デート中に「飲み物買ってくるから、ちょっと待ってて」と言われて、待たされている女の子をナンパするのが生業です!
短編小説書くの楽しいです!
「嬢ちゃん、ひとりぃ?」
「えっ、いえ、その、人を待っていますの」
「えぇー、こんな可愛い子を一人にする奴なんて、絶対碌なもんじゃないよ」
「そーだよ、そんな奴はほっといて、俺らとあそぼーよ」
戸惑いながらも「えっと、困ります」と呟いている明らかに金持ちな少女。そんな少女に詰め寄るいかにもチャラそうな男二人──のうちの一人が俺である。
そう、真っ昼間から、か弱そうな女の子を男二人で囲い込もうとしている最低、卑怯、不埒な男こそが俺だ。
少女を引き続き口説きながら、俺はちらりと後ろを確認した。遠くから両手に飲み物を持った男が走って来ているのを確認したところで、仲間に合図を出すと直ぐに了解の合図が返ってきた。
「ねっ、嬢ちゃん、俺たちとお茶でもしよっ! あっちに美味しいとこあるんだよ」
仲間が少女の腕を掴んだ。
「いやっ、やめてくださいっ!」
少女が必死になって叫んだ時、パシンと手が叩き落とされる。俺らと少女の間に体を滑り込ませるように入って来たのは、先程遠くから飲み物を持って走っていた男だった。
持っていた飲み物は、しっかりと少女が座っていたベンチの上に置いてある。
食べ物を大切に扱うとは、素晴らしい奴じゃないか。
「汚い手で私の連れに触れるのは、やめてもらおう!」
「ああんっ、誰だてめぇ」
「俺らは、後ろの嬢ちゃんに用があるんだよ。関係ねぇ男は、帰った帰った」
俺は男を挑発するように、手でしっしっと払う仕草をする。キッと男が鋭い目つきになった。
こりゃあ、乗るな。
「関係ならある! 俺は、この子の恋人だ!」
かかった。
思わず口角が上がりそうになるのをプロ根性だけで押さえ込んだ。
「なぁんだよ、男いたのかよ」
「いねぇと思ったから声かけたのによぉ。時間の無駄だったぜ」
そう言いながら、俺らは二人の元からさっさと離れた。あまりの撤退の速さに残された二人は、ポカンとしていたが、軈て少女の方は何かを思い出したように顔を赤くさせた。
「あの、さっき‥‥‥恋人って‥‥‥」
「あ、嗚呼、嫌、だっただろうか」
「いえ、その‥‥‥嫌ではなくて、寧ろ、その、嬉しかったです」
「‥‥‥逆になってしまって、すまないが、俺と付き合ってはくれないだろうか?」
「こんな私でよければ、よろこんで」
そこまでの光景を見守って、たった今恋人になった男女から見えないように俺たち二人はハイタッチした。
信じられないかもしれないが、俺はこれを生業にしている。
─────────────────────────
ことの発端は一年前、俺が貴族子女が通う学園に入学したのが始まりだった。
そんな学園で俺は、みんなが寝静まった夜に寮から抜け出そうとしていた。何も俺は、夜遊びに明け暮れているわけではない。そんな理由なら、どれだけ心躍ったことか。
俺がこっそりと抜け出そうとしているその理由はひとつだけ、バイトをするためだ。
男爵家の息子である俺、リアム・ミュートは金がないのだ。そう、兎に角、金がない。
というのも、貴族のみが入学を許されている全寮制のこの学園、教育レベルは非常に高いが授業料もめちゃくちゃ高い。俺の実家は一応は貴族だが、そんなのは名ばかりの没落寸前の貧乏貴族。
その一番の原因は、ずはり両親の人が良すぎることだ。
税が納められないという領民の代わりに立て替えて税を払ってしまうものだから、いつも金がない。
まぁ、確かにうちの領地は作物が育ちにくいから、税を納めるのが難しい人がいるってのはわかる。わかってはいるが、それで自分達が飯を食うのも困るような貧乏になるのは違うだろう。だが、俺も領民と仲良さそうにしている両親を見ると結局は何も言えないのだ。
『いい、リアム。人のためを思って行動すれば、必ず自分に返ってくるのよ。だからね、私たちは貴族でも自分のことばかりを考えてちゃいけないの。領民の生活を第一に考えるのよ』
母の言葉であり、ミュート男爵家で代々語り継がれてきた言葉だ。そのおかげで、俺たちは代々貧乏なんだよ。
そんな金がない貴族にも、学園の入学案内が届いた。学園入学は強制じゃあない。勿論、俺は入学するつもりなどなかった。だけど、両親から貴族として生きていくなら入学した方がいいと強く勧められて、その翌日には俺に何も言わずに手続きやらなんやらを済ませてしまっていたのである。しかも、入学金は借金して払ったと言うじゃないか! これから待ち受ける貧乏生活に絶望したが、払ってしまったものは仕方ない。
そう思って、俺はありがたく学園に通わせてもらうことにした。
だが、とここで逆説がつく。
両親は俺が入学する前よりも、もっと貧しい生活をしているに違いない。俺が実家にいた頃は、一日一食しかないものの一人一つのパンを確保できていた。しかし、今はきっと二人で一つのパンを分け合っているに違いない。
俺は、俺のために借金を作ってまで学園に入学させてくれた両親に仕送りすると決めたのだ!
そのための夜間バイトだ。夜は昼よりも時給が良いから助かっている。
さぁ、今日も元気に酒場のバイトへ行こう! そう思いながら、一歩踏み出した時、ガシッと首根っこを掴まれた。
「ぐえっ」
「君、こんな遅くに何しているんだい?」
「ひゃーーーー!」
こんな時間に人がいると思わず、甲高い声を出してしまった。真逆、教師? バイトを始めて一ヶ月、今まで出くわしたことはなかったが、見回りしている可能性はある。
恐る恐る後ろを振り向けば、そこには俺と同じか少し高いくらいの背丈の男が怪訝そうな顔をして佇んでいた。
「何をしているのか聞いているのだけど」
「ひゃ、ひゃい」
「不法侵入者、かな?」
「いえ、違います、違います! 俺、今年の新入生です」
「嗚呼、一年生か‥‥‥なら、尚更こんなところで何をしてるの。消灯の時間はとっくに過ぎているはずだよ」
「そ、それは‥‥‥」
酒場のバイトです!
