遠い昔の事
月下。丘一面にルアシューネの花が咲いている。
一夜限りの幻想的な光景。
白い。白い花がどこまでも咲いている。青藍の魔力光を散らしてどこまでも、どこまでも。天に昇る魔力光は、ある種神聖な雰囲気を漂わせていた。
魔力光のおかげで、夜なのに少し明るい丘の中心に二人は居た。
一人は、青年だ。丘に一本だけ生えている木に背を預け、目を閉じていた。
もう一人は、少女だ。目を閉じている青年の顔を覗き込むように座っている。
少女は青年の頬にかかった、濡羽色の長髪を払う。青年の表情はどこか満足そうに微笑んでいた。少女はその顔を見て、くしゃりと顔を歪める。金の瞳から、一筋涙が零れた。一つ零れると、その後は、二つ、三つと止まる事を知らないかのように、ぽろぽろとあふれ出てくる。
どうして?
少女の頭の中でそんな言葉が思い浮かぶ。
しかし、その言葉の答えは少女が一番よく知っていた。だが、そう思わざるを得なかった。
少女は頭につけられた花。ルアシューネの花を取った。これは青年の魂の欠片だった。ここ一面に咲いている花もそうだ。そして、世界中に咲いているであろう花もそうだ。
青年は、世界を救ったのだ。
だが、だがそれでも。
それでも、少女のどうして。という思いは止まらない。
青年はすでに息絶えていた。
少女が来た時には既に魔法は発動していて、止める事は出来なかった。青年はここに来てしまった少女に、困ったように笑って、そして少女の頭にルアシューネの花を挿した。
そこで彼は息を引き取った。
少女は、手の中で徐々に形を無くしていくルアシューネの花を見つめる。
端から青藍の魔法光を放って消えてしまうそれを見つめる。
どれだけ優しく持っても、消えていってしまうそれ。
少女は――と、そこでこの場所に二人以外の人物が現れる。
息絶えている青年と大体同じくらいの年頃の男だ。男は焦ったように、木に寄りかかっている青年に駆け寄ると、声を掛ける。
「おい! おい! 起きろよ!?」
しかし、青年が目を覚ますことは絶対にない。
青年はただ、男にされるがまま揺さぶられる。
「おい! 返事しろよ!? 何でだよ! 何でこんな! こんな事って……!」
男はずるずると青年に顔を押し付けるようにして、くずおれる。
男の無造作に伸ばされた銀の長髪が広がった。
どうして!
どうしてこんな事になってるんだ!?
どうして何も言ってくれなかったんだ!?
俺はお前の騎士じゃないのかよ!
主従になったんじゃないのかよ!?
何で一人でこんな所でこんな事になってるんだよ!!
男は強く、強く青年の服を握る。
男の深紅の眼から、自然に涙が出てくる。
幾筋も、幾筋も。止めどなく男の頬を伝う。
どうして。
その言葉だけが、男の頭の中をぐるぐると回っていた。
そして、行き場の無いそれは、その場に居たもう一人、少女に向かう。
青年を挟むように向かいに座っていた少女。
男は、少女に掴みかかる。
このどこにも行き場の無い気持ちが向けられるならどこへだってよかった。男も、少女のせいだとは思っていなかった。だが、それでも誰かに掴みかからなくては、もうこの気持ちに整理がつきそうもなかった。
だが、男は掴みかかった少女の両の瞳から、自らと同じように止めどなく涙が溢れ出ているのを見て手が止まる。そして力なく手を離した。
分かってしまったのかもしれない。どこにも行き場がないこの気持ちを抱いているのは自分だけではないと。
くしゃりと表情を崩して泣く男。
そんな男に少女は、手に持っていたルアシューネの花を男の頭に挿した。
そして眉を下げて笑うと、懐に持っていた護身用のナイフで自らの首を躊躇もなく切り裂く。
男はその光景に目を見開いて、
「ぇ……?」
言えたのはそれだけだった。
目の前の光景に脳がついていけなかった。
理解するのを拒んでいた。
だって、これは一体どういう事なんだ。
少女は、青年の所にいってしまった。
絶対に届かない、遠くへと。
停止した脳が、コマ送りの様な世界の中で、透き通るような真っ白の髪が散るのを映す。
白い、白い花がどこまでも咲いている。青藍の、青年の色を纏って咲いている。