だが、そんなシアンの内面をムスケルが知るはずもなく。ムスケルは眉を寄せて、
「馬鹿にしてるのか?」
「いや、そんな事はない」
「馬鹿にしてるだろう」
「いや、してないって」
と、ムスケルが腰に手を伸ばす。剣に手をかけながら、
「貴様、侮辱しているな!?」
「いや、してないって!?」
何で騎士ってのはこう、喧嘩っ早い奴しか居ないんだ!?
そうシアンが心の中で叫ぶ。
どうにか、平和に学園生活を送りたい。できれば面倒ごとに巻き込まれないように!
そんなシアンの願いも空しく、ムスケルは今にも剣を抜き放ちそうで。
シアンは、どうにかしてくれと、隣のアイリスに目を向ける。彼は、シアンと目が合うと、柔らかく目を細めて、手を腰の剣に伸ばした。慌ててやめろと目線で訴える。
クソ、そういえばこいつも騎士だった。
シアンは早々にアイリスに助けを求めるのを諦めると、アイリスの隣、ハイトの方に視線を投げる。
するとハイトは、とてもいい笑顔で胸に手を当てて、やる? やっちゃう? とばかりにこちらを見ていて。
……こちらも役に立たなさそうだ。
最後に、これは念の為で期待など全くしていなかったが、ルトを見て、
「いやいやいや! ちょっと待て!? 落ち着け!?」
今にも剣を抜き放ちそうな……というか既に抜き放っているルトを見てシアンは慌てて待ったをかける。
そんなシアンに、ルトは剣を構えたまま不服そうに、
「なん、です?」
「いや、なん、です? じゃなくて! なんでこう、どいつもこいつも喧嘩っ早いんだ!? もうちょっと落ち着きなよ君達!?」
なんでこの空間にはアクセルしか居ないんだ!? とシアンは心の中で叫ぶ。
僕一人のブレーキじゃとても止まりそうにない。
アクセル二号のアイリスが、モノクルの奥の瞳を楽しそうに細めると、言った。
「ははは。落ち着いてて楽しいのか?」
「楽しいか楽しくないかじゃないでしょ!」
「えー」
「えーじゃない! 止めて!?」
そうシアンが叫ぶが、アイリスは全く動こうとしてなくて。もちろんその隣に居るハイトもにこにこ笑っているだけで全く動こうとしていなくて。そんな彼らに、シアンは渋々、本当に渋々、この二人を止めに動かなければならないのかと思う。
いやいやでも、騎士同士の喧嘩を魔法使いである僕が止める? 無理だろう。
「ああー何でこんなことに」
「安心してください、です。すぐに片づけます、です」
「安心できるか!? 片付けるな!」
「かかってくる、です」
やめろと言うシアンの言葉を、ルトは完全に無視。剣を抜き放って臨戦態勢を整えた。
本格的に戦闘が始まってしまう……かと思われたが、
「い、いや。オレは別にルト嬢と戦う気は……」
うろたえるムスケル。
どうやらムスケルは事を構える気は無いようだった。
おお、仲間が! とシアンが喜ぶ間もなく。
ルトは腰の引いたムスケルに斬りかかった。
「いや、ちょ!?」
だから待てって……!? 言葉にならないシアンの叫び。
「ちぇすとー!!」
そして、ルトの気の抜けた声。
しかし、そのゆるい声からは全く想像出来ないような鋭い斬撃が放たれる。
「っ!?」
それをムスケルは、後ろに大きく飛ぶことで回避した。
吹き飛ぶ憐れな机。
それを、もはや諦めた目で見るシアン。
盛大に机を吹き飛ばしたルトはというと、ムスケルをさらに追撃しようと深く踏み込む。そんなルトを見てムスケルは、もう何を言ってもどうしようもないと思ったのか、
「おい! シアン! 覚えておけよ!!」
そうシアンに指を突き付けて叫ぶと、逃げて行った。
やれやれ。
シアンが首を力なく振りながら、吹き飛んでいった机を持って来る。
机は、ルトの斬撃により見事に真っ二つに割れていた。綺麗な断面だ。
それをシアンは、なんとか自立しないかと挑戦する。が、手を離すと机はバランスを保てずに倒れてしまう。
シアンはこれをやった張本人ルトに抗議の目線を向けて言った。
「どーすんだよこれ」
「……」
関係ありませんとばかりにシアンを無視して元の位置に戻るルト。シアンは、
「おい。ったくもー。どーすんだよこれ」
真っ二つに割れた机の前で途方に暮れる。
机って先生に言ったら交換してもらえるのか? うちの騎士が真っ二つにしてしまったので新しい机くださーいって?
いや、ないない。絶対面倒くさい事になる。
「うーん……」
どうしようか。もういっそのこと、机がないので帰りまーすが正解か? などと思っていると、横からハイトがやってきた。
そして、まかせてと微笑むと机を起こしてシアンに、
「ちょっと持ってて」
支えさせる。
「どうするんだ?」
「いいから。いいから」
首を傾げながら机を支えるシアン。
ハイトは、シアンがしっかり机を持っている事を確認すると、机から手を離した。そして、胸に手を当てて目を閉じる。それは魔法使いが魔法を発動する時のポーズだ。
深呼吸。
意識に深く潜っていく。
意識が奥底、魂の内側まで届いたその時、口を開く。
「魔力よ。我のうちに眠る力よ。我の呼びかけに応え給え」
体の内。意識の奥。そのさらに深く深く下に意識を集中する。
外界の者に影響されない、己だけの領域。
新月。
ルアシューネの花が咲いている。
どこまでも、どこまでも。
見渡す限り、白い、白い花が、淡い光を灯している。
そこは自分だけの領域。
魂の奥底にある領域。
そこにある己の魔力だけに向き合う。
それを練り上げる。
そして、最後に、きっかけ。それを作る呪文を唱える。
顕現の言葉を紡ぐ。
「修復せよ」
目を開ける。
そして、魔法を唱え終えたハイトは、ウインクすると言った。
「くっついた?」
シアンは、支えていた手を離す。すると先程までは無情にも倒れていた机が今は自立していた。
それにシアンは笑って言う。
「ああ。くっついたみたいだ。助かった。ありがとな」
「どういたしまして」
それににこりと笑って返すハイト。
と、そこで教室の扉が開いて、男性教授が入ってくる。
琥珀色の長髪に、灰の瞳。長い髪は、背後のかなり下の方でゆるく纏められている。ダウナーな雰囲気の男性だ。
その彼レイン・シャフト教授は、顔にかかった髪を煩わしそうに払う。そして、けだるげな雰囲気を隠しもせず教室を見回して言った。
「さて、講義するのも面倒なので実践といきましょうか」