とは、言えずなんて誤魔化そうかと口籠もっていれば目の前の男が何かを納得したように「嗚呼」と言った。
「夜遊び」
「へっ! 違いますよ」
「惚けても無駄だよ。全く、今年の一年は、扱き甲斐がありそうだね。では、行こうか」
「えっ、行くって‥‥‥?」
「勿論、先生のところだ。注意してもらわないとね」
「いやいやいやいや、ちょっ、ちょっと待ってください」
「言い訳は職員室でたっぷり聞くとしよう」
華奢な見た目とは裏腹の強い力に、俺は必死で抵抗する。このまま、教師の元へ連れていかれたら、バイトを辞めさせられてしまうかもしれない。
そんは、絶対にダメだ!
一か八か、賭けるしかない!
「バイトです!」
しん、と場が静まり返った。失敗だったか。
「‥‥‥バイト?」
「俺の家、貴族ですけど貧乏で食べるものにも困ってるんです。この学園の授業料だって借金して払ってくれてて。教師のとこに連れてかれて、バイト辞めることになったらうちの両親は餓死しちゃいます。見逃してください、お願いします」
「ふぅん、そうなのか‥‥‥君、口は硬い?」
「えっ、まぁ、硬い方だと思います」
「そうか。なら、僕の言うこと聞いてくたら、黙っていてもいいよ」
「聞く聞く、黙っててくれるなら、何でも聞きます!」
「ついてきて」
男は、俺の首根っこから手を離すとなんの躊躇もなく生垣の間から学園の外へ出た。俺もそれに続く。
「あの、どこへ行くんですか?」
「来ればわかるよ」
それきり男は何も言わなくなり、俺もそれ以上は何も聞かなかった。
おかしいと思ったのは、暫く歩いたところで、停まっている馬車を見つけた時だった。
この馬車に乗るのか? いや、真逆な。
その真逆だった。
男は当たり前みたいに、馬車に乗り込もうとした。
「ちょっ、ちょっと待ってください。これに乗るんですか!?」
「‥‥‥? そうだよ」
「幾ら何でも、どこに行くかもわからない状態で、これに乗るのはちょっと、」
「なら、バイトのことは言う」
「えっ!」
「だって、着いてきてくれるっていうのが、黙っておく条件だったでしょう」
「いや、確かに‥‥‥でも、」
「まぁ、僕は別にどっちでも良いけどね。どうするの、乗るの、乗らないの?」
脳裏に硬いパンを泣き笑いで齧り付く両親の姿が浮かぶ。
「‥‥‥乗ります」
俺は無力だった。
外の景色すら見えない馬車に連れられて、たどり着いた場所は意外や意外、大豪邸だった。
てっきり、内臓でも売られるのかと思って身構えていたが大丈夫そうだ。
男の後について、大豪邸の中へ入れば外の煌びやかな庭園とは違って、中は静かすぎて不気味なほどだった。
あまりの静けさに足音を殺して歩いていれば、目の前の男が大きな扉の前で止まった。突然のことに男の背中に激突してしまう。
そんな俺を気にすることもなく、男は扉をまたしてもなんの躊躇もなく開けた。
「失礼するよ」
「いつも言っているだろう。もっと、静かに入って来い」
執務机の椅子に腰掛け、パイプを吸っていた人物が椅子を回転させてこちらを振り向いた。煙を纏ったその人物は、俺と目が合うと僅かに目を見開く。
「ミリウス、契約違反か」
「いえ、前に言っていたでしょう。新しいバイトを探してるって。今日はその候補生を連れてきただけです」
「えっ! そうだったんですか?」
「呆れた奴だ、何も説明せずに連れて来たのか」
「ローディエンス公爵が説明してくれるでしょう」
「ローディエンス公爵?」
俺はピンクブロンドの髪をした美麗の女性をもう一度、改めて見つめる。
「あれ、言ってなかったかな。ここは、ローディエンス公爵家だよ」
「えぇっー、ローディエンス公爵って、あのローディエンス公爵ですか!?」
『ローディエンス公爵』
貧乏地方貴族の俺でも知っているくらい有名な人だ。
美しすぎる公爵と言われており、莫大な領地を持っている。そして、その管理能力も頗る優秀。
美貌と聡明さを合わせ持つ女公爵は、社交界でもそれはそれは人気だった。引く手数多ですぐに結婚するものと思われていた女公爵だけど、変わり者ということでもまた有名なのだ。
何度誘いをかけられても、「悪いが、私は夢女ではないのでな」という訳の分からない断り文句を誰にでも言っていたとか。余談だけど、この断り文句は一時期、社交界の女性の間で流行ったらしい。
その甲斐もあって未だに独身。後継者は親戚から選ぶと公言しているところを見ると、もう結婚する気はないのだろう。
見たことがなかったが、こんなに綺麗な人とは思わなかったなぁ。
確か、四十を超えているという話だったけど二十代と言っても通じる程に若々しい見た目だ。
「私はシャーロット・ローディエンス。君が言っているローディエンス公爵で間違いない」
呆然としていた俺にローディエンス公爵は、簡単に自己紹介する。慌てて俺も佇まいを正す。
「俺はリアム・ミュートです」
「ミリウス、この男は信用出来るのか?」
「学園を抜け出して夜間バイトするくらいには金に困っている貴族です。金の力でどうにでもなるかと」
酷い言われようだ。
「そうか。さて、リアム。君は口が硬いだろうか」
先程も聞かれた問いかけに、もう一度同じように答えた。ローディエンス公爵は、満足そうに頷く。
「まぁ、ここに来た時点で、君には口を硬くしてもらう」
「それで、その‥‥‥バイトっていうのは?」
「いいか、リアム、よく聞け。これから、君には、私からの指示で働いてもらう。勿論、バイト代は出そう。一案件につきこれくらいでどうだ?」
そう言って見せられた書類には、俺が必死こいて働いている酒場での一ヶ月分以上の金額が書かれていた。一桁間違えているかもと思いながら、もう一度数えたが何度数えてもその金額は変わらない。
「なっ! そんなに貰えるんですか!」
「これは基本給だ。案件の出来によっては、追加で支払う場合もある」
「つ、追加!?」
これだけでも大金なのに!?
