魔法使いと騎士
「動くな、です」
鈴の鳴るような声がすぐ後ろから聞こえた。
青藍の瞳に、無造作に伸ばされた濡羽色の長髪。折れてしまいそうなほど細い体躯は、まさに魔法使いらしい彼、シアン・アーシェルトがその声を認識すると同時。
ひたりと首筋に冷たいものがあてられた事に気付いた。
「あー、ええっと?」
シアンは困惑気味にとりあえず、抵抗の意志がない事を手をあげて示す。すると、背後の人物はそのシアンの様子に満足したのか、剣を鞘に仕舞うと、こう言った。
「ボクの魔法使いになる、です」
「え?」
シアンはそこでやっと、背後に振り返る。
そこにいたのは、透き通るような真っ白の髪の少女だった。
騎士らしくない小柄な体。腰までの長髪が穏やかな風に吹かれてさらさらと揺れる。
少女、ルト・シュネーヴァイスは、呆けたように立ち尽くすシアンにしびれを切らしたか、剣を抜き放ちながら、
「魔法使いになる、です」
言う。それにシアンは困惑気味に眉を下げる。
魔法使い。
それは高威力の攻撃を単独で撃つ事が出来る人物だ。魔法使いの一撃で何十人、時には何百人もの人間を葬る事が出来る。もちろん、その分弱点もあって、魔法使いは、魔法を撃つまでの少なくない時間の間、完全に無防備になる。
絶大な効果の裏には必ず何かしらの制約が存在する。それは世の常だ。
そして、そんな無防備な状態を守護するのが、騎士だ。
そんな『魔法使い』と『騎士』のペアを『主従』というのだが。
このシアンに剣を突き付けている少女ルトは、どうやらシアンに自分の主従の片割れである魔法使いになって欲しいらしかった。
と、そこまでシアンは理解した。が、理解はしたが意味は分からなかった。
なので、こう言う。
「えっ、えっ、えあ、ええっと?」
「なる、です」
「ま、ちょ、待った!」
「なる、です!」
ルトはぐいぐいとシアンに剣を突き付けながら迫る。
それにシアンは若干押されながら、困惑顔でルトを見た。そして彼女の一点を指さしながら問いかける。
「待て待て待て! 君! 貴族科だろ? 何で入学前に相手が決まってないんだ」
シアンが指さした位置、それはルトのケープの青い刺しゅう部分だった。
青い刺しゅう、それは貴族科だけが持つものだった。
ここ、ルアシューネ学園には貴族科と一般科の二種類のクラスがある。
貴族科と一般科。
一般科の生徒は、学園の合格発表前と合格発表後で主従の相手が変わる事がある。なぜなら、学園に入る為の試験はとても難しく、合格率も高くない。主従の両方合格できればもちろんいいが、そうでない場合もよくあるのだ。その為、合格発表前に主従だった二人が、合格発表後には片方が不合格になる事によって主従を解散しなければならない。なんてことは良くある話しだった。
それに対して、貴族科の生徒は違う。
一般科の生徒が厳しい試験に合格しなければ学園に入る事は出来ないのに対して、貴族科の生徒は実質的に試験が免除されているのだ。
だから、合格発表前と合格発表後で主従が変わる事は無い。
だが、なぜか目の前の少女。ルトは貴族科であるのに、主従の相手を探しているらしい。
と、ここでは珍しい貴族科のルトが小首をかしげながら、シアンのある一点を指さしながら言う。
「キミは、人の事言える、です?」
そこには、青の刺しゅう。貴族科の証があった。
それにシアンは苦い顔で笑いながら、
「えあっと、あーまあ僕は特殊な部類で……」
「ならボクも特殊な部類、です」
「なるほど?」
「それで、キミはボクの魔法使いになる、です?」
「いやーそれは」
「なる、です?」
ぐいぐいと突き付けられる剣。それにシアンは目を泳がせながら言う。
「えーいやー。それはちょっと、無理かなー」
と、さらに深く切り込んで来るルトの剣。
「なる、です?」
「えーあーえとえと」
「なる、です」
「あーえっと……あ! 僕、そういえば……」
「なる、です!」
ルトの剣が、シアンの首筋にぴたりと寸分の隙もなく添えられた。それにシアンは、それ以上断り続ける事が出来なくなって、仕方なく観念する。
「わあああ! わかったわかった! なるなる! 君の魔法使いになるから! 取り敢えず剣を収めてくれ!」
シアンがそう言うとルトは少しだけ。本当に少しだけ、満足げに口の端をあげた。わからないくらいのそれは、シアンに気付かれることなく元の無表情へと戻る。
ルトはおもむろに剣を鞘へと納めると、
「では行く、です」
そう言いながら歩き出す。そんなルトにシアンは、その背後に着いていく……ふりをしてくるりと半回転。真反対に歩き出そうとした。
だが、
「……あーうん。行くよ。行く。行くつもりだったよ。もちろん」
ぴたりと首筋に突き付けられたルトの剣。それにシアンは、降参だと手をあげる。どうにもシアンは、この頭一つ分も小さい少女から逃れる事は出来ないようだ。
それもそうだろう。
接近戦で、魔法使いは騎士には敵わない。
それな周知の事実でもあるし、ここに起こっている現実でもある。
シアンはルトに振り返る。そして観念したように言った。
「行こうか。入学式に」
「はい、行きましょう、です」
歩き出すルト。今度はシアンの前ではなく、後ろに並んで入学式への会場へと足を進める。
逃げ道は無いようだ。まあ、前を歩いていても逃げられるわけではないのだが。
シアンは、後ろに居るルトをちらりと横目で見ると、ぼそりと言った。
「……さすがは騎士様。気配には敏感だなあ」
「なにか言った、です?」
「いーや。なんにも」
「そう、です」
温かな春の風が、黒と白の二人の間を抜けていった。
ここに、魔法使いと騎士。新たな主従が誕生する。