3 異動内示
2018年3月26日午後、中山課長から個室に呼び出された。
「高槻さん。4月1日付けで中央児童相談所緊急対応課に異動になります。人事とも相談しましたが、高槻さんの今までの実績と今後に期待して、そこで頑張ってもらおうということになりました。よろしくお願いします。」
・・・異動内示が覆ることはなかった。私は抵抗した。自分には無理だと。
「高槻さん。公務員の世界において異動命令は絶対です。拒否する方法・・・なくはないけれど、それはあなたの将来に傷をつけることになります。それに、中央児童相談所のスーパーバイザーは希望しても就けるポジションではありませんよ。それだけあなたに対する期待値が大きいということです。山口所長からもそう聞いています。」
山口所長…私が最後に児童相談業務に就いていた時の直属の「課長」である。石橋を叩きまくって壊すような仕事の「させ」方をする人物・・・「保身の鬼」である。
相談員はある程度裁量を持たされてその中で泳いでよいことになっているのだが、この人物には、行政として何が起こってもバッシングされないようにという視点での仕事を強要された。事実故障者が続出し、私もすんでのところで人事異動に救われて餌食にならなかったという「黒歴史」がある。異動になったというよりも、「反乱分子」として異動させられたという表現が適切かもしれない。
「山口所長・・・無理です。以前故障寸前まで追い込まれました」
私は、頼むからこの人事は撤回させてくれと中山課長に懇願した。
「・・・もう決まったことだから!!」
最後は中山課長が話を強制終了させた。
異動内示後、私のただならぬ雰囲気を察した明治課長補佐が声をかけてくれた。そして10階のフリースペースへ…。
「明治補佐。・・・自信ないんですよ。未経験の業務。それも相談とは真逆にある虐待対応の業務だなんて・・・。ましてやスーパーバイズって・・・。所長も大の苦手です。」
私はとにかく今思っていることを明治補佐にぶちまけた。
「うーん。高槻さんは責任感強いからなぁ・・・。あなたが虐待対応やそのスーパーバイザーも未経験であることは現場も知っているはずやよ。まさかメチャな仕事のさせ方はせんでしょう。10やろうとせず、6か7できたらいいくらいの気持ちでやってみたら?私からも中央児相の課長に一報入れとくよ。」
明治補佐の話にも一理ある。まさか未経験者に無理難題は言わないだろう・・・。少し落ち着きを取り戻した。
落ち着いたら、中山課長の「誰でも就けるポジションではない」という言葉にも、一定そうなのかという思いが芽生えてきた。児童相談所は福祉専門職の花形的な部署、それも中央の、緊急対応課の、スーパーバイザー・・・。これまでの仕事ぶりが人事的にきちんと評価された結果だ・・・喜ぶべきなのだろう。
しかしながらそれも一過性のもので、ふとした瞬間に「頑張れる」「頑張れない」・・・異動の当日までシーソーのように浮き沈みを繰り返す気持ちは変わることはなかった。今思えば、もうその時点で夜眠れないに加えて気分の落ち込み、集中力を欠いていたり物忘れをしたり・・・いわゆる「抑うつ」と呼ばれる症状が出ていたように思われる。
そして迎えた4月2日の異動当日・・・気が重い。足が動かない・・・。
「甘えるな。そんな弱いことでどうする・・・」
自分を鼓舞して家を出た。しかしながら、どこをどうやって中央児童相談所までたどり着いたのか・・・ほとんど記憶がない。