いやいや、待て、上手い話には罠があるのが世の常。もしかしたら、危ない話かもしれない。
「それで、俺は一体何をすればいいんです?」
俺の問いかけにローディエンス公爵は、もう一度頷くと椅子から立ち上がって窓の外を眺めた。一々、絵になる人だ。
「少年、私はね、夢女ではないのだよ」
「は、はぁ」
「だがね、別に恋愛自体が嫌いというわけではない。寧ろ人の恋路を眺めるのは大好きだ」
「それは、いいですね、はい」
「その中でも私は特に、デート中に女の子を待たせていたら不埒な輩にナンパされてしまった、というシチュエーションが大好きなのだよ」
「そ、そうなんですか」
「デート中にちょっと飲み物買ってくると言って、女の子を待たせる男の何と多いことか。
少年、君もそう思うだろう!」
興奮したように両肩を掴んでくるローディエンス公爵に、俺は困惑しながらも答えた。
「いや、別に思ったことないですね」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
お互いに無言のまま見つめ合う。
「実際多いのだよ。私が観察したカップルの実に八割は、デート中に女の子を飲み物買ってくるという理由で待たせていた」
ふいっと、俺から離れると芝居じみた動作で両手を広げた。
「嗚呼、どうして、待たされる女の子は多くなる一方なのにその女の子をナンパする不埒な輩は減る一方なのだ!」
「よくわかりませんが、いいことなのでは?」
その瞬間、目をかっぴらいた相手にガン見されて、本能的に後ずさる。
「いいか、少年。確かに特定の恋人がいる女の子に声をかけるなんていう男が減るのはいいことだ。だが、恋愛において邪魔者の存在は時にキューピッドとなり得るのだ。
私はね、攻めがそんな不埒男をボコボコにすることによって、受けとより親密な関係になる様を見るのが、この世で一番好きなのだよ」
はぁはぁと息を荒くしたローディエンス公爵から、俺はまた一歩距離を離した。
「攻め? 受け? すみません、俺には難し過ぎて、さっぱり」
「喜べ、リアム。君は恋の不埒男に選ばれた」
「‥‥‥つまり?」
「少年、君には、私の指定した女の子をナンパして欲しい。簡単なことだろ?」
いやいやいやいや、ちょっと待て待て。
「いや、無理ですよ! 俺には無理です。そんな大役!」
「何故だ。君が了承さえすれば、私は君という存在によって盛り上がりに盛り上がったカップルを観察できるし、君は高い賃金をもらえるのだよ。両者ウィンウィンではないか。どこに断る理由があるのだ」
「‥‥‥がて、なんです」
「なんだ、聞こえない」
心底不思議という顔を見つめながら、俺は恥ずかしさで顔が沸騰しそうになりながらも叫ぶ。
「俺、女の子と話すの苦手なんです!」
しん、と再び場が静まり返る。
「そうか、なら、仕方ないな」
気のせいかな。気温が、何だか下がった気がする。
「私も君に無理強いは出来ない。君を雇うことは、諦める他ないだろうな」
「そ、そうですか! じゃあ、俺はこれで帰らせていただきます!」
これ以上長居するとなんか不味い気がすると思って帰ろうとしたところで、がっしりと首根っこを掴まれていることに気がついた。
「あ、あの離してもらえますか、ね?」
「悪いね、僕も雇い主には逆らえなくてね」
「リアム・ミュート、君は私の趣味を知ってしまった。そうだろう?」
恐ろしい顔をしたローディエンス公爵を前に、俺は素直に首を縦に振ってしまった。
「ならば、君をタダで帰すというわけにはいかなくなった。ミリウス、私の秘密をバラしたものはどうなるのだっけ?」
「はい、殺されます」
「嗚呼、そうだった。そういう契約だったな。リアム、残念だが君を殺さなければいけなくなった。だが、安心しろ。勿論、社会的に殺すだけだ」
「ま、待ってください、全然安心できないじゃないですか! 俺、秘密は漏らしません! 信じてください!」
「だがな、いくら言われても口約束では信用できんな。だからといって、雇用関係にない君に契約書を書かせるということも出来んしな」
「いやいやいや、契約書でも何でも、書きます! 書かせてください!」
「そうか、そうしてくれると私も助かる」
そう言って渡された紙は、バイトの契約書だった。
「私はね、私の下で働く人のためにしか契約書を用意していないのだよ」
「って、ことは?」
「私は優しいからな。君に選択肢をあげよう。
私の元で働くか、社会的に殺されるか、どちらがいい?」
脳裏に家すらなくなった両親の顔が思い浮かぶ。
「‥‥‥働かせて、ください」
俺は無力だった。
その瞬間、首根っこを掴んでいた手が離される。
「長い付き合いになりそうだね、リアムくん。そうだ、自己紹介がまだだった。私はミリウス。これからよろしくね」
この時の俺は、酒場の仕事をすっかり忘れてすっぽかしたせいでクビになることをまだ知らない。
─────────────────────────
あの衝撃の出会いから一年。
最初は女の子に話しかけることもままならなかった俺だが、今ではすっかりナンパ慣れしてしまった。
さて、仕事の終わった俺たちは、ローディエンス公爵の用意した馬車に乗り込む。この時、俺たちが絡んだカップルの後を鼻血を噴き出しながら付けている女公爵を目に入れてはならない、絶対に。見たら最後、自分たちの雇い主があんなのだと認識してしまうことになるから。
俺をこのバイトに誘ったミリウスさんも、そのことは重々承知しているのか、俺たちは無言のまま公爵邸へと運ばれた。
公爵邸に用意されている控室で、サングラスと鬘を外して、顔の化粧を手早く落とす。そうすれば、先程までの日焼けしたような健康的な肌色から元の不健康そうな青白い色に戻る。
これは、自分という正体がバレように化粧を施した結果だ。ミリウスさんから教えてもらったこの化粧も、いまではそこら辺の女の子よりも上手くなっと思う。
そのおかげか、誰にも俺の正体がバレたことはない。まぁ、あったら困るけど。
「ローディエンス公爵の趣味は、相変わらず変わってるよね」
隣で化粧を落としているミリウスさんが、苦笑いしながら話しかけてきた。
「本当ですよね。今回の案件だって、婚約破棄された貴族令嬢と隣国の王太子でしたもんね。あの人の案件って圧倒的にその組み合わせ多くないですか?」
「多い多い、君が来る前からそうだよ」
俺たちが声をかける女の子は、毎回ローディエンス公爵によって指定される。
貴族同士のカップル、職場の上司部下、身分差カップル、その他諸々‥‥‥その内容は案件によって様々だが、圧倒的に多いのが婚約破棄令嬢カップルだ。
まぁ、その案件は追加でバイト代を貰えることも多いから別にいいんだけど、こう何度もあると色々と心配になってきた。
てか、どんだけ婚約破棄してんだよ!
大体、うちの国に何人隣国の王太子いるんだ!
近頃では、ローディエンス公爵が、この状況を作るために婚約破棄させてるんじゃないかとまで考え始めてしまった。
いやいやいや、流石にそこまでする人じゃないか‥‥‥しないよな?
「まぁ、これも仕事だしね。普通にバイトするんじゃ絶対に手に入らないような金額をもらっているんだ。少しくらい思うところがあっても、頑張らないと」
「そうですねぇ。俺もこのおかげで、両親が餓死せずに済んでるんですもんね」
俺たちは月に三から四回シフトに入るだけで、大人の月収以上の金額を貰っている。
本当に大貴族の金の使い方は理解できない。
「そういえば、ミリウスさんは資金貯まりましたか?」
「あ、嗚呼、もう少しというところかな」
顔を僅かに赤く染めたミリウスさんは、目を逸らしながら頬をかいた。このミリウスという俺よりも一学年上の先輩は、可愛いドレスを買うためにこのバイトを続けているらしい。
可愛いテディベアが鞄に入っているのを偶々見てしまったことをきっかけに、話してくれたのだ。小さい頃から両親はかっこいい系の服ばかりを着せてくれたから、実は可愛いものが好きだと言い辛いらしい。結果、自分で稼いで欲しいものを買うという結論に達したという。
自分の欲しい物のために働くなんて、ミリウスさんは偉いなぁ。いつかご両親にも話せたらいいのにと、俺は勝手に願っている。
それにしても、
「ミリウスさんって、いつ見ても美形ですよね。きっと、ドレスもすごく似合いますよ」
「き、君は会う度にそう言うけど、口説くことに慣れたからと言って、僕まで口説く必要はないんだからね」
「いやいやいや、本心ですって」
言いながら、ミリウスさんの顔を見つめる。涼しげな青い瞳に利発そうな深緑色の髪、そして常に微笑みを浮かべている口元。如何にも女の子が好きそうな顔立ちだ。こうやって、赤面している姿なんて、男の俺でもドキッとしてしまうほどだ。
仕事中はサングラスと濃い化粧に覆われていて、その顔の良さを隠しているが、ミリウスさんは実際かなりの美形だ。なんでも、この仕事を始めたばかりの頃、その顔面のまま行こうとしたら、「そんな顔では、女の子がお前に靡いてしまうだろう!」とローディエンス公爵にめちゃくちゃ怒られたらしい。それから、その顔面の良さを隠すように変装するようになったとか。
凡庸な俺からしたら、羨ましい限りだ。
「これほどの美形がいるにも関わらず、全然騒がれないなんてうちの学園って変わってますよね」
「ま、まぁ、僕は学園では目立たないように過ごしているからね」
「あー、そうなんですか」
何してても目立ちそうな顔してるけど、よほど上手く隠れてるんだなぁ。そういえば、俺ですら学園で会ったことないっけ。
「うちの学園で有名と言ったら、やっぱり氷の令嬢ですよね。学年違うのに俺らのところにも噂が回ってきますもん。あっ、そう言えば、ミリウスさんって同じ学年でしたよね。実際、どんな感じの人なんですか?」
「う、うーん、どうなんだろうねぇ。話したことないから、正直分からないや」
「あー、そうなんですか」
そりゃあそうか。学年一緒ってだけで、話したことあるとは限らないもんな。
呑気な気持ちで、ふと時計を見て慌てて帰りの準備をする。
「あっ、ミリウスさん。俺、先に帰らせてもらいますね」
「何か用事でもあるのかい?」
「この後、パン屋のバイト入ってるの忘れてました」
「君、バイト掛け持ちしてたのかい?」
「最近始めたんですよ」
「でも、掛け持ちしなくたって、仕送りには十分だろう」
「そうなんですけど、時間もあるし、もっと働けばお金も手に入るし、それに、パン屋のバイトって余ったパンくれるからめちゃくちゃ助かるんですよ」
「本当に働き者だね。体に気をつけなよ」
「ありがとうございます。じゃっ、お先に!」
優しい声をかけてくれたミリウスさんに挨拶しつつ、俺は急いでパン屋に向かった。
成り行きで始めた訳の分からないバイトだったけど、賃金も高いし、ミリウスさんとローディエンス公爵はなんだかんだ優しいし、俺はそれなりに充実した生活を過ごせている。
なんて、呑気に思っている時代が俺にもありました。
「絶対無理ですって!」
「君にやるやらないの決定権はない。やれ」
「そんなぁ」
涙目になりながらも、俺は提示された書類を眺める。
そこには、アイス辺境伯家のミリー令嬢の情報が所狭しと書かれていた。ミリー嬢は、その名前と雪のように青い髪と瞳の色から氷の令嬢と呼ばれている。俺が通っている学園の超有名人物だ。
だけど、この二つ名が付いた一番の理由は全てを見下すような鋭い瞳だ。
ミリー嬢学園入学当時、色男と名高い伯爵令息が彼女の容姿に惹かれナンパを試みたらしい。誰もが成功すると思っていたそのナンパを、氷の令嬢は一言も発することなく一瞥しただけで色男を追い払ったそうだ。目撃者曰く、顔は微笑んでいたにも関わらず、その瞳は汚物を見る目だったらしい。
その出来事をきっかけに、ミリー嬢は氷の令嬢と呼ばれるようになった。
因みに色男令息は、その事件以降、男としての自信を無くしたのか婚約者一筋になったという。この出来事は、女子の間では武勇伝として男子の間では怪談話として知れ渡っている。一学年違う俺ですら知ってる、学園では有名な話だったりする。
色男すら追い払った女の子に、仕事とはいえ平凡な俺が声をかける?
あり得ない。最悪の場合、その日が命日になる!
「ミリウスさんもなんか言ってくださいよ! 俺たちの命に関わる問題ですよ」
「悪いな、リアム。この案件一人用なんだ」
「‥‥‥ごめんね、そういうことだから、僕、今回はパス」
「はぁ?」
「ということだから、この案件はお前一人でやれ」
いやいやいや、
「‥‥‥馬鹿なんですか?」
「ほぉ、今日を命日にしたいらしいな」
「ひぃっ、ごめんなさい。でも、俺一人で死ぬなんて嫌ですよ! ミリウスさんの裏切り者ぉ! 死ぬ時は一緒って言ったじゃないですかぁ!」
「死ぬ時は、一緒‥‥‥」
「ミリウス‥‥‥顔を赤らめるな」
俺はミリウスさんの足に縋り付きながら、わんわんと泣いた。みっともなくても構わない。プライドより命のが大事だ!
「わかった、ならこうしよう。この案件を受けてくれたら、報酬はいつもの二倍出そう」
二倍? いつもの二倍、二倍あったら、いつもの二倍パンが買える。いや、それどころか仕送りしても余るくらいの金額じゃないか。
俺は思う、金があってこその命だと。
「えぇーん、やりましゅ」
「それでこそ、リアムだ。安心しろ、死んだら骨くらいは拾ってやる」
「全然安心できましぇーん」
─────────────────────────
いっけなーい、遅刻、遅刻!
俺、ナンパを生業にするリアム・ミュート、十六歳。学園に通う二年生だよ!
日々、実家に仕送りを送るためにバイトに明け暮れる平凡な男の子。ひょんなことから氷の令嬢をナンパすることになっちゃって‥‥‥。
ひぇー、俺どうなっちゃうのー?
次週『リアム、死す』
見てくれないと、ナンパしちゃうぞ!
「おぇぇぇぇぇ、」
心の中で思いついたあまりにも自分に合わない台詞に思わず吐き気がした。こういうのは、可愛い女の子が言うから、可愛いんだな。そんなことわかってた、わかってたけど、今はそれくらいふざけていないともたない‥‥‥俺の精神が。
デートスポットとして有名なスイーツ街と呼ばれる広間。多くのカップルがベンチでスイーツを食べている中、俺はひとりで物陰からそのベンチを観察していた。
『いいか、リアム。氷の令嬢は今、身分違いの恋に燃えているらしい。相手はアイス辺境伯家の執事ネイハムだ。日曜にスイーツ街でのデートを計画している。決行はその日だ。
最低最悪の不埒男として、二人の仲を取り持ってこい』
吐きそうになりながらも、ローディエンス公爵の言葉を思い出す。毎回思うけど、あの人どうやって情報を仕入れてるんだ。
いや、今はそんなことどうでもいい。
この案件が成功したら報酬二倍、この案件が成功したら報酬二倍、この案件が成功したら‥‥‥、
その時、俺の良すぎる目はターゲットを捉えた。イケメン執事とクール系美人令嬢。間違いない! あれが氷の令嬢だ!
ターゲットが見えたからと言って、慌てちゃあいけない。時が来るまで待つのがプロってもんだ。
「お嬢様、私は飲み物を買ってきますので、少しここでお待ちください」
「わかったよ」
執事が完璧なエスコートで、ミリー嬢をベンチに座らせた。執事が離れたところを見送って、俺は懐からサングラスを取り出す。
大丈夫、化粧もしてるしサングラスも掛けてる。それに金髪の鬘だってしてるんだ。俺だってバレるはずがない!
物陰から一歩踏み出す。
大丈夫、いつもみたいにちょっとちょっかいかけて、追い払われたら終わりの簡単なお仕事だ!
つまらなそうに景色を見ていたミリー嬢の前にたどり着く。雪のように青い髪と涼しげな目元、黒子ひとつない肌は遠くで見るよりも人形じみている。
「嬢ちゃん、ひとりぃ?」
「‥…‥連れを待っているんだ」
近くで聞いた声は、ぴんと張った糸のような冷たさを孕んでいた。
ちょっと怯むが、ここまできては後に引くわけにはいかない。
「えぇー、嬢ちゃんみたいに可愛い子を待たせるなんて碌な奴じゃないよ。そんなのほっといて、俺とあそぼー」
「いいよ」
そうそう、嫌がって‥‥‥いいよって返して、えっ?
「えっ?」
「だからいいよ、どこへ行こうか」
ベンチから立ち上がったミリー嬢は、ヒールを履いているせいか、俺よりも頭ひとつ分高かった。
「えっ、いや、」
「遊んでくれるんでしょう」
「あっ、そう、そうなんだけど」
「あっちが楽しそうだよ」
あんまり否定すると怪しまれるかと思った俺は、ひとまず令嬢に付き合うことにした。
『いいか、リアム。君のナンパは絶対に成功させてはならない。成功した瞬間、君は真の不埒男になってしまうのだよ。そうなれば、私は自分でも君に何をしてしまうかわからない』
雇用契約を結ぶ時に言われた言葉を、唐突に思い出してしまう。
あれ、俺、ローディエンス公爵に殺されるんじゃねっ?
恐ろしすぎて後ろで観察しているであろう雇い主のことを見ることができなかった。
拝啓、お父さん、お母さん、俺はデート中の女の子のナンパに成功して、真の不埒男になってしまいました。
追記、デートなんてしたことないから、どうすればいいのかわかりません。
「あそこへ行ってみよう」
現実逃避が止まらない俺の意識を戻したのは、ミリー嬢の鋭い声だった。
「えっ、ここって‥‥‥」
「パン屋だよ」
ミリー嬢が指定したのは、驚いたことに俺のもうひとつのバイト先であるパン屋だった。
いやいやいや、よりにもよってどうして、こんな中心街から外れたようなところにあるパン屋に来るんだ。確かにここのパンは絶品だけど、スイーツ街と呼ばれているところからは少し外れているし、他の店ほどの華やかさはない。
若い女の子が来たがるような店じゃないんだけど。
絶対に気づかれないとは思うけど、万が一正体がバレたら、恥ずかしくてもう出勤出来ない。
「あ、あのさ、中心街にあるケーキ屋さんとかの方が、美味しそうじゃない?」
「私はここがいいんだ」
俺の抵抗虚しく、ミリー嬢は店の扉を開けてしまった。扉についているベルが憎たらしいほどに鳴り響く。
「いらっしゃいませ」
音を聞いて出てきたのは、亭主の一人娘兼看板娘のエミリーさんだった。俺は必死に顔を背ける。
「若い女の子が来てくれるなんて! お姉さん、嬉しいよ」
「知り合いがお世話になっているみたいでね。一度でいいから来てみたいと思っていたんだよ」
「知り合い? 誰か世話なんてしたっけなぁ。あっ、そういえば、少し前からバイトで入った男の子が丁度貴方と同じくらいの歳だったと思う。あっ、もしかして、貴方、あの子の知り合いさん?」
突然出てきた自分の存在に、ドキッとして体に力が入る。頼むエミリーさん、余計なこと言わないでくれ!
あと、ミリー嬢も微笑んでないで否定してくれ。俺と君は今日が初対面だろ!
「嗚呼、なんだ、あの子の知り合いね! 残念だけど、今日はあの子シフト入ってないんだよね。嗚呼、でもね、いつもそこにあるジャムパンを好きで食べてるの。お嬢さんもよかったら買っていって」
完全に商売モードに入ったエミリーさんが、マシンガントークを繰り広げる。流石だ。
「へぇ、そのバイト君のことよく知っているんだね」
「‥‥‥あっ、そうだった。やりかけのことがあったんだった。私、奥にいるから、お嬢さん何かあったら声かけて」
それだけ言うとエミリーさんは、そそくさと奥へ引っ込んで行ってしまった。
あれ、突然、どうしたんだろう。いつも、お客さんが帰るまで表にいるのに。それに心なしか顔が青ざめていたような‥‥‥見間違いかな。
「君、このジャムパンが好きなんだってね」
「はっ‥‥‥えっと、ここのバイト君が好きみたいですね」
「嗚呼、そうそう。ここのバイト君が、ね」
あっぶねぇ、はいって答えるところだった。なんだこの罠。
「折角だし、これを買っていこうかな。嗚呼、心配しなくていいよ。私が君の分も買ってあげるからね」
えっ、俺、金払いたくないって顔に出てたかな。
当然のようにジャムパンをトレーに二つ乗せて、会計に向かう後ろ姿を見て思わず奢ってくれるって言うし、甘えちゃおうかななんて考えが湧いてくる。
いやいやいや、駄目だ駄目だ。
「いや、俺払いますよ」
「お金無いのだから、無理しなくていいんだよ」
「そもそも俺が誘ったんですし、それに女の子にお金払わせるなんて、そんなこと出来ませんよ。俺に払わせてください!」
「真面目だね‥‥‥厚意には甘えておけばいいのに、まぁ、そこがいいんだけどね」
「えっと、何か言いました?」
「いや、ここは君に甘えようかな。ありがとう」
そう言うと、トレーを差し出してきた。柔らかく微笑んだ姿は、氷の令嬢とは程遠い気がして俺は不覚にもドキッとしてしまった。
って、駄目駄目、彼女には立派な恋人がいるんだから! 本気の不埒男になるつもりか、俺は!
「じゃ、じゃあ、ちょっと買ってきますね!」
明日からまたバイト頑張ろう、と思いながら俺は金を払った。
会計をしてくれたエミリーさんは、やっぱりちょっとだけ青ざめているような気がした。
店の外に設置されているベンチで、買ったパンを二人で齧る。
「随分と固いパンだね」
「フランスパン、ですからね」
この店のジャムパンは、フランスパンの中にジャムが入っているという変わったタイプだ。このパン、味は美味しいし腹持ちがいいから、俺はシフトで入ると賄いでこのパンばっかり食っている。
「そうか、でも、これが好きなんだね」
うっとりとしたようにパンを齧る令嬢に、俺はハテナが止まらない。
そこまで美味かったのかな。
不思議に思いながらもパンを食べ終えた時、事件は起こった。
「嬢ちゃん、暇ぁ?」
俺たちの前に如何にもなチャラ男が二人も現れたのだ。
「見ての通り、デート中だけど」
「そんな冴えない男ほっといてさぁ、俺たちとあそぼーよ」
「あっちにいい店あるんだよ」
俺は確信した、これは天然物の不埒男だ! ローディエンス公爵、見てますかー! 不埒男は、まだ絶滅していませんでしたよー!
「いや、やめておくよ」
「そんなこと言わずにさ、いこーよ」
男のうちのひとりが、ミリー嬢の手を掴んで、立たせた。俺はそれを見て漸く、守らなければと思考が働いた。
「ちょっ、手を離し」
てください。
と続けられるはずだった言葉は中途半端に途切れる。
何故かって、ミリー嬢に触れていた男が一回転してぶっ飛んだからだ。
えっ?
よくわからないから、もう一度言う。
男がぶっ飛んだのだ、それも一回転して。本当にそうとしか説明できない。綺麗に飛んだ男は気絶してるのかピクリとも動かない。
俺と意識のある方の不埒男は、多分この瞬間気持ちが一致した。
えっ、なにこれ、怖い。
「私は暴力沙汰は好きじゃないんだ。でもね、君たちが、私をこの人から引き離すのが目的だとしたら、暴力沙汰も吝かではないよ」
あっ、これ、ぶっ飛ばしたのミリー嬢だ。
「す、すいませんでした!」
不埒男は、意識を失くした不埒男を連れて、そそくさと去って行った。
「邪魔が入ったね。さて、行こうか‥‥‥どうしたんだい? そんなに震えて」
あっ、俺やっぱり震えてるんだ。
「いえ、何でもないでしゅ」
「嗚呼、かわいそうに。さっきの男たちがよっぽど怖かったんだね。大丈夫だよ、あんな奴ら、私が全部消してあげるからね」
ミリー嬢は、まるで母親が子供をあやすように抱き寄せて頭を撫でてくれた。が、俺の震えは更に加速した。
だって、俺、バイトとはいえさっきの男たちとやってること同じだよ? 今はこんな感じだけど、絶対ぶっ飛ばされるじゃん。
終わった、俺の人生終わった。
お父さん、お母さん、ごめんなさい。
やっぱり俺、今日が命日っぽいです。
でも、予想に反してその後も、俺がぶっ飛ばされることはなかった。普通に露店を見て回って過ごしているところで、漸く重要なことに気がつく。
あれ? そういえば、あの執事どこ行ったんだ。飲み物買ってくるって離れてから、もう三時間は経ってるぞ?
彼女置いてどこまで買いに行ったんだ彼奴。
えっ、てか、なんで、ミリー嬢も何も言わないんだ。もしかして、忘れてる?
いやいやいや、氷の令嬢だからって、流石にそれはあり得ないよな。
「ここでお昼を食べよう」
そう言って、ミリー嬢が選んだ店は俺なんかでは永遠に縁のないようなレストランだった。見るからに高級そうだ。
値段はよくわからないけど、俺の今の手持ちでは絶対に足りないってことだけはわかる。
「‥‥‥あのー、そもそも、恋人を待ってたんですよね。俺も、もう帰らないといけない時間ですし、今日はこの辺で解散ってことで」
えぇい、ここは多少強引でも帰る。だって、こんなところに俺みたいな不相応な奴が入ったところで、没落を早めるだけだ。
「恋人とはネイハムのことかい?」
「そうです、そうです」
「君が気にする必要はない」
いや、必要あるだろ。
「それにネイハムは、私の執事であって恋人ではないよ。そこは勘違いしないで欲しいな」
「で、でも、一緒に来てたんだし、そろそろ合流したほうがいいと思いますよ。ってことで、俺はもう帰りますね!」
もう仕事なんて言ってる場合じゃない。ローディエンス公爵に後で半殺しにされたとしても、俺は一時の金を取る!
颯爽とミリー嬢から離れようとした時、あり得ない言葉が耳に届いた。
「少し話をしないかい? リアム・ミュートくん」
「‥‥‥えっ?」
そして、俺は予想もしていなかった事態に思わず反応してしまった。そう、反応してしまったのだ。
背中に冷たい汗が流れ落ちる。
「リアムって‥‥‥誰のことですか?」
「その方法はあまり賢いとは言えないな。今、帰ったら君はきっと後悔するよ」
口は微笑みながらも、全く笑っていない瞳は氷のような冷たさを孕んでいた。
その瞬間俺は理解する。色男令息が向けられた目はこれだ。
このまま帰ったら、不味いことになる気がする。
小心者の俺は、ミリー嬢の隣に戻った。
「よかった。話を聞く気になったみたいだね。助かったよ」
何が? とは怖すぎて聞けず、気付けば俺はレストランの中へと入っていた。
恐らく予約していたのだろう。俺たちは、入店後すぐに個室に案内された。
ミリー嬢が何かを注文すると、給仕係の店員は一礼して下がっていった。
「それで、その、話っていうのは?」
「そう慌てないでよ。折角だし、料理を食べてからにしよう」
それきり何も言わなくなったミリー嬢は、にっこりと美しい笑みを浮かべて俺の方をじっと見つめていた。だけど、どんなに穏やかな顔をしていても、その鋭すぎる瞳は相変わらず怖い。俺の冷や汗は止まらない。
間が持たず、ひたすらに水を飲むことで何とかやり過ごそうとした。永遠に続くのではないかと思われたこの時間は、漸く届いた料理によって終わりを迎えた。
俺には、店員が救世主に見えた。
目の前に置かれた芸術性が高すぎる料理に、こんな量じゃ絶対腹にたまらないよなという貧乏すぎる感想しか浮かばない。
そして、店員は早々に個室から出て行ってしまった。
置いてかないでくれー!
「さて、頂こうか」
「あっ、はい。頂きます」
料理を口に運びながらも、俺の思考は止まらない。学園にいる時と全く違う姿なのに、どうしてバレたんだ。それに、ミリー嬢とは関わりが全くない。例え、化粧してなくてもわかるはずがないと思ってたんだけど。
それに、わかったとしたって、態々声をかける理由って何だ。親しくもないのに、今日一日俺と付き合う理由?
そういえば、最近、巷では美人局という新手の犯罪が流行っているらしい。綺麗な女の人が男を引っ掛けて、いざ事に及ぼうとしたところで、彼氏役の男が出てきて金を巻き上げるという悪質な犯罪だ。
あれ? 考えてみれば、今のこの状況って美人局と一致してないか?
綺麗な女の子ミリー嬢、途中から全く姿を現さなくなったイケメン執事、それから平凡な俺。おいおいおい、役者が揃ってるじゃねぇか!
「リアムくん、そんなに震えなくていいよ。ここには、私しかいないのだから、マナーのことなんて考えないで好きに食べていいからね」
その貴方が怖いんだよ!
「すみません、こういうところ初めてで、緊張ひちゃって、へへっ」
頼む、俺の手の震え止まってくれ! 大丈夫、まだ怖い男が出てきてないから、トイレにでも立ち上がってそのまま逃げれば‥‥‥いける!
そのためにも、怪しまれないように平常心を取り戻すんだ!
コツンと向かい側から音が聞こえる。ミリー嬢が、ナイフとフォークを置いた音だった。
「話だけど、」
間に合わなかった。
いや、もうここまで来たら覚悟を決めろ。例えどんなおっかない男が出てきたとしても、俺は金を払わないぞ。
身構えた時、ミリー嬢の口が続きを話す。
「君には、婚約者はいるのかい?」
「はい?」
予想もしていなかった話に、思わず聞き返してしまう。
「なに! いるのか!?」
「えっ、いえ、いません、いません!」
「よかった。潰す手間が省ける」
なんか恐ろしいことが聞こえた気がするけど。
いや、気のせい気のせい。
「なら、恋人はいるのかい?」
「い、いえ、恋人もいませんけど、あの、それが何なんですか?」
「私たちの今後を考えると、確認することは重要なんだ。君がまだ誰のものでもないってわかって、安心したよ。これでも、緊張してたんだ」
「は、はぁ。そうなんですか」
「これで安心して、君に求婚出来るよ」
はぁ?
「はぁ?」
「リアム・ミュートくん、君に私の婚約者になって欲しいんだ」
「えっ?」
「ダメ、かい?」
頬を染めて、瞳を潤ませているミリー嬢はこの世のものとは思えないほど美しい。
だからこそ、俺を婚約者にしたいだなんて信じられない。新手の嫌がらせに違いない。それとも、何かの罰ゲームか?
そうだ、そうに決まってる。
だったら、俺の返事はひとつだけだ。
「あの、貴方にはもっと相応しい人がいると思います」
断る一択だ。
「‥‥‥本気で言ってるのかな」
「だって俺、金もないし、容姿だって平々凡々だし、貴方ほどの人が相手するような人間じゃないですよ」
「そうかい、本気なんだね。残念だよ。でも、無理強いすることも出来ないからね」
よかった、こんなにあっさり身を引くってことは、やっぱり罰ゲームだったんだな。俺の返答は間違ってなかった。
安心して肉を口に運んだ時だった。
「だけどね、そうなってくると、私は君のことを学園に報告しないといけない」
肉が皿に戻る。
「えっ?」
「二学年のリアム・ミュートは、学園が休みになるたびに街へ出かけて、特定の相手がいる女の子をナンパしまっくっているってね。
嗚呼、そうだ。私自身もナンパされて弄ばれたって、辺境伯家にも報告しないと」
「へっ?」
急激に雲行きが怪しくなってきた。
そんなことされたら、俺は学園どころか貴族社会にも居場所がなくなる。
脳裏に貴族から石を投げつけられている両親の姿が浮かぶ。
「私も心苦しいよ。君のことを皆んなに報告しなければならないなんて」
「あ、あの、それだけは勘弁してくれませんか」
俺の視界は滲みだした。
あれ、俺今泣いてる?
ミリー嬢は、にこりとそれはそれは美しく笑って、俺の言葉を無視した。
「だけどね、君が私の婚約者だったら、私もそんなことはしないよ。婚約者の悪評を広めたくはないからね」
「こ、婚約者」
「ねぇ、リアムくん。君に選択肢をあげよう」
この展開、前にもあったような?
「私と婚約するのと、今回の件を洗いざらい報告されるのと、どっちがいい?」
あれ? この人、さっきまで目を潤ませてた人だよね? わー、すごーい! 同一人物とは思えないほどの威圧感でいらっしゃる。
そして、この威圧感に小心者の俺が耐えられるはずもなく‥‥‥
「‥‥‥婚約者に、してくだひゃい」
「長い付き合いになりそうね、リアムくん。そうだ、自己紹介がまだだったね。私はミリー・アイス。これからよろしくね」
お父さん、お母さん、恋人も出来たことのない俺に、今日婚約者が出来ました。俺なんかには、勿体無いほどの美人で、家柄も格上です。
でも、なんだかちょっとだけ、いやかなり、怖いです。
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すっかり通い慣れた道を躊躇なく進む。
最初は緊張していたけど、このバイトも三年目となれば慣れるものだね。
いつもと同じ馬車、いつもと同じ部屋、唯一いつもと違うことは、隣にバイト仲間であるリアムくんがいないことかな。
リアムくんと出会って一年。ローディエンス公爵に呼ばれる時は、毎回二人セットだった。
だけど、今日はひとり。
今日は仕事でここに来ている訳ではないからね。個人的な用で、ローディエンス公爵に時間をもらったんだ。
だけど、一応男装している。ここに来る時は、この格好じゃないと落ち着かないから。
いつもと同じように大きな扉を開ける。
中には、パイプを吸ったローディエンス公爵が、その長い足を組んで真剣に書類を読んでいた。
「失礼するよ」
「いつも言っているだろう。もっと静かに入ってこい」
「嗚呼、すみません。少し浮かれてしまって」
「まぁ、浮かれるのも無理はないか。婚約おめでとう、ミリウス。いや、ミリーと呼ぶべきか」
「ありがとうございます。ローディエンス公爵の協力のおかげです」
「どうだか。君は私の協力がなくとも、自力でなんとかしただろう。嗚呼、そうだ。これは祝いの品だ。受け取れ」
そう言ってローディエンス公爵は、今しがた眺めていた書類を渡してくれた。
そこには、リアムくんとのデートの様子が事細かに記されている。あの日のことを思い出して、また頬が緩むのを感じた。
「協力してくれたことへのお礼に来たのですが、こんな素敵なものまで頂いてしまっては却って申し訳ないです」
「気にするな。祝いの品といっただろう。それに、今回の案件は私も中々楽しめたからな」
「あんなにバレバレの尾行で、今までよく通報されませんでしたね」
「リアムは気付いてなかっただろう」
「彼は‥‥‥鈍感ですからね」
そういうところも、彼らしくて好きだけどね。
「あそこまでいくと最早才能だな。
大体なんでこれで気付かないんだ。顔なんて、鬘を被っているくらいで、全く同じじゃないか。
ミリウス、彼奴はギャルゲーの主人公並みに鈍感だ。君が言うまで、絶対に気付かんぞ」
ギャルゲー? と思いつつ、私はそれを無視した。ローディエンス公爵がよくわからない言葉を使うたびに引っ掛かっていたら、話が進まないからね。
「それでいいんです。彼はミリウスに心を許していますから、知らない方が都合がいいです」
「なるほど、ミリーでは聞けぬ本心を聞きたい、か」
「えぇ、ですから、ローディエンス公爵、彼に私の正体は言わないでくださいね」
「心配するな。私も、本気のアイス辺境伯家の人間に喧嘩を売るほど命知らずではないからな」
私にはよくわからないけど、社交界には『アイス辺境伯家の人間を怒らせてはならない』という暗黙の了解があるらしい。どうしてそんなことが言われ始めたのかはわからない。だけど、このおかげで、婚約者となったリアムくんに手を出そうなんて思う馬鹿な人間はいなくなるだろうね。
それを考えると、また愉快な気分になる。
「では、ローディエンス公爵。この度はありがとうございました。私は婚約の準備がありますので、これで失礼します」
「待て、ミリー」
扉に手をかけた時、ローディエンス公爵に止められた。振り返れば、無表情な彼女には珍しく真剣な瞳をしていた。
「リアムのバイトのことだが、本当に辞めさせなくて良いのか? 君が望むなら、今すぐにでも彼のことはクビにするぞ」
「確かに、彼が振りとはいえ、女の子に声をかけまくるのは不快です」
相手の目つきが鋭くなる。
「でも、いいんです。ミリウスとして、変な女に唆されないか見張っていれば良いだけのことですから。それに、もし、彼が私のせいで辞めさせられたと知れば、彼は私から逃げようとするでしょう。強引すぎると人は逃げ出したくなる生き物ですからね」
「‥‥‥君のプロポーズはかなり強引だったように思うが?」
「あれは多少強引にいかないと」
ノロノロしていて、人に盗られたら大変でしょう。
「兎に角、バイトのことは彼の意志で選んでもらいます」
「選んだと思わせる、ではなくてか?」
「だとしても、リアムくんが自分で選んだと思っていれば問題ありません」
「‥‥‥そうか、精々君の怒りを買わないように気をつけるとするよ」
「えぇ、そうしてください」
今度こそ部屋を出た私は、これからのことを考える。両親にはもう報告してあるから大丈夫として、まずはミュート男爵家に婚約のことを連絡しないと。嗚呼そうだ、リアムくんと一緒に挨拶に行くのも楽しそうだね。
きっと、彼は誘えばガチガチに緊張して断ろうにも断れず、涙を浮かべながら了承するのだろうね。あの姿も可愛いけど、ミリーの前でもミリウスの時のような笑顔をむけて欲しい。
だって、私はリアムの体も心も全部欲しいから。いや、全部手にする。
「絶対に幸せにするからね、リアムくん」
最後まで閲覧ありがとうございました!
久しぶりに軽い話が書けて楽しかったです。
沢山の作品が投稿される中で、この作品に出会ってくれてありがとうございました。また、他の作品でお会い出来たら幸いです。